三、ぼくの船

 嵐のような一日が過ぎ、薬のおかげもあって熱が下がった仁は、翌日から学校に復帰した。今日は一番好きな図画工作の時間が二時間連続である水曜日だ。


『ジンの手は、魔法の手だな!』


 昨日の徹の一言もあって、仁は心底浮かれていた。


(今なら、何でも作れそうな気がする)


 なんてことを半ば本気で思いながら、胸の内は流れる温かいもので満たされていた。


「さあ、今日の授業は船を作りますよー。 完成させて、明日のプールの授業で実際に水に浮かべてみましょう」


 担任の悦子先生がひとりひとり点呼をとりながら材料はちゃんと持って来ましたか? と確認してまわる。骨組み用に割りばし。帆の部分は小さな布切れ。船底部分になるお盆だってしっかり持ってきた。大丈夫だ。ぬかりはない。


 幼い頃から、指先の動きを駆使するパズルゲームや、物を組み立てる遊びが大好きだった。今は単身赴任で家にいない父さんが、作ったものを見せると「仁はは天才だな!」と手放しで褒めてくれるのが嬉しくて、夢中になって色んなものを作った覚えがある。


(この船が完成したら、写真を撮って父さんに送ろう。 今までで一番の作品を作ってみせるぞ!)


 そう意気込むと、仁は昨夜のうちに用意した設計図を机に広げ、船作りに取り掛かり始めた。


🐇


──キーンコーンカーンコーン…。


 休み時間のベルがなる。気づくと一時間目はあっという間に過ぎ、わき目もふらずに黙々と作業を進めたかいもあって、骨組み部分はほぼ完成。あとは装飾を施すのみというところまでまできていた。


「あー、疲れた! ちょっと休もー」

「俺、トイレー!」


 先ほどまで個人やグループでああでもない、こうでもないとわいわいやっていた生徒たちは、それぞれ思い思いの一〇分休憩を過ごすべく、ぱらぱらと教室の外へと散っていく。


 仁は、今一度自分の作った船の骨組みを見つめ、その申し分ない出来具合に、心のうちで胸を張った。これなら、あと一時間で満足のいく形に仕上げられることだろう。


「ぼくも、今のうちにトイレに行っておこうかな…」


 仁は机の上の骨組みを倒さないよう慎重に立ち上がると、急いでトイレの方へと駆けて行った。


🐇


 仁が教室へ戻ると、自分の机の周辺に人だかりが出来ていた。その中心では、クラスでも乱暴者として名の知れる酒井と宮田の二人が何やら言い争っているようで、委員長の鈴木が慌てた口調で止めに入っている。


「ちょっとっ…二人とも、やめなさいって!」

「っせーな鈴木! お前に関係ねーだろ!」

「つーか、酒井が俺のこと押したのが悪いんじゃん。 落としたの俺のせいじゃないもーん」

「そんなに強く触ってねーよ。 お前の足腰が弱いんじゃねーの? このひ弱!」

「だーかーら! もう、やめなさいってば! それより、この船どうするのよ……完全に壊れてるじゃない」


(落とす? 壊れた? ……誰の、何が?)


 立て続けに聞こえた不穏なワードに、仁が慌てて群衆のもとへ駆け寄ると、床にはバラバラになった船の模型が転がっていて、それは紛れもなく先ほどまで自分が全神経を注いでいた代物だった。


「お……おれの、船が……」


 サアッ、と頭の裏側で血の気が引く音が聞こえた気がした。頭が真っ白になる、とはこのことを言うのだろうか。何も言えず、何もできずに、仁はただただその場にへたり込んでしまった。


「いや、わざとじゃねーよ? な? 宮田」

「そう、そう。 悪気はなかったんだって」


 慌てた様子で弁解を試みる酒井と宮田の声は、放心状態の仁の耳には届かなかない。うんともすんとも反応を見せず、ただただ床に散らばる骨組みを見つめる仁に、始めはバツが悪そうにしていた二人も痺れを切らした様子で再び口を開いた。


「また作ればいいじゃん。 あと一時間あるし大丈夫だろ?」

「大体お前、やることが細かすぎんだって」

「学校の図工ごときに本気になるなよなー」

「まあ、ほら。そういうことだから。 がんばれよな」

「……」


 そう言って、励ましのつもりなのか、バシ、バシッと仁の背中を叩くと、二人はそそくさとその場を離れて行った。取り巻きの子たちも、放心状態の仁にどう声をかけていいかわからずに一人、また一人とその場を離れて行く。


(なんで……おれが、何をしたっていうんだよ…)


 怒りよりも先に、惨めさが勝った。


『ジンの手は、魔法の手だな!』


 遠くの方から徹の声が聞こえた気がしたが、この状況下では何もできない自分への無力さだけが増幅されるばかりで、何の意味もなさなかった。

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