第65話 少年、妻へ愛を語る

 これは夫婦……より兄弟などでよくあることだと聞きますけれど、喧嘩した後に引きこもるというイベントは得てして起こり得るものだと聞きます。世間的にはそういう時にはリズミカルにドアをノックして雪だるま作成のお誘いなんかをすると実にドラマチックな感じらしいですけれど。

 もちろんそういうイベントをやるための兄弟には僕は事欠かないわけです。なんせ喧嘩するにはうってつけのお兄ちゃんが五人もいるわけですから。ただ僕は末弟でハブられがちだったのでそんなイベントが起こらなかったわけです。思えば四兄さんか五兄さんとしか言い争いみたいなものをしたことがないですし、僕自身そんなに争いを好む性格ではないですし。


 さて、そんな僕も夫婦という対等な仲を得るに当たって初めてそういう引きこもった相手に呼びかけるイベントが発生したわけですが。


「…………どうしよう本当に」


『ハアト、僕だ! もう一回、ちゃんと仲直りしに来た!』なんてカッコつけて呼び掛けてからもうどのくらい経ったでしょうか。岩壁はうんともすんとも言わず僕は近くの木陰に腰を下ろして途方に暮れていました。いや、まだ暮れてはおらず日は高いんですが。こういうのを言葉狩りと言います。閑話休題。


「ハアトさーん?」


 半分投げやりに呼びかけてはみるものの当然のように無反応です。いやおかしいだろうよ、と僕も呆れながら自分に覆い被さる深緑を見上げる他ありませんでした。

 だってめっちゃいい雰囲気だったじゃないですか。夫が決意を新たにしてまた登ってきた場面じゃないですか。ここはテンポよくハアトが現れるとか既に待ってるとかそういう展開じゃないんですか。なんで何もないんですか。ご都合展開とかあるでしょうがよ。何の話だって感じですけど。


「……参ったな」


 意図せずして体を休めることになったのでそれはそれでゆるやかに楽しくないことはないのですが、それはそれ。今の僕にとってはハアトとどうやって話すか、そもそもハアトがどこにいるかが一番の問題になりました。

 さて、これだけ呼び掛けても反応がないところをみると巣の中にはいないと思えて、僕は彼女が行きそうなところに見当をつけようかと画策するのですが。


「……参ったな……」


 奇しくも先程と全く同じ台詞を吐くこととなってしまいました。よく考えたら僕、ここと僕の家以外でハアトと会っていないわけです。いや、海上で一度会っていますが、だとしてもハアトが行きそうな場所に見当がつくはずもありませんでした。……というかハアトがこの時間何してるかも知らないんですよ僕。


「……僕ハアトのこと何にも知らないなー」


 もう今更言うまでもないことを口にしてしまう程度には疲れているのかもしれません。ただまぁ、無理に知るつもりもないんですけど。知らなくていいこととか分からなくていいことが異種族の間にはある、そういうものです。

 しかし問題が何一つ解決していないのは事実で、僕は改めて万策尽きたと空を見上げた――ちょうど、その時。

 わずかな一瞬でしたが、大地が鳴動したような気がしました。


「っ!?」


 僕は怪我を押して慌てて立ち上がります。岩壁を中心に、一瞬だけど小さく震えた気がしました。足を投げ出して座っていたので感覚には間違いないと言えます。しかし景色は何の変化もなし。

 何だろうとも思ったのですが……なんとなく、勘が働きました。


「……ハアト?」


 一つの可能性です。今まで出掛けていたハアトが帰ってきたのではないでしょうか。巣にもう一つ出口があることは知っていますし、僕はそれを確かめるように再び大きな声で呼びかけてみました。


「ハアトーっ!」


 …………!

 また来ました。今度は更に微妙でしたが、間違いなく振動がありました。同時に気のせいかもしれませんが岩壁の方から風も吹いた気がします。ハアトが巣に戻ったのは間違いないと言えました。そしてハアトも僕に気付いたはずです。

 こうなれば、あとはハアトとどうやって話すかでした。

 ……しばらく待ってみましたが、反応がないところを見るとやはり前回から彼女の態度は変わらないようでした。いや、それが当然なんだろうと最後に見た表情を思い出しながら痛感します。

 それを否定するためにもまずは顔を突き合わさねばならないのですが、目下問題はどうやってハアトをおびき出すかでした。……言い方最悪だな我ながら。


「ハアトーっ、ここに人間がいるよー!」


 まずはハアトの好きな人間釣り作戦です。第三者から見れば何を当然のことを叫んでいるんだこいつはと思われかねませんが、ハアトも人間がいると分かればホイホイ出てくるはず! ルアン様賢い! もっと褒め称えられたいお年頃。 抱いて! 王位継承して! ……いやそれは遠慮しようかな。


「…………」


 ……………………。

 まぁ僕が人間なのはハアトもわかりきっていることなのでこれで出てきてくれるなら苦労はしないわけで。……真面目にやってない以上、僕としてもこれで出て来られたら反応に困る訳ですけど。

 相変わらず反応はないけれど、どこからか風を感じるような岩壁を前に、僕は大きく一つため息をつきます。こんなんやるから愛想を尽かれるのかもしれない、とか思いながら岩壁に背中を預けて座り込むことにしました。


「……ハアト、聞こえる?」

「…………」


 大声は出しませんでしたが、岩壁の向こう側の空間で何かが動いた気がしました。……ふざけるのはやめて、聞いてると信じて、僕は取り敢えず空を見上げます。


「まず最初に……ごめん。あの時すぐに首を横に振れなくて」


 昨日の最後のやりとり。ハアトのことが嫌いなのか、と問われた僕は自分の中で迷っていたこともあってその否定が出来ず、ハアトの不安を図らずも肯定する結果となってしまいました。まずはそれを、謝ること。それが僕とハアトの仲直りで最初にすべきことでした。

 彼女が聞いてると信じて、僕は自分の言葉で続けます。


「実は……あの時、僕情けないことに悩んでて」


 相変わらずカッコ悪いんだけどね、と苦笑しながら僕は話すことにしました。基本的に今までハアトには彼女が素直なこともあって、理由を話さず結論だけを話すことが多かったのですが、改めて思うとこうして洗いざらい話すのは初めてかも知れません。


「僕は……僕は、ハアトのことが嫌いじゃないんだ。うん。それは全体に言える。……でも、好きだとも言い切れなかった。牧師さんに相談したら、それはまだ『時間が足りない』んだってさ。愛は時間が培うんだって」


 好きだ愛だと一人で話しているのを僕が外から見ていればなんて青いヤツなんだと嗤うでしょうが、しかし僕はハアトにそういう類の不安を植え付けた以上、そういう類の言葉を吐く必要がありました。


「ドラゴン的にはどうなの?」


 僕ら人間とは圧倒的に時間の流れが違う上位種族に尋ねてみます。僕らにとってまだ付き合いが浅いと思えるのなら、ドラゴンにとっては一瞬なんじゃないかと思って。……反応はありませんが、まぁそれも良いかと思って話を続けます。


「でも僕は時間なんてものを頼れなかった。ハアトの不安を早く解消しなきゃいけなかったし……その、『三人で仲良く暮らす』って決めたから、ここで時間は使ってられなかった。ほら、僕ら人間すぐ死ぬからね?」


 ちょっと冗談めかしながら、背中越しにハアトの動きを探ります。ハアトとしてはこのタイミングで自分と対立するベルのことを持ち出されたくないかな、とか思ったのですが……相変わらず気配みたいなものは感じられません。僕が彼女の獲物だったらもう死んでるなぁ。良かった、ハアトの晩御飯が僕じゃなくて。


「だから、僕は牧師さんに貰ったアドバイスを実践することにした」


 ここで一つ息をつきながら僕は少しだけ声を大きくするため、息を吸いました。思い出すのは牧師さんから学んだこと。そうじゃないんなら、そうしてしまえばいい。僕は我が妻に宣言しました。


「――僕は、ハアトのことが好きだってことにする」


 改めて言葉にすると何を言ってんだ、って感じもしますけれどこうするって決めたんですしこうするしかないんですから……いや、こうしたいんですからこうします。


「好きな理由はこれから見つける。それこそ時間が解決してくれるかもしれないし。嫌いになることは絶対にないって言える。万物の父たるディエウと、この身に流れるロイアウム・ナシオンの血に誓って。……だから、僕はハアトが嫌いじゃなくて、好き。……なんだけど、どうかな……?」


 途中まではなんかいい感じだったはずなのですが、こういう言葉とか話ってどうやって締めたらいいのかわからず、結局いつもどおり腑抜けた感じになってしまいました。

 座って長々と話したせいか、岩壁に預けた体は動きづらくなっていて肩越しに振り返りながら尋ねてみます。……やっぱり反応はないかな――と。


「よくわからないものじゃなくて、よくわかるものにちかって」

「ハアト……!」


 これだけ語っておきながら今更ではありますが、ハアトが本当に聞いていたことを岩壁の向こうから聞こえてきた声に実感します。と同時に、不貞腐れたような拗ねたようなその声色で申されたことに「ツッコむとこそこか?」と思いつつも、言われたので従ってみます。


「えっと、そうだな……ハアトの逆鱗に誓って?」

「まぁよし」

「いいのか……」


 パッと思い浮かんだものに誓ってみたのですが、ハアトはそれで満足したようです。僕にとっては先述の誓いは命を懸けたに近いくらい重いやつなのですが……ドラゴンに人間の国家文化とか関係ないとかそういうことでしょうか。

 僕がその後を伺っていると、ハアトの声はもう一つの文句を言ってきました。


「……それで?」

「……えっ?」


 予想外の反応に僕も驚きました。

 ……えっ?

 いや、まさかこの流れで「それで?」と聞かれるとは思わないじゃないですか。ハアトが嫌いじゃないってことは答えたのに、その先に何があるんでしょうか。


「さっしはいいんじゃなかったの」

「えっ、今の僕そんなに察し悪い?」

「くそほど」

「マジか」


 女の子がクソとか言うんじゃありません、って言葉を返す気力もない断絶です。察しの良さには牧師さん並に自信があるのですが今の僕はクソ程察しが悪いらしいです。


「待って、えぇっと……おぉ……?」

「ぐず」


 この状況で僕が察するべきはなんだ? ハアトは何が言いたい? 夫婦って常にこんなのなの? 難易度高くない? ……そんな風に混乱していると、短いハアトの声が聞こえた瞬間に僕の体を支えていた岩壁が消し飛びました。当然僕の体は獣神に従って後ろに倒れ、後頭部と背中を強打。


「あだっ」


 仰向けに倒れた僕でしたが、自分を見降ろす黒いドラゴンがいることに気付きました。見つめ合って、なんだか気まずくなって、苦笑なんぞしてしまいます。


「……やぁ」

「やくそくして」

「えっ?」

「やくそくして!」

「あっ、うん!」


 他愛もない挨拶など早々に切り捨てて、ドラゴンは鼻息荒く僕にそう怒鳴ります。鱗に覆われた顔から放たれる少女の声には察するまでもない怒気が含まれていて僕は体勢もあって完全に気圧されてしまいます。


「……何を?」


 約束することには取り敢えず同意したのですが、その内容を尋ねればハアトは呆れて一つため息をついてから、怒気を孕んで続けました。


「もうハアトにいやなことしないってやくそくして」


 その言葉に、僕は声にならない納得を感じました。思えば当然でした。ハアトが僕の好意を疑ったのは、僕が彼女が嫌う接触を繰り返したからでした。


「………………えっと」


 僕はよく考えて、よく考えて、申し訳ないながらも正面からハアトを見つめながら答えました。


「それは……それは軽率に約束できない」

「どうして? ハアトがきらいだから?」

「違う」


 今度こそちゃんと否定して。


「ハアトが好きだからできない。僕とハアトは違う生き物だから、二人で暮らすためには僕も嫌なことしなきゃいけないし、ハアトだってそう。ベルもそうだ。……だから」


 僕は一旦は話を切ろうとしましたが、そこで切れば何の変りもないことを思い返して続けました。


「約束するのは、ハアトとベルのことを一番に考える。出来るだけ二人の嫌なことは避ける。避けられないなら一緒に考える。……これで、どうかな」


 言いながら思い出したのは、僕を送り出してくれたカルロスさんの言葉でした。そうです、僕はベルの主人でハアトの旦那。一家の大黒柱。例え僕より身長の高い獣人だろうが僕の数倍あるドラゴンだろうが僕が背負うんです。そう決めた。


「…………」


 赤い大きな眼が僕を睨み続けます。鱗同士がこすれるような音さえ聞こえそうな静寂を挟んで、ハアトは顔を上げてどこかを眺めながら鼻を鳴らしました。


「しゃーなし、ここはハアトがじょうほしてやろう」


 その声色はいつものハアトそのものでした。


「あはは……ありがと」

「にんげんはくだらないことかんがえるのすきだもんね」

「くだらない、ね……」


 物理的位置を換算したような上から目線ですが、僕はハアトが譲歩してくれたことで仲直りが出来たと解釈して笑うことができました。なんだか晴れやかな気持ちになった気がして、改めてハアトに謝ります。


「ごめんね、ハアト」

「ゆるす」

「ありがと」


 さすがドラゴン様、態度が寛大でいらっしゃいます。……いや本当に、ハアトは素直で器がでけぇなぁと思い知らされる気もしますけれど。体の大きさに比例する……訳じゃないはずですけどね。

 彼女を見上げる僕の目には、首元に宝石のように光る逆鱗がちょうど映っていました。

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