第一章

私とバッポーは二人で静岡に帰ることになった。

もちろん第一目的は野菜を安くわけてもらうことなのだが。家が農家で貧しく三男坊として生まれたがゆえに身売り同様に東京に奉公に出された自分がある意味犠牲になったという思いから今まで実家に帰ったのは十七年前親父が死んだとき一度だけだった。だがこの歳になって急に母親の顔がまた見たくなった。

久しぶりに目にした故郷の山々や田園風景に心の中まで清められていくような清々しさを感じた。今まで都会の汚れた空気の中でほこりだらけになって生きてきた。そう思うからなおさらだった。

ひとまずバッポーと別れ、私は実家の広い玄関に入った。すると奥からもんぺ姿の兄嫁が出迎えてくれた。

「あらま、竜蔵さんじゃないの。久しぶりねえ」

「どうも。大変ご無沙汰しております。兄さんは?」

「今畑仕事に出てるの。お母さんは奥にいらっしゃるわよ」

そういうと兄嫁は奥の部屋に駆けていった。

しばらくして奥から腰の曲がった老婆を支えながら兄嫁が出てきた。

「竜蔵、よう帰ってきたのう。元気しとったずらか」

「母さん、ただいま帰りました。ご無沙汰してしまって」

「元気そうじゃのう。よかったずら」

母は涙ぐんだ。以前に見たときよりも痩せて皺も増え髪は真っ白になっていた。

その日の夕食は私の好物のちり鍋だった。

「兄さん、少しでいいから野菜を安く分けてもらえないかな」

「東京は空襲で大変だっただろう。いいずら。金は要らねえから野菜も米も持って帰ったらええだよ」

「ほんとにいいの? そうしてもらえると助かるよ」

「おまえや竜司は十代の歳から東京で奉公して働いてもらった。今まで苦労もしたじゃろ。こんくらいはお安い御用じゃ」

「有難う。恩にきます。それにしても猛くん、立派になったなあ」

猛は竜一の一人息子で二十四歳になっていた。終戦の一年前に徴兵されて戦地に行かされ十日前に復員していた。

「兄さんも安心だな。こんな立派な跡取りがいて」

「いや、こいつはいずれ東京で仕事がしたいというんじゃ」

「そうなの、猛くん」

「うん、俺は日本はこれから飛躍的に成長すると思ってるんだ。だからこのチャンスにどうしても一旗あげたいんだ」

「大きなことばっか言いよって。何かあって帰ってきてもこの家には入れてやらんからその覚悟はしとけ」

「わかってるよ。その覚悟があるから決めたんだ」

私は甥である猛が頼もしい若者に成長したと思った。だが、その時の兄竜一と兄嫁の淋しそうな顔は忘れることが出来なかった。

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