第73話 家族、帰宅する

 ベルは『誰とも違う自分だけの意見を持って流されなかった』と今回の僕の選択を評してくれましたが、果たして本当にそうなんだろうかと自分では思うところがあります。

 というのも『三人で仲良く暮らしたい』は今までの延長線上、言うなれば怠惰に流されたわけですし、ハアトとの仲違いに関しては牧師さんやジョーくん、カルロスさんの言葉をそのまま実行しただけですしベルに関しても場の流れで――つまるところ思いつきで行動した感じがあります。つまり何が言いたいのかというと僕は成長したように見えまして相変わらず流されっぱなしということです。

 ……ただ、もし僕の色んな意味で『流されやすい』という性質が、いい方向にも働いて、その流れをいつしか選べるようになったら。

 場に流されてしまうのも悪くはないのかな、と思うのです。

 ……思うのですが。


「うわ、ベルだ」

「……はぁ?」

「やめてよぉ……」


 僕らの家たる石造りの前で睨みあう女性陣2人の作り出すこういう流れには流されたくない僕なのでした。





 時は少し遡りまして、ベルが気持ちを改めてくれたその翌朝。

 僕の特訓の本格化とそれに伴うイルエル出立の無期限延長が決まり、同時にベルが家に戻ってくることが決まったので僕はベルと示し合わせて酒場に挨拶に伺っていたのでした。


「おはようございます、ルアンです」


 朝から酒場なんて、と思いながらもドアを開ければいつも通りカランカランとベル(金属音の方)がにぎやかに出迎えてくれます。……そういえばこの騒動も僕が酒場にやってきたことが(間接的ながら)皮切りだったと思えば、なんだか皮肉なものです。収まるところに収まった感も不思議とありますけれど。


「あらぁ~、ルアンくん。いらっしゃい」

「マリアさん……」


 いえ、彼女はこの酒場の主人なのでいて当然なのですけれど。

 牧師さんの妻、ふんわりとしたプラチナブロンド美人のマリアさんがカウンターから僕に手を振ってくれます。僕としては色々と思うところがありながらも、軽く会釈。心中はまだ穏やかではありません。

 酒場も皮切りならマリアさんは当事者。当人は『転んで頭を打ってしまった』と覚えていますが、僕らとしてはともすれば殺してしまったかもしれない相手。正直なところ、当分以前のように顔を見ることはできそうにありません。

 もちろんマリアさんはそんなことは露知らず、前と同じようにほにゃりとした人当たりの良い笑みを僕に向けてくれます。


「ルアンくん、一杯飲んでく~?」

「いえいえ、まだ朝ですから遠慮しておきます」

「そう? カルロスくんは朝でも飲んでいくわよ~?」

「カルロスさんと一緒にされても困ると言いますか……」


 さすが海の漢、カルロスさんと言うべきでしょうか。ツケがあるはずなのに朝から飲み始めるとはたまげたものです。もちろん僕としては今日は挨拶に来たので飲むわけにはいきません。カルロスさんとは強さが違うのです。腕っぷしも酒耐性も。悲しいことに。


「マリアさん、ベルは?」

「そういえば迎えに来たんだっけぇ~? ふふっ、今ウィリアムと準備してるわよ~」


 ぽやぽやゆったり話すマリアさんを見ていると本当にあの詭弁と饒舌の化身みたいな牧師さんと夫婦なのか、と思わずにはいられませんね、えぇ。ウィリアムっていったいどこの誰だい? となりかけます。まぁ牧師さんのお名前なのですけれど。


「でしたら、僕はここで待たせてもらいますね」


 ベルの支度が始まっていることを知って僕がカウンターの一角を借りれば、お暇なのかおしゃべりが好きなのか向かい合うように立ち位置を変えます。女性がおしゃべり好きなのは僕としても知っていますが、この辺の身のこなしというか自然さはさすが酒場の女主人といったところでしょうか。


「だったら朝ごはんだけでも食べていかない~? お代はいいのよ?」

「どうしてそこまで?」

「ほらぁ、わたしハアトちゃんとのお茶会ダメにしちゃったじゃない~? だから、ルアンくんにも悪いなぁって思ってるの」

「ははぁ、なるほど……」


 本当はここで『いえいえ悪いのはハアトですから』と言いたくてやまやまだったのですがそれは真実を明かしかねないので僕は口をつぐみます。マリアさんの優しさがつらい。


「じゃあ今度ハアトと一緒に来た時にご馳走していただくということで、どうです?」


 しかし無下に断ってはマリアさんが抱いているであろう後ろめたさを刺激するばかりと思い、フォローすればマリアさんはにこにこふりふり喜んでくれます。


「じゃあそれねぇ、ハアトちゃんにもよろしく~」


 ……しかし。うーむ。何と言いましょうか。

 こうして僕はマリアさんと一対一になるのは実は初めてで、こうして至近距離でお話させていただいているわけなんですけれども。

 ……何と言いますか。

 いえ、会話のペースがいつもと違うというのもそうなんですが、それ以上にですね、その……今まで意識しませんでしたがすっごいグラマラスなんですねマリアさん……。


「? ルアンくんどうかした?」

「いっ、いえ? 何も?」

「やっぱり朝ごはん食べるぅ?」

「いえいえ、ベルもすぐ来るでしょうし。うん」


 動揺が。動揺が。

 ふわふわぽよぽよ、とは我ながらよく評したもので。彼女はエプロン姿なのですがそれでも余計わかる身体の凹凸と言いましょうか、目の前のカウンターに頬杖と一緒にたゆんと乗せられると健全な男児である僕と致しましてはさすがに目を惹かれないわけにはいかないわけでして。……家に帰っても小さくて薄い幼女と美人の部類としてはスレンダーでボリュームには少し欠ける獣人しかいないのでね。余計にね。そ、それにほら。僕ってそこそこ幼い頃に母上を亡くしているので。母性に飢えてるっていうか。たぶんそう。そういうことにしたい。

 このままだと次マリアさんに話しかけられたら「立派なものをお持ちですね」とか言いかねません。僕も相手も結婚してんだぞ。この狭いコミュニティで不倫はマズいだろ。いえ、そんな気は微塵もないんですよ。おっぱいに目を奪われているだけで。


「ルアン様」

「えっ……あっはい! ルアンです!」


 しかしすっごいおっぱいだな……とか思っていると頭上から凍て殺さんばかりの低音が降ってきたので顔を上げればいつも以上にクールな従者の姿。


「……ルアン様、何を?」

「いや何をって……マリアさんとお喋りしてベルを待ってただけですが?」

「ルアン様?」


 こいつ抜け目なしか。

 果たしていつからそこに立たれていたのやら、冷静と言うよりは冷酷に見下ろして来るベルに突かれるように席を立ちつつ、変な疑惑を晴らすべくにこやかにマリアさんに笑いかけます。


「ね、マリアさん?」

「ねぇ~? うふふ」


 女神か。

 ベルの冷ややかな視線に晒された僕を温めてくれるような笑顔に救われます。同時にこの人が酒場の主人ならそりゃ繁盛するだろうなという確信も得ます。


「では、そういうことで」

「うん」


 マリアさんがフォローしてくれた(厳密には僕が利用しただけですが)お陰でしょうか、ベルはその場を切り上げると僕と連れ立って酒場の出口の方へ。


「おや、朝ごはんくらい食べていかないんですか?」


 ふと後ろから声がすると思えばそこにはきっとベルの手伝いをしてくれたのでしょう、牧師さんの姿もありました。


「そうよねぇ、ウィリアム。わたしからも勧めたのよ~?」

「おやおやおや、せっかくですよ? マリアの料理は朝食からおいしいんですから」

「申し出は嬉しいんですけど、家にハアトを残しているので」


 夫婦揃っての勧めを断るのは僕としても心苦しいのですが、僕としても色々画策していることがあるのでお断りさせていただきます。すると牧師さんは僕の思うところがわかったようで。


「ふむ。それならば仕方ないですね。マリア、今度にしてもらいましょう」

「そう?」

「そうしてもらえると僕とベルも助かります」

「それならぁ……そうね?」


 マリアさんが納得してくれたのを見て、僕と牧師さんは軽く目配せしつつ小さく頷きます。……なんか今回の騒動を経てまたこの人とは妙な繋がりが生まれた気がします。似ているんでしょうか僕ら。

 朝食の押し引き問答が終われば、いよいよベルの挨拶です。あの勢いで飛び出したままですから手荷物は少ないんですけれど彼女は丁寧にお辞儀をします。


「今回はご迷惑をおかけしました。無理を言って押し掛けたのに良くして頂いてありがとうございました」

「いいのよぉ、ベルちゃん。女の子なんだもの、そういう時だってあるわ? わたしたちはいつでも歓迎なんだからぁ~」

「マリアさん……」

「うふふ、娘か妹ができたみたいで楽しかったのよ~? 何かあったら、また転がり込んできなさい?」

「……では、ルアン様が不甲斐なくなったらまたその時に」

「ふふっ、そうねぇ~?」

「えぇ……」


 急に矛先を向けられたものですがから僕としては困惑するしかありません。……ただ、このやり取りだけでベルが相当良くして頂いたのは僕にも伝わりました。従者に対する主人として、或いは一家の主人として僕からも牧師さんに礼を伝えます。


「ベルも僕も大変お世話になりました。獣人との暮らし、色々と難しいところあったと思いますが、良くして頂いたみたいで」


 そうです。僕こそ慣れていますがこのイルエルには獣人がいないわけで、同じ人間と言えど性質の違う犬の獣人と共に過ごす生活というのは色々戸惑いもあったはずなのですが、牧師さんは少々困り眉を浮かべながらもカラッと笑います。


「はっはっは、確かに文化の違いを感じることもありましたがもう大丈夫です。次は万全の状態で迎えられますとも。ねぇマリア?」

「うん、大丈夫! だからルアンくんは不甲斐なくならないように頑張ってね~?」

「あははは……精進します。ありがとうございました」

「私からも改めてありがとうございました。お世話になりました」


 頼もしいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちを抱えながら僕が挨拶を締めればベルも続けて頭を下げます。この辺は僕らも長年の呼吸といったところでしょうか。

 軽く会釈を得たのち、手を振る二人に見送られながら僕らは帰路につきます。時間はまだ朝。僕としては久々にベルが家に帰ってくれるということで緊張感と安堵が入り混じった妙な気持ちなのですが、はてさて彼女は。


「ルアン様、家の様子はどうなりましたか?」

「どうって……あぁ、居間は特訓の合間を縫って僕とジョーくんでなんとか形にはした。完全に元通りではないけどね」


 恐らくベルが聞きたかったのはハアトとベルの喧嘩でぐしゃぐしゃになった居間の顛末だろうと思います。テーブルと椅子もなんとか形にはなりましたがツギハギだらけですしテーブルは傾いてるし床は一部抉れてるので元通りとは言いづらいのですが、生活はできるでしょう。


「それならばジョーさんにも挨拶しなければいけませんね」

「それにハアトの件もあるし、数日は挨拶回りだね」

「ルアン様の得意とするところですね」

「別に王宮でもそこまで挨拶回りしてないよ僕は……」


 大臣とか役人たちはしていたようですが、仮にも僕は王子でしたので。まぁ第六ですから回せるような根がそもそもないのですけれども。悲しいなぁ。

 とかなんとか言っているうちに、見えてきた我が家。

 山を登って木々の間に見える畑と石造りの家になんだか安心感を覚えた束の間。玄関の前にはハアトが少女の姿で僕を待っていたらしく。


「あっ、ルアンさま!」


 と僕を認めた瞬間には顔を輝かせたのですが、ベルを見つけて――それで、冒頭に戻るわけです。


「うわ、ベルだ」

「……はぁ?」

「やめてよぉ……」


 家族なのに開口一番喧嘩腰。主人としてはもうオンオン泣きなくなります。オンオン。

 当然そのまま放置すればこの二人が大人げないことになるのは目に見えているのでやれやれと思いつつも僕が間に入って仲裁します。


「ハアト、『うわ』とか言わない。仮にも家族なんだから、ね? ベルも反応しない! 売られた喧嘩全部買うつもりなの? うちにそんなお金はありません」

「お金があるかないかは私の方が把握してますが」

「おかねもちからもないやつがなにかいってるぜ」

「そういうところ仲良しだよねほんとね……」


 普段から親子喧嘩の絶えない母と娘が父親憎しで結託しているようです。いえ、想像の産物なので実際こういう感じなのかは存じ上げないのですけれど。


「ともかく! ほら、これからはまた同じ家で暮らすんだから」


 僕は二人をなだめつつ、それでもどこかまた同じ生活ができることに胸を小躍りさせながら二人を家へと促します。


「まずはさ、朝ごはん一緒に食べよう。一家団欒って感じするし」

「ハアトごはんもってきてないよ? でもにんげんのじゃたりないぜ」

「じゃあ後で持ってきてさ。料理はどうする?」

「非力なルアン様では水汲みでお昼になってしまいますから、そちらは任せます」

「はいはい……それじゃあ」


 これからもきっと大変なのでしょうけれども、また三人で同じ屋根の下過ごせること。同じ食卓を囲めること。……一人の夜がなくなることは、とても幸福なことに思われて。

 僕らはとりあえず、我が家の玄関に一歩踏み入れるのでした。


「ただいま」

「ただいまー!」

「……えぇ、ただいま戻りました」

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