第一章

戦争が終わってもこれから先日本がどうなるのか誰にも分らず国民は皆大きな不安を抱いていた。アメリカ兵がやってきて皆捕虜にされるとか、女子は情婦にされるとか、いろいろ憶測はあったが、思っていたよりはアメリカ人という人種は温情があるらしい。まもなくGHQとやらがやって来たが、彼らは日本を占領するのではなく日本国家の再興という道は残してくれたようだ。

なんとか我が家は運よく焼かれずに済んだが東京は焼け野原になっていた。

「食べ物がもうないの。お米もあと少ししかないわ。配給米だけじゃとても足りない」

百合子がため息をついていう。

「仕方ない。新宿に闇市があるらしいから明日食べ物を買いに行こう」

「でも闇市ってすごく高いんでしょ」

「そんなことは言ってられないじゃないか。正道も洋蔵も育ち盛りなんだから」

「そうね。お金はまだ残ってるし・・」

そして次の日、私と百合子は新宿の闇市に向かった。新宿の東口にある闇市は人でごった返していた。粗末なバラック建てに木箱を置き、その上に芋や野菜を並べて売る者や地面にゴザを敷きそこに食べ物を並べる者などすごい数の露店がある。その露店で売る者たちも朝鮮人や中国人らしき者もかなりいる。それでもこんな場所に人が溢れ物が飛ぶように売れているのだ。

しばらく歩いていると地面にゴザを敷いて商売する復員兵らしき身なりの男が目に入った。日焼けした黒い顔で愛想よく客を捌いている。どうも左足が悪いのか歩くときに引きずっている。私はその男の顔を見ていた次の瞬間、体が硬直しその場に立ち尽くした。

「バッポー!」絞る出すように声を発するとその男に駆け寄った。

「バッポー、バッポーじゃないか」

その男は面食らってきょとんとしていたが、私の顔を見ると笑みを浮かべて、

「竜ちゃん、竜ちゃんなのか?」

「ああ、竜蔵だよ。こんな所で会えるなんて・・震災のあと捜したんだぞ」

そう言い終わると私は涙が止めどなく溢れ出た。

「店がつぶれてから知り合いと大阪で暮らしてたんだけど戦争になって召集令状がきちゃってさ。フィリピンに行かされてたんだ」

「そうだったのか。おまえ、左足どうしたんだよ?」

「俺、のろまだから鉄砲の弾に当たっちゃって」

「そうか、大変な目に遭ったんだな。でも生きててよかった。ほんとうによかった」

「ああ、俺も竜ちゃんにまた会えてうれしいよ。生きててよかったよ」

バッポーの目もいつしか涙で潤んでいた。

バッポーが我が家の居候になって三か月が過ぎていた。私と彼との深い関係をすでに知っていた百合子は彼を家に住まわせることを快く承諾してくれた。正道と洋蔵も彼に懐くのに時間はかからなかった。とにかくいつも笑顔を絶やさない。息子たちに戦地の過酷な経験を語るにしてもまるで喜劇のようにおもしろく話すのだ。二人の息子たちはそんな彼の人生経験談を喜んで毎晩のように聞き入っていた。

しかし現実はきびしく家計はだんだん逼迫してきた。勤め先も社員の多くが徴兵され、人手不足のため業績も悪化し休業状態に陥っていた。それまでの蓄えも残りわずかとなっていた。だが家族四人、いや五人なんとか食べていかねばならない。

私とバッポ-は闇市に出るようになっていた。田舎で安く仕入れた野菜などがかなりの高値で売れるのだからこんなちょろい商売はないが、いつも警察の取り締まりにびくびくしていなければならなかった。

「山梨の農家も最近足元見るようになったなあ」バッポーがつぶやく。

「なあ、静岡に行かないか。もうどれくらいになるのかなあ。おふくろが元気なうちにもう一回は顔見せなきゃなあ」

「竜ちゃんとこはおふくろさん元気なんだな。俺のところは二人とも病気で死んじゃったからな」

「そうだったのか。でもおまえも兄貴がいたよな」

「うん、兄貴夫婦が農家の跡を継いでるよ」

「それじゃ、俺と同じだな。静岡に行ってみよう」

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