第ニ章

 四月になり私は社会人となった。

 父の事務所でしばらくは政策担当秘書である山本秘書について仕事を覚えることになった。

 山本秘書は父の一番身近な秘書である。彼は事務所の外にいる時の方が多かった。私はとりあえず後援会の案内書やポスターの制作および電話番が主な仕事となった。 

 その日、事務所には朝から私と坂口秘書の二人がいた。

「上村さん、この仕事は張り切り過ぎると後が続きませんよ。どっしり構えて要領よくやらなきゃ」

「はい、でも今は色々な事覚えるのに精一杯で」

「僕もそうでしたよ。とにかく焦ってばかりで失敗の連続。よく議員に怒鳴られました」

「へえー、坂口さんのような優秀な人でもそうなんですか」

 坂口誠は国立大学法学部卒のエリートである。彼も将来は政治家になることを目標にしていた。

「坂口さんは政策担当秘書資格試験を受けらたことあるんですか?」

「去年トライしましたけどダメでした」

「あら、残念。でもまた挑戦するんでしょう?」

「いーや、僕は秘書を天職にしようと思っていないんです。あくまで国会議員になるのが目標です。だからここにいるのもその足掛かりのひとつなんです。これからもその手段をいろいろ模索していくつもりです」

「そうなんですか。私は秘書になったからには来年か再来年か試験を受けて資格を取りたいと思っています」

「そう、それはいいんじゃない」

 確かにハードな仕事をこなしながら試験勉強を続けることは大変なことだ。しかしやってみる価値はあると思った。

 その時、電話が鳴った。私は受話器をとった。

「上村光三議員事務所でございます」

「あのさ、私、三歳と一歳の子供の母親なんだけど」その声は若い女性のものだった。

「うちは主人と私、それに子供二人の四人家族なんだけど私もパートしててね。育児が大変なの。保育所や託児所を探しているんだけどなかなか入れるところがないわけよ。おたくは高齢者のことはあれこれ考えているようだけど私たち子育て世代のことはどう思ってるのかしら。こっちはノイローゼになりそうなんだから」

「はあ、それはですねえ・・」私は困ってしまった。

 それを見ていた坂口は私に目で合図をよこした。私は受話器を手で塞ぐと、「子育てのママだって」と告げ、坂口はОKの合図をよこした。私は、「少々おまちください」と相手に告げると坂口に受話器を渡した。坂口は、

「はい、お電話変わりました。はい、はい、あーなるほど」と相手に対し流暢に受け答えを始めた。私が電話を受けた時の相手のいらついた様子はなくなっているようだ。

「はい、はい、おっしゃられていることはよくわかります。実際そのようなご意見は多くの方から寄せられております。はい、この件につきましては議員に必ず申し伝えます。わたくし秘書の坂口と申します。では失礼します」坂口は受話器を置いた。

「坂口さん、さすがねえ」

「これはテクニックさ。慣れてきたら君にも出来るさ。とにかく相手のいうことがどんなことであれ受けて流す。絶対に相手のいうことを否定したり、わからないなんて言ってはいけない。出来ないことを出来るとも言えない。人間は自分の言い分を肯定的な立場で聞いてもらえるとそれで一旦は治まるんだよ」

「なるほど。そういうものか」私はひとつ教えられた気がした。

「とにかく国民がいてこそわれわれの仕事が成り立つ。国会議員だって同じだ。それだけは肝に銘じておくといいよ」

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