第11話 腹をくくる

ご遺体を見て涙が溢れて来たのは、胸の上に合わされた合掌の手と

数年前に亡くなった母の思い出が交錯したからに違いない。

慎三は、ベッドでそう考えた。


 長年一人暮らしを続けた母が熱中症で倒れ、次いで誤嚥性肺炎から

脳梗塞を併発、帰らぬ人となった。

危篤状態が二ヶ月続き、週末は高知の病院に詰める日々であった。


 日曜日の夜、勤務地に向かう慎三に、意識の無い母の目から

一筋の涙が流れた。

「また、金曜日に来るよ」

耳元で囁き、勤務地に車を走らせ、午前4時に死亡の電話が入った。

トンボ帰りで病院に向かったが、あいにく昨夜通った高速は

雪のため通行止め。

始発のJRで高知に向かったが、到着したのは昼前であった。


 既に病室に母は無く、地下の遺体安置室に置かれているとのことで

あったが、昨夜まで母の寝ていた寝具には、何と、母のぬくもりが

残っていた。

慎三は、ゆうべの母の涙が今生の別れであったことを知る。


 その時の衝撃に近いショックを今回の夜中の仕事で受けて

思うところ大、人の生き死にを考えられずには居られなかった。


 翌日の勤務をしてから、退職の旨を伝えようと考えていたが

とにかくその晩は猛烈に忙しかった。

御通夜が三家、初七日法要が一家、それをわずか4人のスタッフで

乗り切った。

もちろん慎三もその一人で、深夜まで片付けが続いた。


 当日の宿直者は、武田さん、69歳のヘビースモーカー兼

ヘビーコーヒードリンカーである。

間無しに、ホットを飲み、煙を吐いている。


 いつも傍に居て、見習うようにという指示が来ていたので

その通り傍に仕えたが、煙と匂いで気分が悪くなるほどであった。


 そのまま、事務所の流し台横で仮眠。

退職どころの話ではない。

誰ももう話さない、話せないほどの疲労であった。


 翌朝は、早朝出勤組の若い社員たちが、ゆうべは、4人でこなしたという

ことを聞きつけ、驚嘆と尊敬のまなざしを送ってくれた。


とにかく家に帰って、寝たい。

慎三はそれだけを思った。


夕方目が覚めると、背中から腰に激痛が走った。

長時間の不慣れな作業の反動が来た。

3日休んだが一向に治らず、もしかして、悪霊にとりつかれたかと

気を揉んだ。

これは、大変な仕事を選んでしまった・・・・。

不安と迷いで混乱した。

簡単に逃げる事も可能であるが、何故かそれをしたくない何かがあった・・・・。

昨夜の宿直者武田さんのセリフを思い出した。

彼は忙しい作業の合間に

「俺はもう腹を括っている。肺がんで死んでも本望よ」

70歳にもうすぐなる男が、新米の宿直見習いの自分に

何度も語りかけるのだ。

彼はそう話しながら苦笑していた。


 慎三も、腹を括らねばと思った。


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