第67話 人と獣人とドラゴン、睨みあう

 ハアトがマリアさんを傷付けてベルとハアトが決裂した、あの日。

 ドラゴンを「災害」と称し、ベルが僕と共にハアトのいるこのイルエルという島を出ることを宣言しました。アレは人の手に負えるものじゃなくて、一緒に暮らせるものでもないのだと。……誰かが死んでからでは遅いのだと。

 そう言って、結局マリアさんを送ったまま帰ってきませんでした。その間に僕はイルエルを出るでもなくベルを排除するでもなく、三人で暮らすという自分の答えを見つけ……そして、その助力を得るために、ベルに会いに来たのですが。


「迎えに来た」


 そう告げた僕を、ベルは刹那じっと見つめていました。

 黒い毛並みはいつも以上に刺々しく思えて、青い瞳は一層ギラギラしているようでした。尻尾は逆立ってこそいませんが緊張しているようで、耳も揃えてこちらに集中しています。支給されたのでしょうか、マリアさんと同じ前掛け姿。

 意を決した僕の言葉でしたが、ベルから聞こえた返答は――全く予想外のものでした。


「私の方からお迎えに上がるつもりだったのですが」

「……えっ?」


 冷静そのものの表情で、少し軽い口調の彼女。決して冗談を言ってるようには見えず、驚かされるのは僕の方でした。ベルが迎えに? 家にいるのは僕の方なのに?

 出鼻をくじかれ、唖然としていた僕でしたが続けたベルの言葉でその真意を思い出します。


「まだ簡素な船も準備出来てませんので、今いらっしゃられても出立は出来ません」

「……!」


 思い出しました。そうです。一昨日から僕自身のことやハアトのことが頭を占めてこそいましたが、ベルはイルエルを出るつもりです。そして今の口ぶりから、彼女はここで準備をするつもりなのだと伺えます。思い当たると同時に、僕は否定の言葉を吐いていました。


「待って。待ってほしい。僕はそんなつもりで来たんじゃない」

「……はい?」


 あくまで威圧的ながら、否定した僕をじろりと改めて眺めるベル。この傷だらけ満身創痍の体が彼女の目にどう映ったか知りませんが、僕は立ったまま話し続けるほどこの場が短く収まるとも思っていません。牧師さんに頼んで人払いをしてもらったことを伝えつつ、僕らは教会の長椅子へ、ベルはさっきまで牧師さんが座っていた小椅子を引っ張り出して向かい合うように腰を下ろします。僕の場合は全身バッキバキなので座るのも一苦労なんですけれど。

 いつもならこんな風に座れば彼女との仲ですし雑談の一つでも挟むのですが、ここは毛も鱗もない肌を刺すような緊張のまま、本題でもって切り込んでいきます。


「僕は……僕は、イルエルを出るつもりはない」

「ではどうなさるつもりですか」


 正面から尋ねられ、僕は改めて宣言します。


「僕はこれからも三人で仲良く暮らしていきたい」


 あの日ベルが宣言した決断でも、触発されてハアトが叫んだ極論でもない、僕が辿り着きたい希望。それを初めて聞いたベルは束の間、まるで凍ったように無表情のまま僕を睨んでいました。


「…………まさか」


 次に口を開いた時、ベルの口からはその鋭い牙が露わとなっていました。


「まさか、まさかルアン様。私は貴方のことを頭は冴えると思っていたのですが、思い過ごしだったようです」


 冷たく厳しい口調。僕だってベルが「それは名案ですルアン様」と乗ってきてくれるとは思っていませんでしたが、続く現状の正論に打ちのめされました。


「マリアさんがどうなったかお忘れですか。貴方が今朝出てきた家の居間はどうでしたか。私は言ったはずです。ドラゴンは共に生きれるような存在ではないと。……さっきも現れた時目を疑いました。まさか、ハアトと共に現れるとは。先んじて村を壊滅させるおつもりですか?」


 怒涛に並べられましたが、何より閉口せざるを得なかったのはそれらが全て既出の事実でしかないということでした。マリアさんは殺されていてもおかしくなかった。僕だって何度も死にかけた。ここに来るまでだって、子供の一人がハアトに触れていたら間違いなく尋常じゃない騒ぎになっていたことでしょう。ドラゴンは、そういう生き物。嵐そのもの。この二日間、言及する人のいなかったその事実を改めて突きつけられて、僕はわかっていても怯んでしまいます。


「全身に包帯を巻いていて、座る時も呻き声をあげていたところを見ると恐らくそれもそのドラゴンの仕業でしょう。いい加減現実を見たらどうですか。それは妻にはなりませんよ」


 厳しい追及が過熱して、牙をむくベルの言葉も刺々しさを増します。そしてそれは、僕以上に神経を逆撫でされた者を迂闊に生む訳で。


「またいやなこといった! ベルがハアトのこと!」


 教会の床を踏み砕かんばかりの勢いで立ち上がり、ハアトが怒りにその赤い瞳を燃やします。まずい、と思った僕が待ったをかける前に彼女も咆哮。その可愛らしい少女の声がにわかにドラゴンの唸りを帯びます。


「ハアトにいやなことするなァッ!」

「そうやってすぐ怒る。怒鳴る。だから無理なの」

「ハアトがせっかくなかなおりを……ッ!」

「仲直りなんて結構。早くルアン様から離れて」


 お互いに鬱憤が溜まっているのか、無意味に過剰な罵り合いはお互いが立ち上がり睨みあい、そしてやはり先にハアトの方が耐えられなくなって。


「――やっぱりころす」

「……黙ってやられるつもりはない」


 ハアトの白い柔肌に黒い鱗の幻が浮かび。

 相対するベルも全身の毛が波打ち、尻尾が天を突き。


「おまえがいなければ、ぜんぶおわる」

「えぇ。あなたがいなければ私も出ていかずに済む」


 お互いを否定し続け、無闇に煽り続ける二人に対して僕は説得の声を上げ続けるのですが聞き入れてもらえる気配すらなく、この二日分をぶつけるように険悪さは増していきます。


「おまえなんか、にんげんじゃないくせに!」

「人型でもないトカゲがなにを」

「――ッ! ハアトと、ルアンさまは、『ふうふ』なんだぞ!」

「夫婦という繋がりでしかルアン様と一緒にいられないんでしょう?」

「――――ァッ!!」


 あの日の再開と言わんばかりに殺気がぶつかり、ハアトの咆哮を合図に二人が地を蹴り飛び出して――間違いなくただでは済まない、そう直感した瞬間、僕は気付けばその間に飛び出していました。


「やめて! そんなことをしに来たんじゃない!」


 ……正直を言えば、生きた心地はしませんでしたとも。声も震えていたことでしょう。絶対に僕には向けない表情を浮かべたまさに獣然としたベル。人間態であるにも関わらず間違いなくこれは人外だと思わされる殺気と覇気を纏ったハアト。

 ……鋭い痛みと共に目を開ければ、僕の両腕は二人によってわずかに切り裂かれていました。二人は静止こそしましたが、乱入した僕越しに睨みあい殺気は収めません。

 赤いドラゴンと青い獣人はお互いを瞬きもせずじぃっと見つめ合ったまま、言葉だけが僕を向きます。


「ルアンさまどいて。そいつころせない」

「邪魔です。お下がりください」


 わずかな切り傷とは言え、二人がつけたものは鋭い痛みを訴えています。そしてそれ以上に、二人が放つ殺気が僕を指し続けます。間違いなくここにいれば死ぬ。信頼のおける僕の生命の危機を叫ぶ虫のようなものが「逃げろ!」血を吹かんばかりに知らせて、足だって力を抜けば転がるような見えない力に駆られている、のですが――。


「…………っ!」


 僕は唇ごと歯を食いしばって、足をもう一度その場で打ち鳴らして、二人に制止の両手をむしろ近付けながら両側をにらみました。


「……下がらない。殺し合いもさせない」


 肌が痛みと緊張で熱いのに、骨の方から僕の体は冷気に支配されます。それでも下がるわけにはいきませんでした。

 それはカルロスさんの「お前が傷を負え」があったから……なんて言えれば良かったのかもしれませんが、そんな高尚な心意気じゃなくて、ただ、ここで僕が下がればきっと「三人で仲良く暮らす」は二度と無理だろうと直感したからでした。


「……ルアン様。このまま貫いてもよろしいのですが」

「だめだ。それに、ベルにはそんなことはできない」


 両方に気を張ったままそう言い返します。最早意地でしたが、確信もある意地でした。やろうと思えばやるでしょうが、やらせないつもりでした。つもりでしかないですが。


「ルアンさま、ハアトのいやなことしないっていった」

「言った。でも無駄な喧嘩は許さない」


 許さない、なんて大口を叩けるような強さは筋力的にも精神的にも持ち合わせていませんでしたが、今の僕にはこれを押し通すほかありませんでした。二人が強引な手段に出ている以上、僕も多少は強気になっていいはずです。

 僕の制止が功を奏したのか、或いはこの矮小な蛮勇に哀れみを覚えられたのか知りませんが少なくとも二人は動き出す気配を見せなかったので僕はそのまま続けました。


「下がって。僕らは話し合いをしに集まったんだよ」

「でもベルが」

「下がって。でもじゃない。殺し合いは話し合いの後でもいいでしょ」

「ルアン様、無理なことを話し合えと言われても時間の無駄で」

「じゃあ僕が匙を投げるまで待って。二人とも馬鹿じゃないんだから、言葉が交わせないわけじゃないでしょ!」


 なおも争おうとする二人をことごとく制止して、とにかく話し合いの席に着かせます。切り傷がヒリヒリと痛み顔が歪みますが、二人を睨めば『馬鹿』という軽い煽りが逆に良かったのか、獣人とドラゴンは不貞腐れながらも元の椅子に戻ります。

 いつまた激突するとも分からない二人に睨みを利かせるため立ち続けることにしますが、ともかく一旦は場が落ち着いたと僕が一息ついていると。


「……どうして」


 低く、しかし威圧ではなく困惑の表情を浮かべながらベルが僕を見上げていました。


「どうしてそのドラゴンにそこまで」

「……ッ!」

「待って。……待ってハアト。良い子だから聞いてて」


 自分を馬鹿にされたと思って再び立つハアトを後ろ手に抑えながら、僕はベルの言葉に向き合います。言葉こそ乱暴でしたが、言いたいことはわかりました。僕に暴力しかもたらさないような相手を、暴力の見返りに多大な報いがあるわけでもない彼女とどうして暮らそうとするのか。……うん、こうして改めて考えるまでもないですが普通に考えれば絶対に取らない選択肢に思えてきました。

 だとしても、僕は決めたことを、たとえ夢物語で理想論でわがままでしかないとしても、二人のようにそれを語ります。


「僕はハアトの旦那だから。ドラゴンの夫だから」

「でも口約束です。そんな義理は」

「義理っていうか……口約束だとしても、僕は約束した。ハアトのことは嫌いじゃないし、反故にするつもりはない」

「…………ルアン様らしい」

「どうも」


 これは完全に呆れられていますが、呆れられたとしてもそれが事実でした。流されているんだとしても、僕はそれに抗うつもりもないです。その意図を込めてベルの青い冷たい瞳を見据えます。


「私があの日話した内容覚えていますか」

「もちろん」


 僕は今試されていることをひしひしと感じながら、ベルの言葉を思い出します。


『言葉が通じてもあれはドラゴンです。人間のふりをしていてもあれはドラゴンです。人とは決して対等ではない、知っていても理解はできない、それがドラゴンです』

『悪気がないだけに質が悪い。そもそも人間じゃないのよあれは。そんなものと……そんな手に負えない怪物と、生活が成り立つわけがない』


 強い言葉ばかりですが、僕の脳裏にはあの惨状と共に空気感が、言葉が、焼き付けられたように耳の中に響いていました。それを僕が思い出すのを待つようにして、ベルは続けました。


「本当に、三人で暮らすつもりですか」

「うん。僕と、ハアトと、ベルで」

「ドラゴンですよ」

「わかってる。でも、家族だから」


 淡々とした問答が、僕を追い詰め確かめるような問答が短く交わされ続けます。


「隠し通せるんですか。彼女はドラゴンです」

「隠し通してみせる」

「いつか問題が必ず起きます」

「それは起きてから考えよう」


 我ながら楽観的過ぎます。僕の中の自信のない常識が「いやそれは無理やろ」と虚言や誇大広告を自分で否定したくしてきますが、だとしてもここは貫き通さねばならないのです。やるしかないんです。言うしか。


「生活は成り立つんですか」

「成り立たせる」

「その策はあるんですか」


 ずばりを聞かれて、僕は言葉に詰まります。三人で暮らすための解決策。きっといくつも乗り越える課題があって、その中の一番切迫したものをベルは改めて突き付けてきます。


「ドラゴンは触れられない。これを解決できるんですか」


 マリアさんを気絶させ、僕を満身創痍に追い込み、この状態を生み出した、その原因の問題を提起します。僕はそれに唾を飲みこみながら、意を決して腹を切りました。


「……まだ、ない。でもだから、ここに来た」

「…………は?」


 ベルが『全く理解できない』との表情を浮かべます。困惑を表情にしたらこういう形だろうというまでの。ですが僕は、呆れられることを前提で僕らがここに来た本音の目的を伝えました。


「ここに来るまでに、ハアトと考えたけど全然分からなかった。全く思いつかなかった。二人で行き詰ったから、もうこれは……三人で考えるしかないって思ったんだよ」

「ルアン様? それは……」

「だから」


 僕はベルに更に一歩詰め寄りながら、正面から本音をぶつけました。


「ベル。三人で仲良く暮らす方法、一緒に考えてくれないかな」


 それはカッコつけた「迎えに来た」よりずっと誠実な言葉で、本音も本音なので僕らしい軟弱な言い方にはなりました。

 ベルはその冷静な表情を更に涼やかにしばらく凍らせると。


「…………はぁ?」


 心底呆れたように、僕を鼻で笑うように腑抜けた声を教会の中に響かせたのでした。

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