第48話 夫婦、奇声と奇行で踏ん張る

「君のいない間に大体の日程というか、そういうものは目途が立ったんだが」

「……なんですって?」


 覚悟を決めてハアトと共に戻った僕を待っていたのは村長さんのその言葉でした。これはさすがの僕と言えど予想外と言わざるを得ません。

 ハアトがドラゴン化をしないように釘を刺して戻れば当人たちがいない(強調しておきますが当人たち「だけ」がいませんでした)間に話が進んでいるとは。


「お節介だとは思ったんだけどね」

「現時点で否定は出来ないですね」


 見張りの意味も含めてさっきまで僕の隣にハアトを待機させながら僕は苦笑いします。お節介というか親切なイルエルの方々ですから良心から来るものだと承知はしていますが、それにしても苦いものは苦いですので。


「おやおや、これは失礼しました」


 僕の表情を見て牧師さんが申し訳なさそうに会釈します。


「ですが目途が立ったとは言え、お二人ともイルエルのやり方をご存知ないのでいずれにせよ説明が必要ですので、ご安心を」


 それもそうですし、そう考えると僕らがいたところで結局ほとんど決めて頂くことになるんでしょう。僕はその言葉に流されて牧師さんの説明に耳を傾けます。


「では祭事に関しては私の管轄なので私から。大まかな流れですけど、まずは挨拶回りですね」

「僕とハアトで『今度結婚するのでよろしくお願いします』みたいな挨拶をして回る……ということですか?」

「さすがルアンさん、儀礼に関しては通じてらっしゃる」


 とんだ皮肉です。牧師さんはお肉も皮肉もお好きなようで。或いは純粋な褒め言葉なのかもしれませんけど。


「挨拶からは少し期間を置きます。公示期間――まぁ、所謂いわゆる異議申し立て猶予ですね」

「異議申し立て猶予、ですか?」


 ここで何故か反応したのがベルです。

 クールな彼女が澄ましたまま尋ねると、牧師さんは気前よく答えます。


「その期間に異議申し立てがあった場合、婚約は破棄されると?」

「正当な理由が認められた場合は、ですね。代表的な例としては濃過ぎる近親婚ですとか。ですがご安心を。今までイルエルで異議申し立てが行われたことはないそうですし、ましてやルアンさんとハアトさんの外から来た二人ですからまず大丈夫でしょう」

「なるほど……」


 はっはっは、と軽く笑う牧師さんをよそにベルは何やら考え込むようにこちらを睨みます。若干立ち上がった尻尾と耳からその思考を若干読めますが……『相手がドラゴン』だったら異議になる、とか考えていそうです。いやそもそもあなたはその秘密を隠匿する側でしょうよ。

 しかし前々から彼女が僕らの婚約を快く思っていないのも事実で、それが嫉妬や嫌悪より僕を思ってのことだということがより現実味を帯びさせるのですが、牧師さんはそんなこと知る由もありません。


「異議がないまま期間を終えれば無事教会で式を挙げることになりますね」

「しき! けっこんしき!」

「えぇ、結婚式です」


 式、というたった一つの名詞に飛び上がる純粋な人間だいすきハアトちゃん。歓声をあげて身をぷるぷる震わせるも、僕がサッと視線を送ると、


「……っ!」


 だいじょうぶわすれてないよ、と言わんばかりに口をつぐんでこちらに何度も頷きます。手も口もぎゅっと結んだ姿は大変可愛らしいのですが、果たしてそれで興奮が抑えられるのかは甚だ疑問です。それとも声出さなきゃいいんでしょうか。分かりませんが牧師さんの説明は続きます。


「式と言っても簡単なものですけれどね。具体的な次第は色々ありますが、誓いの言葉と指輪の交換がほとんどになります」

「ゆ、ゆびわ……! はわわ……」


 ぎゅっと結んでいた手も口も開いてしまってわなわな震えるハアトに僕も若干「はわわ……」となります。もちろん彼女とは別の意味です。指輪なんて結婚の象徴みたいなものですし、ドラゴンは装飾に縁なさそうですし。現に今の人間態ハアトにはアクセサリー的なものは首元の逆鱗以外に見当たりません。……待てよ?


「……っ!?」


 何事かと思われたかもしれませんが、ここに来てルアン・シクサ・ナシオン、痛恨のミスに気付きます。そうです、逆鱗です。顎の下近くに位置する宝石のように黒い一枚の鱗。

 僕らは彼女がドラゴンであることを隠さねばなりません。

 つまり――人に非ざる証拠たる逆鱗を見られる訳にはいかないのです。


「……! ……!」


 畜生なんてこった! どうして僕はこんな見落としを!

 慌てます。無言で慌てます。焦ります。水面下で焦ります。しかし言い訳をさせて頂くならば、ここまで気付かなかったのも仕方ないですしここに来てピンチになったのも仕方ないと言えます。

 というのも、位置しているのは顎の下。本来のドラゴンの姿ならまだしも、今のハアトは幼い少女の姿です。男性にしては若干(本当に若干ですが)身長の低めの僕と比べても頭一つ以上小さい彼女がこのイルエルにおいて下から見上げられることなどほとんどないのです。子供たちならわかりませんが、だからこそ全裸になったとしても気付かれなかったわけで。


 しかし、今の状況では違います。

 僕も含めた村人四人が座っていて、ハアトは立っているんです。つまり、微妙にですが見上げる形。となれば、不意に見えてしまう可能性もある訳です。現に僕が見えてます。


「大丈夫……かな……?」


 思わず小さく漏れてしまう心配。考えた末の結論です。つまり僕はこれから『ハアトがドラゴン化するかもしれない』『ハアトの逆鱗が見えるかもしれない』という二つの危機に瀕することになります。控えめに言って泣きそう。

 新郎の心労が静かに追加される中、わなわな震える少女は牧師さんに恐る恐る、しかし興奮をにわかに帯びながら尋ねます。


「ゆ、ゆびわって……ゆびにはめるわっか……!?」

「えぇ。そうでしょうね」

「なんてことだ……!」


 そのまんまのことを聞いてどうするんでしょうかこの上位存在。たまに本当に我々人類より賢いのか疑問になります。牧師さんはそんなハアトが微笑ましいのか、丁寧に説明を重ねてくれます。


「それなりに時間がかかるので発注は早めになりますが、鍛冶屋のガスパールさんに頼んで世界で一つのものを作ることになるかと」

「せっ、せかいでひとつ! ひゃぁ……――――ッ!」


 まずいっ!

 ハアトの悲鳴が咆哮に近い高音域に達した僕は慌てて立ち上がって彼女の目を覗きこみます。


「気をしっかりハアト! 結婚式したいんだよね!?」

「しっ、したいぃぃぃ……!」


 とても可愛いとは言い難い形相で興奮を抑えるハアト。指輪という人間らしいアクセサリーと唯一無二性に苦しんでいるようなので僕はそれを諭します。


「大丈夫、世界で一つじゃないから! 僕も同じの持つから! ね!」

「ゆ、ゆいいつむにじゃない……? げんてんにしてちょうてんでない……?」


 後ろ半分何の話だかさっぱりですが落ち着いてきたので僕は大切に肯定します。というのも村長さんたちからの奇異の目が既にだいぶ痛いからです。


「そう、唯一無二じゃない。僕と同じ。いいね?」


 僕が繰り返し頷くのを真似するように、彼女も呼吸を落ち着けながら僕の目を見て自分に言い聞かせます。


「ルアンさまとおなじ……ルアンさまとおそろい……? おそろいのゆびわ……! ――――ッ!!」

「ハアトぉぉぉぉぉぉ!」


 瞬く間に逆戻りです。思わず僕もその名を叫んでしまいます。もう後ろの三人の視線なんて知ったことじゃねぇや。

 自分に言い聞かせる言葉で更に興奮してしまうなんてドラゴンにあるまじき可哀想さですが、そんなこと言ってる場合じゃないので彼女にだけ聞こえるように脅しを含めて迫ります。


「ドラゴンになったら結婚式出来ないよ! いいの!?」

「んひぎぃぃぃぃぃ……ッ!」


 めちゃくちゃ面白い顔で踏ん張る彼女ですが状況としては全く面白くないので笑ってる場合でもありません。口の端からなんかよく分からない汁が垂れてるのでその必死さが伺えます。ここまで必死なハアトは溺れる僕が伸ばした手を突っぱねた以来です。……ブラックジョークにも程がありますね。

 今度は上手く落ち着けることに成功して、少しした後そこには、完全に冷静になったハアトの姿がありました。


「だいじょうぶ。そのきになればハアトがじゅうりんできるんだし」


 冷静になり過ぎた気がしないこともありませんが。

 ですがこれで一安心、と後ろを振り返ってみれば。


「…………」


 唖然とした三人のイルエル人と頭を抱える獣人。

 これはマズい。さっきまでの危機は生命的危機でしたが今度は社会的危機です。困りました。僕は必死で思考をフル回転させると「お見苦しいところを……」と切り出しながらハアトを背に頭を下げました。


「すみません。彼女、過度に興奮すると……その、嘔吐する体質でして」

「マジで言ってんのか坊主」

「マジです」


 マジな訳あるか。

 なんですか過度の興奮で嘔吐って。そんな海産物みたいな体質持ってる人と結婚したくないです。実体はそんな体質もないし、そも人ですらないんですけど、ここは思い付いたこれを貫き通すしかありません。ペットに知人の名前を付ける癖を捏造された僕と同じです。

 しかし先程までの僕らの尋常ならざる気迫が意味不明過ぎるぶっ飛んだ設定に説得力を持たせたのでしょうか。


「確かに吐きそうな迫力でしたね……」

「私も我が家で突然吐かれたら困るしな……」

「がっはっはっは! やっぱ坊主の相手だし普通じゃねェってことだァ! 面白ェな!」


 僕らへの評価をいくらか犠牲にしながら三人とも納得してくれたのでした。カルロスさんに関してはいつも通りですけど。この漁師さん僕のことを何だと思ってるんでしょうか。まぁこの場が収まったので良しとします。


「そ、それで……結婚式、でしたっけ」

「けっこんしき……よい……」


 話が元に戻ります。いえ、僕が戻しました。なんか隣で無我の境地に至ってる子がいる気がしますが流します。相手にしてらんねぇ。


「えぇ。結婚式ではお二人ともおめかしを……おや?」

「ん?」


 僕らを見ながら牧師さんが語り直し、しかしその言葉が途中で止まります。牧師さんは元々細い眼を更に細めると、その視線と手をおもむろにハアトの方へ。……ハアトの方へ?

 対するハアトは冷静になり仁王立ち、真横なので僕の方面からはその逆鱗がよく見えます。……逆鱗?


「ハアトさん、あなた――」


 気付かれた!?


「ウワァァッシェォアァァァイッ!」


 僕は牧師さんの手がハアトに触れる前に奇声と共に椅子を蹴っ飛ばし彼女と手の間に立ち塞がりました。効果はあったようで、僕の常軌を逸した奇行に牧師さんの手は止まり僕を心配そうに見上げます。ついでに場の空気も凍って犬の獣人に至っては半笑いです。


「……ルアンさんどうかされました? 気は確かです? 悪魔憑きでは?」

「至って正気です。悪魔憑いてません」


 運もツイてません。なんか脂汗というか冷や汗で全身べちゃべちゃですが僕は有無を言わせず逆に聞き返します。


「牧師さんはどうされました?」

「あぁ。私はその、ハアトさんの瞳が赤いことに気付いたので、黒髪ですしこれなら純白も似合いそうだな、と……いけませんでしたか?」

「あっ、そ、そうでしたか……それなら良いんですけど……」


 早とちりだったようです。お陰で僕の社会的信用が犬死ですが、まぁハアトの正体に代えられたと思えば安い……いや安くねぇわ。軽く凹みます。村の中に家がなくて本当に良かった。

 僕はあくまで平静を取り繕いつつ、蹴飛ばした椅子を起こします。


「いけないことはありませんが、その、説明した通り彼女は他人に触られることを嫌うので……出来れば手を伸ばすのも勘弁してほしいんです」

「おや、それは失礼しました。……そう言えばルアンさんですら触れているところを見ませんね」

「あはは……」


 笑うしかありません。色々なものを犠牲にしつつギリギリのラインで話を進めている段階なのでもう笑ってないとやってられません。ともかく有耶無耶にして話を戻します。


「結婚式が終われば後は宴会ですので、そこはご自宅なりマリアの酒場を使って頂くなり。……私の管轄は以上です。概略ですがご理解いただけましたか?」

「えぇ、まぁ、なんとか。……お騒がせしましたけど」

「いえいえ」


 気のいい牧師さんで本当に良かった。僕が逆の立場ならこの場で悪魔祓いの儀式を始めるレベルです。夫婦揃って気が狂ってるとしか思えないでしょこんなの。


「で、それをいつやるかってェ話なンだけどよォ」


 カルロスさんが身を乗り出します。少し顔を上げればハアトの逆鱗が目に入るだけに僕はヒヤヒヤしますが、彼はテーブルについた四人に向けて話します。


「本当は明日にでも挨拶回り始めた方がいいよなァ」

「えぇ、早いに越したことはありませんから」


 ましてや既に同じ屋根の下なら、と僕の方を確認する牧師さん。しかし、苦い顔をしているのが村長さんで。


「だが、ルアンくんたちはまだ来て日も浅い。今やると負担が多すぎないか?」

「僕としてもそう思います。申し訳ないんですけど」


 ここは村長さんに同意するしかありません。畑だって今日作ったばかり、僕とベルも働き始めで式の費用やら何やらを考えると明日から早速は時期尚早過ぎるというか、なんというか。


「まァ、オレらもそう言うと思ってたぜ」


 実際無茶だしな、とカルロスさんにしては穏健な意見です。いえ、普段からまともなのですが彼は行動力があるので。

 どうやらここまでは僕らが席を外している間に既に確認済みだったらしく(恐らくベルが意見を代弁したものと思われます)、村長さんは代案を提示しました。


「そこでだ、ルアンくん。イルエルには秋に祭りがある。感謝祭だ。村を上げての祭りなんだが……その前にどうだろうか?」

「感謝祭の前……ですか」

「じゃなかったら同時開催ってなァ」


 がはは、と冗談交じりに言うカルロスさんを制しながら村長さんは続けます。


「感謝祭まではまだ長い。時間もあるだろうから君たちの準備も整うだろう。それに、村の一同が介するタイミングに合わせれば色々と効率化も図れる。悪くないと思うんだが?」

「牧師の私としては少し忙しくはなりますが……まぁ、構いません。どうですかルアンさん?」

「宴会も盛大になるぞ、がっはっはっは!」


 三人に迫られて僕はなるほど……と俯いて見せますが、その心中は全くなるほどではありませんでした。いや、合理的なのは分かります。分かりますけど。

 それは最悪、村全員の前でハアトの正体がバレる可能性を孕んでませんか?

 さすがに全員の前で『過度に興奮すると嘔吐する体質』は……通じないと思いますし、通じたとしても島に居続けられる気がしません。新郎の心労的な意味で。

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