第一章

昭和初期の世界金融恐慌はますます世の中を不景気に陥れていた。

私と百合子は六畳二間の安アパートに移り住んで四年が経っていた。一年前には男の子が生まれていた。二人で考えた末、正道と名付けた。正しく人生を歩んでほしいとの願いを込めて付けた名前だった。まさに子は宝だ。この子のために何としても頑張ろうという気持ちが湧き上がってくる。暮らしは楽にはならなかったが生きる糧があることが何より力になっていた。

ある日、家族のためにあくせく働く私は宋氏に思いがけない事を持ちかけられた。それは海外から綿花を大量に輸入するという話だった。

「大川さん、これからは綿加工品がどんどん売れると読んでるんですよ」

「私もそう思ってたんですが・・・」

確かにヨーロッパ諸国では綿加工製品の需要は拡大していた。

「いっしょにインドに綿花の買い付けに行きませんか。タミル・ナードウ州の奥地なんですが、実はそこのブローカーに話はつけてあります。社長に話したら乗り気で了解も得てるんです」

それにしても宋氏は行動力がある。先を見る目も確かだが、こうだと思ったらすぐ行動に出る。まさにこれが成功者の資質というべきものなのだろう。私は宋氏の誘いを承諾した。そして思った。今まで不景気を理由に半ばあきらめ気分で仕事をしていたことが恥ずかしくなった。そうだ・・どんな状況であれ必ずや成功して金を得てやる。家族に楽な生活をさせてやるためにも。忘れかけていた気概が自分の中で沸々と甦ってきた。

その夜、私は百合子に話した。

「来月から一週間ほど宋さんとインドに出張することになった」

「まあ、インドなんてずいぶん遠い所に行くのね」

「うん、会社の命運が懸かってるんだから・・・何としても成功させなきゃ」

「でも体にはくれぐれも気をつけてね」

「ああ、わかってるよ。正道のこと頼むな」

翌月、私と宋氏はインドに旅立った。そこはインド南西部に位置しており、田舎の奥地という場所だった。とにかく暑い。日本の夏なんか比べものにならない。しかしこれくらいは耐えねばならない。宋氏が話をつけているという仲買人のグージャ氏は現地の人間で気のよさそうな人だった。この地で三十年綿花の栽培を手掛けるベテランだ。

私たちは三日間、粘り強く交渉した結果、綿を希望価格で卸してもらえることになった。

「さあ、日本に帰ったら紡績加工会社にどんどん売りますよ」

「はい、なんとしてもやり遂げましょう」

この時ほど自分の中でめらめら燃える闘志を感じたことはなかった。

そして宋氏の読みは見事的中し、会社の業績はうなぎ上りであった。これをきっかけに会社は鉄や銅なども積極的に輸入する方針をとった。

こうして俄かに職場が活気づいてきた。私も宋氏もそれまで以上に精力的に仕事に取り組んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る