第一章

それから間もなくの事だった。

関東地方を未曾有の大地震が襲った。関東大震災である。

私はたまたま屋外に居たため難を逃れたが、東京は家屋の六割以上が全半壊の被害を被っていた。

その時、私の脳裏をバッポーのことが過った。

私は居てもたってもいられず一目散に駆けだしていた。

気が付いた時には四井金物店の前に立っていた。店は全壊していた。だが、そこは不気味なほど静かで人影はなかった。もちろんバッポーの姿もなかった。

店の倒壊跡の瓦礫を眺めているとここで働いた七年間が頭の中を過った。世話になった店に後足で砂をかけるようなことをして辞めた自分が恥ずかしく申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。そしてバッポーに対しても。その時、止めどない涙が溢れ出た。もう二度とあんなことはすまい。そう心に誓ったのだった。


突然襲った大地震は日本をさらに不況に陥れた。

三人で作った繊維工場も倒壊し、山川と坪井の二人は行方知れずとなった。

私はそれまで宋氏のアドバイスにより貯めていた金がかなりあり、何とか食うには困らなかったが不況で仕事先は見つからなかった。とりあえず私は心当たりのある人を尋ねてバッポーの行方を捜した。しかし手がかりはまったくなかった。

ー何処に居てもとにかく生きていてくれよー刹にそう思った。

ある日、私は街中で偶然宋氏とばったり出会った。

この不況下にあるにも関わらず高価な衣類を身に着けている。

「大川さんじゃないですか。お久しぶりです。今はどうされてるんです?」

「ああ、宋さん。ご無沙汰しています。工場も地震で潰れちゃって。今は職なしのありさまですよ」

簡単に挨拶を済ませると宋氏は近くのカフェに案内してくれた。

「だから言ったでしょう、こういう事態になるから金は残しておかなければいけないと・・・」

「ほんとうに宋さんが忠告してくれて助かりました」

「ところで私、今友人が経営する商社で働いているんです。おもに外国間で行う商品取引業務を任されていて」

「宋さんはすごい。どんな時も臨機応変に対処してやっておられるんだから」

「大川さん、今何もしておられないのならうちの会社で働きませんか」

「私でいいんですか?」

「社長とは親しい間柄なんです。私からよく言っときますから」

こうして私は宋氏の勤める商事会社に就職することになった。とりあえず私は諸外国の状況を調査する担当を任された。会社が重要視している国は東南アジア諸国である。第一次世界大戦時はどんどん買ってくれていた中国をはじめとする国々も今ではなかなか買ってくれない。もうアジア諸国以外の国との取引を考える必要があるかもしれない。

私は夜ごと外人ブローカーが足を運びそうなカフェや飲み屋をまわった。

フィリピンやマレーシアのブローカーとも話したが、最近は欧米諸国の勢いが強く日本の一商社が入り込む隙はなかった。

まさに日本は不況のどん底であった。宋氏の紹介とはいえ今の時期に会社が新人を雇い入れる余裕はない筈である。そう思うと社長に対して深い感謝の思いがこみ上げる。そして今回の危機も他社との合併という手段で乗り越えたと聞く。今は耐え忍ぶ時なのかもしれない。

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