第ニ章

 年が明けて平成二十二年になった。

 私は秘書の仕事も一通りこなせるようにはなっていた。そして資格試験の勉強も怠ってはいなかった。今年は正月も返上して勉強に没頭した。何せ試験まであと半年しかないのだ。一日足りとて無駄に出来ない。

 年初は各後援会の新年会が催され、いくつかは出席した。かねてから試みていたことではあるが私は自分と同世代の人たちとなるだけ多く接触するようにした。

 彼らがどのような考えで生きているのか。何が大きな悩みなのか。それらを日々聞き出す努力をした。そして自分自身を売り込んだ。とくに紅会を発端に紹介された若い子育て世代のママたちで作るママ友の会のメンバーたちとはかなり親しくさせてもらっていた。

 その日、カラオケボックスの大部屋を貸し切ってママ友の会の新年会が行われることになっていた。今時の若い世代は料理屋で鍋を突っつくよりもこういう所の方が好きなのだろう。今回は二十名ほどのメンバーたちが集まっていた。そして代表を務める牧野京子が前に立ち挨拶を始めた。

「皆さま、本日はお忙しい中、平成二十二年度ママ友の会の新年会にご参加いただきありがとうございます。今日はおおいに歌って呑んで盛り上がってください。但しハメは外さないように」

 そこでどっと笑いが起こった。

「ここで一人皆さんに紹介したい方がおられます」そういうと彼女は私を前に呼んだ。私はマイクを持って喋る彼女の横に立った。

「皆さんの中にはご存じの方もおられるとは思いますが、彼女は上村恵理さん。といっても子育てママではありません。花の独身です」

 皆の間でどよめきが起こった。

「上村さんはこの区選出の衆議院議員上村光三氏のご息女であられます」

 またしてもどよめきが起こった。そして、「上村さん、簡単に自己紹介を」とマイクを渡された。

「ええ、ただいま紹介にあずかりました上村恵理でございます。このなかには初めてお会いする方もおられますので自己紹介させていただきます。私は現在、父の秘書として働いております。でも将来は父の跡を継ぎ議員となって皆さんの生活をよりよくするために働かせて頂こうと思っております。これから何卒よろしくお願い申し上げます」

 そして拍手が起こった。私は一人一人に名刺を配り、ここでもしっかり自分を売り込んでおいた。



 またたく間に時は過ぎ九月となった。

 その日は休みをもらって朝からずっと部屋にいた。だが目覚めた時から気持ちはそわそわと落ち着かず、まるで動物園の檻の中の熊のように私は部屋の中をいったり来たりしていた。

 七月に政策担当秘書資格試験が行われ一次試験の発表が先月にあり、それは何とか合格出来た。問題は二次試験の方だった。面接も卒なくこなしたつもりだが自信はあまりなかった。そして今日が二次試験の発表日だった。発表があると父からすぐに連絡が入ることになっていた。

 午後一時を過ぎた頃電話が鳴った。私は駆けていって受話器に飛びついた。

「もしもし」

「ああ、恵理かね」父であった。だがあまりにも落ち着いた声だった。

「ダメだったのね・・」私は小声でいった。

「合格したよ。おめでとう。よく頑張ったな」父はいった。

 その瞬間、全身から力がスーッと抜けた。

 その日の夕食は私の合格祝いとなった。父と母に祝福され三人はシャンパンで乾杯した。

「いやあ恵理が合格してくれてパパはほっとしてるんだよ。ダメだったらどうしようかと悩んでいたんだ」

「パパ、それどういうこと?」

「実は山本君が今月いっぱいで辞めたいと申し出ているんだ」

「えっ! 山本さんが・・どうして?」私には寝耳に水だった。

「お母さんの具合が以前から悪かったんだが、今までは奥さんひとりに介護を任せきりにしていたそうだ。彼には子供さんがいない。これからは奥さんとふたりでお母さんの面倒を見ていきたいということなんだ」

「そうなの」

「それで恵理に早く山本君の代わりが務められるように頑張ってもらいたいんだよ」

「それは責任重大ね。でも山本さんがいなくなったら仕事てんてこ舞いだよ」

「ま、新しい秘書を応募することにするさ」

 次の日の朝、事務所に出勤すると山本、坂口の二人から拍手で迎えられた。

 私は照れくさい気持ちで二人に頭を下げた。「この度、何とか無事合格出来ました」

「おめでとう。やったね。あっという間に先越されちゃったね」坂口が労う。

 そして山本は、「よく頑張りましたね。おめでとう。これで私も安心して引退出来ます」

「山本さん、ほんとうにお辞めになるんですか。私たちまだまだ頼りにしてるんですよ」これから先のことが不安で思わず口に出てしまった。

「大丈夫、もうお二人で立派にやれる筈です。議員も新しく採用する秘書は若い人にすると言っておられました。これからは若い世代の時代なんですよ」


「でも・・・」その時、ふと私が合格したが為に山本秘書が辞めなければならなくなったのではないか。と考えた。

「そうですよね。これからはヤングパワーで頑張らなくちゃ。ねえ、上村さん」

 坂口が私に振ってきた。

「盛大に送別会やらなくちゃね。どういう所がいいかなあ。ねえ、上村さん」

「私はどこかの居酒屋でいいですよ」山本が遠慮していう。

 そして父を含めた四人でささやかな送別会を催した。

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