第66話 そういうものは、そういうもの
彼女の黒々とした――という言い方をするとなんだか女性に対してはとんでもない失礼を働いている気がするので、彼女の闇のような逆鱗を久しぶりに眺めているとあの日の記憶が蘇るようでした。蘇る、というほど昔のことでもないのですけれど。
僕が家の裏を探索しに行って、そこで藁の山で寝ているハアトを見つけて。首元に一枚だけある漆黒の鱗を見つけて思わず触れてしまって……それで、ハアトと出会って。
そんなことをふと思い返していると、牧師さんがついでに残していった言葉を思い出しました。
『そうですね。ハアトさんに逆に聞いても面白いかもしれませんよ?』
僕がハアトのことを好きだと肯定するための材料探しというか理由を探していた時に冗談交じりに出た一言でした。もう僕が自分なりの言葉でハアトの嫌いなの? を否定した今、特別聞く必要はないのですが……その、思い出すと妙に気になるのも事実でして。
前に若い近衛兵の一人が言っていた『意中の女子の気持ちを問い質す』ってのはこんな気分なのかと妙な気恥ずかしさを覚えながら、しかし表面上はなんでもない風を装って僕はハアトに尋ねてみます。
「ハアトさ」
「どうしたのやぶからドラゴンに」
「藪から出て来れるほど小さくないでしょ君たちの体躯」
ハアトが何を言いたかったのはいまいち判然としないところではありますが、しかし藪からドラゴンが突然飛び出して来たらびっくりするだろうことは想像がつきます。普通の人間ならまず間違いなく死を覚悟するでしょう。
「ハアトってなんで僕のこと好きなの?」
質問は直球にしてみました。相変わらず地面に仰向けになっている僕の視線と見下ろす黒いドラゴンの視線がぶつかります。見つめ合う二人、と語ると実に夫婦っぽい。構図的には被食者と捕食者なんですけどね。
「ふあんにかられてるの?」
「ハアトがそれ言う?」
「けんたいきか?」
「倦怠期になるほど時間が経ってないから僕は答えが出せなかったんだけどね」
でも確かに聞いている質問としては面倒くさいヤツだな僕は、と自分でも思わなくはないです。
「めんどくさいやつだなー」
ハアトにも思われていたようです。
しかしまぁ本気で面倒だとは思っていないのか、僕が「なんとなく気になってさ」と雑談であることを示すと、少し空を見上げてからまた僕を見下ろしました。
「そこにいたのがルアンさまだったから」
それだけでした。
その後には「だから?」みたいな顔が残っているだけで、いや、ドラゴンの表情なんて普通はよく分からないのですが、しかし僕にはそう言わんとしているように見えました。
具体的な何かを、確証的な何かを昨日まで探していた僕としてはそのよく分からない概念的な答えに呆気にとられます。
「運命を感じたみたいなこと?」
「うんめい? まぁそういうこともできる?」
「よくわかんないな……詳しく」
やはりロマンチストなのか、と思って聞きましたが微妙に違うようでしたので僕は詳細を求めるとハアトは当たり前にある自然の摂理を説くように語りました。
「ハアトのげきりんをさわったにんげんがルアンさまだったから、ルアンさまがすき!」
それは確かに、当然の答えでした。いや、最初から薄々知っていたことでもあります。ハアトは人間が好きで、僕が好きになったわけじゃないことは。今もそうなのかはわかりませんけど……それを確かめるためか、僕の口は次の質問を投げていました。
「じゃあ僕の必要なくない?」
「そういわれればそう」
「うっ」
つらいです。そこは否定して欲しかった……と割と深刻なダメージを負いそうになるのですが、ハアトの言葉が僕を呼び止めました。
「そうはならなかったじゃん。ハアトをみつけたのはルアンさまだった。だから、それでもよくない?」
「…………マジ?」
「まじ」
そんな解決アリかと思いましたが、しかしそこには妙な納得というか気持ちの良い諦めのようなものがありました。なんというか、男女ってのは異種族交流に似ているのかもしれません。そういうものはそういうものとする、みたいな。あの日逆鱗に触れた人間は僕で、ハアトは人間が好きだった。じゃあこれでいいじゃん。そう言うハアトに、僕はなんだかスケールの違いをまざまざと感じて急に自分が馬鹿らしくなりました。
「そうだね、そうだ。さすがハアトだよ」
「そう? よくわからんけどほめられるとうれしい!」
無理に理解しようとしないところも実にハアトらしいというか、僕ららしいというか。牧師さんの言っていたように、悩むようなことでもなかったんだなと痛感する次第でした。
「あー……僕も最初からそう考えればよかったのかぁ」
なんだか虚しさすら襲ってくる次第です。さっさと嫌いを否定して、好きかどうか分からないんだったらハアト自身に相談していれば良かったのかもしれません。いや、牧師さんとジョーくんとカルロスさんの言葉があったからこそ至れた境地なんですけど、その……遠回りした感がものすごくてですね。
「なに? ルアンさまハアトのどこすきかってはなし? いっしょにさがす?」
「そういう素直極まりないとこはすき」
「よくわかんないとこすきだね」
「逆に御社のアピールポイントは?」
「やまひとつけしとばせる」
「惚れるの難しいポイントだねそれは」
確かに男の子はカッコ良くて強いものが大好きでこの僕とて例外ではありませんが、それにしても嫁にそれを求めるかと言われれば別です。剣と同じ基準で妻を選ぶ夫はいません。
いずれにせよ、これで僕が先に進めるようになったのは事実でした。ハアトに謝って、仲直りをして次は――ベルとの仲直り。そのための、ハアトの習性の話でした。
「……ベルと仲直りするための作戦会議、再開してもいい?」
「またいやなことするならいや」
「大丈夫。もうこの問題に関してはハアトに勝手に触ったりしない。約束する」
それを強行したがために、今回の事態を引き起こしたと言っても過言ではないわけですし。同時に僕の脳裏に背中を押したカルロスさんが思い起こされます。……こんな情けなくてカッコ悪いヤツですが、ルアン・シクサ・ナシオン、男の意地まで捨てた覚えはありません。
「さきにきくけど、巣のなか、はいらないの?」
「……生憎動けなくて」
相変わらず被食者と捕食者の構図のまま進む会話にツッコむハアトでしたが、僕としてはどうしようもないので笑うしかありません。
「まほうでなおす?」
「……いや、やめとこう」
一瞬乗っかろうと思ったのですが、よく考えるとこの重傷を三人に見られている以上すぐ治っていたらどう考えても不審です。結果的に、僕らの話し合いは青空の下でこの構図のまま繰り広げられることになりました。
「まずハアトの習性だけど……」
「ドラゴンはみんなさわられるのきらいだとおもう。しらないけど」
「適当な保険を掛けなくても」
絶妙な無責任さはともかくとして、ドラゴンは触れられるのが嫌だから反撃してしまう。それで僕に大事があっては――とベルは恐れているわけで。
しかしもう、当たり前のことは当たり前として処理します。
「ハアトのその、触られるのきらいなのはどうしようもないね」
「たべたらうんこでてくるのといっしょだからね」
……例えがどうかと思いますが、しかしその通り。生理現象である以上、そして不快である以上もう彼女に負担はかけられません。問題はそこではなく、『だからどうするか』。
「…………」
「…………」
まぁ…………それがスッと出てくるなら困ってないんですけど。
ハアトとの仲直りや自分の好きを見つめ直していたばかりで、結局この二日の間に次の策は思い浮かんでいませんでした。ハアトが何か妙案を捻る雰囲気もありません。僕らの無策さを嗤うように青空にも雲一つありません。清々しいなぁ、残念な意味で。
挙句、ハアトは飽きたのか(彼女はそういうとこがあります)こんな言葉を吐く始末で。
「なやむのすきだよねルアンさま」
「別に好きじゃないんだけどさ……」
僕だって悩まずに済むなら悩まない方が楽です。僕の場合は普段から冴えているわけでもないので閃き頼みみたいなところありますし余計避けられるなら避けたいです。
「さっきなやみかいけつしたのにまたなやんでるじゃん」
「いやまぁそれはそういう状況だからさ……」
早く解決できるなら僕だってしたいです。それこそ『なんでハアトが好きなのか』なんて問題だってさっさとハアト自身と一緒に考えていれば――
「……そうか! そうしよう」
そこまで考えて、僕は閃きました。いや、これはむしろ閃いたというより当たり前のことに気付いた、という方が近いと言えるでしょう。
「よい……しょぉ……っ!」
「てつだうねー」
「あ、ありがと……」
思い付いたら早速行動、とばかりに立ち上がろうとするのですが満身創痍男子だけではよろめき、カッコ悪いことに嫁の尻尾に支えられます。こっちからは触らないようにしながらようやく立って、僕はハアトを見上げました。
「ハアト、村に行こう」
「なにかおもいついたの?」
「いや、何も思いつかないから村に行く。二人で考えても答えが出ないなら、三人で考えよう」
昨日までの僕なら、もしかすると『そんな解決策あるか』と自分で蓋をしていたかもしれませんが、今回の件で僕は吹っ切れたのかもしれません。そうです、何も彼女だけを除け者にする必要もないですし、結局は三人の問題ですから。
「ベルを迎えに行く。……ハアトは嫌?」
決意の後に、カッコつかないとわかりながらも確認をします。今仲直りをしなきゃいけない――つまり決裂しているのはこの二人なので。
言いながら振り向くと、そこには黒い巨大なドラゴンの姿はなくて、白い服を着た黒髪の少女がいました。赤い瞳は僕をじっと見つめると、むすっとしました。
「ベルがいやなこというならハアトはいや」
「大丈夫、言わせないから。ベルだってあの時は熱くなってただけ。……でも代わりに、ハアトもベルに嫌なこと言っちゃ駄目だよ」
「……どりょくはする」
「頼んだよ」
決して「うん」とは言わないところに彼女らしいわがままを感じますが、これで妥協することにします。僕は苦笑すると、ハアトを引き連れて山を下りました。
「だっせー! よろよろしてる!」
「ねぇルアン、このおはなみて!」
「ベルはー?」
「ごめんね、今僕ら急いでて……また遊ぼうね」
もう陽は傾き始めていて、僕は満身創痍の体を村の子たちにからかわれながら更に浜の方へ。子供がハアトに触れないように、足は止めません。
ベルが牧師さんとマリアさんのところにいることを知る僕は、まずはハアトを連れて教会の戸を開きました。理由は色々ありましたが……一番は『きっとベルは酒場の方にいるだろう』と確信できたからでした。
重苦しい扉を開いて、中へ。イルエルのどの建物よりも広い空間には長椅子いくつもと、まっすぐ先には教壇があり、光差すそこで牧師さんが何か作業をしていました。入ったのが初めてなハアトは興味津々で辺りを見回しています。
「これがきょうかい……ふーん……」
「おや?」
「あっ、たしか……ボクシサン!」
「ははは、こんにちはハアトさん」
気付いた牧師さんは立ち上がると、こちらに歩み寄ってきます。僕が一礼すると、牧師さんはいつもの調子で笑いました。相変わらずの察しの良さです。
「その様子だと、ハアトさんとはうまくいったようですね」
「お陰様で。……ベル、いま多分酒場で働いてますよね?」
僕がそう問いかけると、牧師さんは驚きながらもどこか楽しそうでした。
「よくわかりましたね」
「あいつ……ベルは不機嫌を仕事で誤魔化そうとするので」
「はははは、さすがですね。呼びますか?」
「よろしくお願いします。……あと、できれば出るまで教会には僕ら三人だけにしてください」
不自然なお願いだろうな、と我ながら思いますが人払いは必要でした。話し合う内容が内容なだけに聞かれる訳にはいきません。これがだめなら……と色々頭の中で策をめぐらしましたが。
「構いませんよ。では」
さすがというか、なんというか。
牧師さんは昨日の晩と同じように話せない事情を察した上で、酒場の方にベルを呼びに行ってくれました。……本当に助けられてばっかりだな僕。既に返しきれないほどの恩を負っている気がします。
――そして、しばらくすると。
教会の裏口かはたまた酒場への連絡路か、牧師さんが出ていったのと同じ扉が再び開きました。現れるのは黒い毛並みに少し張った耳と尻尾、そして青い瞳が鋭くこちらを見つめる犬の獣人。
「……ルアン様」
「ベル」
熱さと冷たさを同時に孕んだベルの言葉に、僕はまずは一言だけ応えました。
「迎えに来た」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます