第49話 期待と不安、相反する

「ただいまわがりょうちー!」


 彼女がそう嬉しそうに一声鳴けば真っ暗だった洞窟の中に謎の光源(魔法製)が浮かび上がり、見覚えのあるドラゴンの巣が照らし出されます。

 もう見覚えを感じちゃってる辺り僕も割とこの特異な空間に慣れてるのかも……と思ったのですが、


「――ッ!」

「うわぁっ」


 ハアトがドラゴン化した瞬間に巻き起こる暴風で床をペロリとしたところを見るとやはり慣れていないのかもしれません。床と言えど洞窟なので土くれの味しかしませんけど。うっすら獣臭い土味です。風味最悪。

 黒い巨竜になったハアトは首と翼をうーんと伸ばすと、晴れ晴れとした笑みを地に伏す僕に向けてくれました。


「ありのままのじぶんでいれるってさいこう」

「我慢してたもんね」

「ぐふふふふ」

「えっ、こわっ」


 意図するところはわかるのですが僕を一呑みにできるドラゴンが急に笑うもんですから本心を口に出してしまいます。しかもドラゴンって基本的に無表情なもんですからその不気味さたるや。

 ですが彼女は気を悪くすることもなく、声色から十分に伝わるくらい嬉しそうに続けます。


「けっこんしき、たのしみだね!」





 時は遡ることいくらか、僕らは牧師さんに連れられ不本意ながらも(少なくとも僕は不本意でした)村長さんとカルロスさんに会い夫婦仲の社会的成立を進められまして。


「……わかりました、それでお願いします」


 結局のところ僕は感謝祭と同時期の結婚式について認めたのでした。


「やったーっ! ――――ッ!」

「抑えてハアト! もう話し合い自体は終盤のはずだから! 決めた結婚式したいんだよね!?」

「したい!」

「じゃあ耐える!」

「ふんぬぅぅっ!」


 その開催を喜び思わず跳ね上がってそのまま飛翔! となる前に彼女の興奮を抑えます。嫁入り前の幼い少女がしていいとは思えない世紀末的な形相を見られた気もしますけど、そこはあれです。避けられない犠牲ってやつです。全てを救うことはできないんです。

 ともあれ、それで僕らを加えた結婚式の話はほとんどまとまりました。あとは感謝祭との兼ね合わせらしいので僕らの話、というよりは村の話になるそうです。

 僕らとして覚えておくのは『秋の感謝祭と共に結婚式』ということくらいでしょうか。それまでに生活を安定させるなり、交友を深めるなり――ということになりそうです。


「そうだ、ついでになんだが」


 これでハアトが興奮して村の中心でドラゴン大覚醒! を避けられる……そう安堵していた僕だったのですが、話題変わって村長さんが再びハアトについて切り出しました。


「ハアトさんも職を斡旋した方がいいだろうか?」

「ハアトがにんげんのしごと!?」

「……? 人間以外の仕事は出来ないだろう」

「はっ、ハアトが、にんげんの、しごと……!」

「待ってハアト、落ち着こう」


 村長さんから切り出された一言で過呼吸さながらになるハアトを僕はまた正面から鎮めます。


「ハアト、仕事は――」

「じんたいじっけん! みつりょう! あんさつ! やくぶつばいばい! ――ッ!」

「そんな邪悪な仕事はないから! 結婚式しないよ!」

「けっこんしきはしたいでござる」

「急に冷静になるなよ……びっくりした……ハアトには悪いけど仕事まではさせられない」

「なんでー!? ルアンさまハアトがにんげんみたいなことしたいってしってるくせに! いじわる? へっ、イルエッパリらしいぜ!」

「妙な罵倒やめて。ハアトには家のことを任せたいの。ほら、家内って言うじゃない?」

「せいさべつもんだい?」

「……その辺は家で話し合わせて」

「ふうふげんか? やるかー?」

「僕が勝てるわけないでしょ」


 僕から仕掛けてもハアトから仕掛けても一発で沈むこと請け合いです。僕が。

 ファイティングポーズの彼女が本気っぽい感じではないので背を向けます。落ち着けるというミッションは果たしたので、今度は村長さんへの説明です。


「……ということなので、ハアトの仕事は大丈夫です」

「性差別問題はいいのかい?」

「お構いなく」


 村の者との交流になればと思ったのだけどね――なんて村長さんの小言が聞こえてきた気がしますが、僕としてはそんなもの避けられる方が良いので申し訳ないですが聞かなかったことに。





 カルロスさん、村長さん、牧師さんはまだまだ話し合いがあったようなのですが、このままここにいるといつハアトが覚醒しないとも限らない。そう考えた僕は適当な理由を付けて離脱、そしてハアトとの事前の約束の通り今夜は巣でお泊り――と相成ったのでした。回想終わり。


「……ふぅ」


 ハアトが裸で畑に現れてからここまで、緊張しっぱなしというか精神的負荷がすごかったので思わずため息も漏れるというものです。王子様がこんなんですからお姫様の方はそりゃあもう自由奔放でして。


「ね、ねぇルアンさま……しょやはやさしくしてね」

「ドラゴンの状態で恥じられても」

「うまれたまんまのハアトだよ?」

「だろうけどさ」


 巣の中の人間小屋を覗き込むハアトは何故か残念そうですが残念なのはこっちの気分というか。せめて畑に現れた時の状態の方がまだそそるというもの。自身より十数倍デカい竜に勃つような性癖は生憎持ち合わせがないので。


「じゃあこっちのハアトだったら?」

「うぐ」


 僕の思考を読んだのでしょうか。ハアトは人間態(裸)になって小屋の中へ。思わず目を背けますが、えっとその、白く透き通った肌が脳裏に焼き付いたというかなんというかその。……えぇい、話題を逸らそう!


「じゃあハアト、仮に僕らに子供ができたとして……何が生まれてくるの?」

「えー……うーん」


 考え込むハアト。


「りゅうじんでは?」

「竜人ねぇ……」


 獣人の亜種的存在で、一応「人間」の枠に入る種族だと聞いていますが如何せんドラゴンよりも希少なので僕も見たことがありません。二足歩行する人型の竜……息子にしろ娘にしろちょっと怖い。何食うんですかね。


「あっ」

「なに? だいいちぶんめいのそんざいにきづいた?」

「いやそんなものには気付いてないけど」


 第一文明が口から出まかせなのかハアトの知識としてあるのか問い質したいところもありますが、裸の少女に迫られると色んなところが覚醒してしまいそうなのでやめます。


「ハアト、ご飯にしよう。家族だもの、一緒にご飯。どう?」

「いいね! ハアトもちょうどはらどけいがなりそうだったとこ!」

「便利な腹時計してるね」


 タイマー機能なんて僕のには実装されてませんけどね。

 僕はここに来る前にベルから渡された袋からパンを取り出して頂くとします。また熊をそのまま食わされるのはごめんですし。対するハアトは晩御飯は猪二頭。……二頭かぁ……すげぇなぁ……。

 当然なんですが、ハアトは食べるときに屈みますし小屋の壁は僕より高いので食べようとするとお互いに見えないことに気付きます。


「……」


 なんだか夫婦っぽくないかもなぁこれ。

 不意にそう思ってしまった僕は小屋を出ることにしました。パンと麻袋を手にハアトに向かい合うように手ごろな地べたへ座ります。


「どうしたの?」

「いや、よく食べるなぁって」

「せかいでいちばんたべるじしんある」

「大層な自信だこと」


 まぁでも食べないよりはいい気がします。食べる女性と食べない女性だったら僕は食べる方が好きです。ただまぁ、猪を腹からむしゃむしゃ食い千切るドラゴンはちょっと規格外な気もしますけど。お腹辺りの黒い鱗が返り血でてらてら光るのを見ると最早美しさすら感じますね。美しさで食欲は湧きませんが。


「ルアンさまこそちゃんとたべなきゃ」

「見ての通り食べてるよ」

「えー……そんなかすみみたいなものたべておなかふくらむ?」

「霞って……」


 むしろ種族的に霞を食べそうなのはそっちなんですけど、そう言えばハアトは基本的に肉を食ってるので、肉と比べればあんまりボリュームはないのかもしれません。……いややっぱそんなことないわ。穀物の集合体だぞこれ。


「にくくえ、にく」

「よく言われる」


 主に将軍とか、一番上の兄さんとかに。気持ち、懐かしいセリフです。そしてハアトは彼らもよくそうしたように、自身のまだ手を付けてない方の猪を爪に引っ掛けて僕に寄越します。


「はーい、あーん」

「人間はそのまま食べないってうわ臭っ」

「ハアトのことくさいっていった!?」

「猪の方だから安心して」

「じゃあ、あーん!」

「『じゃあ』じゃないんだって……っ!」


 このくだりはだいぶ前にしました。繰り返す必要はないですし今回は吐きたくもないですしベルの助けも見込めないので、ここは機転を利かせようと思います。


「わかった、わかった。食べるから。食べるから調理しよう」

「ちょうり? こざかしいにんげんだけがもつていぞくなぶんか?」

「いちいち発言に棘がある」


 本当に人間好きなんでしょうかこのドラゴン。


「でも逆に考えれば人間っぽいことの極致じゃない? こういうの好きでしょ、ハアト」

「すき! りょうりする!」

「ちょろいなー」


 本当に上位存在なんですかねこれ。それとも僕に『踊らされてる』ように演じてるだけなんでしょうか。後者だったら恐ろしいことこの上ないんですけれども。

 ともかく彼女が乗り気になってくれたので共同作業と洒落込みます。一頭丸々はさすがに食べきれないので小さめ(ドラゴン基準)に切り出して頂いてついでに皮を剥ぎます。


「さすがにこれでくえるでしょ」

「えぇ……生は勘弁したいから焼いてくれないかな」

「にんげんってすみがたべたいの?」

「炭まで行く前に加減してほしいですね。魔法で焼ける?」

「ドラゴンといえばほのおはくでしょ、おやすいごよーだぜ」


 頼もしい言葉と共に、ハアトは僕の分と何故か自分の食べかけも一緒に炙りだします。片方は皮ついてるので焼け方もまぁ違うのですが、僕の目測で適当な辺りを見計らい、いざ実食。


「……目の前にするとすごいな……」


 両手に抱えるような肉塊を前に少し怯みますが、覚悟を決めて食らいつけば熱々でうまい肉汁が飲み物かってくらい溢れ出し、歯ごたえのある猪肉は実に『肉食ってる』って気分にさせてくれます。控えめに言って最高です。

 以前から晩御飯はあまりガッツリは食べないんですが、夜に食う肉も悪くないな、と感じつつ僕と同じく焼いた猪肉を食らうドラゴンへ目を向けてみます。


「どうよ」

「てまかけただけあってうまい! あたらしい! にんげんまいにちこんなのくってんの?」

「毎日は食べないかな」


 しかしこう、猪丸々一匹貪ってるからか気持ちいほどの食べっぷりです。噛み千切って首を振り上げるたびに迸る血と肉汁。牙剥き出しなので怖いのが前提なんですが、それにしても惹き付けられる食べ方です。『うまそうに食う』とはまた違う方向性なんですけど、目を奪われるというか。目が離せないというか。

 彼女は瞬く間に一匹平らげると、そのまま二匹目へ。


「でもめんどくさいからそのままがいいかな」

「えぇ……人間の夫婦っぽい方がいいんじゃないの?」

「じゃあ……ルアンさまといっしょのときはやく! ……これならふうふっぽい?」

「まぁ、焼かないよりはね」

「やった!」


 何がやったなのかわかりませんが、ともかく彼女が喜んだので良しとしましょうか。

 一匹目と変わらない速度で二匹目も胃袋に収めた彼女は今日のことを振り返るように、にへへと笑います。


「けっこんしき……たのしみだね」

「そればっかりだね」

「えへへ~」


 ……改めて考えると、こんな巨躯のドラゴンを声だけは少女とは言え可愛いと感じる瞬間があるなんて僕はちょっとヤバいやつなのかもしれません。

 頭は家よりも高く。

 一口で納屋を飲み込めて、牙は剣より鋭く。

 翼を広げれば天を覆ってしまって。

 尻尾の一振りで木々を薙ぎ倒し。

 そして、人智の及ばない魔法を行使する世界最強の存在。

 彼女も僕も慣れたお陰で、恐怖や畏怖を感じることさえ少なくなっていることを考えると……もしかすると、悪くない組み合わせなんでしょうか。

 肉のおいしさからか、僕はいくらか自惚れてつい口を滑らせ彼女にこんなことを聞いてしまいます。


「ねぇ、ハアト。……ハアトって僕のこと好き?」


 後から思えば青過ぎて何を聞いてるんだと恥ずかしくなるような一言ですが、以前から聞きたかったのも事実です。なんせドラゴンとは言え、中身は可愛らしいですし、人間態はその、僕もたまにドキッとしてしまうくらいには美少女なので、そんな彼女がなぜ僕を選んだのかと思ったので口を滑らせたわけですけれど。

 僕は次の瞬間――ハアトが楽しそうに弾ませた返答を聞いて、質問したことを後悔しました。


「うん! ルアンさま、にんげんだから!」


 思い返せば、ただ僕が馬鹿なだけで。

 ハアトからすれば至極当然の返答なんですけれど。

 聞かなきゃ良かった。

 ……なんでこんなことを忘れていたんだろう、なんて思うくらいには。

 ハアトが僕と結婚したのは僕が逆鱗に触れたからで、彼女が僕を殺さなかったのは僕が人間だったからで。


「……そっかぁ。そうだよね」


 もし。

 もし――逆鱗に触れた人間が僕でなくても、ハアトはこうしてたんでしょうか。

 ハアトの存在が村の人に知られてしまった以上、彼女はこれから僕らだけと関わるわけにはいかず、つまり――僕は、唯一の人間の知り合いではなくなるわけで。

 そこでもし、彼女が――


「あっハアトうんちしたい」

「うんち!?」


 考え込んでいたところに飛び込んできたひどく間抜けな一言で僕は現実に引き戻され、思わず後退ります。庭で彼女が何の対策もせず出したときは人間態のサイズだったにも関わらず相当の匂いだったことは忘れられません。僕とベルが揃いも揃って昏倒したのは記憶に新しい。


「もう出る」

「まだ出ないで!」


 そんなものをドラゴンの状態で出されたら死ぬ!

 僕はさっきまで抱いていた一抹の寂しさや不安をなかったことにすると、嫁の下の世話を考えるのでした。

 これ以上余計なことを考えるのを阻止してくれた、ドラゴンの嫁に感謝しながら。


「炎と風使って!」

「間に合わないかも……!」

「間に合わせて! 結婚式しないよ!?」

「かんけいないでしょぉぉぉぉぉ!」

「せめて風使っ――うわああああああああっ!」


 ただまぁ――もし、僕以外の誰かが彼女と結婚することになったら、トイレの度に猪の死骸と共に宙を舞うのは大変だと教えようと思います。……なんて。

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