第ニ章
暑い夏もピークを過ぎた九月の初めの事だった。
大川会長の奥方恵子夫人が亡くなられたとの訃報が父のもとにも届いた。
父は明後日からしばらく大阪に出向かねばならない用もあって私が代行として通夜、告別式とも参列することになった。
通夜当日、私は仕事の忙しさと夏の疲れが重なって少し体調を崩していた。しかし欠席するわけにはいかない。黒のスーツを着て通夜の会場である大田区の会館には時間の余裕を見て午後七時過ぎには到着していた。通夜は午後八時からとなっていた。まだ大川会長は来られていない様子だった。しかしすでにかなりの数の弔問者たちが訪れていた。私は参列者用の空いている席に座った。
やがて午後七時半を過ぎ、祭壇の前の左端一列に並べられた席に親族たちが座り始めた。
その時、誰かに後ろからポンと肩を叩かれた。振り向くとそこに立っていたのはあのバッポー君だった。私は意外な場所で意外な人に会った驚きで声が出なかった。
「やっぱりあなたでしたか。そうじゃないかと思って見てたんですけど・・あの時の合コン以来ですね」そういうと彼は私の横の席に座った。
「あなたはどうしてここに?」
彼がこの大川一族とどんな関係があるのか全く想像出来なかった。
「実は僕の祖父は大川商事の先代会長、つまり創業者とかなり親しくさせてもらってたようなんです」
「へえー、そうなの」さらに意外なことを聞かされまたしても驚いた。
「それじゃ、あなたは大川家の人たちと何らかのお付き合いがあるわけ?」
「いえいえ、祖父と先代は静岡の農家の出身なんです。いっしょに東京に出て奉公して働いてたんですが、関東大震災で祖父は大阪に移り住み太平洋戦争中にある女性と恋仲になり、結婚して父が生まれたんです。その後すぐに徴兵されてフィリピンにいかされてたそうです。終戦になって祖父が大阪に戻ると焼け野原で祖母も父も行方知れずでした。必死に捜したそうですが見つからず落胆して東京に行ったそうです。そして先代と再会し、その後ずっと世話になったそうです」
「で、お父様は?」
「祖母も父も無事でした。それから祖母は女手ひとつで父を育てあげたんです」
「そうだったの」
「でも僕は大川一族のことはよく知ってますよ」
私が彼と話している間に大川会長は着席していた。
「ほら、会長の横に座っているのが長男で現社長の俊蔵さん。その横が次男の孝明さん。そして会長の実弟で作家の洋蔵さん。そしてその夫人敦子さん」
彼が洋蔵氏のことを言った時だった。私は洋蔵氏に強い親近感を覚えた。今初めて目にする人物の筈なのに。やはり今日は何かおかしい。これも日頃の疲れが溜まっているせいだと自分に言い聞かせた。そうだ。大川洋蔵氏は作家だったのだ。今のいままで全くそのことを意識していなかった。彼の作品は学生時代に読んだことはあったが、あまり印象には残っていない。洋蔵氏は会長のように恰幅がいいのとは反対に痩せ型で優しい顔立ちの老人である。ところが隣に座っている夫人はいかにも気が強そうで意地の悪そうな顔立ちをしている。おそらくこの夫人がすべての権限を握っているのだろうと推察できる。
やがて午後八時となり、法要が始まった。
横にいるバッポー君は、「もしよかったら連絡ください」そういうと自分の携帯の番号を書いたメモをすばやく私に渡した。
「えっ、でも・・・」私は一瞬戸惑ったが、とりあえず渡されたメモをスーツのポケットに入れた。
四十分ほどで法要は終わり、僧侶たちは退場した。お斎まで少し時間があった。すると会社の人間であるらしい若い男性が私に近づき、「上村恵理様でいらっしゃいますね。大川会長がお呼びでございます。こちらへどうぞ」と声をかけた。
私は席を立つとその男性について行った。バッポー君はそれを唖然として見ていた。
案内されたのは会館の中にある親族専用控室だった。
男がドアをノックすると中から、「どうぞ」と声がした。
男はドアを開けると、「お連れいたしました」と告げる。
部屋にいたのは大川会長一人だった。
「これは上村さん、わざわざご足労頂き恐縮です」
「会長、この度はご愁傷さまでございます」私はお悔やみを述べた。
「まあ、お掛けください」
「はい、失礼します」
二人は長机に備えられた椅子に座った。
「いやあ、この歳になって長年連れ添った妻に先立たれるというのはこたえるもんですなあ」
「お寂しいでしょうが、あまり気を落とさないでください」
「お気遣い痛み入ります。私はね、初めてお会いした時から貴方に非常に強い親近感を感じておるんですよ。こんな気持ちは生まれて初めてのことですわ」
私はその瞬間、背筋がゾクッとした。この人も私が抱いた感情と同じものを抱いている。そんなことはありえない。赤の他人同志なのだから。得体の知れぬ不安と未知の恐怖が体の中に充満した。そして私は正道氏の顔を見ているのが精一杯だった。
「私はね、今まで親父から受け継いだ会社を守り発展させることが自分の使命なんだと思って突っ走ってきました。でもね、それまでには人に後ろ指を指されることをしてきたのも事実なんです。親父はそのことがずっと気になっていたんだと思うんですよ」
「でも、どうしてそのようなことを私に?」私は声を振り絞って訊いていた。
「なぜっていわれても説明は出来ないんですがね。貴方といると死んだ親父といっしょにいるような気がして・・・あ、これは失礼。気を悪くなさらんでください」
正道氏は慌ててその言葉を打ち消そうとした様子だった。
「いえ、そのようなことは・・」それに対し私はなぜか素直に答えていた。
そして私は正道氏に語りだしていた。
「お父様はそのことはもうお許しになられていると思います。そして今まで会長が築き上げてこられた功績に深く感謝しておられる筈です」
「そうですか。そうであったら気持ちが楽になります」そういうと正道氏は眼鏡を外しハンカチで目を覆った。その次の瞬間、私は目の前が真っ暗になり意識が遠のいていった。
気がつくと不思議な場所にいた。居るといっても自分がどのような状態でそこに居るのかがわからない。私のまわりを色とりどりの光が囲んでいる。そうだ。仲間たちだ。私を呼んでいるのだ。
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