第一章
昭和四十年、日本は高度経済成長時代を歩んでいた。
会社は順調に業績を伸ばし、支店は全国に十八か所、海外に十か所で社員数は千人を超えていた。
息子の正道は本部長として手腕を振るい私の意向で会社役員の地位も与えた。
私としては頼もしい後継者がいてくれて安心なのだが、宋氏と正道との対立の溝は埋まってはいなかった。今では社内に専務派と本部長派の派閥が生じていたのだ。正道の実力は社員の多数が認め本部長を支持している。若干正道が優位であった。
そんな時、中東イランで石油発掘権利獲得の話が持ち上がった。これは正道が以前からひそかに推進していたプロジェクトである。しかしこれは大きな賭けでもあった。成功すれば巨額の利益を得るが見込み違いだと莫大な損失が生じる。宋氏はリスクが大きすぎると真っ向から反対した。実のところ私もこの話にはあまり乗り気ではなかった。私も宋氏もいい歳である。現状で十分満足していたのである。
ある晩、私は宋氏と二人きりで銀座のクラブで呑んでいた。
「宋さんと飲むのは久しぶりだなあ」
「ほんとですね。あれから何年経ったのかなあ。お互い歳を取りましたね」
「宋さん、正道のことなんだが、大目に見てやってもらえないかな」
宋氏は黙って水割りのグラスを揺すっていた。そして私の顔を見ると、
「この会社は社長と私とで作ったんです。今、潰すわけにはいきません」
「それはそうなんだが・・・」
「会社で決定権があるのは社長です。正道くんの暴走を止められるのは社長のあなただけなんです」
「うん、わかった。正道にわしから話してみよう」
またしても私は二人の板挟みになっていた。しかし正道はさらに計画を進め、石油埋蔵量で有望のイランA特区の落札はほぼ間違いないところまでになっていた。社内では正道のプロジェクトに期待する声も多かった。比較的若い者が多数を占める我が社の社員たちは真剣に成功を願っていたのだった。
ある日、私は正道を社長室に呼んだ。ドアをノックし正道が入ってきた。
「忙しいのに悪いなあ。まあ掛けなさい」
私と正道は来客用のテーブルの椅子に座った。
「本部長、今度のプロジェクトはだいぶ進んでいるようだな」
「はい、おそらく競合他社を差し置いてうちが落札できるでしょう」
「そうか、しかしもう一度じっくり考えてみてはどうかね」
「宋専務の意見ですか?」
「もし、うまくいかなかった場合のことも考えておかなくちゃならんだろう」
「父さん! 商売はすべて賭けだよ。リスクを恐れていては何も出来やしない。俺はこのプロジェクトは必ず成功すると確信している」
「会社では社長と呼びなさい。この会社の最高責任者は私だ」私は少し声を荒げた。
「はい、社長。でも私はこのプロジェクトをやめるつもりはありません。宋専務の考えは今の時代には遅れているんです」
私はそれ以上、正道を説得することが出来なかった。しかし反面、わが息子がここまで頼もしく成長してくれたことが嬉しかった。もういつ正道に跡を譲ってもよいとさえ思っていた。
正道のプロジェクトは成功した。イランA特区からは予想以上の石油が発掘された。会社はわきに湧き活気づいていた。しかし宋専務の権勢には陰りが出始めた。
それから半年後、正道がある資料を持って私のところへ来た。それは会社の会計帳簿に関するものであった。
「社長、少し前から経理課に調査させていたのですが、この二年間で多額の使途不明金が発生しています」
「使途不明金? なぜ・・・」私には寝耳に水であった。
「それに宋専務が関わっていることも判明しました」
「宋さんが・・それでどのくらいの額なんだ?」
「約五千万ほどです。しかも専務に毎月割り当てられている交際費以外にです」
「宋さん、どうしてそんなことを・・・」
「それで社長、来月に抜き打ちで社内会計監査を実施します。よろしいですね」
「ああ、わかった」
「その結果、宋専務が関わっていることが確かになった場合、次の役員会で厳しく審議します」
私は、「嘘だ!」と心の中で何度もつぶやいた。そして嘘であってほしいと刹に願うのだった。
正道の計らいで月初めに抜き打ちで会計監査が行われた。その結果、専務扱いの政治団体関連への寄付金および交際費で相手先が不明の件が多数見つかった。
その日の夜、私は正道に頼み込んだ。
「今回の件だが、宋さんを許してやってもらえないか。これは社長としてではなく、わし個人としての頼みなんだ」
「宋専務が不正を行っていたことは明確なんだ。こんなことを許していたら将来社内で示しがつかなくなってしまう」
「だから宋さんにはこれから毎月いくらかづつでも会社に返済してもらうということでだな」
「父さん! これは明らかに横領なんだよ。絶対に許すことなんて出来ない」
「正道、おまえには初めて話すことなんだが、わしは昔、金物屋で丁稚奉公していた頃に店の商品を横領したことがあったんだよ。わしは貧しい農家の出で早く金を得たかったんだ。宋さんも何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれないじゃないか」
「でも父さんは今だにそのことが傷として心の奥にあるんじゃないの。一生塞がらない傷口として。だから断固たる処分を下すことは宋専務の為でもあると俺は思っている」
「そうだな。おまえの言うことが正しいんだ。でもな、宋さんは苦労して会社の基盤を作り上げた人なんだ。それだけはわかってやってくれ」
そして役員会で審議され、賛成多数で宋専務の解任が決定された。宋氏は私と築き上げた会社を去ることになったのである。
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