第三章 変わる三人、変わらない三人

第50話 元・王子、青空の下でうんこする

 新しい朝。

 ……なんかそれっぽい感じの表現をしてみましたが何のことはなく、ただ僕が初めてドラゴンの巣で朝を迎えたってだけの話です。確かにハアトの存在が僕ら以外の人にも知れて初めて迎える朝ですからそう言う意味では世界が変わり始めて新しい朝とも言えるんでしょうけれども。

 ただ目を覚ました僕は全身が汗でびっしょびしょでした。暑かったのか? いいえ。暖かい季節ではありますが寝汗で背中がぐしょぐしょになるほどではありません。では何故か。


「死ぬかと思った……」


 冷や汗に他なりません。

 結局僕らはあの後、初夜的なことは致さずそのまま就寝と相成ったのですが、そこからが問題だったんです。

 まず寝息が激しいのなんのって。常に熊か何かが唸ってるんじゃないか、或いは神話に聞く冥界が巣に現界したのではないかと錯覚するほどの地を震わせる寝息でした。

 そしてその寝相です。えぇ、ハアトはきっと寝相が良い方なのでしょう。寝返りも少なく暴れることもありませんでした。でも。でもですよ。そもそもサイズが違うんですよ僕ら。僕は小屋の中で寝ていたんですが頭上を通り過ぎる強靭な翼やすぐ傍に振り下ろされる鋭利な爪を見るたびに恐怖で震えあがっていたわけです。久々にハアトに生命の危機を感じました。「ふうふなんだからよこにならんでねようよー」との提案を受け入れなくて本当に良かった。

 まぁそれでもしっかり熟睡できてしまった辺り、僕の順応性の高さに我ながら呆れるんですけれども。


「こんなに命の尊さを知る朝は久しぶりだなー……」


 ともあれ、目が覚めましたので活動開始です。小屋を出てみたものの巣穴はさして変わった様子もありません。海側は普段は開いていないのでただの行き止まり、唯一上を見上げれば地上部分から差す微かな日の光が見えるばかりです。……少なくとも日が昇ってることだけは確認できました。


「よく考えたら僕一人で帰れないんだよねここ」


 とても登る気にはなれない絶壁を前にしながら悲嘆に暮れていると、後ろで何が大きなものが動く気配。


「――――」

「おはようハアト」


 伏せるように寝ていたドラゴンが首を持ち上げていたので僕も挨拶を返します。ドラゴン語で何か言われたんでしょうけど生憎僕はまだその言語の解読には成功していませんので会話が成立したかどうかもわからないんですけれど。

 ドラゴンも寝ぼけることはあるようで、大きなあくびをした後だんだん覚醒しつつ目がふんわりと笑います。


「うぇへへ……あさごはんだぁ」

「寝起きから物騒なこと言うなぁ……朝ごはんじゃなくて愛しのルアンさまだよ」

「しってるー……ふひひ。ぎゅー……!」

「うわっ!?」


 彼女は嬉しそうに笑うと両手で僕を攫って胸に抱き締めるのでした。僕から触れることはできませんからされるがまま、全身を硬くて少しひんやりとした鱗が包みます。心地よい冷感とあんまり心地よくはない強さに微妙な思いを抱きつつも、しかしまぁ、寝起きのハアトが可愛らしかったので良しとします。

 そうすることしばらく。


「よし!」

「目が覚めた?」

「ばっちり! いまならまちひとつほろぼせるきがする」

「発言が物騒なんだよな」

「ジョークだよ」

「ブラックジョークにも程があると思う」


 それに実際にできそうなこととかやりかねないことはあまりブラックジョークとして成立しないと思います。


「えへへ、でもあさからにんげんがハアトのすにいるってさいこうだね」

「……そうなのかな?」

「そう!」


 個人的には『にんげん』って部分に昨夜に置いてきたもやもやを少し感じたりしたんですが彼女はもちろんそんなこと考えもせず、翼を伸ばして活動を始めます。


「ルアンさまあさごはんたべる?」

「生憎僕は朝ごはんなる文化に育ってないからなー」

「まじで? うえじにする?」

「死なない死なない」


 船乗りさんたちは朝からも食べるようですが僕は基本的に一日二食です。僕の知る限りこれがロイアウム王国の一般的な食生活だと思うんですけれど、種族が違えば勝手も違うんでしょうね。

 どうやらハアトは何か食べるらしく食料を積み上げてる辺りを眺めるのですが、僕は彼女が食事を始める前に声をかけます。


「ハアト、僕はそろそろ帰ろうかな」

「えぇーやだ」

「やだって言われましても」


 もう少し理知的な嫌がり方なかったんでしょうか。人間態だったら女の子らしくて可愛いね、になったのかもしれませんが今のハアトは生まれたままの姿。つまりドラゴンなので可愛くない……一般的には。僕のはあれです。愛着です。特殊性癖ではない。断じて。断じて。


「りゆうがないがいしゅつしんこくはみとめられないよ」

「聞いたことのあるような台詞を……」


 城でよく衛兵とか侍女に言われてましたよ、その台詞。活動的な一兄さんとか四兄さんとかが。僕ですか? 僕は基本インドア派なのでたまに連れ出される狩りとかで十分でした。


「ハアトといっしょにいるのいや?」

「嫌じゃないけど。でもベルの様子も気になるし、家に帰ってやることもあるし。仕事だってある」

「しごとをやめろ」

「急に闇を醸し出さないで」


 やめたいこともありますけど。でも所帯がバレてしまった以上やらなきゃいけないですし、それに最近ベルに色々と苦労の比重が偏っている気がするので駄目です。僕は社会の歯車。


「それにハアトだって急に帰ったりするじゃん」

「それをいわれるとしかたがない」


 さすが公平性にはうるさいドラゴン、普段とは逆で僕がそこを突くと頷いて認めました。


「ごめんなさい」


 ……認めただけだったようですが。


「謝ってほしいわけじゃなかったんだけどなぁ」

「じゃああやまらぬ! こびぬ! かえさぬ!」

「帰して」


 風格だけは立派なんですが言ってることは基本的に駄々をこねる子供と大差ありません。

 可愛いことはもう認めてしまいますがこのままだと一生巣に幽閉されかねないので僕はなんとか説得ののち、帰してもらうことに成功しました。……色々約束させられてしまいましたが、『結婚式』のワードを出せば素直になることを学びました。やられっぱなしのルアン・シクサ・ナシオンではありません。


「ただいま」


 太陽の位置から察して恐らく昼前。ハアトと巣を後にして僕は自宅への道なき道を下りていき、表から帰りました。ハアトの存在がバレた直後の大切な一晩をベル一人に任せてしまったのでてっきり迎えるのは犬の獣人の冷たい叱責だと思っていたのですが――


「よォ、朝から嫁とデートとは熱ィな坊主」

「カルロスさん、どうしてまた……」


 今のテーブルに座っていたのは筋肉ムキムキマッチョマンの漁師でした。ちなみにベルはというと僕とカルロスさんの会話に気付いて寝室の方から顔を出してきます。


「おはようございます、ルアン様」

「おはようベル……」

「カルロスさんはさっきいらっしゃいました。ルアン様に用だそうで」

「なるほど……大体わかった」


 困惑する僕にベルが簡単に説明してくれます。いや、あんまりわかってませんがともかくカルロスさんが僕に話があるのはわかりました。


「ン? 嫁はどうした? なんて言ったか……」

「ハアトです」

「そうそうそれ。あの小さい嬢ちゃんは?」


 一瞬何のことやらと思いましたが僕とカルロスさんの認識の違いにしまった、と思います。そうでした。普通夫婦は同じ家に同居しているものです。ましてや僕らは村はずれに住んでいるので他に家もありません。……巣です、と言えないし。


「山菜を採りに。僕だけ先に戻ってきたんです」

「山菜なァ。いい嫁じゃねェか、あァ?」

「あはは」


 最早平然と嘘で誤魔化しました。本物の嫁は今頃山菜なんて知ったことかと獣肉を生で貪っていることでしょう。故に薄い笑いしか返せません。

 これ以上掘り下げられても堪らないので今度は僕から尋ねることにしました。


「カルロスさんは何の用で?」

「あァ。今から飲みに行くぞ坊主」

「……今?」

「今。ほら、行くぞ」

「いやいやちょっと待ってください」


 突然過ぎやしませんか。

 カルロスさんは知りませんが僕は今朝帰りしたところで、最近ベルに任せっきりだった色々を手伝おうと思っていたんですが、それは許されないんでしょうか。いや、それ以外にも。


「あのカルロスさん、僕今日は仕事が」

「アドルフには話通してあるから、な」


 さすが村社会、手回しが容易。

 しかしベルのことがあるのは引き続きです。僕はカルロスさんを押し留めつつ、彼女の方を見てみます。無言のお伺いです。


「……構いませんよ。行かれては?」

「い、意外……」


 予想外にも短く冷淡な容認文言が帰ってきたので僕は呆気にとられます。てっきり嫌味を言われるものだと思っていましたが……うーん、相変わらずポーカーフェイスなので彼女の表情からは心情は察せません。顔だけならハアトの方が雄弁かも。


「引き留めて欲しかったんですか?」

「いやそんなことは」


 余計なことを口走ったらいつも通りの嫌味が返ってきました。それでこそベルって感じがしますけど、なんだかいつもと違うような気がするのも確かです。

 もしかして怒ってる? なんて聞こうかと思ったんですが、しかし速さに勝る海の男がそんな余地を許してくれるはずもなく、僕はいとも簡単に手を取られ引き摺られてしまいます。


「おら、嬢ちゃんも決めたんだし行くぞ坊主ゥ!」

「あっ待ってください! せめて、あの、トイレ」

「うんこならあっちでも出来る!」


 結局僕はそのまま便意を堪えつつ山を下り、カルロスさんに連れられたのは酒場でした。飲むんだから当然なんですけど、それにしても突然の拉致で未だに困惑している僕をベル(鳴る方)が軽やかに迎えてくれます。


「おやおやおや、いらっしゃい。今日は貸し切りですよ」


 相変わらずガラガラだな……とか思っていると奥から前掛けを付けた牧師さんが現れます。


「昼はいつもこんなんだけどなァ」

「はっはっは。余計なことばかり言うとあなたの酒だけ希釈しますよカルロス」


 相変わらずお二人は抜群の仲良しみたいです。しかし村を歩かされて僕の便意はもう限界でした。一緒に笑ってる気力もありません。必死です。しかし元とは言え王子、出来る限り平静を保ちます。


「あの、牧師さんトイレは」

「あぁ、トイレでしたら裏に」

「お借りしますっ!」


 場所さえ分かれば行動を起こすのみです。僕は放たれた矢が如く風を切って酒場を飛び出すとそのまま裏に回ります。ありました。戸のない屋根だけの納屋みたいなとこに置いてあります。颯爽と抱え地面にセット、流れるような動きで腰を下ろし一息。


「……間に合った」


 野外ですのでやや開放的ですが、しかし漏らすよりはマシです。しかし家のとは違うトイレだからでしょうか。少し勝手が違う気がして、ふとまたぐら越しに白い鉢の中を覗いて考えて……ようやく気付きます。


「そっか、棒がないんだ」


 思えば当然です。犬の獣人の小便用に設置された棒がないんです。だからいつも通り座った瞬間の接触事故もない。気付いた僕はなんだか妙な納得に頷きながら空を見上げます。うんこしながら青い空見上げてるとますます妙な開放感です。


「ベル、上手くやってるよなぁ……」


 不意にそんなことを思います。大きなくくりでは同じ人間ですが、獣人は別の種族です。彼女だって文化や性質の違いなどあるはずなんですが、僕よりも上手く生活している気がします。……それだけに、今朝の態度はなんだか不思議でしたけど。


「帰ったら話さないとなぁ……むんっ!」


 志新たに踏ん張ります。


 出ます。いや、堪えていたので座った瞬間に出始めていたんですが出し切ります。快便です。


「……ふぅ」


 便意からも解放され爽やかな風に平和を感じていたのですが牧師さんとカルロスさんを待たせていたことを思い出し、鉢の中をその辺にぶちまけると手近にあったもので尻を拭い去って酒場に戻ります。


「お待たせしました」

「遅かったなァ、何出してたんだ?」

「そんなに出すものの種類ないでしょ……そっちは何を?」

「私たちは見ての通り、酒と料理を出していました」


 再びベル(金属)が鳴って僕が戻るとそこにはカウンターに並べられたコップが三つと見目鮮やかな料理たち。見るからにおいしそうで、僕はカルロスさんに招かれるまま座席の一つに腰を下ろします。


「これは……?」

「おやおや、カルロスあなた言ってなくて連れてきたんですか?」

「あー……言い忘れてたな。がっはっはっは!」


 カルロスさんは豪快に笑いますが、牧師さんが頭を抱えます。酒場に一しきり高笑いが響くと、カルロスさんは自身の酒を手にしながら教えてくれました。


「今回は坊主の結婚祝いだな、ちょっと早いが!」

「まぁ軽い飲み会みたいなものです。既婚者だけの」

「本当はセドリックも誘ったんだけどなァ」

「なるほど、そういう……」


 つまりこれは僕が主賓ということなんでしょう。確かに今回のハアトのことがバレて僕もお二人と同じ村の既婚者に加わったわけです。それならまぁ、断り理由もないので僕も酒を手に取ります。僕もおいしい料理とお酒は嫌いではないですし。


「すみません、わざわざありがとうございます」

「いえいえ。私の時もしましたし、結局はカルロスが何かにつけて飲みたいだけですから」

「がっはっはっは! それ言われちゃ仕方ねェな。ほら、乾杯だ!」


 カルロスさんが酒を掲げ、僕と牧師さんもそれに続き、豪快な音頭と共にそれぞれのコップが勢いよくぶつかります。


「じゃあ坊主の今後に!」

「「今後に」」


 そのままグッとあおればブドウの爽やかな甘みが口の中で広がり、そのまま心地よい冷たさと共にのどを駆け下りていきます。うまい。さすが葡萄酒、間違いありません。僕はそのまま二人に勧められるがままに、料理にも手を伸ばすのでした。


 ――この裏で進行する、もう一つの目的には全く気付かずに。

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