第四章 関われドラゴンの村

第74話 元・王子、マナー講師になる

 食事というのは生命全てを形作る大事な行為であるとともに、人間が抱える欲求の一つだというのは有名な話です。文学や戯曲においては食事シーンは性交シーンの比喩だとか、人間らしさの表現としても用いられていて……いやこの話は要ったかな。要らなかったかもしれない。ともかく先述の欲求の中には生命活動の維持という目的が大きいんでしょうが、食事を楽しむのは我々人間の特権みたいなところがあるのも事実でしょう。……先んじて弁解しておくとこういう言い方をするとドラゴンとか人間以外の知的生命体の皆さんに失礼な感じがしますが、そういう意図があったわけではなく。

 つまるところ何が言いたかったかと言えば、朝ごはんをみんなで食べるというのは素晴らしいよね、ということであって。


「だからさ、ハアトも一緒にと思ってさ」

「……なるほど」


 僕が思惑を説明すると、ベルは色々察してくれたのか取り敢えず了解した感じで頷いてくれました。

 というのも。

 ベルを回収してハアトに迎えられ、久々に三人揃ったこの朝。せっかくなら新しい門出ということで、ハアトには悪いですが朝ごはんとして持ってきてもらったヤギ(全身標本)を裏に置いてもらい、久々に人間の食事を共にしようと画策したのでした。先のやり取りはつまりそれの報告だったわけです。

 僕は台所に立っているので居間の長椅子に座っている様子をつぶさに観察できるわけではありませんが、ともかくちらりと後ろ手に確認しつつ、今のところお行儀よく座ってくれているハアトにも声をかけてみます。


「ハアトだって久しぶりに人間のごはん食べれて嬉しそうだし」

「ひんそーなしょみんのしょくじ! だしてみるがよい!」

「お城の人たちみたいなこと言わないでよ、色々思い出すところがあるからさ……まぁ楽しみにしてくれてるならいいんだけどさ」

「しかしルアン様、ハアトは……」

「マナーの話だったら大丈夫。それが目的だから」


 ベルが言わんとしている以前の人間の食事を思い出します。あれは確か、通い妻(夫ですが)制度を決めてすぐの頃。……これは別にマウントではないのですが僕らが伊達にロイヤルな生まれだからか、獣の如く貪るハアトは正直目に毒だったことは否めません。イルエルに流れ着いてカルロスさんに助けて貰った時は感じなかったので、おそらくこれはハアト個人の問題でしょう。……となればそれは、即ち我が家の問題でもあるわけで。ベルもその辺を感じ取ってくれたのか、済ました顔を浮かべてみせます。


「では、ルアン様のお手並み拝見ということで」

「お任せください陛下。……さーて、朝ごはんできたよ~」


 二人が待ってくれているツギハギのテーブルへ、僕は鍋とパンを並べます。一人一つの茶色いパンと、鍋にはたっぷり溶けたチーズ。ナイフとフォークを並べて完成です。


「せっかくの門出だし本当はもっと凝ったものが良かったんだろうけど、僕はベルほど料理慣れしてるわけじゃないし、ここ最近は留守も多かったからさ……簡単だけど、これで」

「フォンデュ……ですか」

「そういうこと」

「ふぉんでゅ?」


 理解したように頷くベルと対照的に僕の顔を覗き込むハアトへ、軽く料理と言うか食べ方の説明をしてあげます。……と言っても、見たままというかなんら特別なことはないんですけど。


「パンをこのチーズに絡めて食べるんだよ、肉料理のソースとか魚のスープにするみたいに。チーズを使うのを特に『フォンデュ』って言うんだってさ。城で昔行商人に振る舞ってもらったんだ」

「おうぞくだったことがあるようないいかただね」

「王族だったことがあるからね」


 むしろハアトには何度もナシオンの名に誓ったことがあるのでアピールしているつもりだったのですが。僕のフルネームはルアン・シクサ・ナシオン。ロイアウム王国元第六王子です。改めて。小さな島の石造りの家でフォンデュなど作っていますがこう見えて一応まだ王位継承権はあります。……兄弟の排除に見事成功なされた二兄さん(第二王子のことです)がまだ戴冠していなければの話ですが。


「というわけでフォンデュ、人間の文化ですドラゴン様」

「ふぉんでゅか、そっかー! ハアトたべる!」


 『料理』は唯一人間のみに許された食事法、というのをどこかで聞いただけはあって料理の説明をすると我らがドラゴン様は露骨にテンションを上げてくれます。ちょろい。かわいい。

 ただし、ここで「はいお食べ」とはできないのが今回の重要ポイントでして。


「ちょっと待ってハアト、一つお話しておきたいことがあります」

「ごはんさめるのに?」

「……冷めないように手短に済ますから」


 痛いところを突かれましたので当初より数割かいつまんで僕は自身の目論見を披露することにしました。


「ハアトには人間の食事のマナーを覚えてほしい」

「なんでじゃ」


 ……もちろん二つ返事とは思ってませんでしたが、そうですか。まさか一言目が『なんでじゃ』だとは思いませんでした。ともかく『なぜ』と訊かれたからには僕も理由を答えます。


「ハアトは僕と結婚します」

「うん! するー!」

「ってことは結婚式だけに限らず今後は人間とごはんを食べる機会も増えると僕は思ってる」


 まさしく先日の僕がカルロスさんと牧師さんに呼ばれたように。そうでなくとも、間違いなく結婚式の流れで宴会になるでしょうからその時は避けられません。


「けいがんだね」

「それほどでも」


 褒められればうれしい。いや、嬉しがってる場合ではないんですけれどもね? チーズが冷めちゃうので。


「でもハアトの食べ方はちょっと人間に見せるには……その……なんて言えばいいかな」

「やばんちゃん?」

「まぁ言葉を選ばなければだいぶ野蛮ちゃん」


 こっちが言葉を選んでんのになんで当事者が選ばないんでしょうね。野蛮な自覚があるなら正してほしいものですが、はてさてどうなるやら。


「でもこういうふうに、ごーかいにたべたほうがおいしいんだもん」

「そういう意見もございましょうけどさ」

「それに」


 何が気に食わないのか、それとももうしばらく僕で遊ぶ気なのかハアトは頬を膨らませながら切り札を切ってきます。


「ハアトがいやなことはしないんでしょ!」

「うぐ」


 まるで免罪符を突き付けられた聖職者です。いや、このイルエルが属するロイアウム王国では免罪符の発行は認めていないので風邪の噂に由来した比喩なんですけれど。即位した二兄さんが配ってればそのうち実感に起因した比喩になるかもしれません。本題に戻りましょう。

 確かに約束しました。しましたが、それを免罪符が如く振り翳されるわけにはいかないので僕も僕で怯みはしません。なんせここで怯めば今後の夫婦間パワーバランスが大きく傾きかねないからです。……最初から傾きまくってるとかは考えてはいけません。


「本当に嫌?」

「……それはかんがえてなかった」


 ドラゴン的な気まぐれなのか、それとも考えなしなのか。僕も大概考えなしですが、もし後者ならさすがは上位存在、考えなしレベルでも僕を遥かに上回っていると言えるでしょう。それともこの場合は「遥かに下回っている」が正しいんでしょうか。言語学者ではないのでわかりかねるところです。


「じゃあ逆に考えてみない?」

「ぎゃくに、というと?」

「礼儀に押し付けられるんじゃなくて、『人間らしい振る舞いを学ぶ』ならどう? 人間みたいなことするの、ハアト好きだよね」

「ハアトにんげんみたいなことするのすきだったきがする」

「そこはキミのアイデンティティだと思うからしっかりして」


 気がする、では困るといいますか。

 それでは僕らの生活が根幹から揺るぎかねないので基本設定くらいしっかりしてほしいものです。いや何の話だよって感じですけれど。


「僕らの家や巣では豪快に食べても良いからさ」

「ふむ……」


 僕の説得が功を奏したのか……はたまた本当に反発が気まぐれだったのか、ハアトも『そう言われると』みたいな反応を示し始め、黒髪の幼い少女は自分の目の前に並べられたナイフとフォークを興味あり気に眺めます。


「にんげんみたいににんげんのめしをくう……おもしろそう! ハアトきにいった!」

「よぅし、その返事を待ってた!」


 ここ数日間ずっと堅苦しく凶暴なドラゴンとしての一面ばかり見ていたからでしょうか、久々に『にんげんみたいなことがすき』なハアトの一面を見れて一層嬉しい気がします。確かに僕やベルと色々ありましたが、この子は本来人間が好きなんです。押し付けられるのが嫌いなだけで、こうして誘い出してあげたりすればもう玩具を目の前にした幼女も同然! ……いやこの例えはちょっとアレだな。人間が玩具みたいだ。

 ともかくハアトがその気になってくれたので事態は進展。ハアトは人間の仕草が覚えらえて嬉しいですし、僕はハアトが最低限のマナーを覚えてくれれば対外的に嬉しい。うぃんうぃんです。


「じゃあまずはいただきますしよう! ベルもね」

「私はずっと待たされていたので」

「それはごめんて。……じゃあ」


 まずは挨拶。挨拶はハアトの好きなものの一つで、確か以前からこれだけはやっていたのでここまではクリアです。


「いただきます」


 三人の声が綺麗に揃います。……なんかここ数日のことを思うとこれだけで幸福な気がしてきました。

 なんて感慨にふけっている暇はありません。『いただきます』するや否や、パンを引っ掴みそのまま大口を開くハアト。同じ食事を始める淑女とは言えベルとは違いこれは止めねばいけません。


「待ったハアト! マナー! 人間の食べ方!」

「ハアトならこれまるのみできるよ?」

「丸呑み!? そこそこの大きさあるよ!?」

「ウサギていどならこのすがたでもまるのみできる! よくしてる! がぶり! ごっくん!」

「すごいね……すごいけど絵面ひどいからやめてね……」


 さすがに僕より幼そうな黒髪美少女(外見推定年齢十歳)がウサギを丸呑みしてる絵面は、その……ちょっとしたホラーですので。


「そうじゃなくてね? かわいく食べた方がハアトもかわいいから」

「ハアトはすでにかわいいが?」

「それは存じ上げておりますとも」


 うっかり撫でたくなるくらいはかわいいですともさ。そういう意味では完全にハアトの人間態は歩く罠みたいなところがあります。疑似餌とも似ていますね。奥に凶悪な生き物が潜んでいるところなんか特にそっくり。

 しかしまぁ、ハアトも数秒で物事を忘れる子じゃないので『人間の食べ方』を学ぶべく鼻を鳴らします。


「じゃあこのパンをまるのみじゃなくて、きればいいんだね!」

「そうだよハアト! わかってるねぇ」


 対面に座るベルの仕草を観察したと見え、ハアトは自慢気です。やることがわかっているならあとは僕が道具の使い方を――


「――――ッ!」


 ……教えるだけ、と思ったのですが。


「きれた! ルアンさま、パンきった! えへへ」


 自慢げに笑いかけてくれるハアトの眼前には、ハアトの口に白い光が灯り、一瞬の間に魔法で細切れにされた茶色い四角片……もとい、茶色いパンがありました。……いやまぁ、うん。切れてるよ。上手に。一瞬で済んじゃうんだもん。すごい。


「……そうだねぇ……切れてるねぇ」


 ……まずは魔法という万能法を持つドラゴンに、道具という概念を伝えるところからになるかもしれません。

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