第70話 特訓、容赦なく
物事というのは得てして難しく考えるから難しく感じる、というのは世の常だと思います。積み重なった仕事やら課題やらで頭を抱えていたけれど、実際に手をつけてみたら案外大したことなかった――なんてのは誰しもが一度は体験するものではないでしょうか。積み重なった虚影に必要以上に構えてしまい……みたいな話です。洞窟に映るネズミの影は巨大、みたいな。
つまりどういうことかと言いますと、僕の出した結論は実に単純明快で分かりやすいということでした。雑に言ってしまうと『避けられるもんなら避けてみろ!』『じゃあ避けてやるよ!』ってことです。当たれば死ぬかもしれませんが避ければ死なないでしょう。つまり危険はなくなるのです!
「当たらなければどうということはないって言うし」
分かりやすく付け加えてみた僕は顔を上げて二人の反応を確認してみます。ハアトの方はそもそも話し合いに参加しているのかどうか怪しい感じのきょとんとした表情で、ベルの方はと言うと。
「ちょっと言ってる意味が分からないのですが」
「なんかわかんないとこあった?」
「はい、全て」
まさかの全疑問でした。疑問というか表情を見る限りだと『困惑』の方が正しそうです。目を細めて耳は警戒するようにピンと立っています。いつも通り冴えていたなぁと個人的には思っていたのですが、ベルの方にはいまいち響いていなかったらしく僕は首を傾げてしまいます。
「おかしいな……ベルならきっと『さすがですルアン様』って言ってくれると思ったんだけれど」
「ご希望でしたら言いますけれど」
希望したら言ってくれるんだ、と思わなくもなかったですがただ言い出してくれた手前聞いてみたい気になったので僕は注文を入れました。
「言ってみてほしい」
「さすがでするあんさま」
……文面としては多分申し分なく簡潔で希望したまさにそのものだったのですけれど、不思議なことに同じ音を発音しているのかと思うほどに空虚な響きでした。
「心が籠ってないね」
「籠めていませんから」
「納得した」
籠めてないものは感じようがありません。茶番終了。
ベルは冷たい表情のまま大袈裟な表現のように肩をすくめて『やれやれ参ったぜ』とやってみせます。確かに参った状況ではあるな、と僕が思っていると突如デコピンが飛んできました。反応できず僕の額は痛手を被ります。
「いってぇ」
「痛くしましたから」
その様子が面白かったのでしょうか、隣で見ていたハアトが楽しそうに「ハアトもやりたーい!」と主張してくるのですが一旦止めます。ハアトのデコピン……いや普通に怖い。
しかしそれでも何故急にデコピン――と思っていたのですがそれこそがベルの狙いだったらしく。
「私のデコピンすら避けられないルアン様が何を避けるって言うんですか」
「えぇ……今は気を抜いてたから」
「いつ入ってるんです?」
「……参ったな」
「参らないで頂きたいのですが」
「ルアンさまぬきっぱなしー」
ハアトの無邪気な野次にさえ対応できる気がいたしません。まぁ真面目な話をするとハアトと一緒に巣の中にいるときは多少気を張ってますけどそういう問題ではないんでしょう。
ベルは僕の「避ける」理論が気に食わないのか、続けて否定しようとします。
「むしろルアン様はなぜ避けられると思ったのですか?」
「ベルが避けてたから、同じ人間だし僕もいけるかなって」
「ルアン様獣人族でしたか?」
突き刺すような視線に慣れている僕としても一瞬たじろぐ他ありません。同じ人間だし姉弟同然に育ったとは言え、元は別の種族。特に避けるなんて運動能力の結晶みたいな動きでは獣人族の方が圧倒的に得意としています。
「違うけど。違うけど!」
しかしここで退く訳にもいかず、僕としても立ち上がって訴えました。えぇ、人族の意地です。
「でも多少の可能性はあるよね。少しでも可能性があるなら僕は試してみたいし……他に案も浮かばないし!」
最後のが一番本音と言えば本音でした。三人で暮らすという将来を諦めるつもりはありませんが、それにしても今の僕にはこれ以外思いつきませんでしたので。
「ハアトは何か案ある?」
「まったく?」
「考える気は?」
「いちおう」
他に可能性があったらここで大見得を切ったのが格段にカッコ悪くなるので一応嫁に聞いてみましたが、幼女みたいな反応しか返ってきませんでした。むしろ彼女としては初めて入った人間の教会に興味津々といった具合です。話し合いには飽きてしまったのかさっきから歩き回っています。考える気は一応あるらしいんですけどね。
「…………はぁ」
ベルもしばらく考えたのでしょうが、何も思いつかなかったらしく、長い考慮の末に諦めたような溜息をつくと僕に端的に尋ねました。
「……避ける自信があるんですか」
「正直言うと自信はないけど気持ちはあるよ」
自信があるならやってます。というか僕自身それなりに無茶を言っている自覚はあるのです。獣人族ではないので、一朝一夕とはいかないでしょう。……でも不思議と出来る気がする、というのはベルには言いませんが。
たた出来ないというのであれば――出来るようになるまで。
「練習する。練習したら辿り着く。その気持ち」
「根性論ですか」
「僕こう見えて精神論者だからね」
不敵に笑ってみますがベルからは反応はありません。逆に鼻で笑って一瞥されました。おいおい一応ご主人様だぞ。犬らしい高いマズルを鳴らしやがって。様になりやがって。
「ちなみにハアト。あなたどうなの」
ベルは手持ち無沙汰になったのか、或いは別の真意があったのか。歩き回るハアトに顔は向けず問いかけます。ハアトは呼び掛けられると僕に向かってサムズアップしてみませました。
「ハアト? ハアトはよけられるつもりはないぜ! あてるぜ!」
「……こう申しておりますが」
「話がややこしくなるから聞かなかったことにしない?」
ドラゴン側に必中宣言をされてしまうとこれから避けようって意気込んだ精神論者の精神が揺らいでしまいかねないのでやめて頂きたいところではあります。
それも含めたのか含めてないのか。ベルはもう一度熟慮すると、パン、と一つ手を打ちました。
「いいでしょう。私が特訓をつけます」
「じゃあ、ベル……!」
「いいえ」
僕は彼女の言葉に期待で目を輝かせたのですが、具体的な何かを言う前にぴしゃりと否定されてしまいます。勘が冴えているというかなんというか、僕の考えていることを先回りして釘を刺しました。
「私が特訓をつけるのは三人で暮らすことに前向きだからではありません。むしろ後ろ向きであるからです。ルアン様の苦し紛れのその案を――私が、打ち砕いてみせます」
それは僕にとっては宣戦布告のように聞こえました。現実の厳しさでお前の根性論をへし折ってやろうという冷徹さで、ベルは立ち上がり僕のことを見下ろします。
僕は苦笑いしながら口の端より息を漏らします。うん、こういう時のベルはちゃんと容赦しません。それに僕の気持ちを折るのが目的と宣言しているのですから、まぁ甘くはないでしょう。
僕はこれで話が決着するな、という予感に従ってハアトの意見も仰ぎました。
「……って感じになるんだけど、ハアトはどう?」
「どうっていわれても」
返ってきたのは淡白な反応。話聞いてた? と思わず聞き返そうとしたのですが続いて彼女がにんまりと笑いながら放った一言にそれが野暮だと知ります。
「にんげんのつごうはにんげんでつけたまえよ」
「……ぐうの音も出ませんね」
確かに僕としても犬とかから「どう?」って聞かれても「どうって言われても」となる気がします。いやこの例えは極端ですけれどつまりはこういうことで。
そうなれば後は返事一つ。僕は改めて深呼吸するまでもなく、出来る限り勇猛そうに見えるように胸を張りながらベルに向かって渾身の不敵な笑みを浮かべるのでした。
「それでいこう」
そうと決まれば話は早いものでした。
ベルを連れ帰るのは一旦延期。僕はハアトを引き連れて山へ。ベルは引き続き牧師さん夫婦の下でお世話に。ちなみに協会の惨状はハアトの魔法で回復したので何か言われる痕跡はありませんでしたが、帰り際に牧師さんには「喧嘩の音でしたか? 戦争でも始まったのかと」と言われました。まぁ気持ちは分からないでもないですが。
ベルのちゃんとした合流も、或いは僕のイルエル出立も――全てはハアトの一撃を避ける特訓、その結果に掛かることになりました。
「ルアン様、覚悟はいいですか」
「死なない程度でね」
話し合いから一夜明けて、その翌日。場所は我が家の裏。僕に特訓をつけると宣言せしめたベルの到来で、早速その一日目が始まろうとしていました。
「先に言っておきますが、ある程度荒事になることをお許しください」
後から言われても困るので、と付け加えながらベルはそう説明します。始まる前に脅して僕の心を折る算段でしょうか。だとしたらベル、意外と姑息な手を使うと見えます。
「具体的には」
「割と本気でルアン様を蹴り飛ばす可能性があります」
なるほど、姑息な脅しとしては現実味があって実に良いと思います。
「もちろん殴りもします。参考としては先日の教会での一撃」
「マジで言ってんの」
脅しか脅しじゃないかを別にしてもつい昨日貰った一撃の再来を宣言されて僕としても思わず聞き返さざるを得ません。顎にまだ痛みが残ってる気すらして気付けばさすっています。
「マジで言っていますが」
「昨日の僕がどうなったか覚えてるベル?」
「えぇ。血も出ていましたし片腕動かなくなっておりました」
「よくわかってるじゃん……」
別にここにきて怖気づいたわけではありませんが。
別にここにきて怖気づいたわけではありませんが。
だとしてもちょっと武者震いしてしまいます。なるほどなるほど。さすがに城での剣術指南でも吹っ飛ぶことはありませんでしたから、初めての特訓ということになります。なんせ城では仮にも王子でしたからね。こことは違って大切に扱われてきましたので。えぇ。
「もしかしてルアン様ビビっておられますか?」
「まさか!」
「さすがルアン様、結構な建前で」
「お粗末様」
「それで本音は」
「そりゃビビらされてるんだからビビらない方が失礼でしょ」
今から殴るよ蹴るよ血が出るよと言われれば普通はビビります。僕はここでビビらないほど実戦経験も積んでいなければ戦闘民族でもありません。敵が強ければ強いほどマジでテンション下がります。オラわくわくしねぇぞ!
「元とは言え王子様は礼儀がなってらっしゃいますね」
「そう言うベルはなってない時があるよね」
「王族だったことがありませんので」
「なら仕方ないね」
こういう事前問答を繰り返している間にもベルは軽くジャンプしたり獣人らしいしなやかな伸びをしたりなんかもう完全に臨戦態勢です。これはもう「やっぱり特訓辞めます」と言わない限り審判は近いと見えて、僕は覚悟を決めます。
「……よし。いいよ。僕にはこれしかない」
怪我に関しては既に満身創痍ですから今になって生傷が増えようが変わらないでしょう。最悪ほら、妻の愛(魔法)に縋ればいいわけですし。若干ルール違反な気がしなくもないですが。
ただ、他がどれだけ口先三寸の机上弁論だったとしても、『三人で仲良く暮らしたい』という想いだけは嘘ではありません。
僕は頬を叩いて気合を入れると、いよいよベルへ言い放ちました。
「よし、来――――」
来い! ……そう言い切る前に、僕はその空間から消えていました。
「では失礼して」
その囁きが耳に届くより前に僕の胴を捉えるベルの右足。弾かれるように繰り出された回し蹴り。僕が蹴られたことを痛覚するより一段早く振りぬかれるベルの長い黒足。瞬間、宙に浮いた僕は知覚すると同時に地面を転がっていました。
「あッ……か……!」
外傷というよりは内側へのダメージが大きくて、僕は大きな空気の塊を吐き出します。閃くような中段の回し蹴り。見えなかった……痛ぇ……せめて最後まで言わせて……。
「あぁ、聞き忘れていたのですが」
僕は呻きながら、始まった特訓に膝をつきながら立とうとしていると、姿勢正しくこちらを見下ろすベルが一つ、僕に尋ねました。
「ルアン様、その全身の怪我で――満足に動けますか?」
それはもう少し早く聞いて欲しかったと……あまりにも今更過ぎる問いに、僕は乾いた笑いしか漏れませんでした。口からまだ血が漏れる気配はないので、まぁ、ギリギリよしとします。
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