捜査編③――マーゲイの証言。プールの底にあったもの
ノックの音にドアを開けたプリンセスは、僅かに開いた隙間から見える訪問者たちの姿に顔をしかめた。
「あなたたちねぇ……」
「申し訳ない。どうしてもマーゲイに確認しておきたいことがあってね」
後ろ頭を掻きながら、タイリクオオカミが申し訳なさそうに笑う。人の良さそうな言動は漫画家として培った能力だろうか。
「さっきも言ったけど、しばらくそっとしてあげたいの」
プリンセスはにべもなく言い放つと、さっさとドアを閉めようとした。閉まりきる直前、タイリクオオカミはドアの縁に手を掛けて制止させる。
「ちょっといい加減に」
「そこを何とかならないかな。セルリアンからみんなを守るには、もう少し情報が欲しいんだ」
「あのセルリアン、どうも普通じゃないみたいなの」
アミメキリンが言葉を次ぐ。新種のセルリアンかもしれない。そう考えた理由も含めて、プリンセスに説明した。
「まだ確実って訳じゃないんだけど。もし本当に普通じゃないなら、他のフレンズたちやセルリアンハンターにも伝えないと、大変なことになるわ。こうしてる間にも犠牲者が出てるかもしれない」
「海水に耐える新種のセルリアン……」
呟くように言い、プリンセスは視線を落とした。ドアノブに掛けられた彼女の手が震えている。実際、プリンセスは誰よりもセルリアンを恐れていた。ペパプの立役者であるプリンセスにとって、犠牲者が出るかもしれないという話は他人事ではないに違いない。
「お願い。協力して欲しいの」
プリンセスは下に目をやったまま答えない。ふいにドアの向こう、プリンセスの後ろから誰かが体を起こす音がした。
「プリンセスさん」
マーゲイの声に、プリンセスが弾かれたように振り返った。ドアノブから手が離れる。タイリクオオカミがそっとドアを開けると、ためらうような表情を浮かべたマーゲイの姿があった。心なしか、その顔には疲労の色が見える。
「マーゲイ……」
「プリンセスさん。私はもう大丈夫です」
「でもあなた全然寝てないんじゃ」
「みんな頑張ってるのに、いつまでも寝込んでなんていられないです。こんなときはマネージャーの私が役に立たないと」
言って、マーゲイはアミメキリンたちに部屋の中へ入るよう促した。
「私に答えられる範囲ですけど、ぜひ協力させて貰うわ」
「セルリアンが現れたときの状況を詳しく教えて欲しい」
スケッチブック片手に、タイリクオオカミが尋ねる。部屋の端では腕を組んだプリンセスが不平そうにこちらを見つめている。
「そうね……。そう、最初にセルリアンが現れたとき、私はステージ上の鉄骨の上にいました。照明装置を弄るためです」
照明装置は直接操作する必要があるんだっけ。アミメキリンがそのことをタイリクオオカミにこっそり耳打ちする。タイリクオオカミは頷くと、スケッチブックにイラストを描き加えた。
「セルリアンが現れる直前、会場が真っ暗になったのは覚えているかい」
「はい」
「そのときも鉄骨の上にいたということでいいかな」
「そうよ。慌てて照明を再起動しようとしてたら下の方に気配を感じて思わず叫んじゃったの。そしたら唐突に明かりが元に戻って、真下にあのセルリアンがいたの。いきなりだったからどうしていいかわからなくなっちゃって……。そうしてるうちにセルリアンが材料置き場に逃げて行ったのが見えたから、何とかしないとって追いかけたの」
「どうしてセルリアンを追いかけたの?」
発言の意図を掴めずマーゲイが首を捻る。アミメキリンはさらに続けた。
「コウテイが怪我をしたのはセルリアンが逃げて行く直前よ。あなたがいたのは鉄骨の上でしょ。そこからステージの様子はよく見えると思うんだけど」
「たしかに転んだのは見えたわ。でも、ただ転んだだけに見えたから、大したことないと思ったの」
「大したことないと思ったわりには、材料置き場でコウテイが怪我したって聞いたとき、すごく慌ててなかったかな」
タイリクオオカミが話を引き継いだ。マーゲイの表情に戸惑いの色が浮かぶ。返答に窮して目が泳ぐ。そのとき、プリンセスがマーゲイの前に割り込んだ。
「ちょっと。あなたたちはセルリアンのことを聞きに来たんでしょ。それは関係ないことじゃない」
プリンセスが肩を怒らせて二人を睨む。タイリクオオカミが申し訳なさそうに後ろ頭に片手をやって笑う。
「ごめんごめん。漫画家をやってるとつい細かいことが気になってね。もうしないって約束するよ」
「……お願いよ」
それだけ言い置くと、くるりとマーゲイを振り返る。
「マーゲイ。もし変なこと聞かれたら、答えなくていいからね」
「は、はい」
気遅れがちなマーゲイの返事を待たず、プリンセスは速足でドアのほうへ向かうと、そのまま部屋から出て行った。勢いよく閉じられたドアがみしみしと軋む。あっけにとられたアミメキリンをよそに、タイリクオオカミがいつもの飄々とした表情でマーゲイに笑いかける。
「怒らせてしまったかな」
マーゲイが首を振る。
「気にしないで。プリンセスさん、すごい気が立ってるから。二人は私たちを守るために情報を集めようとしてるだけなんだもの。しょうがないわ」
本番を目前に控えた状態でコウテイは怪我をし、付近にはセルリアンが潜んでるかもしれない。苛立ちを覚えるのも無理ない話だ。
さて、と気を取り直すようにマーゲイが咳払いをする。
「さっきの質問のことだけど、コウテイのことは本当に大したことないと思ってたの。後から話を聞いて、そこで初めて大怪我だったって知ったのよ」
「そういうことだったんだね。それで、セルリアンが材料置き場に逃げて行ったあとは?」
「鉄骨から鉄骨へジャンプして追いかけたわ。セルリアンが壁を壊して外に逃げて行ったのが見えたから、穴の様子を見るために材料置き場に飛び降りたの。そしたら突然うしろから扉とアミメキリンが吹っ飛んできてビックリしちゃって。そうこうしてるうち、タイリクオオカミに声を掛けられたのよ」
「あー、あのときのことね……」
アミメキリンが気まずさを隠すようにポリポリと頬を掻く。緊急事態だったとはいえ、壁ごと破壊してしまったのはやりすぎだったかも。
なるほど、とタイリクオオカミが一度証言をイラストに起こすと、マーゲイに向かってきらりと目を光らせた。
「最後に一つだけいいかな」
「いいわよ」
「プールの水のことなんだけど、何か心当たりはないかい」
よく分かっていない様子のマーゲイに、アミメキリンは説明を補足する。プールの水が変化していたこと。それがセルリアンが現れる直前だということ。
アミメキリンがしゃべっている間、マーゲイは目を落ち着きなさげにきょろきょろと動かしている。アミメキリンの説明が終わるのを見計らい、タイリクオオカミがずいとマーゲイに顔を寄せる。
「っと、いう訳なんだけど、何か知らないかい」
「ごめん。分からないわ。役に立てなくて、本当にごめんね……」
その声は心なしか、焦っているようにも聞こえた。
二、三取り留めのない世間話をしたあと、アミメキリンとタイリクオオカミは部屋を出てステージに向かった。ステージに繋がる扉の前、扉に手を掛けたタイリクオオカミが開けようと力を込め、ふいに目つきが鋭くなる。
「やけに軽いな」
「どうしたんです?」
何度か開け閉めを繰り返すタイリクオオカミ。何かを考え込むようにしたあと、突然片手を扉に向かって勢いよく振り下ろした。
「わっわっ。せ、先生!」
砕けた扉の破片がバラバラと足下に転がる。アミメキリンが慌ててタイリクオオカミを止めに入るが、既に扉は跡形もなく砕け散っていた。
「ただでさえ私が材料置き場の方の扉を壊しちゃったのに、これ以上やったらホントに追い出されますよ!」
「あのときはみんな慌ててたし、これもあのとき君が壊したってことにすれば大丈夫さ」
「せ、せんせェ。さすがにあんまりですよ……」
「そう言っておけば最悪追い出されるのは君だけで済むからね」
「……蹴りますよ」
泣きそうな顔のアミメキリンに、タイリクオオカミが笑いながらしゃがみ込む。床に落ちている何かを拾い上げた。
「ごめんごめん。それよりこれを見てくれないか」
手に取った扉の破片をアミメキリンに見せつける。飄々とした態度に、アミメキリンは憮然と鼻を鳴らして顔を逸らす。
「……木ですね。”どっかのおちょくり大好きな漫画家に木っ端微塵にされた、かつて扉だった”ものに使われてたように見えますけど」
嫌みを込めて言ってみたが、当の本人は気にしていないようだ。満足そうに頷いて、破片を投げ捨てる。
「そう、木だ。この扉は木材しか使われてなかった」
「……それがどうしたって言うんですかァ」
「材料置き場に繋がる扉には金属が使われてたんだ。表面に木材が貼られていて、一見すると普通の扉に見えるようになっていた。どうしてこっちの扉は金属板が入ってないんだろう」
フルルを助けに行くとき、タイリクオオカミは扉を破壊しようとしたが、金属板が埋め込まれていたせいでできなかった。アミメキリンが蹴り飛ばして強引にこじ開けたが、肝心の金属板はへしゃげて外れ飛んだだけで破壊することはできなかった。
「……言われてみれば妙ですね。けど、さすがに事件とは関係ないですよ」
「かもしれない。けど、つい気になっちゃってね」
「からかったり気になったり、ホント先生はお忙しいですね」
「ははは。さっきのは謝るから、機嫌を直してもらえないかな」
「別に怒ってないからいーですけど」
腹の立つ“助手”を置いてアミメキリンはさっさとステージに出た。プールは相変わらず水位が低い。ここからセルリアンが現れたのは間違いない。問題はどうやってセルリアンを海水の中で待機させられたか、だ。
考えながら歩いていたそのとき、ふと見えた水中の影に足を止めた。なんだろう……あれは――。
突然止まったアミメキリンに、追いかけていたタイリクオオカミがぶつかって尻餅をつく。
「本当にごめんって。この通り、謝るから」
「先生それより、あれ見てください」
タイリクオオカミの手を取って立ち上がらせると、プールの真ん中を指さした。朝は太陽の辺り具合のせいで見えなかったが、なにやら相当大きな黒い物体が二つ、沈んでいる。
「まさか、この前の黒いセルリアンじゃ……」
「あれはそうそう現れるものじゃないだろう。にしても何だろうか」
「まさかセルリアンの謎について重要な手がかりなんじゃ!」
「そうだといいんだけどね」
考えていても仕方ない。とにかく確認してみようという結論になったが、二人とも泳ぐのは上手くない。ペパプたちに手伝って貰うため、一旦控え室の方へ引き返した。幸いなことにプリンセスの姿は見えなかった。事情を話すと、ジェーンとフルルが手伝ってくれることになった。正体を確かめに潜った二人をわくわくしながら見送ったアミメキリンは、すぐにがっくりと肩を落とすはめになった。
「スピーカー、ですって?」
プールサイドからアミメキリンが思わず口にする。水面から顔だけ出したジェーンが頷く。
「そうです。たぶん、天井から吊してたのが落ちたんだと思います」
言ってジェーンは上を指さす。たしかに、天井近くの梁にはたくさんのスピーカーやライトが取り付けられている。一部分に不自然な空間が空いている。おそらくそこに取り付けられていたのだろう。
「詳しく見たいんだけど、持って来れないかしら」
「それはちょっと難しいです。重たすぎてちょっとやそっとじゃビクともしないんですよね」
「そう。それじゃ、なんか変な物とかくっついてなかった」
「変なものっていうのかは分かりませんが、役に立ちそうな物なら。今イワビーさんが外してくれてます」
そのとき、ジェーンの近くから水面を割ってざばっとイワビーが顔を出した。
「ぷはっ。やっと外れたぜ。二人ともセルリアンについて調べてるんだろ? これちょっと見てくれよ」
そう言って、手に持っていたロープを二人に見せた。
「これは?」
「片方のスピーカーに結んであったんだ。中々外れなくて苦労したぜ」
ロープを受け取ったタイリクオオカミがステージにたぐり寄せていく。かなりの長さがあるようで、ちょっとした小山ができあがった。
ふと、アミメキリンの目がロープの端に行った。ナナメにまっすぐ、切断されたような跡がある。
「これって……」
「な、スパッと綺麗に切れてるだろ。例のセルリアン、そういうあぶねー能力があるみたいなんだ。知っといたほうがいいかなーと思ってな」
「たしかに綺麗な切り口だね」
タイリクオオカミがまじまじとロープを端を眺める。
「さっき結んであったって言ってたけど、スピーカーやライトにはこういう風にロープが結んであるものなのかい?」
「俺に聞かないでくれよ。その辺の設備に関してはマーゲイが担当だったからな。それよりもさ」
イワビーはもう一つ手に持っていた物を二人に見せた。
「このトンカチ。どっちか見覚えねーか?」
あっ、とアミメキリン短く声を漏らす。
「それ。きのうステージを修理してて私が落としたやつ」
「そうか。それじゃあ犯人はあんたかー」
「へ? は、犯人?」
クククとイワビーが意地悪く笑う。見かねたジェーンが困ったように肩をすくめるとプールの底を指さした。
「トンカチを落としたって言いましたよね。そのせいでプールの底近くにあるハッチが壊れちゃってるんです」
耐えきれなくなったイワビーが声を上げて笑う。
「材料置き場の壁もそうだけど、あんた本当によく物を壊すのなぁ」
「なっ?! あ、あれは緊急事態だったからしょうがなく壊しただけで……。ちょっ、先生もなんとか言ってくださいよ」
アミメキリンが真っ赤になってタイリクオオカミに助けを求める。が、肝心の本人は難しい顔をしてジェーンを見つめていた。
「……ハッチということは。このプールには出入り口があるのかい」
「は、はい。たぶん泳げるフレンズがショーに使う物を出し入れするときに使用するためのものだと思うんです。大きさは、だいたいこれくらいで……」
ジェーンが手でハッチの形状を示す。フレンズがギリギリ一人、通り抜けられるくらいだ。
「普段はこう、フタが付いてるんですけど。蝶番って言うんでしたっけ? どうもそれにトンカチが当たったらしくて、フタが外れてしまってるんです」
「まっ、そういうことだ。セルリアン騒ぎが収まったら、ちゃんとプリンセスに謝っとけよー。博士たちにこの会場を借りたの、あいつらだからな」
よっ、と勢いをつけてイワビーたちがステージに飛び乗る。笑いを押し殺しながら拾ってきたトンカチをアミメキリンに渡すイワビーと、お願いします、と念を押すように頭を下げるジェーン。二人がステージから去ったあとも、タイリクオオカミは何かを考え込むように水面を見つめていた。
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