第41話 薪、割れる

 高さには注意が必要です。

 えぇ、それは本当に。僕らはドラゴンではなく、ましてや鳥の獣人さんでもないので高さには気を付けるべきです。死にますから。過度な深さと高さは死にます。両方とも経験したことがあるので分かりますとも。わかりたくもないですが。

 物理的な高さではなくとも注意は必要です。例えばよく城で侍女の愚痴に出ていた文言としては『プライドと意識は高くても低くても駄目』というのがありました。侍女長やその他地位のある人物たちがいる場所から遠く離れた僕の部屋の周りでそう愚痴っていたところを見ると本心なんだろうなぁと思います。曰く、低いと頼りなくて高すぎると面倒くさいんだそうです。何よりもちょうど良いを探すべきということなのでしょう。

 それ以来、僕も意識とプライドはそこそこに保っていたつもりだったのですが。


「やだ……国に帰りたい……紺碧の旗が燦然と輝く城が恋しい……」


 大上段に振り下ろされた僕の誇り、つまるところのプライドは勢いと渾身をそのままに激突、全力で砕け散ってしまっていました。ルアン・シクサ・ナシオン、傷心です。小心者の傷心です。やはり一応とは言え何不自由なく暮らして来た王子様がプライドと意識をそれなりに保つというのは無理だったんでしょうか。実際今国を手中に収めている第二王子の兄さんは「俺のプライドは天を突くプライドだ!」ってな具合でしたし。アレよりはマシだと思うんですけど……それでも僕もやはり元・王子だったというわけですか。


「僕もイルエル長いけど、こんな失敗する子は初めてかも」

「うぐ」


 容赦ない批評が傷心に突き刺さります。もはや焼心です。焼け野原に神槍です。既に勝利の決している戦場に勝利の槍をぶち込むことはないと思います。つまるところオーバーキルです。死体蹴りとも言います。

 アドルフさんがまるで熱心な警備兵が如く僕の失敗した現場を検分します。僕は見てられないので目を背けてます。

 大上段だったので構え方も十分でしたし、城ではメインは細剣でしたが通常の両手剣も触ったことがあったのでそれを踏まえて振り下ろしたんですけど一体何が足りなかったんでしょうかねぇ……攻撃力0って感じです。なんかもう虚しい。


「えっと、どれどれ……」


 アドルフさんは僕の失敗した半分までしか割れてない薪とセットになった斧をもう一度軽めに振り上げて、振り下ろしました。快音。見事真っ二つです。えぇ、いとも簡単に。


「……割れるけど」

「出来る人は何故出来ない人が出来ないのか理解出来ないって言いますよね」

「これそんなに難しい問題かなぁ」

「『出来る側』はいつだってそう言うんです」

「逆恨みって言うんだよぉそういうの」


 僕の恨み節にアドルフさんは苦笑いしますが僕は傷心なので笑う気力も起きません。何故に僕はこんな辺境の島に来てまで精神折られないといけないんでしょうか。踏んだり蹴ったりです。被害者面したいので踏まれたり蹴られたりと言い替えたいくらいです。

 就職一日目にして何も出来ない上司との関係も悪化しつつあるという八方塞がり、しかもほとんどの原因が僕にあるという全く救われない状況でアドルフさんは少し考え込むと軽い感じで提案します。


「……試しにもう一度やってみてくれないかなぁ、ルマンくん」

「ルアンです……」


 あくまで僕が冠しているのは地名ではなく人名だったはずです。……関係の悪化は何も僕が全面的に悪い訳でもない気がしてきますね、これは。


「ともかくさ。どこが悪いのか見て考えるから」

「……まぁ、了解しました」


 精神的には『もう一度恥をかけ』と言われてるのと大差ないように聞こえたのですが、しかしこのまま三角座りで傷心していても何も変わらないどころか時間の経過は事態を悪化させるだけだと僕自身さすがに気付いていたので立ち上がる他はありません。

 再び切株を前にして新しい薪(また半円状のヤツです。憎き失敗作の片割れ)をその上に据え、改めて斧を勇者の構えで携えます。ちょっと手が震えます。……何でしょうね、さっきとは寸分変わらない状況のはずなのに成功する未来が見えません。元々未来視なんて権能は備えていませんけども。


「ふぅ…………」


 ゆっくり息を吐きます。えぇ、露骨に緊張しているのが我ながら分かりますが、心を落ち着けましょう。……ふぅ。心は賢者です。やることは単純です。斧を薪に刺して、そのまま振り上げ、振り下ろす。アドルフさんだって簡単にやっていたではありませんか。


「じゃあいきますよ」

「うん、やってみて」


 まずは斧で薪を叩き、初動は十分。心に思い描くは建国の祖。我に力を、と冗談交じりに本気で願いつつ振り上げ、そして、全力の振り下ろし!

 軋むような斬撃音!

 目を開けば、そこには半分とちょっとまで割れて止まってしまった斧! そう、まごうことなき失敗です! 面目丸潰れ! 元々潰れてるようなもんだと言われればそれまでですが! 残念無念!

 これには僕自身としても最早虚しい諦念しか湧きません。


「知ってた」

「君は物知りだねぇ」

「薪の割り方は知りませんけどね」

「あっはっはっは」

「ははははははは。……笑えねぇや……」


 あまりの虚しさに斧を取り落とします。もちろん自己保身は得意ですので自分には当たらないように慎重に取り落とします。その辺は得意です。そしてその自己保身の、自分可愛さに僕はあろうことか足掻きます。僕だって何も失敗したくて失敗してる訳じゃないのです!


「アドルフさん、僕手を抜いたわけじゃなくて」

「うん」


 聞いてもない弁解を始められて困惑するアドルフさん。当然の反応です、しかし僕とてこれ以上はマジで人間としての沽券に関わりかねないので弁明くらいしたいのです。


「やりました……やったんですよ、全力で! その結果がこれんですよ!」

「それがダメなんじゃないかなぁ」

「流されてきて、今はこうして――……えっ?」


 みっともない僕の言い訳が続くかに思われましたが、しかし突然差し込まれたアドルフさんの答えに僕は思わず喋りが止まります。


「……この結果がダメなことは僕でもわかりますけど」

「そうじゃなくてぇ」


 どうやらアドルフさんは何らかの真理に気付いたらしく、何がおかしいのか明るく笑いながら続けました。


「『全力でやった』のがダメなんだよ」

「……はて?」


 察しはそれなりに良い方を自覚しているのですが、案の定全く活かせませんでした。全力でやることの何がダメなんでしょうか。さっぱりわかりません。


「さっき納屋から薪運んで来てもらったの見てたら普通に力はあるみたいだから、力が足りないわけじゃなくてぇ」


 もし特別非力だったらカルロスが言うはずだし、と笑いながらアドルフさんはこちらに近付いて地面に突き刺さった斧を拾い上げます。


「君はね、ルアンくん。力が入り過ぎてるんだよ」

「力が……入り過ぎてる?」

「うん。だから、一回目より力の抜けてた二回目の方が割れてる。……もちろん、まだ入り過ぎてるけどねぇ」


 なんということでしょう。僕はむしろ、自分の力とか振り方とかが足りていないものだと思っていたのですが、アドルフさんの見立てではむしろ『過ぎていた』というのです。そんな馬鹿な。


「斧はこうやって……よっ、と」


 アドルフさんは再び僕の割り損ねた薪をちゃんと割りつつ、手本を示してくれます。……なるほど、いとも簡単に割ってくれますがそれはつまり「簡単に割るもの」……だから、ということでしょうか。意気込むものでも力むものでもない、みたいな。


「斧って重いじゃない? だから、その重さで斬るって感じ。僕らは振り上げて、どこに落ちるかを決めるだけ。あとは斧が勝手に割ってくれるよぉ」

「そんな魔法みたいなことが」

「本当だってぇ。やってみなよぉ」


 アドルフさんの妙に間延びしたほんわか口調でそう言われるとなんだかそういう気がしてきます。だとしても僕は現時点ではめちゃくちゃ疑い深いです。なんせ二度も失敗して心の方が割れてるので。心理的薪割りです。


「……でも他に方法も思い浮かびませんし」


 上司にやれ、と言われたのでやるしかないでしょう。えぇ、働く者で上司を持つ者は、言われれば自刃も悪質な体当たりも情報の改ざんも行うものだと侍女たちが語っていたような記憶がありますし。


「……やってみます」

「やってごらん」


 アドルフさんから斧を手渡されて、僕は再び足を肩幅に広げ斧を斜めに構えます。東方に古来より伝わる勇者の構えだそうです。


「……ちなみにそれ毎回やらないとダメかなぁ」

「多分やらないでも大丈夫です」


 これに関しては気持ちの問題でも何でもないので。

 さて、まずはいつも通り斧で薪を小突きます。サクッと入る斧の刃。ここまでは毎回順調です。ちなみに今回の薪は全く割ってない、つまり完全な円状です。僕は初心者じゃないのでわかりませんが大きさが単純に二倍なので難易度も倍なんじゃないかと少し臆病にならないこともないです。び、ビビってねぇし! そんなんじゃねぇし!

 さて、準備は上々。あとは仕上げを御覧じろって感じなんですが問題はここから。そう、勝負はここからなのです。


「……よし。力を抜いて、軽く、軽く」


 長めに息を吐いて腕と肩から力を抜くイメージ。僕は口に出してその極意を体に言い聞かせながら、ゆっくり斧を持ち上げます。あとは、切株へ真っ直ぐ下すだけ。僕は何もしない、斧が勝手に割ってくれる。……そんな、まさかね。

 未だにアドルフさんの言葉が信じられず、冗談だろうと半笑いになりながら僕はそのまま、ただまっすぐ力を抜いて斧を動かしました。刃部分が刺さった丸太と共に空を裂き、そのまま真っ直ぐ落下。力も勢いもない、ただの落刃。


 そして――――快音。


 斧はそのまま切株に突き刺さり、そして件の丸太はいとも簡単に真っ二つ。

 あまりにも、あまりにも……呆気なく。


「わ、割れた……」


 僕は斧を握ったまま、呆然としていました。

 今までの精神的苦痛は何だったのか、さっきまでの全力はなんだったのか、そう思うくらいの簡単さ。ただ斧の重さに身を任せた、ただそれだけで。……本当に、アドルフさんの言う通り。


「……わ、割れました……」

「やれば出来るってことだねぇ」

「わ、割れました……! はははっ……!」


 笑顔でサムズアップまでしてくれたアドルフさんを前に、不思議な笑いが止まりません。なんでしょうか、この、興奮とも感動とも言えない感じ。成功体験ってやつなんでしょうか。

 いや、馬鹿馬鹿しいことを言っているのは重々承知です。たかが薪割り。それでも僕にとっては薪割りは今初めて出来たことでして……その、なんというか初めて剣術の指南で新兵を抑え込んだことを思い出すと言うか、その。


「意外と僕、やれば出来るんですね……!」

「さすがに自己評価低すぎない?」

「いや、ここに来てから僕何も出来ない一方だったので……」

「でももう、何か出来るようになったね」


 アドルフさんはどこか父を思わせる優し気な微笑みを浮かべると、自身の服と前掛けを手で払います。


「じゃあこの仕事は任せていいかな?」


 我ながら、馬鹿らしいと思うのですが。


「……はいっ、任せてください」


 多分この時僕はすごく笑顔だったんじゃないかと思います。いやぁ、情けないことに。

 アドルフさんは去りましたが、もう僕に敵はありませんでした。元からありませんけど。一度コツを掴んでしまえば薪割りというのはなるほど簡単なもので、まだ速度こそ劣るのでこの量を捌き切るのはそれなりに時間がかかりそうですが、それでもさっきまでが何だったのかという感じで成功が続きます。


「ははは、やれるじゃん僕……!」


 やっぱり仕事は嫌いですけど……でも、なんとなくですが。

 今まで僕は王子様で、身の回りのことはベルがやってくれて、それでいて第六王子で公務も決して多いとは言えず。

 ……変な話、今まで仕事らしい仕事をやっていなかったのかもしれません。いえ、やってはいましたが、それは「生き方」だったので「仕事」とは捉えていなかったというか。

 だからこそ。


「僕、仕事出来るじゃん……!」


 周りに流されて仕事に就くことになっても、僕なりになんとかなってるこの状況が、その――恥ずかしいことに、嬉しかったんだと思います。





 それでも仕事はまぁ遅い訳で、用意した薪を割り終わる頃にはもう日が傾いてイルエルの村は茜色に染まっていたのでした。もちろん僕も汗だくでして。


「……それなりに楽しかったけど、腕が……」


 普段の運動不足をまた痛感しているのでした。これは下手すると明日は腕上がらないかもしれません。ベルに助けてもらうしかないなぁと、目の前に積み上がった薪たちを満足げに眺めるのでした。

 ルアン・シクサ・ナシオン就労一日目は、これにて。

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