第51話 夫三人会、その裏で
お酒の力というのは確かに存在します。
言葉の響きとしては魔法と大差ないくらいふわっとした概念ですがしかし魔法以上に知名度も説得力も実在性もある力です。
身に覚えのある方も少なくないのではないでしょうか。お酒が体に入るとなんだか愉快になりますしお陰で口は回らないのに軽くなり、その状態で頭は回ってないなんてもんですから要するに脳直発言が増えます。
もちろんそうではない場合も人によりけりですが、しかし男同士の飲み会ともなるともう話は別です。これも人には寄りますが男なんてのは大概普段から脳直発言ですから、それがお酒で愉快になったとなれば。
「結局昨晩はお楽しみだったんですかルアンさん?」
こういう話題に及ぶわけです。城にいた頃近衛たちと話していたのと雰囲気は全く一緒です。男はどこの男も変わんないなぁ。
相変わらず不審な笑みを浮かべながらそう尋ねる牧師さんに僕は苦笑いする他ありません。
「あなた聖職者じゃないんですか」
「生命の誕生は神に祝福されるべきものなので何とも」
「物は言いようですね」
「いやはや。それにここにいるのは牧師ウィリアムではなく、一人の夫としてのウィリアムです」
のらりくらりと躱されます。しかも嘘はついていないのでこちらとしてはやはり苦笑いです。
「僕のこと『口が達者』って言いますけど牧師さんも相当ですよね」
「はっはっは。そこまでではないですよ」
……なんだか言外に笑われたような気もしますがそんな様子は見せる素振りもなくまた葡萄酒で軽く喉を潤わせると再び下世話な笑みを浮かべます。
「で?」
「『で?』じゃなくてですね」
繰り返しです。本当に気になるんですねこの人。
もちろん僕としては何も話すものはない(昨夜と言えば僕が少し傷心になったくらい)ので、これ以上は続けられないと判断し料理に手を伸ばします。
「ではこの肉を……」
「あっ逃げましたね」
なんか言われた気がしますが無視しましょう。
僕が手を伸ばしたのは鍋の中に入った煮込み料理でした。小鍋の中にごろごろとお肉が転がっているのは大変食欲をそそられる光景でして。
手近なナイフでパンを平たく切り出し、鍋にかけてあった大きなさじでパンの上にうまく肉を転がします。一緒に煮込まれていた野菜のうまみが十分に溶けだしている白いスープがパンに染みて実に良い感じです。
行儀など考えず大きく一口。途端に柔らかい肉とスープの染みたパンと、二つの触感から同時にじゅわっとうまみが溢れ出してきます。ごろっとした肉はその見た目に反してよく煮込んだのかとろとろとほぐれ、お酒のような香りもしていい具合。
「うわっ、おいしい」
僕が思わず感想を漏らすと対面のカルロスさんが自身も頬張りながら同意の声を高らかにあげてくれます。
「うめェよなァ、こいつの得意料理だぜ」
「『うさぎを良い感じに酒と野菜で煮込んだやつ』です」
料理名だけはどうかと思わなくもないですが、なるほど確かに『良い感じに煮込んである』ので事実です。嘘はありません。
そして何よりスープの染みたパンのうまいことうまいこと。スープに限りませんが、こう、例えば肉料理のたれを付けたパンって普段のパンより遥かにおいしくなる気がします。パン命のアドルフさんに言ったらなんて言われるかわかったもんじゃないですけれど。
「あっ、ところで」
少し脂っぽくなった口内を葡萄酒ですっきりさせながら思いが及んだついでに二人へ聞いてみます。純粋な疑問です。
「アドルフさんって奥さんは……?」
「いねェよあれは! つーかアレは独り身が正解だからなァ! がっはっは!」
そう言えばアドルフさんもお二人とそう変わらないはず、と思って尋ねてみたら豪快に笑い飛ばされてしまいました。確かに仕事中女性の姿こそ見えませんでしたが、パン屋という村の中心人物なのですから貰い手というか嫁には困らないと僕は思っていたのですがどうやら違うようです。
少し驚いていると爆笑するカルロスさんの言葉をフォローするように牧師さんが教えてくれます。
「ほら、アドルフはパン命ですから。本人曰く嫁は要らないんだそうですよ。パンが嫁なんですって」
「えぇ……」
これには困惑を隠せません。一番困惑したのは『まぁアドルフさんなら確かにそうかも』と納得してしまった自分にです。第一印象がパンに話しかけてるやべぇ人なので、パンが嫁と言われても納得できる気がします。同じ職場で働いてますからそのご執心ぶりは存じ上げておりますし。
「まァアイツは元々女ッ気のあるタイプじゃねェしなァ」
「今だってパン関係ないとあまり人付き合いの多い方ではありませんしね」
「そうだなァ……むしろお前はどうなんだ、王子様?」
「えっ僕ですか? あっ」
二人がアドルフさんの話になったのでまたパンとウサギを食べていると急に矛先が向いたので思わず驚いてパンの上からうさぎが逃げ出してしまいました。肉片になってもすばしっこいやつ、と思いつつテーブルの上のそいつを口に改めて放ります。
「いや、僕にはハアトが……」
「そうじゃなくてよォ」
対するカルロスさんはもう何度目の杯を飲み干しながら前のめりに僕を睨むのでした。
「王子様って女遊びするもんじゃねェのか?」
「おやおや、それでしたら私も興味がありますよ」
「誤解です……してませんよそんな」
幸いここには僕が元王子ということを知る人間しかいないのでそのことについては安心なのですが、しかし残念ながら僕は女性が身近にいても女遊びが激しかったタイプではありません。そういうのは一兄さんの領分で……ともかく王子だからといってするもんでもありません、女遊び。それに僕第六王子ですからね。優先順位がありとあらゆる意味で低い。
「いや坊主、ここは正直に話すべきだ」
僕がそう説明するのですが生憎聞き入れてはもらえません。カルロスさんはさらに勢いづきます。
「イルエルは狭い村だからなァ、嫁さんに隠し事はできねェぞ」
「ははは、カルロスが言うと説得力が違いますね」
「うるせェ」
僕を脅すように語っていたカルロスさんでしたが牧師さんの横槍によって急激に弱体化、酒をまた煽りながら天井を眺めつつ愚痴を零します。
「なァんで俺が飲み代ツケてんの嫁さんにバレるかなァ……」
「マリアが口を滑らせてるんでしょうね、きっと」
「マリアなら強く言えねェのわかってるからさすがオレの嫁だぜ、がっはっはっは!」
いやぁ参った、と言うカルロスさん。ピッチャーというにはあまりにもな酒樽を脇に置いてそのから掬って酒を飲んでるのですから普段の飲みっぷりも察せるというものです。僕はむしろお嫁さんの方に同情しますが、しかし牧師さんはむしろ僕の方に同情しているようで。
「でも気を付けた方がいいのは事実ですよ。妻たちは瞬く間に情報網を構築しますからね……我々夫たちで集まっているのもその対策というか対抗策みたいなとこがあります」
「あぁ……なんとなくわかります」
神妙に語る牧師さんに深々と頷いてしまいます。僕はイルエルの情報網にこそ詳しくはありませんが、城でも似たようなことはありました。女性の情報網というのは風より速いもので、侍女たちに「秘密でお願いします」と昼に言ったことが夕方にはベルの口から飛び出すなんてことが多々ありました。お二人の話を聞く限りそれは城でも村でも変わらないようです。
「今じゃァすっかり飲み仲間だがなァこっちは」
「それ機能してないのでは……?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
素朴な疑問を口にした僕へ牧師さんはそれっぽく首を振ってみせます。僕としては今のところ『酒うめぇ』『うさぎとパンうめぇ』『奥さん怖ぇ』しか記憶がないのですが、果たしてこれまでの中に我々が女性陣に対して団結できている内容があったのか……そう考えていると、牧師さんの口からは意外な言葉が飛び出します。
「我々も彼女らと同じようにこうして集まっていますし」
「……えっと、それは?」
なんでもない、改めて確認するような口調でしたがその言葉の端というか中に僕はわずかに嫌な予感を覚えます。あぁ、よくない。よくありません。僕の場合嫌な予感に限って――
「えぇ。今頃マリアも楽しいお茶会中じゃないかと」
……当たるんです。
まだ核心には至っていませんが確信しました。同時に口の中のうまみが一気に薄れ多量のお酒で火照っていた背中を冷たいものが滑り落ちます。
待ってください、お茶会?
僕が凍り付いて静かに焦り始めるのを知ってか知らずか、牧師さんは続けます。
「先に集まることにしたのはあちらなんですがね。私もそれを聞いて、ならばルアンさんを連れ出すついでに夫飲み会もしようじゃないかと」
「そうだな、普段の嫁さんの愚痴とかよォ」
「おっと? 私は妻に愚痴なんてそんな」
「オイオイ、ウィリアムそりゃ卑怯だろ」
「ふふふ、確かカルロスさんの奥さんは今回不参加で家でしたね? 今から行きますか?」
「行かねェよ!」
お二人が和気あいあいとしていますが、生憎今の僕にはそこに加われるほどの愉快さを持ち合わせていませんでした。
僕を連れ出して、マリアさんはお茶会?
そしてそれが妻の集まりということは相手はすなわち。
「あの、牧師さん!」
「おやおや、どうしました?」
もう既に分かりきっていることでしたが、だからこそ僕の中には一つどうしても牧師さんに尋ねなければならないことが生まれました。
それは、村人とハアトが接する上で恐らく最も気を付けるべきこと。
「『ハアトには触っちゃいけない』ってマリアさんに教えました……?」
牧師さんが考え込んで、僕にはずっと長く思える沈黙が続きます。カルロスさんが軽く『そう言えばそんなだったなァ』と酒を飲んでからしばらくして。
「……すみません。忘れていました」
「そうですか……ごめんなさいっ!」
牧師さんの申し訳なさそうな苦笑いを認め、同時に僕は立ち上がっていました。料理や酒樽を倒さないように席を立って、二人へ頭を下げます。
「ちょっと僕、様子見てきますっ! あの、追いかけて来なくて大丈夫なので!」
突然のことで驚いたであろう二人の返答は待ちません。きっとお二人ならわかってくれるだろうと淡い信頼を寄せつつ、僕は酒場を飛び出しました。
「マリアさん……っ!」
村の中を流れる川や水場には最大限気を付けつつ、お酒のせいで少し転びそうになるのを立て直しながら山の上を睨みます。黒い巨大なドラゴンも家も見えず、木しか見えませんが……果たして。
「ベル、上手くやっててくれ……!」
もう家に残した従者に祈るほかはありません。
一番理想なのは、ハアトが家に来ていないことです。その場合何故妻である彼女が家にいないのかと問われることでしょうが、マリアさんと黒いドラゴンの接触だけは避けられます。むしろ僕としてはそれを望みたい。
そうでなかった場合。
マリアさんとハアトが出会っていた場合、すべてはベルのフォローに掛かっています。ハアトを嫌っているベルがどう立ち回るのか……。
「くそっ、こんな肝心な時に僕がいないなんて……っ!」
村を駆け、山道を抜けて、林の中を走ります。見えてくる我が家。大破はしておらず、やはりドラゴンの姿もなし。庭には相変わらず死んだ井戸と耕した畑。良かった、きっとベルはうまくやったんだ。僕はそう安堵しつつ、玄関を開いて、
「…………これは」
絶句しました。
扉を開いて、すぐの居間。我が家の象徴的な大きな机と収納機構を擁した長椅子が、破壊されていました。
長椅子は大風に煽られたように壁に打ちつけられ。
机は稲妻に撃たれたように真っ二つに砕けていました。
床にはおそらく並べられていたであろう料理の残骸が。
血は見当たらないので最悪でこそないですが、しかしここで恐れていたことの何かが起きたことは容易に想像できました。
そして今、ここには当事者であるはずの女性陣は誰もいません。そのことに気付いて僕は声をあげました。
「誰かいないっ!? ベル! ハアト! マリアさん!」
「ルアン様、ですか」
「ベル!」
僕の声に気付いて、応答があります。冷え切った、無機質なベルの声。僕の前でも滅多に出さないような声色にただごとでないことを改めて痛感しながら、声がした寝室に駆け込むとそこでベルはベッドの傍らで立ち尽くしていました。僕とベッドの間に立つようにしてこちらには背を向け、尻尾は張りつめたように立っています。
「ベル……!」
「……幸い無事です。アレは帰しました」
低い声で振り返ったベルの表情は、いつも通りの無表情。特に目立った外傷もありません。……いいえ、違いました。同じ無表情でもそれは怒りを帯びた無表情でした。青い切れ長の瞳が僕を射殺さんばかりに睨み、しかし対比するように淡々とした口調で、短く、一言。
「後で、お話があります」
そう言って僕を躱して居間へと戻る彼女。
同時に背の高い彼女が去ったことで開けた僕の視界には。
――ベッドに横たわる、マリアさんの姿が飛び込んできました。
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