第4話 冷たい家庭に居るよりは

 久し振りに背広を着て出掛けた夫に、妻の美恵子は冷淡であった。

まったくの無視である。

もう1ヶ月ほど会話もしていない。


 食事も慎三は自分の部屋で食べる。

妻は、米だけは炊くが、それだけであり

出してくるのは、殆どがスーパーの出来合いである。


 年金生活になってから妻の態度はますます横着になり

最近は朝の挨拶もしない。


寝る部屋も別々である。


 元々は恋愛結婚で男の子三人を授かったが

相次ぐ転勤で子供達から転校拒否が起こり

12年間ほど慎三は、不便な単身赴任を余儀なくされた。


 そのあたりから、妻の態度はおかしくなり始め

浮気をしているのか何をしているのか

よくわからないまま歳月が過ぎた。


最早、慎三も妻に対して全く愛情を感じないレベルにまで

変化してしまっていた。


 三人の息子たちは、冷たい家庭に嫌気がさして

早々に独立をして今は誰も近づかない。


 そうなるには、そうなるだけの事がいろいろあったのだが

長年生活を支えて来た慎三の自負心は、相手を許さないという

奇妙な精神構造に染まってしまい、現在ではもう

どうにもならなくなっている。


 一方、妻の恵美子は、最近では、太極拳・ヨガに打ち込み

昼間は殆ど外出している。

囲碁の趣味も出来たようで、家でもパチパチと

熱心にやり始めた。

負けて帰ると不機嫌になり、流し台にそのまま置いて出て

行っていた食器類をガチャガチャ荒っぽく洗う。

その度に慎三は、幼い頃に預けられていた母の実家の

叔母を思い出す。

その叔母も同じようなヒステリー性格者であった。

それでも慎三は時々、悪いのは自分ではなかろうかと

自責の念にとりつかれてしまう。

子供の頃からそうだった・・。


 慎三が昼間、家に居ることが、嫌で嫌でたまらないと言うのは

夫婦喧嘩の時に何度か聞かされた。

故に慎三が、夜だけでも家に居なくなるというのは

妻にとっては大歓迎なのだ。


 身支度を整えて、礼服姿で出勤する夫をみても

妻は無言であった。


 人が1日の勤務を終える時間帯に、出勤を始める。

何やら奇妙な感覚に包まれながら会館に向かった。


 通夜に参列するわけでもないのに黒の礼服で車に乗る。

隣近所は、どう見るのだろうか・・・。

明日の朝、帰って来た時にどのような感じを持たれるのか・・。


 17時と言われていたが、15分ほど早く着いた。

ここは知り合いの葬儀で何度か来たことがある。


事務所に入ると履歴書を片手に持った鳴瀬さんが

ニコニコしながら

「村木さん ご苦労様です。場所はすぐにわかりましたか?

 早かったですねえ」

慎三の喪服姿を上から下までズイーッと眺めて

よし!という感じで頷きながら

「村木さん、このネクタイ使ってください」

と、自分のネクタイをはずして慎三に渡してくれた。

何やら普通のネクタイとは異なり

スポッとそのまま首に掛けるネクタイである。


「あ、ありがとうございます」

「この名札もつけてください」

左胸にわざわざつけてくれた。

フルネームで村木慎三ときちんと表示されている。


 オートメーションというのは古い言葉だが

準備されたレールの上を、自分がいつの間にか

進み始めているのがよくわかった。


神経質になっても仕方がない。

内心、まあ何とかなるだろうの心境であった。


「村木さん 早速ですけど今夜、お通夜が1件入っています。

 担当者を紹介しますので彼の指示に従ってください」

「はい・・・・・」

「担当の川村さんです。川村さん、今日から宿直の村木さんです。

 仕事教えてあげてな」

「あいよ。川村です。よろしく」

「村木です。よろしくお願いします」

もう70歳をとうに過ぎた白髪頭の高齢者である。

どこか身体が悪いのか顔色も悪く青白い。

気性はそんなに悪そうではないが

こればっかしは、初対面では見破れない。


次いで事務の女性を紹介してくれた。

「事務員じゃありません。通夜補助の浅井です。よろしく」

「村木と申します。よろしくお願いします」

「ひゃあ、やっと普通の人が来てくれた!」

彼女のひょうきんな声に一同の中で奇妙な笑いが

少し起きた。

いよいよ、夜勤の始まりである。

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