第71話 獣人族、人族に呆れる
特訓。えぇ、特訓でございます。
かつての英雄譚としては定番の場面であり、その泥臭さと汗臭さと根性論が世論に合わないのか後継の作品ではもっぱら演出としても減っている。それが特訓です。
その後継作品に近い感性、詰まるところ筋肉と武闘で戦うというよりは技巧的に何とかするタイプの、要するにガッツには若干不安の残るタイプのロイアウム男児である僕ですが、実は特訓を受けたことがない訳ではありません。そう、何度も言及している王室剣術の指南です。まぁ僕の剣術は習い事レベルでしたかないんですけど。特訓も僕が落ちこぼれ気味だったからなんですけど。
ともあれ、特訓には自信がある訳で。なにせ経験したことがありますから、僕は今回のベルとの特訓に関しては不安要素は一切なかったと言っていいでしょう。経験に加えて未来への思い、覚悟みたいなものもありましたから。
……ただ。
「痛いぃ……辛いぃ……」
物理的な痛みに対して耐性があるかと問われるとそれはまた別の話でした。
情けなく鼻血を垂らしながら僕は青空を見上げて怨嗟の声を上げます。そんな僕を冷静に見下ろすベルは対極的に無傷でした。いや、僕からは仕掛けないので当然なんですけれど。
「ルアン様避ける気あるんですか? 全部当たってらっしゃいますけど」
「一応避けてるつもりなんだけどねー……ただベルの方が速くて」
「それは避けられていませんね」
「やっぱりそう思う?」
口の中にする鉄を舐めたような血の味に顔をしかめながら、僕は熱くなった全身に儚く思老いを馳せるしかありません。知ってますか、傷って熱くなるんですよ。でも冷や汗も伴うんですよ。お陰で今の僕は肌、肉、骨の順番で冷・熱・冷です。補足しておくとハートは熱いです。念のため。
「ルアン様、大前提ですが種族の差を理解されています?」
「されています。僕には可愛いケモ耳がないって話でしょ」
「今の耳が要らないならお削ぎ致しますが」
「お削ぎ致さなくていいよ」
不機嫌なのか急に怖いことを言い出すのでベルに僕はビビる他ありません。ロイアウムからずっと東の方に敵国の兵士の耳を削いで倒した人数を記録する蛮族がいるとは聞きますけど、何もそんなことしなくても。それとも今のは耳なし的な意味で獣人族が人族を超えた物の怪だよ、みたいな話なんでしょうか。いや意味不明ではありますけれど。
「結局ルアン様怪我があって満足に動けていませんし、無茶ではありませんか?」
「うーん……否定しづらい」
ルアン・シクサ・ナシオン、嘘の吐けない男です。たとえそれが自分にとって不都合な正論だろうと否定できないものは否定できません。そこは仕方がない。だってその通りなんだもの。
「でも日常生活では怪我してることもあるだろうし」
「一般人はそこまでの重傷を日常的に負いません」
「そう?」
聞き返しながら念のため自分の怪我状態を軽く確認してみます。片足は捻ったか折ったか。腰は立ち上がるのがつらい。背中はずっと痛む。口の中切れてる。鼻血も出てる。蹴られてから頭も痛みますし耳元ではずっと何かが鳴ってる気がします。……なるほど?
「確かに少し怪我と言うには盛り過ぎてる感は否めないね。まぁ王族だからね。サービスサービスぅ」
『サービス』とか『お得』とか『当たり』みたいなことを言えば多少マイナスなイベントでもポジティブに捉えられる気がしませんか? 誰に対してのサービスなのかは不明ですが。本当にサービスなら担当者に問い質したいところです。
「そしてルアン様先程から否まないばかりですね」
「王族だからね」
はっきりしたことを言うと『発言に責任を持て』と身内がうるさい。城の中は得てしてそういう空間でした。ただここは公務に追われる城の中ではないので、僕はベルに立たされて特訓が続く訳ですが。
「……痛くて辛いなら、やめますか?」
僕の手を取りながら、ベルはそう尋ねます。いつになく優しさを感じる気がしなくもありませんでしたが、僕は苦笑いすることしかできませんでした。
「いや、出来るまで続けよう」
「申し訳ありませんが、私それまで生きていられる自信が」
「そんなに続いたらどう考えても僕が先に死ぬから安心して」
「ルアン様」
「いつでも」
明くる日も、僕らは昼過ぎから夕方まで特訓に打ち込んでいました。静寂に包まれながら互いに神経を研ぎ澄まします。『打たれるとわかってる攻撃も避けられないのに不意打ちは避けられない』――とはベルの言です。とはいえ、どのタイミングで何を仕掛けてくるかはベル次第なのですが。
それは鳥のさえずりが一段落もせぬ間に。
「ッ!」
表情は冷静そのままで――一歩、僕の方へ踏み込んだベル。そしてそれに僕が気付いて『これは下がるべき!』と判断した頃には既に、必殺。彼女の掌底が僕の鳩尾を打ち抜いていました。鈍く重い衝撃が僕を突き飛ばします。
「ぐぅぁ、ぅえっ……っは!」
よろめいた僕は、呻きと一緒に空気を吐き出しながら膝をつきました。回避能力も低ければ防御力も低いので一撃で─不可能です。口から垂れるよだれをすすることも出来ず、元王族とは思えぬ嗚咽を吐きます。
「ぐぅ……絶対蹴りだと思ったのにぃ……」
「残念でしたね」
「微塵も思ってないくせに……」
「えぇ、微塵も」
凛々しく優雅な立ち姿のベル、その足元を睨みながら僕が恨めしく唸っても彼女は冷静そのものです。デフォルトが煽り。
「やめますか」
「やめないよ……避けられるようになるのが目的なんだから」
よだれをやっとで啜りながら、僕はやる気を見せてまるで主人公のように顔を上げにやりと笑い、
「隙です」
「ごぁ」
目の前に迫っていたベルの膝蹴りを貰って再び地に伏せることになりました。頬を思いっきり不意打ちされて、打撲した顎が発火したように熱を帯びます。また口の中切れたし……。
「ハアトは触れたら不意に仕掛けてきますよ。しかも今は特訓中のはずです」
「ご教授どうも……」
頭蓋への衝撃でくらくらしながら、今度はベルの一撃に気をつけつつ立ち上がります。スッとは立ち上がれないのですが……まだ日が落ちるまでは時間がありそうなので、特訓続行、次の奇襲へ備えます。
「ちなみにさっきの『すきです』は僕への告白だったりする?」
「やめて。気持ち悪い」
「ごめん」
マジ否定されました。
「それでとっくんはずっとつづいてるの?」
「昨日のでちょうど七日」
さすがにずっと続くのはベルとしても堪えるのか、というか僕の体がもたなかったのでその日は休日でした。故に僕はこの
体を特訓にもたせるためにハアトの巣穴を訪れていました。
「あー……魔法最高」
「ハアトもさいこう?」
「もちろん最高」
「――――ッ!」
今日一日は一緒に過ごすことを条件に魔法で傷を治してもらいました。もちろん、そこそこの度合いで、ですが。これで動ける、と隣でドラゴン絶叫(得意技)を放つハアトに耳を塞ぎながら調子を確認します。これで特訓にまた臨める、と意気込んでいるとハアトもうんうんと頷きます。
「ルアンさまマゾだもんね」
「マゾではないよ」
「ハアトはそういうのあんまりとくいじゃないけど……でもルアンさまのためにがんばるよ!」
「だからマゾじゃないんだって」
ここは否定しておかないと、と思いつつちゃんと口にします。これからの夫婦生活、性癖を誤解されたままだと色んな意味で余計な問題が起こりかねません。ハアトの場合は村人に言いふらさないとも限りませんし。そうなったら地獄です。
まぁ僕としてはこのハアトのために頑張っているつもりだったのですが、ハアトにはそれが通じていないようでして。
「ルアンさまへんなのー。ボコボコにされるためになおったの?」
「……そうならないように気を付ける」
――とは言いましたものの。
翌日から再開した特訓もハアトの言うようになったのは語るまでもないのかもしれません。幸い怪我のお陰で僕はパン屋のアドルフさんにはお休みを貰っているので、時間はたっぷりありました。そのたっぷりあった時間で殴る蹴るの暴行を繰り返されまして。
「さてはベルって今回の特訓で僕に今までの鬱憤晴らしてるよね?」
「まさかそんなことは」
十日を超えたかどうかのくらいに、僕はまた全身ボコボコにされた挙句木に体を預けて平然と僕を見下ろすベルを眺めることしかできません。
「今までの鬱憤を晴らすのであれば正々堂々」
「そこを躊躇しないところが僕の従者って感じ」
「お褒め頂きありがとうございます」
お褒めした覚えはないのですが、僕としては口の中でよだれと血がじゃばじゃばなので吐き出すので精一杯です。今日は豪勢に額からも血が垂れていました。目に入らないように拭いますが、ベルは呆れたようにこちらを見下ろしていました。
「……ルアン様、私は呆れていますが」
呆れたようにではなく本当に呆れていたようです。いやはや僕はやはり察しが良いようで……と思ったのですがベルは「何故分からないのか」みたいな顔をして聞いてきます。
「何故そこまで体を張るのですか」
それはベルにしては珍しく、表情にも表れるくらいの純粋な困惑のようでした。
「私も手加減はしていません。ですから……魔法で途中で回復したとしても、そもそも何度も痛めつけられて楽しいとは思えないのですが」
彼女は言いながら僕の体を見下ろします。三日くらい前にハアトに治してもらったはずなのに、既に膝から下は立とうとしてもすぐには言うこと聞いてくれませんし、頭はまぁ語った後ですし……ちょっとさっき体の下敷きになった右手はあんまり見たくない形状してるので目を逸らすとして。
「まぁ僕も楽しくないよ」
「私も楽しくありません」
「だろうね」
いくら冷たい冷たいとは言ってもベルだって僕も好きで殴っている訳ではないでしょうし、だからこそ呆れと困惑なのでしょう。
「ですがそう言いながらもまたあなたは続けようとしています」
「そうだね……まだ立てないけど」
残念ながらさっき鮮烈な足払いを頂いたのがトドメになって立つのには少し時間がかかりそうですが、しかしまぁまだ避けられるようになっていないので。
「それですよ」
最早若干怒りを滲ませるのですから僕は若干ビビります。
「なぜそこまで頑張るんですか?」
「そりゃあハアトが好きだからだよ……もちろんベルもだけどね」
「その付け加えたの余計ですから」
「あっ、ごめん……」
ボコボコにしたテンションそのままに言われるものですから僕の側としては完全に委縮しているのですけれど、まぁ理由としてはこれで間違いありません。
「ハアトが好き?」
「うん好き」
我ながら即答はちょっと気恥ずかしい気もしますけれど、まぁその辺の心境の隠し方は心得ております。なんせ元とは言え王族ですもんで。
「どこがですか」
「姑みたいなこと言うじゃん」
「だって夫婦の契約を交わした……それだけではないですか」
「そうは言っても僕とハアトはもう夫婦だし……それに僕は嫌いじゃないし。じゃあ好きってことにしてもいいんじゃないかと」
そう言えばベルはこの辺の話はしてなかったな、と思いながら既に僕の中でちゃんと固まったその概念を出来るだけ噛み砕きながら語ります。思い出すのはハアトとの衝突。そしてジョーくんと、牧師さんの。
ベルはそれを聞いて少しの間自分の中で解釈を重ねると、更に困惑と言うか呆れを上から塗り重ねた表情で尋ねました。
「それはつまり、ハアトではなくても良いのでは?」
「……うん。それもそう」
違う、と言いたい気持ちがなかったわけではないですが、しかしそこがその通りでしかないのはハアトとの和解で知りました。その通りでも構わないことも、牧師さんに教えてもらいました。なので僕は開き直るように笑いながら答えることにしました。まぁ口の端と額に血流れてるんですけど。
「でもそれってさ、ハアトでもいいってことだと僕は思ってる。もしかしたら違う誰かだったかもしれないけど、僕にとってのそれはハアトだった。もちろん、ベルも」
別にそこに必然性を求める必要はない、みたいな話です結局は。出会ったのがハアトで、こういう関係になったのがハアトなら、他の誰かだったパターンを考える必要はない。そういう話でした。
「……私も?」
「……えっ、不満だった?」
個人的には感動できることを言った気がするのですが、返ってきたのは不満そうな表情でした。
「まさかまだ出会って一年も経ってないハアトと並べられるとは」
「いやっ、僕は、その、ね? 大事なものが大事な理由は一緒だって……」
「わかってますよ」
これはマズい、と思って割と必死こいてベルの誤解を解こうとしたのですが、さすが察しの良い僕の従者といいますか……そんなことする前に、乾いた笑みを浮かべました。
「……相変わらずルアン様は切り替えがお上手で」
「考え無しって言ってる?」
「よくわかってらっしゃる」
ふざけて意訳したらあっていたのですが僕はどうしたらいいでしょうか。と思っていたらベルが僕を立たせるように手を差し出してきました。
「不毛ですので、ルアン様の心を折るのはやめます」
「……っ! ということは!」
そもそもベルは僕の心を折るためにこの特訓に付き合っていたわけです。それを諦めたということはつまりこの正直痛くて苦しいだけで全く成果の見えなさそうだった特訓も終わりを告げるという……!
「いいえ、特訓は続けます。きっとこれからもずっと」
「……なんだって?」
「言い換えましょうか。これからも定期的に殴らせて頂きます」
「マジで言ってんのかお前」
思わず口調が荒くなりました。だってわざわざ言い換える必要なかったじゃんそれ。別に元の言い方で通じるのに何故暴力的な言い方にしたんでしょうこの犬の獣人は。
「ですが」
「ですが?」
ベルは一つだけ、これからの予定の変更を告げました。
「これからは悪戯に痛めつけはしません。本当に自衛をして頂きますので」
つまりそれは、『これから自衛の必要がある環境に身を置く』ということで。僕はその意図するところをなんとなく感じて、手を取りながらしっかりと頷きました。
「わかった。よろしく頼む」
まだベルがハアトに何を抱いているのかもよく知りませんし、これからどうなるのかもわかりませんが。
僕は、あのハアトとベルが争っていた日とは反対に――色んなものが良い方向に転がり出したのを感じていました。
「ところでつまりさっきの言い方だと今までは悪戯に痛めつけてたってことなのかなベル?」
「やべ」
「『やべ』とか言うキャラじゃないでしょ」
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