捜査編②――疑惑のセルリアン

 材料置き場の端。セルリアンが開けた大穴から外の景色を眺めるアミメキリン。壁のすぐ向こうは荒い岩場になっており、それが徐々に傾斜して水面と交わっている。セルリアンに引っ掛かってそのまま持ち去られた掛けたのだろう。大きなビニールシートが岩場に引っ掛かっていた。そのすぐ近くには別の島があり、さらに別の島へと橋が渡されていた。ここからなら逃げたセルリアンも陸地まで余裕で渡っていけるだろう。実際、追いかけたマーゲイは森に入られたところで見失ってしまったらしい。あの後ドアの前でしつこく粘って、ようやくプリンセスが教えてくれたことだった。

 疎ましそうなプリンセスの態度を思い出し、アミメキリンはため息を吐く。何もあんなにあからさまにすることないだろうに。


「浮かない顔してるね」


 とタイリクオオカミの声が。振り返ると、スケッチブックを手にしたタイリクオオカミがこちらを見ていた。


「悩みがあるなら聞くよ」

「……私たち、何してるんだろうなぁって思ってたんですよ」


 言いながら、アミメキリンが足下に散らばった壁の破片をつま先で弄ぶ。壁と同じ色をした木の断片がカラカラと音を立てて転がる。


「別に確信があるってわけじゃないのに。こんなことしてていいのかなって」


 こんな誰かを不快にさせるようなこと、と声に出さずに呟いた。思えば、自身もタイリクオオカミも確信があって調べてるわけではない。単に違和感があるというだけだ。いつまでもこんな意味のないことを続けるべきではないだろう。プリンセスの言うとおり、セルリアンの再来に備えるなら他にやるべきことがあるのだ。こんなところで油を売る必要はない。

 鬱々と俯いていると、ふと肩にタイリクオオカミの手が触れた。アミメキリンの隣に立ち、気遣わしげな視線を送っている。


「言わんとしてることはよくわかるさ。だけど、探偵ってのは確信が持てるまで何もしない生き物じゃないだろう」


 言って、励ますようにアミメキリンを肩をさする。その手に自身の手を重ねながら、そっと微笑んでみせる。


「先生はすごいです。よく平気ですね」

「漫画家というのはネタ集めに色んなフレンズと会ったりするからね。辛辣な対応は慣れっこさ」

「図太いですね」

「その言い方は傷つくなあ」

「傷ついたんですか」

「ま、ウソだけどね」


 さてっと、タイリクオオカミが一つ強くアミメキリンの肩を叩くとスケッチブックを突き出してきた。


「まあ、一度振り返ってみようじゃないか。せっかくフルルに証言してもらったんだ。活用しないで諦めるのは失礼ってもんだろう」




「ステージに突如現れたセルリアンは、フルルを掴んで飛び去った。セルリアンに掴まれたフルルは、表のステージからこの材料置き場に連れてこられた」


 タイリクオオカミが解説しながら、材料置き場の上を示した。高い天井。ステージと材料置き場とを隔てる建物の上には大きなスペースが空いている。そこをセルリアンは通り抜けたのだろう。


「そして何らかの理由でセルリアンに手放されたフルルは材料置き場に落下。セルリアンはそのまま壁に激突し、大穴を開けて外へ逃走した。ここまではいいかい」


 スケッチブックとタイリクオオカミを見比べながら、アミメキリンは頷いた。スケッチブックには今までの出来事が漫画のように描写されていた。当然文字は書いてないが――書いてあったところでアミメキリンには読めないのだが――、肉球の印が各所に使われており、非常に分かりやすい。


「よし。で、そのあとすぐにアミメキリンによって扉が破壊され、私とイワビーが材料置き場に侵入した。アミメキリンを助け起こすため、イワビーと別行動になった私は、アミメキリンの近くに立ったマーゲイを発見した。イワビーがフルルを発見したのはその直後だ。プリンセスが合流し、マーゲイはセルリアンを追って大穴から外へ飛び出した」

「マーゲイはどのタイミングで材料置き場にやってきたのかしら」

「その辺はよく分からないな。私が見たときには既に材料置き場に降りていたから。フルルも特に見たとは言ってなかったし、少なくともフルルが落とされてから、私が君を発見するまでの間だろう」

「じゃあどうやって材料置き場に」

「天井の隙間から入ったと考えるのが妥当だろう。照明を操作するために、彼女は天井近くの鉄骨の梁で作業していた。そのまま梁から梁へを飛び移ってここに降りてきたのだろう」


 顎を押さえ、うろうろと歩を運びながら自身の推理を展開するタイリクオオカミ。さすが探偵作品を手がけてるだけのことはある。惚れ惚れするような推理に聞き入っているときだった。ふと彼女の通りかかった木箱の陰に転がってるものに目が行った。


「あれ、これは」

「ロープみたいだね。どうかしたかい」


 アミメキリンがロープを手に取る。昨夜は暗くて気がつかなかったが、かなり長い。纏めればおそらく、一抱え分の大きさになるだろう。


「ここは材料置き場だからね。恐らく木箱か何かに入っていたものが、セルリアンが激突した拍子に壊れて飛び出したってところだろう」


 実際、大穴の近くの木箱はどれも無残に破壊されていた。備品らしきものもたくさん転がっている。だが、アミメキリンの注意を引く物は別にあった。


「でもこれ、端っこを見てください。このロープ、何かが結ばれてたみたいな、そんな感じですよ」


 アミメキリンがロープの端のタイリクオオカミに見せつける。硬く絞めた結び目をほどいたときのような、複雑に折れ曲がった跡がついていた。


「それにこのロープ、どこかで見覚えがあるんですよね……」

「このロープにかい?」

「はい。この長さ、どこかで見たはずなんですけど……」


 今度はアミメキリンが歩き回る番だった。片手を額にやり、記憶を巡らせる。タイリクオオカミが期待するように笑む。


「……フレンズ化していないキリンは並外れた警戒心を持っているそうだ。それに伴って縄張り内の些細な変化ですら気づける記憶力も持ち合わせている。君が見覚えを感じるということは、間違いなく何かがあるということだ」


 期待を含んだタイリクオオカミの声に後押しされ、ふいにアミメキリンは脳裏に閃くものを感じた。このロープは、そう――。


「先生! 思い出しました。ステージです!」




 ステージに飛び込むや否や、アミメキリンはその場所に向けて一直線に駆け抜けた。昨日マーゲイに頼まれた手伝いを済ませたあと、タイリクオオカミが使っていたハシゴを片付けた場所の近く。陽が落ちて暗くなったステージ端に纏められていた"それ"に私は足を取られて転んだのだ。


「……やっぱり、なくなってるわ」


 ステージの端っこの資材が積まれた一角を見つめ、アミメキリンが呟いた。遅れて追いついたタイリクオオカミが横に並ぶ。


「ここにあのロープがあったっていうのかい?」

「間違いないです。すぐそばに先生が使ってたハシゴもありますし。あのとき、私はよそ見しててロープの束につまずいたんです」


「言われてみればたしかにつまずいてたね。ぴやあぁってかわいい悲鳴を聞いた気がするよ」

「……なんでそーいうことだけ覚えてるんですかァ」


 とにかくっ、と気を取り直してアミメキリンはビシッとロープのあったはずの場所を指さした。


「ここにあのロープがあったのは間違いないんです。先生、これはどう思います?」

「そうだね」


 タイリクオオカミが考え込む。


「状況だけを見るなら。セルリアンがフルルと一緒に持ち去ったと考えるのが妥当だろうね。あのときステージの出入り口の近くには私とアミメキリンがいた。もし誰かがこれを持って出て行こうとしたら、さすがに私でも覚えてるだろう」

「セルリアンってそんなことしますかね」

「相手はセルリアンだからね。何を考えてるのか分からない。そういう生き物だ」

「結んだようなロープの跡についてはどうです」

「ここに置いてあった時点では束にされてたんだろう? もともと跡は残ってたけど、ぐるぐる巻きにされてたから見えなかったってのはないかい」


 たしかに。いくらアミメキリンでも、見えないところまでは記憶しようがない。はあ、と大きくため息を吐いた。


「また行き止まり。これでやっと事件の全貌が分かると思ったんですけどね……」

「ま、そんなもんさ。それにこの事件、実際はすごく単純なのかもしれないよ」


 タイリクオオカミがスケッチブックを広げる。セルリアンが現れてから、逃げていくまでの間の漫画をパラパラとめくってみせる。


「ペパプライブの練習中、光に誘われたセルリアンが突如襲ってきた。セルリアンはステージ上を飛び回ったあと、勢いあまって材料置き場に落下。フレンズを捕食することを諦めて、会場の外へ脱出した。出そろった情報を纏めると、こんな物語になるんだ」


 タイリクオオカミの言うことに、とりあえず頷く。


「たしかに違和感は感じたよ。出来過ぎなんじゃないかなって。でも、出来過ぎてはいても物語としてはスジが通ってる」

「つまり先生は、これは単に不幸なことが重なった結果、起こってしまったただの事故だと思うんですか」

「君はどうなんだい?」

「私は……私は」


 たしかに、特別おかしな話というわけではない。セルリアンの行動が奇妙だという点を除けば。が、それもあくまでセルリアンなのだ。セルリアンが何を考えて行動しているのかは定かではない。最初から、これは不幸な災害のようなものだったのかも。

 怪我をしたコウテイに報いたいという気持ちのせいで、ただの事故を事件だと思い込んでいたのかも知れない。

 無言で俯いてしまったアミメキリンを、タイリクオオカミが励ますように笑いかける。


「プリンセスの言うとおり、私たちは外を見張った方がいいのかもしれない」

「……そうですね」

「おいおい。元気を出してくれないかな。にしても、朝から歩きっぱなしだから喉が渇かないかい。水でも飲んで、それからゆっくり外を回ろう」


 タイリクオオカミに優しく促され、プールの方へ歩み寄る。我ながら相当落ち込んでいるのだろう。タイリクオオカミの気遣いが胸に痛い。

 ステージの縁にかがみ込み、下の方にある水面にアミメキリンは手を伸ばそうとして――ふと動きを止めた。

(あれ、この水……どうして)


「どうかしたかい?」


 すぐ隣のタイリクオオカミが同じように身をかがませながら尋ねた。見ると、何とか片手ですくい上げた水を飲むところだった。口元に運び、喉を動く。そして――。


「ぐぶっ……?!」


 飲んだ水を盛大に吐き出して、むせ込んだ。アミメキリンが背中をさすると、ゲホゲホと喉を押さえながら、プールを指さして何かを言おうとする。


「先生! 大丈夫ですか?!」

「水が……水が……っ!」


 アミメキリンが慌ててプールの水をすくい上げる。意を決して口に含むと、口中に広がる刺激に顔をしかめる。


「しょっぱっ! これは……海水?」


 紛れもない海水の味に、アミメキリンは味の不快さよりも先に違和感を覚えた。記憶が迸る。プールに溜まった海水。手を伸ばさなければ届かない水面。


「先生……。おかしいですよ」

「はぁ、はぁ。今度はどうしたんだい」


 何とか呼吸を取り戻したタイリクオオカミがアミメキリンを見つめ返す。アミメキリンはプールの水をすくい上げ、タイリクオオカミに突き出した。


「セルリアンはプールから出てきたはずです。なのに、どうしてこれは海水なんですか」


 タイリクオオカミが目を見張った。そう、黒セルリアンとの戦いを経験している者は誰だって知っている。セルリアンは海水に弱い。少しでも触れれば、体は硬質化して石のように動かなくなる。


「……なぜ」


 タイリクオオカミが呟くように言った。


「なぜセルリアンがプールから出てきたと言い切れる?」

「水面です。リハーサル前、マーゲイがプールから直接水を飲んでました。そのとき、彼女はプールサイドから直接口を付けて飲んでました。今は手を伸ばさないと届かないくらい減ってます。ということは……」

「……セルリアンはここから出てきたので間違いない。にもかかわらず、その水は海水」

「先生、これはどういうことなのでしょうか」

「分からない。だが、そうするとマーゲイの行動が不可解になる。マーゲイはずっとここで作業していた。にもかかわらず躊躇せずプールの水を飲んでいたということは、この水は淡水であるのが普通なのだろう。それが、恐らく何らかの出来事があり、プールの水は海水に変わってしまった」


 タイリクオオカミがぶつぶつと思考を纏めていく。


「問題は海水に変化したタイミングだ。リハーサル直前は淡水だったのに、今は海水に変わっている。セルリアンが出現したときの水の状態が分かればいいんだが……」

「あの、先生?」


 唐突に言葉を切ったタイリクオオカミがアミメキリンを見つめる。疑問を浮かべるアミメキリンを余所に、彼女はアミメキリンの肩を掴むとずいと顔を寄せてきた。頬を舐められる感触に、アミメキリンの顔が赤くなる。


「せ、せんせ。そういうのはもっと暗くなってから……」

「……塩の味がする」


 あんまりな感想にアミメキリンが顔をしかめると、タイリクオオカミが慌てて訂正する。


「ごめんごめん。海水の味がするってことだよ。セルリアンが現れたときプールから水しぶきが飛んできた。つまり。あのときには既にプールの水は海水に変わってたんだ」


 たしかに、照明が消えて真っ暗になった直後、水しぶきが飛んできた覚えがある。


「セルリアンは海水の中では存在できない。となると、なぜあのセルリアンはプールの中で平気だったのだろうか。淡水でも海水でも平気な新種のセルリアンのセルリアンがいるなんて話は聞いたことがない。となると一番妥当な考え方は……」

「……誰かが意図的にプールの中にセルリアンを隠していた」


 タイリクオオカミの言葉を、アミメキリンが引き継いだ。タイリクオオカミが息を呑むのが分かった。


「それなら海水であっても平気なように、隠し方を工夫することができます」

「セルリアンが現れたとき、現場にいなかったのはマーゲイだけだったね」


 アミメキリンは頷いた。そう、あのとき、私たちを含めて全員が見える場所にいたのだ。マーゲイを除いて。


「マーゲイと話をする必要がある。今すぐに」

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