第一章

五年の歳月が過ぎた。世は明治から大正に移り変わり近代化が進み日本もかなり活気づいてきた。日々、外国からの先進技術はどんどん入ってくる。うかうかしていたら取り残されてしまう。最近私はそんな焦りを感じるようになっていた。

ガス灯の普及により夜の街は格段に明るくなった。まさに近代の夜明けを象徴しているかのようだ。そういう近代設備機器の製造の為、工具はどれも飛ぶような売れ行きだった。おそらく店はかなり儲かっているんだろうと思う。それでも丁稚が貰える給金はたかが知れている。田舎の両親に仕送りして飲み食いしたら何も残らない。それが不満となって心に積もっていった。

二十歳になった私は主人にもある程度信頼され毎月ごとの棚卸も任されるようになっていた。

「おい、先月辞めさせられた松蔵どん、商品ちょろまかしてたらしいぜ」

「ほんとかよ。あいつ見かけによらねえな」

「前から番頭さんは察しがついてたみたいだけど・・・先月の夜、とうとう現行犯を押さえたみたいだぜ」

皆が寝静まった深夜、丁稚同志のひそひそ話が耳に入ってきた。私は狸寝入りをして聞き耳を立てていた。商品の横流し・・あの松蔵さんが。

私は俄かに信じられなかったが、その時ある考えがひらめいた。たしかに横流しは罪ではあるが、発覚さえしなければ何ら問題はない。おそらく松蔵さんは四井金物の得意先会社の得意先会社のライバル社に破格の値で売り捌いていたのに違いない。この瞬間、私の体の中をビビッと電気が走った。「これだ!」そう思ったのである。

その翌日から綿密な計画を立て始めた。私は大番頭の佐吉さんにはかなり信頼されている。その信頼を損なわぬように日々ゴマを摺った。そして毎月末の棚卸の度に少しづつ商品を隠した。ねじ回しにしろスパナにしろ小物がほとんどなので隠すのにそんなに苦労はしない。今では丁稚が寝起きする丁稚部屋も大部屋から個室に変えてもらっており商品の隠し場所に困ることはなかった。

そしてある日の夜、以前から収集していた情報をもとに関東ガス機器の仕入れ担当者に接点を持とうとしていた。

その仕入れ担当者の名は山川武雄。34歳。どうやら子供が四人もおり、生活もかなりきついらしい。

その夜、私は彼が馴染みにしている居酒屋に早い時間から来ていた。ひとりでチビチビ呑んでいると午後八時を過ぎた頃彼が姿を見せた。背広をきっちり着こなした真面目そうな男である。ここで一芝居打たねばなるまい。私は泥酔いした素振りで千鳥足を装い彼に近づくといきなりぶつかった。彼は持っていた徳利を床に落とした。

「ああ・・・ど、どうもすいません」

ロレツの回らないふりをして謝る。

「いや、いいですよ。あなたこそ大丈夫ですか」

「ああ、徳利落としちゃってすいません。僕この分奢りますから」

そういうとすかさず彼の前の席に腰を落とす。これで第一段階はクリアした。

「きっちりした身なりをしておられますね。いいとこにお勤めなんでしょう」

お世辞をいって持ち上げる。

「いやいや、会社なんてものはどこも少しでも儲けを増やすことしか考えていない。どこに居たって使われている者はいつまでたっても楽になんかなりゃしないですよ」

彼もだんだん酔いがまわってきた様子で喋る。

「おたくは若そうだし、まだ独り身で気楽にやれるけどさ。女房子供がいたら地獄よ」

「そんなもんすかねえ」

その日はもっぱら愚痴の聞き手にされてしまった。その後も彼とは飲み友達として度々会って気心を許しあえるまでの仲になっていった。


そしてある日、私は意を決して彼に切り出した。

「ねえ、山川さん、あなたもこのまま宮使いをしてたって決して楽にならんでしょう」

「ああ、わかってるけど家族がいたらどうにもならない。雁字搦めさ」

「俺たちで協力してお金つくりませんか」

「ええっ!」彼は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに、「世の中そんな甘いもんじゃない。楽して金は入ってこないさ」とあきらめ顔でいう。

「もし、労を少なく金が儲けられるとしたら協力してもらえますか?」

彼の顔色が俄かに変わった。そして彼に私の計画をこと細かく説明した。はじめは躊躇していた彼もそのうちに前向きに変わっていった。

まず、私が横領した商品を彼の会社に破格で販売する。その代金は仕入れ担当の彼が預かることになっているのでその金を二人で折半する。請求書と領収書の偽造段取りはもう考えていた。

ある月初めに初回行動を実行した。店の誰一人として私を怪しむものはいなかった。

そして毎月臨時収入を得られるようになった我々は何か偉業でも成したかのような錯覚に陥り、妙な優越感に満足していた。

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