第9話 福の神
慎三は、3回目の出勤も頑張って出掛けて行った。
場所は、初めての勤務の会館である。
宿直者は、前回とは違う方で、70歳過ぎの温厚な福さんと言う方であった。
この方は、全員が誉める人柄で、決して他人を怒鳴ったりしない。
まさに苗字の通りの人で、業務は順調に進んだ。
夜間照明を落として、まもなく閉館状態にする頃に
コーヒーを自ら入れて下さった。
「村木さんは幾つになられますか?」
「もうすぐ67歳です」
「そうですか・・・」
「まだお若い。ずいぶんお若く見えますね」
「苦労が足りません。未熟者です。よろしくお願いします」
「この仕事は、思いのほかしんどくて、すぐに辞める人が多いんです。
まあ気長に頑張ってください」
「はい、何とか頑張ってみます」
いきなり、福さんの子機がけたたましく鳴った。
「はい、アイ葬儀社 宿直の福でございます」
落ち着いた受け方であった。
「はい、わかりました。一向宗ですね。準備しておきます」
直入りが1件入って来るとの事で準備に入る。
枕元にシキビを備える。
喪家の宗派を示す掛け軸を正面に供える。
布団に専用のシーツをセットする。
エアコンを入れて、出入り口のドアを両開き全開にする。
後でお供えするお団子とご飯を冷蔵庫から出して
自然解凍させる。
部屋の隅々まで点検をする。
部屋の入り口に行灯をセットし、喪家のお名前を
表示する。
正面玄関にも表示行灯をセットする。
コーヒーサーバーの点検を行い、お茶、コーヒーの
スムーズな提供が出来るようにしておく。
喪服点検をする。
正面玄関の開錠、照明を明るくして、さきほどOFF
にした自動ドアーのスイッチを再び入れる。
自分の心にもスイッチを入れる。
眠気はまったく感じない。
緊張状態で待機していると、再びの電話。
自分も子機を持たされているが、しばらくは出なくていいとの
事で、福さんが出て下さった。
「はい、わかりました。了解。失礼いたします」
直入りは中止となった。
故人のご自宅に近い会館に変更になったらしく
二人とも少しホッとした感じであった。
「夜中に、別の直入りが来る可能性もあるので、片付けはせずに
朝やりましょう」
「はい、わかりました」
「村木さんは2階の控え室で休んでください。
隣に、今夜お通夜をしたご遺族がいらっしゃるので
音を立てないように。壁ではなくて、ドア1枚ですから
十分注意してください」
「はい、直入りの連絡がありましたら
事務所に降りるように致します。ひとまずお休みなさい」
「お疲れでしょう。休んでください」
隣の部屋では、通夜振る舞いの続きがまだ行われていて
直接、通用門から入館して来る弔問客などで賑やかであった。
慎三は、咳が出ないように祈りながら、静かに布団を敷いて
潜り込んだ。
毛布がなく、掛け布団1枚だけだったので寒かった。
エアコンはあったが、入れずにそのまま横になった。
今夜の業務も、多岐に亘ったが、福さんのお陰で
順調に障害もなく完了した。
有り難いと思った。
仕事の見習いと言うものは、先輩次第でどうにでも変わる。
2回連続、いい先輩に遭遇して、慎三は胸を撫で下ろしたのである。
やがて慎三は、かすかな寝息を立てながら眠り始めた。
静かに夜が更けて行く。
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