第75話 元・王子とドラゴン、ようやくパンを切る

 魔法。

 ドラゴンにのみ許された神秘の法であり、過程をすっ飛ばして結果だけを生み出す奇跡。……みたいに言うとなんだかシリアスな伝承ですけれど、つまり言うと最上位生命体にのみが行使しうるズルい道具なのです。

 道具は道具である以上、つまりは使われることでその意義を発揮するのですが。


「にんげんはまほうつかえなくてふべんだね」

「人間は……そうだねぇ……」


 この場合……個人的には道具は使わないで、と言いたくなるのでした。いやまぁ道具を使いたいという概念であればハアトには僕が用意したナイフとフォークを使ってほしいところなんですけれども。


「ご存じの通り人間は魔法使えないから魔法使っちゃったら『人間の食べ方』じゃなくなっちゃうんだぜ」


 そう、今回は『人間の食事を人間の食べ方で食べようぜ』という企画なのです。企画? まぁ企画なんです。この際細かいことはいいんだ。

 しかしふと、ここで思い当たることが。

 人間みたいなことがしてみたい好奇心旺盛ドラゴンのハアトちゃんですけれど、そう言えばごはんに関してはそこまで人間に寄せてない気がします。前回人間のごはん食べた時もガツガツ食ってましたし、足りなさそうな感じでしたし。

 そこに改めて気付いてしまった僕はなんたらチェック――ではなく、改めてハアトにちょっと尋ねてみます。


「ハアトは人間みたいなことをするのが好きなわけだけどさ」

「かずあるしゅみのひとつですな!」

「人間のご飯は好きなの? どう?」

「にんげんの……めしか……」


 むむむ、と幼い子どもがそうするように頭を捻る姿は実に可愛らしくこれが僕の妻だと思うと妙な優越感に浸れるのですがそれはさておき、ハアトは見解を述べてくれます。


「にんげんのごはんはすくないけど、いろんなあじがしてうまいよね」

「お褒めに預かり光栄です」

「くるしゅうない。それににんげんはみんなでめしくうから、それがなんか『にんげん』ってかんじする。すき」


 ……その口ぶりからするとドラゴンはあまり集まって食事する習慣がないんでしょうか。まぁハアトが子どものドラゴンらしい(と言っても四十年は生きているとのこと)ですし、その彼女が一人で暮らしていたのですからそもそもドラゴンは群れる生き物ではないのかもしれません。体が大きければ大きいほど生き物は群れなくなると聞いたことがありますが、そういうことならドラゴンが群れないのも一理ありそうです。人間としては一匹でも手に余る強大な上位生物様にそうそう群れられても困るのですけれど。閑話休題。

 ともかくここで僕としてはハアトが人間の食事という文化に関しては嫌な心地を覚えていないことを確認したかったので、取り敢えずはセーフといったところでしょうか。量に関してはまぁ、おいおい。あまりこういうマナーに直接関係のない問答をしているとベルに「チーズが冷めますが」とそれこそ冷たい視線を向けられかねません。


「ルアン様、無駄話ばかりしていると食事が冷めます」

「……うん」


 この場合は鋭いのは僕の勘なのか、或いはベルの方なのか。難しいところです。有識者の皆さんからの意見をイルエルにてお待ちしております。


「よし、話を戻そう」


 切り替えるために軽く手を叩き、僕自身を引き戻してきます。この場合は話を戻すというより食事に戻るという感じですが。


「ハアト、これはハアトの好きな人間の真似っこだと思えばいいんだよ」

「にんげんのまねっこ」

「そう。ハアトは食事する時魔法を使ったり齧りついたりするのが習慣かもしれないけど、こういうこともできるようになったらもっと人間みたいなことできるようになるから」

「できるがふえると、できるがふえる!」

「キャッチ―な哲学的フレーズだ」


 ハアトがマナーを学ぶことの良さを取り敢えず飲み込んでくれたようなのでこのまま脱線せずにマナー講師としての務めを果たそうと思います。


「というわけで今度はナイフを使ってパンを切ってみよう」

「ナイフ! ベルがさっきからチャカチャカしてるやつか」

「そうだね」

「……その言い方だと私のマナーが悪いように聞こえますが」

「お姉さんもいちいち突っかからないの……」


 王宮では特に食事中に会話以外の音を立てることはあまりよろしくないと思われていたのでムッとしたのでしょうけれどベルには今回我慢してもらうことにします。僕にも容量ってものがあるんですよ。なんせ王にはなれなかった器ですから……もちろん自虐ですけれど。

 さっきハアトが魔法で切ったパンは僕が頂くとして、まだ手付かずだった僕のパンと交換してあげます。……これでダメだったらこの昼食では諦めましょう。


「まずはナイフを持とうか。ナイフの背を人差し指に沿わせるようにして……」


 恐らくナイフを手にしたことがないでしょうから、まずは持ち方からです。手に触って持ち方を教えたいのを我慢しつつ(ここで吹っ飛ばされれば間違いなく食事どころではなくなります)、言葉で説明しようと思ったのですが。


「ヒトサシユビとは?」


 あまり聞き覚えのない返答を頂きました。

 ヒトサシユビとは? ……とは?


「人差し指とは、とは?」


 質問の意図が読めずとても学があるとは言い難い質問を返してしまいましたが、うむ。しかしマジでハアトの発言が要領を得ないのでこう返すしかありませんでした。


「ひとさしゆびがわかんない」

「えーっと……お母さん指? スマリアに祈る時に使っちゃいけない指?」

「ぜんぶしらないよハアト」

「……ドラ指し指?」

「ささないよ?」

「……ははーん……」


 なんとなくここまでの流れで理解しました。いやまぁドラゴンは基本的には四足歩行の生物なのである種当然なのかもしれないのですが、『指に関する呼称』が存在していないと見えます。会話している限り指、という概念はあるらしのですが……牧師さんが役職名だと気付けていないのと同じで、恐らく知能ではなく文化の差による概念の差なのでしょう。

 しかし触って教えるわけにもいかねぇ……と思っていると。


「ルアン様、さすがに少し見ていて不安なので申し上げますが」

「我慢ならんほどでしたか」


 対岸から一人黙々と食事していたベルがピンと耳を立てつつ声を掛けてきました。


「割と目に余ります。ルアン様、考え方を教えるのは得意でも所作を教えるのはあまり得意ではないようで」

「まぁ……僕自体あんまり体を動かすのが上手じゃないからね……」


 王宮でやっていたダンスや剣の稽古ではむしろ「それどうなってるんですか」を問う方が多かったのも事実です。そういう意味ではベルは僕の従者として、姉として、ある意味世話係としても十数年連れ添っているわけですからこういうことには慣れているでしょう。


「では慣れてらっしゃるベルに是非どう教えたらいいのか乞いたい」

「普通に『僕の真似をしてみて』と一緒に実践すればよいのでは」

「……なるほど?」


 ……この方法が盲点だった、という事実が恐らく既に至らないということなのでしょう。思い返してみれば確かに、幼い子どもに教えるには実際にしてみせるのが一番、というのは納得するところです。『お手本』、ということでしょう。ハアトは年齢で言えば四十を過ぎて僕らよりずっと年上ではありますが思考回路としてはむしろ幼女って感じなので『お手本』を見せる方がいいのかもしれません。動物的ですし。

 そうと決まれば僕もハアトの隣に座りまして、改めてナイフを持ちます。


「ハアト、僕と同じようにしてみて」

「ってことはまずはルアンさまに変身した方がいい?」

「いや姿はそのままでいいです」


 似せるのは所作だけで結構です。

 というわけでまずは僕がナイフを持っている手をハアトに見せまず。ハアトの利き手を聞こうかとも思いましたが常態が四足の生物に利き手があるとは思いませんし、仮にあったとしてもハアトのことですから問題はないでしょう。


「ハアトにんげんのまねすき!」

「そうそう、ハアトの得意なやつ」


 ここ最近の騒動はドラゴンとしての一面が多かったのでアレですが、そもそもの出会いが人間の真似をして藁山に寝ていた子です。真似して、と言うのは幼女云々抜きにしてもハアト向きなのかもしれません。


「……こう!」

「ハアトすごいよね」


 さすが色んなものに変身するだけあると言いますか、人間を好きと豪語してみせるだけはあるといいますか。ハアト、さすがの観察眼です。さっきまでうだうだ言っていた僕のやり方がなんだったんだと思うくらい完璧にトレースしてくれていました。


「それがナイフの持ち方です」

「ナイフ!」

「ではいよいよ……パンを切ろうか」

「ずたずたにしてやる!」

「加減してあげてね」


 ハアトが食べる分にはどんな風に切っていただいても全然構わないのですがそもそもこれはマナー講座、人前でハアトがパンをずたずたにしているところを想像するとお世辞にもお上品とは言い難いのでここはさっさとお手本を示すことにします。


「まずはこうやってパンをナイフを持ってない方の手で押さえまして」

「おさえた! このまましめころせるいきおい」

「さっきから語彙が殺伐としてらっしゃる」

「もりではしょくじはいのちのやりとり、だからね」

「左様でしょうけれど」


 日々命のやり取りをなさっている野生動物の皆様には敬意を払っているところではありますが、マナー。マナーだから。血生臭さは台所で抜き去って欲しいところです。……それにドラゴンはやり取りはしてないでしょ。一方的な捕食者でしょキミたち。


「押さえたら手から少し離したところにナイフを入れて」

「きばをたてる!」

「まぁ間違っちゃあいない。……そしてそのまま押し引きしつつ切ります。ぎこぎこ、って感じ」

「ぎこぎこ」


 王宮で使っていたような良いナイフだと引けば切れるのですが生憎この石造りの小さな我が家にはそこまで上等なものはないのでノコギリが如く押し引きして切っていきます。


「ぎこぎこ……むぅ」


 しかしまぁ、初めての動作というのは慣れないのか、或いは知らない道具を使っているからか、僕ほどはスッと切れないようで。


「難しい?」

「ううん、だいじょうぶ! ハアトよゆう!」

「余裕と言うには――お」


 まだまだ心配かな、と続けようと思ったのですがさすがそこはドラゴン。ハアトがちょっと力を入れたように見えた瞬間スルリと切ってしまいました。

 さすがハアト――と僕は続けようとしたのですが。


「ハアト」


 凛、とした声が先にハアトを刺しまして。


「……今魔法使ったでしょ」

「えっマジ!? 使った?」


 完全に気付かなかったんですけれど!

 いつもの派手な演出も口が光る様子も特にはなくて完全に気付かなかったのですけれど。しかしベルは犬の獣人らしい嗅覚か何かなのか気付いたらしく。


「……めざといなー」

「……まぁ僕も気付かなかったし、バレない程度ならいいかな……」

「やったぜ!」


 本当は魔法を見られるかもしれないリスクは避けたいのですが……うん……僕ですら気付けなかったのでそういう意味ではセーフなのでしょう。うん。パン切れねぇ~! って感じになるよりは全然マシです。


「さぁパンが切れましたねハアトさん!」

「きれた! ハアトじょうず!」

「上手上手」


 ようやく切れました! パンが!

 若干ズルをしてしまったので感動はまぁほとんど存在していないのですけれど(個人的には上手くいったら何かしらの感慨は生まれるのかなと思っていた)、まぁここは通過点。


「さてあとは簡単だよ」

「らくしょーだぜ」

「こうやって切ったパンを鍋のチーズに突っ込みまして……あ、熱いから気をつけてね」

「ドラゴンとアツさはともだちだからだいじょうぶ!」

「大丈夫なこと多いねぇドラゴンねぇ」


 まぁ僕ら人間よりよっぽど丈夫にできているはずなのでその辺は本当に心配する必要はないんでしょう。

 ハアトは恐る恐る――ではなくまったく遠慮する様子はなく豪快にべろんと鍋中のチーズをパンに絡ませると、瞳をキラキラ輝かせまして。


「そして食べる!」

「あむっ!」


 半分固形みたいなとろりとした濃厚なチーズが絡んだパンを頬一杯に放り込んだハアト。熱いかな、と思ったんですが全然そんなことはなく、見ているこちらが元気になるほどのもぐもぐを繰り返しまして――


「うまい! にんげんのめしのあじがする!」

「お粗末様です」


 料理した身としては『うまい』と言われると普通に嬉しいものです。評価の具体的な内容としてはなんとも喜びづらいのですがそれはそれ。誉め言葉は素直に受け取るのが粋ってものです。

 そして人間みたいに人間のごはんが食べれたのが嬉しかったのか、ハアトはそのまま僕の方をぐるりと向いてくれます。


「ハアトにんげんみたいだった!?」

「人間みたいだったよ、上手だった!」


 前回はドン引きしてしまうような食事の感じだったのですが、しかし今回は普通の描写の中に納まるくらいには普通に人間的な食事だったと思います。魔法を使ったこともバレませんでしたし、少女の姿だと思えば完全に人間だったと言えるでしょう。

 なので僕としては素直に褒めるフェイズに入ったのですが、それが迂闊でした。


「ハアト、ルアンさまのおよめさんとしてごはんたべられる?」

「これから練習していく必要はあるかもだけど、ハアトなら大丈夫!」

「――――ッ!」

「あっ、やべっ!」


 それは久々に聞いたドラゴンの歓喜の咆哮。

 僕も久々ならハアトも久々に素直な嬉しさに浸れたようで、それは別に構わないのですが彼女が嬉しさに浸れるということはつまりそういうことで。

 突如巻き起こる轟音と爆風。黒い光と共に膨張する少女の体。ひっくり返る昼食。飛び退きつつ僕を引っ張るベル。そして――天井と壁をぶち破って鎮座する黒いドラゴン。


「――――ッ!」


 やったー! と言わんばかりに響き渡る咆哮。崩れてくる半壊した我が家の残骸と僕はまだ手も付けていなかった昼食だったもの、そして室内からにしては随分広く見える青空を眺めつつ……僕としては色んな意味で、感慨に浸るのでした。


「……こういうの……久しぶりだね」

「ルアン様正気ですか?」

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