第一章

新しい事業を手懸けるようになってからは皆忙しくなった。

私は主体となる中国への羊毛繊維品や絹製品の売り込みに日夜明け暮れた。営業を一手に任されたのである。

その仲買人の中国人ブローカー宋栄達氏は根っからの商売人ですでに日本製品の売買でかなり儲けていた。それまでのヨーロッパからの輸入品が入らなくなってからは中国をはじめとする東南アジア諸国は日本製品の輸入が格段に増えていた。

「また入りましたよ受注。生産大丈夫ね」

宋が今日も得意げに言う。

「しかし大したもんだね。うちの工場もフル稼働してるけど生産がおぼつかないんだよ。工員の数増やさなくちゃならないな」

「頼みますよ。大川さん。これからはフィリピンやマレーシアなんかもどんどん買ってくれますよ」

宋氏は日本のことをよく勉強していた。日本語も中国人とは見分けがつかぬ程流暢だった。これからの世界を引っ張っていく国が日本だと察しているのだ。私は彼の時代の流れを読む目は人並み外れたものだと敬服していた。

そして私は時々時間を作って宋氏と酒を酌み交わした。

「大川さん、今は稼げる時なんですよ。だから今しっかり稼いで金を貯めておくんですよ。この先ずっと景気がよいとは限らない。いつかは不景気な時代が必ず到来します」

「宋さんは先見の明があるんですね」

「世の中の景気なんてものは波なんですよ。上がったら必ず落ちる時が来る。そういうものです」

「それじゃ近いうちに不景気になると?」

「それがいつかはわかりません。でも必ず不景気になり物が売れない時代が来ます」

「じゃあその時どうすればいいんですか?」

「それは私にもわかりません。でもどんな時にも頼りになるのはお金です。だから今貯めれるだけ貯めておくんですよ」

私は宋氏と付き合っていくうちに彼の先を読む目に賭けてみようと思い始めていた。

がむしゃらに働いてはせっせと金を貯め込んだ。最近は同志の山川と坪井は金回りが極端によくなったため金使いが荒い生活になっていた。夜のお座敷遊びも日課になっていたぐらいだった。

私は彼らの誘いにはあまり応じず極力金を支出しないように心掛けた。そして只働いた。


五年の歳月が流れた。宋氏の予感は的中していた。

大戦が終わりヨーロッパ諸国が活力を取り戻すと日本の東南アジアへの輸出は激減し、いよいよ世の中が不景気になってきた。それまで破竹の勢いだった中国への輸出が三分の一にまで落ち込んでしまった。

同志であった二人はそれまで稼いだ金をほとんど浪費してしまっていたため即座に資金繰りが悪化した。宋氏はそのことも察していた。そして私にアドバイスしてくれた。

「大川さん、あなたがたの事業はもう辞め時かもしれませんよ」

「そんな・・・もう景気はよくならないということですか?」

「景気がどうのというよりこれ以上継続するなら借金するしかないですよ」

「でもそれで窮地を抜け出せるのなら・・・」

「あなたは借金の恐ろしさをわかっていない。あなたがたの借金は貸し手にとっては不良債権にしかならない。悪いことは言いません。すぐに抜けるべきです」

それから悩みに悩んだ末、私は宋氏のアドバイスに従うことにした。

山川、坪井ら二人からは裏切り者呼ばわりされるような言い方をされたが、その場は耐えた。私自身も彼らと共に売上には充分貢献してきたという自負もあったからだ。

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