第5話 開花せず
「そこら辺に立っといて」
鳴瀬さんと浅井さんが帰り、通夜の会場で、川村という高齢者から
言われたのが、この言葉である。
・・・仕方ない、この人に仕事を教えてもらうしかないんやから・・・。
30人ほどのお通夜が進行する。
故人は、田中一郎さんと言う方で、まるで偽名のような感じを受けた。
写真をチラリと拝見すると、実に温厚そうな表情が見てとれた。
享年77歳。
お通夜の式場では、女性陣三人ほどの受付と
司会進行役の男性3名。
川村さんも手伝っている。
物静かで白髪の自分と同じ年齢くらいの紳士も
会場内でそっと動いている。
無事に終了後、焼香用の灰を交換するよう指示が来た。
ぶっきらぼうな指示で、よく聞き取れない。
それでも何とかこなして、次は、食事会の案内。
お通夜の始まる前に和室に連れて行かれて
いきなり、「8本!」
何のことやら、さっぱりわからず???
「押入れの机を8台並べるんや、座布団もな」
急いで設営にかかる。
座布団は、正式な向きがあるので
注意して並べた。
座布団の向きで馬鹿にしてやろうとしていた川村は
何も言わずに黙っていた。
静かな食事会の間、事務所で川村と2人きりである。
「これ本部へFAXして」
ポーンと机の上に1枚の書類。
FAXの前に立つが、FAXの仕方がすぐにわからない。
でかい業務用複合機で、コピー式のFAXか上の段で送付するFAXか
わからない。
下の段に書類をはさんだまま、振り返ると
「なんや、FAXも使えんのか」
乱暴に書類を取り出し、送信をした。
別に何か不愉快なことをしたわけでもないのに
嫌味な老人だ・・。
とにかくタバコを吸う。
ゴホゴホむせながら吸う。
どこか呼吸器に病気がありそうなのに
無茶苦茶吸う。
出入り口の机で待機して食事会の終わるのを待つ。
「おい、和室へ行って、様子見て来い」
「はい」
食事会はほぼ終わり、ご遺族が残りのお寿司とかを
持ち帰りのために詰めているところであった。
事務所に帰り
「大体終わっています。弔問客の方々も帰られて
ご遺族だけです」
「片付けてええかどうか、聞かんかい、しゃあないなあ」
ガタガタ引き出しを鳴らした後、一人で和室に向かう川村。
いやはや、大変な人と組まされた・・・。
「おい、今から片付けや」
二人で和室の片付けと掃除。
隣の部屋では、ご遺族が布団を敷いてお休みの
準備をされている。
30分ほどで片付いた。
2階の食器置き場で洗い物をしていると
「事務所の裏に流しがある。その横に簡易ベッドがあるから
そこで寝ろ」
「ありがとうございます」
あかあかと蛍光灯が30本くらい点いた事務所の横で寝る。
ああ、きょうは晩飯喰ってない・・・・・・。
弁当かパン、買うて来たら良かったなあ。
今更外に出たいとは言い出せない・・・。
明るいのと初日の緊張で寝られない・・・。
さまざまな音が耳に入ってくる。
「夜中に直入りが来たら起こすからな」
直入り?
直接ご遺体が?
夜中に亡くなったらすぐに此処へ運び込む?
どうしたらええんかな?
1時間も眠れずに5時が来た。
シーツや枕カバーをはずして
元の位置にベッドを立て掛けた。
すぐに昨夜の礼服を着て
机で待機した。
6時過ぎに起きてきた川村が
挨拶もなしに
「ちょっとコンビニ行ってくるわ」
30分ほどして帰ってきて
すぐにベッドを見に来て
「布団カバー替えんかい」
「掛け布団のカバーですか?」
「そうや」
「はい」
立ったままで布団のカバーをはめるのは容易ではない。
下が畳ではなく、事務所であるから
床に広げるわけにもいかんし
布団を垂直に立てるような感じでやらなければ
どうにもならない。
しばらくして、部屋にもどった川村は
「誰が掛け布団のシーツ替え言うた?」
「はあ?」
「替えんでもええんや、替えんでも」
「ええっ?」
「せっかくそこまで替えたんやから、まあええわ、替えとけ」
・・・何やこいつ、頭おかしいんか?
悪戦苦闘のカバーつけであった。
すると川村、次の爆発。
「何やこのベッドの片付けは」
壁際の置き方が気にいらないらしく
自分でベッドを動かし始めた。
「なんでわしが、他の奴の使うたベッド
なおさなあかんのや」
怒鳴り声が静かな事務所に響く。
慎三は、切れそうになりながらも
冷静を保って机に戻った。
「ご飯とお団子お供えするからよう見とけ」
昨夜お供えした仏飯とお団子を新しくお供えするのだ。
ゆうべ事務員さんが帰りがけにやってくれた作業を
今朝は川村がやる。
それを恭しく仏前にお供えして
あとは、会館周りの清掃。
告別式の会場の清掃とエアコン、照明
サーバーの水の交換。
あっという間に8時を過ぎた。
ご遺族が起きて来られたので
和室、洋室の掃除を急いでこなす。
洋室の2つのベッドのシーツ交換がある。
「下のマットのシーツも替えるんやで」
川村が掃除機を和室に掛けながら大声でわめく。
素早くシーツを交換し終わった頃に
出勤してきて流し場で洗い物をしていた
事務員さんが
「下のマットは、替えなくてもいいですよ」
うわあ!余分な作業してしもうた。
川村は黙って掃除機を掛け続けている。
洋室に入ってこないのは
どうも理由があるようだ。
彼は、おそらくベッドメイキングが苦手なのだろう。
慎三は、目にも止まらぬ早業で2台のベッドを
きちんと仕上げた。
惚れ惚れするような綺麗な仕上がりである。
「どうや、苦労してるやろ」
声掛けしながら部屋に入ってきた川村は
ドキッとしたような表情を見せて
すぐに和室の方に戻って行った。
慎三は学生時代にホテルのベッドメイキングのバイトを
したことがある。
夏休みを全部つぎ込んだお陰で、ひとつの特技として
ベッドメイキングが残った。
当時は連日200台以上こなしていたから
2台くらいは朝飯前なのだ。
時刻は、9時2分前。
相変わらず掃除機を和室の同じような所に掛け続ける川村が
次の仕事を口に出したそうにしているので
「あのう、一応、鳴瀬さんとの約束は、9時までですので」
この一言が頭に来たらしい川村は
「まだ9時になってへんやろ、そんなんやったら、帰れ!」
大声で怒鳴り始めた。
こいつは、相手にしても仕方がない。
すぐに事務所に戻り、机の上を片付けて待機した。
10分ほどで川村が帰ってきたので
「お疲れ様でした、失礼します」
一応挨拶をして会館を出た。
ほぼ徹夜みたいな状態で
1番最後の仕事で怒鳴られて
泣きたいような気持ちであった。
えらい所に応募してしもうた・・・・・。
3日坊主やなしに、1日坊主か・・・・。
冷え切った車内で慎三は呟いた。
まだ桜は、開花していない。
慎三の人生も固い蕾のままであった。
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