第47話 ドラゴン、山を下りる

 正直に告白します。

 僕、ルアン・シクサ・ナシオンは童貞です。

 えぇ、未婚の童貞です。同定にどう抵抗しても覆らぬ童貞であって、本来であればジョーくんにどうこう言える立場ではないです。さすがにあそこまで精神的童貞ではありませんが。ジョーくんの場合は「ピュア」の方が適切な気もします。

 恥ずかしいか恥ずかしくないかで言えば恥ずかしかったですとも。農民ならまだしも王族で成人しているにも関わらず相手すらいなかったんですから。父親である国王の死とか、第二王子を中心とした政戦とか、それらで忙しかったので末弟の僕に回す手はなかったとか色々ありましたし、僕自身最悪ベルに貰ってもらえばいいかなーなんて思っていた節もありましたがそれはそれです。


 しかし僕の人生にも転機が訪れます。我が世の春が来たというやつです。青い春です。

 そう、イルエルに流されてハアトと出会いました。中身はドラゴンですが見た目は相当な美少女、これは僕も勝ち組ライフ――と密かには思っていたのですが。


「ちょっ、あの、牧師さん。さすがに事が早過ぎませんか」

「おやおや。『善はシュヴァルが如く為せ』と言うではないですか。まさか、恥ずかしいとか?」

「いや恥ずかしいとかではなく……」


 何故こんな事態になってしまったのでしょうか。

 僕が戸惑う間にも農具は片付けられ、牧師さんとジョーくん、そしてハアトは今にも発たんとしていました。

 僕にだって確かに結婚式への憧れがあります。しかし、その、今の僕はそれを純粋に受け入れる度量というか、状況にないんです。都合が悪いのはそれを牧師さんとジョーくんには伝えられないこと!


「ど、どうしようベル……」

「どうしようもありませんよ」

「答えが乱雑過ぎる」


 隙を見て頼れる(はず)従者に助けを求めたのですが返って来たのは投げやりな台詞でした。どうやらこの犬の獣人、既に考えることを放棄している様子。


「私は前からいつかきっとこうなると思っていましたので」

「それは大変申し訳ないと思ってるけどさ」

「そもそもルアン様が得体も知れないあれと結婚などと口走るからいけないんですよ。自業自得です」

「返す言葉もない……」

「返されても困ります」


 完全に呆れられています。ベルさんハアト関係のことになると辛辣というか、色々びっくりするぐらい極端になります。前世でドラゴンに食われたとしか思えない嫌いっぷり。

 しかし僕にどうにか出来る策があれば既に実行しているわけで、それがない以上瞬く間に事情を知らない二人と話が通じない一匹の準備が完了してしまうと。


「さて、では行きましょうか」

「おう、ハアト嬢ちゃんも準備大丈夫か?」

「あたぼーよ!」

「威勢がいいなぁ!」


 ……何で若干仲良くなってるんですかねあの三人。

 もうこうなっては僕も足掻きようがないですし何より当事者、ベルに諦めの意思を視線で告げると三人に合流します。


「わかりました。挨拶回り……でしたっけ」

「えぇ。ですがそれは今日ではないですね」

「えっ?」


 頷いたはずの牧師さんから出た予想外の言葉に僕は自分より幾分高い位置にあるその顔を見上げます。挨拶回りに行かないのであれば何をしに行くというのでしょうか。僕が疑問を目で訴えると牧師さんは照れ臭そうに笑いました。


「いやはや、私としたことが久々の仕事らしい仕事で舞い上がってしまったようです、お恥ずかしい。挨拶回りは式の少し前に行うものですからね。気が早過ぎました」

「……では、今からは?」

「はい。新しい夫婦の成立と、あとはハアトさんの紹介も合わせてまずは村長さんのところへ」


 牧師さんはそう言うと足取り軽く山を下り始めました。それを追うようにして僕、ハアト、ジョーくん、そしてベルが続きます。畑仕事は一旦終了です。

 山を下りつつ、牧師さんはイルエルの風土について教えてくれます。


「まぁ、戸惑われるのも無理はないと思いますよ。イルエルはこういう小さい村ですから、誰それが結婚したとなれば村をあげて祝う訳です」

「なるほど……カルロスさんや、牧師さんの時も?」

「カルロスは私が来る前に既婚でしたから詳しくは知りませんが、少なくとも私の時は」

「わいしょうなしゃかいだね」

「巨大ではありませんね」


 元が若干皮肉っぽいからか、ハアトの言葉にも難なく応える牧師さん。……なんだか順応が早過ぎてちょっと怖い気がしないでもないですけれど。


「それに村長さんには一応新しい村人は教えておかないと。それが結婚するなら尚更です。ルアンさんたちも色々お世話になったはずでしょう?」

「えぇ、それはもう……」


 イルエルに来て僕は色んな人にお世話になりっぱなしですが中でもこの牧師さんとカルロスさん、そして村長さんは野垂死にの危機から救って頂いた本当に恩人です。そう言われてしまうと確かに何も言わないのは不義理かもしれません。本来は言えるようなことでもないんですが。


「もちろんルアンさんの時だけではなくジョーさんの時もなんですが……彼はそろそろお別れ、ですかね」

「そうだな!」


 山をそれなりに下って鍛冶場が見えてきた頃、牧師さんが振り返ったのに釣られて僕も振り返れば農具籠を背負ったジョーくんは列から外れようとしていました。


「俺も行きてぇのは山々なんだが、これ戻さねぇといけねぇし、遅くなると師匠がまた怒鳴るからなぁ」

「それは……うん、想像に難くないね」


 むしろ鍛冶屋のガスパールさんは怒鳴っている印象ばかりです。


「じゃあ気張れよルン坊! 今度酒奢らせろよ」

「うん、じゃあまた!」


 なんという気前と引き際の良さ。本来なら目撃者というか知る人間は少ない方が良いにも関わらずジョーくんの離脱が少し心寂しくすらあります。

 ともあれ。

 鍛冶場を通り過ぎ、村に入った僕ら一行四人は日がもう落ち始めていることもあってか幸い子供たちに囲まれることもなく、村長さんの家に辿り着くのでした。正直ここは僕が恐れていた最大のポイントだったので安堵しました。囲んだ子供に触られて全員纏めて吹き飛ばすとか大惨事にならなくて本当によかった。


「ごめんください、牧師のウィリアムです」


 牧師さんがそう言って戸をノックすると、しばらくして村長さんが……と思いきや、出てきたのは。


「おう坊主じゃねェか!」

「カルロスさん!?」


 相変わらず小麦色の筋骨が目に眩しい海の男・カルロスさんでした。この人しょっちゅういるな。

 その感想は牧師さんも同様なのか「いつものことか」みたいな様子で受け流しつつ尋ねます。


「その『坊主』が私に向けてなのかルアンさんに向けてなのか気になるところですが……村長さんは?」

「セドリックなら中だ、入れよ。何だ何だ、今日は……ん、その嬢ちゃんの話だな」

「中にいるなら失礼しますよ」


 さすがカルロスさんと言ったところ、当然見慣れない少女を発見して察する訳ですが、ここで説明するのも何ですしそもそも村長さんに説明しに来たので僕らは取り敢えず中へ。


「おいセドリック、客だぞォ」

「全くお前は我が家に住んでるのか……」


 カルロスさんの威勢のいい声に引きつられてみれば広い居間に腰掛けた村長さん。彼は僕ら四人を目にすると立ち上がって取り敢えず挨拶をします。


「ウィリアムとルアンくんか。珍しいな……」

「ご無沙汰しています」


 影響や仕事の斡旋など日々お世話にはなっているのですが、こうして顔を合わせるのは確かに久々ですので僕も挨拶を。

 村長さんは僕ら四人を順に眺めるとカルロスさんと同じようにハアトに目を留めます。


「元気そうで何よりだが……ふむ。用件はその子か」

「さすが村長さん、ご明察です」

「……取り敢えず掛けなさい」


 満面の笑みを浮かべる牧師さんに何か嫌な予感でもしたのか、村長さんは頭を抱えると四人掛けのテーブルに椅子を二つ追加で用意しました。

 テーブルには僕と牧師さん、向かい合うのは村長さんとカルロスさん、そして僕らの後ろにハアトとベル。何しでかすか分からないドラゴン娘の様子は犬の獣人に見てもらうことにしました。不本意なのか僕だけに聞こえる音量でずっと低く唸ってますが気にしません。


「ンでよォ、その嬢ちゃんは?」

「おいカルロス、私が話を聞くんだ」

「変わんねェだろうがよォ」


 早速いつもの調子ですが、牧師さんに目配せされて僕が説明をします。あくまで慎重に。さっきより慎重に。


「彼女はハアト。僕らもよく分かってないんですが、森の中で見つけて――」

「ルアンさまのおよめさんなの! ……えへへ、いっちゃった」


 『言っちゃった』ではない。可愛く照れても駄目です。

 今度こそ慎重に話を進めようと決めていたのにまたもや我が悪戯っぽいハアトが急に結論を言ってしまいました。お陰でそのワードパワーにカルロスさんと村長さんもどう反応していいのか困っています。いや驚いています。牧師さんは笑ってます。何笑ってるんですか。


「……おいそいつァ本当か坊主」

「……まぁ嘘ではないです、はい」


 本当のことを隠すのは得意でも嘘を吐くのはあまり得意ではないので大人しくそう告げると、返って来たのはカルロスさんの豪快な大爆笑でした。


「がっはっはっは! やるじゃねェか坊主! ン? 見かけに寄らず手が早ェなァオイ!」


 ……ある意味予想通りの反応です。何故カルロスさんが僕に対して好感度が高いのかは知りませんがそのことを察するにこの反応は当然かもしれません。豪気。あまりにも豪気。相変わらず声は馬鹿でかいので耳の良いベルはしかめっ面です。

 対して常識人の村長さん(カルロスさんに常識がないという意味ではない)は、高らかに笑うカルロスさんを制します。


「待て待てカルロス。そしてハアトさんだったか? キミも待ってくれ。まずは彼女について知りたい。いいかなルアンくん?」

「僕はもとよりそのつもりでしたので……」


 さすがの軌道修正はこの曲者ぞろいの村を束ねる長といったところでしょうか。いや、みなさん良い人なんですけど。

 ともかく僕は言葉を選び同時にハアトの発言にも警戒しつつ、ジョーくんと牧師さんに話した内容とほぼ同じことを二人にも語りました。違う点があるとすれば、今回はハアトが初夜云々を口走らなかったことです。


「なーるほどなァ」


 僕が一通り話し終わると、カルロスさんは腕を組んで何やら思案します。


「んー……」


 その視線はずっとハアトを眺めています。対するハアトは僕の家以外の家が気になるのかずっときょろきょろ。好奇心が尽きないらしいですが、そんなハアトを見つつカルロスさんは顔をしかめて唸りました。


「オレもジョーと同じでよォ……なーんかガキの頃に見覚えがあるような気がすンだよなァ。セドリック、お前どうだ」

「私か?」


 村長さんも少し考え込むと、小さく頷きました。


「私も、まぁ、言われて見ればだな。……だがこんな少女、この広くない村なら覚えているはずだ。それに、私たちが子供だと何年経つ? 彼女がこのままなのはおかしいだろう」

「それだよなァ」


 牧師さんだけは例外だったものの、どうやら村長さんとカルロスさんにも幼い頃見覚えがあったようです。しかし謎は深まるばかり。……僕としては少し嫌な予感も深まります。


「だがそればっかり言っててもな。……ハアトさんに関しては確か、今はルアンくんが面倒を見ていると」

「えぇ、まぁ。……彼女、ちょっと扱いにコツが要るもので」

「我々としては君さえ良ければそのままお願いしたいのだが」

「こちらとしてもそれが嬉しいです」


 僕としてはまさに願ったり叶ったりの展開です。ハアトに関する真実を知る人間は増やしたくないですし、彼女は最悪村を焼き払ってもいいかなーと考えているようなドラゴンですので監視下に置いておきたい。僕以外に扱えそうにないというのも割と真実ですし。

 これは良い方向に落ち着きそうだ、と僕は安堵していたのですがしかし次の牧師さんの一言でそれがまだ早かったことを思い出すのです。


「では――本題。彼ら夫婦の結婚式についてです」

「けっこんしき!」


 そう言えばそうだった……と落胆する暇もなく、僕は興奮するハアトを制します。いけない。完全に失念していました。結婚式なんて『人間の夫婦らしい』話題についてこれ以上具体的な話になってはハアトがドラゴンになる可能性があります。真実を知るベルと僕は目配せをします。まずいですね。うん、まずい。

 しかしそんなことは知らない村の中心人物三人衆にとっては突然後ろを振り向いた僕は不審そのものだったらしく。


「どうした坊主、何か秘密の相談かァ?」

「えっ、いや。あの……」


 カルロスさんに指摘されて戸惑います。海の男はあまりにも視線がギラギラしているので見つめられると怖いんですよ。マジで。

 本当は有耶無耶にしてハアトと二人抜け出したいんですが、しかしそういう訳にもいかず。考えた末、僕は立ち上がって三人に一言告げます。


「すみません、少しお時間ください。……ハアト、ちょっと話が」

「なになに? ハアトおはなしすきだよ」

「良かった、僕も嫌いじゃない」


 後ろの反応は気にせず、というかベルに任せて僕はハアトを家から連れ出すと彼女と一つ約束を交わすことにしました。


「ハアト、僕と一つ約束しよう」

「やくそく? おろかなにんげんはすぐけいやくをほごにする?」

「しないように尽力する」

「どんなやくそく? ハアトでもまもれる?」

「多分ね」


 守って頂けることを切に祈りつつ、僕は約束を提示しました。


「家に帰るまでドラゴンに変身しないって約束して。約束を破ったら結婚式はしない。いい?」

「えらそうじゃない?」

「……確かにそうかも」


 我ながら意志薄弱です。しかしよく考えればこちらの都合で振り回しているのも事実。以前、家の件で『妥協と譲歩』を思い知っているからここで強行……というのは申し訳なくなります。もちろん、「じゃあ約束ナシで」という訳にもいかないんですけど。


「わかった! じゃあね……」


 時間がない、どうしよう。そう悩んでいると逆にハアトから条件を提示してきました。


「ハアトはきょうはドラゴンにならないようにする。かわりに、けっこんしきはなにがあってもぜったいにして! ……どう?」

「……わかった。それでお願い」

「うむ。くるしゅうない!」


 相変わらず尊大な態度ですが、なんというかこれが僕ら二人らしいと思わなくもありません。口約束で何の形式的なアレもありませんが、これで約束は成立です。

 と言う訳で。

 果たして本当にハアトは自身の興奮からのドラゴン化を抑えられるのか――僕は戦々恐々としながらも、結婚式の話題が待つ村長さん家の居間へ身を翻すのでした。

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