第21話 少女、熊の死体を貪り食う

 他人の間違いや失敗を糾弾する、というのは難しいものです。

 特に親しい間柄であればあるほど、糾弾まではいかずとも指摘で十分心苦しいと僕は思います。さながら親に自身の起こした過ちを告白する気分です。過ちを犯したのは向こうなのに。

 指摘に対しての反応は想像するに恐ろしいでしょう。笑って謝ってくれる、もしくは挽回してくれるなら嬉しいものです。こちらも指摘した甲斐があります。


 しかし恐ろしいのは逆ギレされた場合や険悪になってしまった場合、或いは相手が必要以上に委縮してそれ以降気まずくなってしまった場合です。これはいけません。それから先の付き合いにも影響しかねません。指摘するこちら側としても事を荒立てたい訳でも、ましてやこれから仲悪くやっていきたい訳でもありません。

 家族のような親しい間柄なら尚更。


 そして得てして、そんな懸念される未来を悲観してでも、指摘しなければいけない致命的なミスというのは存在するものでして――他ならぬ僕、ルアン・シクサ・ナシオンもまた現在そういう現実に直面しているわけですが。


「えーっと……あの」


 切り出しにくいのもまた現実でした。

 その現実はというと、日はそれなりに傾き、もうしばらくもしないうちに夕方と呼んで差し支えない時間になるかもしれません。表現が曖昧で有耶無耶なのは僕が日の傾きから現時刻を察する技能にそれほど長けていないからです。聞きかじり、或いはにわか。なんとでもお呼び下さい。


「…………」


 場所は我が家の庭。庭というか畑跡(復興予定)ですが……振り返ってみれば、そこには見るも無残な半壊した母家があります。なんということでしょうってな変貌っぷりです。


 このお仕事を完遂させた匠は我が妻、ハアトでした。いえ、壮絶な夫婦喧嘩の末という訳ではありません。まだそんなに倦怠で険悪な夫婦仲になった覚えはありません。今日出会ったばかりなので円満な夫婦仲でもありませんが。ともかく原因といえば、妻が外出しただけです。嘘は言ってない。


 しかしいくら故意ではないとは言え、住居を破壊されてしまった以上叱らない訳にはいきません。これも一家の長たる役目とて、ハアトが帰ってきたのを見計らって僕は声を掛けようと思ったのですが。


「やっぱりおにくがいちばんだねー!」

「……そうかもねー……」


 僕は目の前に広がる光景に圧倒されてしまって、妙な相槌を打つしかありませんでした。

 端的に描写するなら――幼い少女が熊を貪り食っています。

 自身より二回りは大きい熊の死骸を、まるで獣のように貪っております。もちろん手は使わず牙で肉を捉え、噛み千切るを繰り返している訳です。お陰で白い衣服は赤黒く染まり、可愛らしい顔も血みどろです。当の本人は笑顔なのだからなんかもう救いようがありません。


 繰り返します。

 可愛らしい、少女が。

 荒々しい、熊の死骸を。

 食っています。僕らの目の前で。


「……勘弁してほしいなー……」


 僕は頭を抱えるしかありません。事情を知っている僕ですら参っちゃう絵面なのですから、知らない人が見たらどこぞの都の名を冠した喰種グールか密林の名を冠した食人生物にしか見えません。絶対登場する作品を間違えてます。いえ、何のことだよって話ですけど。


 しかしまぁ、事情としては簡単でした。

 熊を咥えて飛び帰って来たハアトはそのまま庭で午餐の続きと洒落込もうとしたんですが、さすがにそれを僕が止めたわけです。ドラゴン状態の彼女は我が家より余裕で大きいので、そんな存在が悠長に野外ごはんしてたら見つかる可能性は高い。だから僕は人間状態に戻るようお願いした訳で、その結果熊の死体を貪る少女の図が出来上がってしまいました。……これ僕が悪いのか?

 そんな僕の心持ちなど露知らず、ハアトはおいしそうに熊を食っています。人間の状態とは言え正体はドラゴンですのでみるみるうちに熊だった肉塊は小さくなっていきます。


「……ハアト、熊おいしい?」

「おいしーよ! ルアンさまもたべる?」

「あっ、大丈夫です」

「何をやってらっしゃるんですか」


 半ば現実逃避するようにハアトと雑談に興じているとすかさずベルの鋭い平手が僕の後頭部を引っ叩きます。我が頭ながら良い音。振り返れば『さっさと家の話を切り出せ』と暗に咆えておりました、目が。飼い犬に咆えられるとは僕もまだまだです。


「ルアン様、今何か失礼なことを考えられましたか?」

「いえ何も」

「では早くお話になってください」


 相変わらず無駄に鋭い獣人の勘。いえ、もしかすると女の勘でしょうか? ……実のところは姉の勘、みたいな可能性が一番高そうです。血縁があるわけではないですが幼い頃からの付き合いですし。


「……よし」


 ベルに急かされはしましたが、彼女に言われるまでもなく話さないことには先に進みません。畑で夜は越せない、というのもベルの言ですけど。

 僕は咳払いと共に意を決すると、ハアトへ切り出しました。


「ハアト、大切な話があるんだけど」

「えっ……わ、わかればなしってやつ……?」

「別れ話じゃないから安心して」

「ハアトがむらをやきはらっちゃう……?」

「別れ話じゃないからそんな物騒な話しないで」


 ネタにしてるつもりでもネタになってない事例です。ともすればあり得る未来だからそういうのやめて欲しい。心臓に悪い。別れるなら村を焼き払う選択肢もある、と判明しただけ尚更恐ろしくなっただけです。本当にやめて。


「わかればなしじゃなかった、あんしん!」

「出会ってその日に結婚離婚までやってたら流れが早過ぎるからね」

「そうかも。……じゃあなんのはなしー? くまたべたい?」

「食べないから。もう食べるほども残ってないし」


 彼女の前に転がる肉塊は兎レベルです。要するに大部分は骨です。まるで僕! ……自虐です。笑ってください。


「ってそうじゃなくて。……ハアト、言いにくいんだけどね」

「いいにく?」

「良い肉じゃない、言いにくい」

「いいにくいならいわなくていいよー」

「そうともいかないんですよ。……アレをご覧になって」

「アレー?」


 ハアトは僕が指し示した方向を眺めました。もちろんその目には屋根が吹っ飛び壁も崩れている我が家の惨状が映ったことでしょう。もちろん通い妻とは言えこれからは彼女の家でもある訳ですから他人事とはいかないはずです。

 ハアトは少しの間それを眺めていると、どこか憐れむような目線と声色で僕を見上げました。


「ルアンさま、いえこわしちゃったの?」

「いや君だよ」


 思わず鋭い口調が飛び出してしまいます。ですがこれでも加減した方で、相手がハアトではなく城の仲の良い新人衛兵であれば問答無用で殴っていたかもしれません。いえ、さすがにそこまで僕も暴力的ではありませんけど。ものの例えです。実際はそんな腕力も度胸もございません。悲しいことに。


「ハアトなの?」

「そうですよ」

「ほかのドラゴンじゃなくて?」

「えっ……他にドラゴンがこの島にいるの?」

「いないよー」

「いないのかよ」


 じゃあなんだったんですか今の問答。一時的に僕とベルは余計な心労を負いましたよ。この上位種族、適当過ぎる。

 それにしても白々しいことです。すっとぼけているのか、或いは。


「……しらなかった」

「そんなことだろうと思ってたよ」


 知覚していたなら巣に戻る前に一言ありそうですしね。


「いつ?」

「熊を取りに戻る時。『いってらっしゃい』云々の後です」

「あー! いってらっしゃい、たのしかった!」

「それはなにより」

「かえってくるやつもしたい! ルアンさま、ただいま!」

「はい、おかえりなさい」

「――――ッ!」

「あっぶな!」


 ハアトちゃんは嬉しくなっちゃうとついドラゴンになっちゃうんだ、ってか。目の前に黒い巨竜が現れて食べていた肉塊と骨は下敷きになります。僕もギリギリの位置でした。変身時の風圧に流されていなければアレの仲間だったかもしれません。……変身前と後の差が大きすぎるのも問題な気がします。今更感凄まじいですが。

 しかし巣の外である以上ドラゴン状態では話が進まないので人間に再変身して貰って、ついでに話も元に戻します。


「と言う訳であれはハアトがやったんだよ」

「そーなのかー」


 そーなのかーじゃないんだけどなー。

 しかしハアトも壊したなりに何か感じ入るところはあるようで、考え込むと一つの結論らしきものを口にしました。


「……いえがよわすぎるのでは?」

「あなたが強過ぎるんですよ」


 どこにドラゴンの襲撃を予想して建てる民家があるんですか。最早それは民家ではなく城塞です。もちろん城塞に住む予定はありません。それこそ悪目立ちもいいところです。立地的には適しておりますが。


「うーん……じゃあハアト、どうしたらいい? にんげんだったらどうする?」

「人間だったら、か……」


 取り敢えず何かをする気はあるようで、地べたに俗に言うぺたんこ座りの状態で彼女は僕をそう見上げます。無垢な表情にもちろん悪気は見えません。


「……そうだね」


 僕は少し考えます。今の最優先事項としては家を直すことです。もちろん、彼女に悪気がなかった以上直れば全て済むことですが……ふと、これから共同生活を送るのだということが頭をよぎります。であれば、もっと先にお願いすることがあるような気がしました。

 視界の隅でちらりとベルを伺います。彼女は瞼を閉じて僕に委ねていました。……なんというか、こういう時は口出ししないんですよね彼女。こういう女性のことを賢女というのだと思います。

 僕は考えをまとめて、彼女と同じ目線にしゃがみながら告げました。


「人間だったら、こういう時はまず謝るかな」

「あやまる? ハアトはわるくなくない?」

「悪くない……かもしれないけどさ」


 うっかりすれば『いやハアトは悪いよ』と口を滑らせそうになります。事実、故意ではないにしろ直接ハアトが壊したわけですから。ですがここは我慢です。言わなくていいことは言わなくていい。ここは僕が妥協すればいいところです。


「悪くなくても、自分が原因だったら謝ることにしよう。これは人間のルールでもあるけど、僕たちのルールだ」

「じゃあハアトがドラゴンになっちゃったげんいんのルアンさまもわるいのでは?」

「……なるほどね」

「ちょっとルアン様」


 ベルに釘を刺されましたが、しかしまたハアトに丸め込まれてしまったのも事実。納得してしまった以上は、ルールは守るしかありません。


「わかった。それは僕も謝るよ。ごめん」

「……じゃあハアトもあやまる。ごめん」

「うん。これで良し」


 もし第三者がいたらあまりにも心がこもっていないだとか、免罪符にも見えるとか言われそうですが、そんなことは今はどうでもいいと思いました。例え口上だとしても、『謝った』という事実を作るのは必要なことです。一応だとしても『口にしておく』ということの重要性は王政から学んだ一環です。まさかこんなところに応用できるとは。


「さて!」


 一応の謝罪が済んだ以上、これ以上ここでお話することはありません。真っ先にやるべきことは名実共に家の修復になりました。

 僕はそれを伝えて、ハアトとベルを連れて改めて半壊した我が家に傍に寄って見上げます。屋根は半分近くがぶち抜かれ砕け散り、それを支えていた壁や柱もつられるように折れ崩れています。床と家の周囲にはその瓦礫というか破片が散乱していて、繰り返しになりますが控えめに言って惨事です。


「すさまじいこわれっぷり。ごうかいにいったねー」

「豪快に飛んで行ったのハアトだけどね」

「どうしますか? 一応状況はそのままですが」

「今日が風の日じゃなくて良かったよ」

「かぜのひおめでたくない?」

「今日に限ってはおめでたくないかなー」

「『けっこんきねんび』はおめでたい?」

「惚気なら余所でやってくれないかしら」

「よそ、ってここがうちですけどー」

「まぁまぁ……そのうちよそも家を直さないことには」


 境界線たる壁と屋根が崩壊している以上うちもよそもありません。世界そのものが我が家というにはあまりにも僕の器量が足りなさ過ぎます。ロイアウム王国だって治められるか怪しい器だというのに。もちろん自虐です。


「しかし、ベルの言ったように幸いにもここに破片とか残骸は全て揃っている……はずな訳だけど」


 拾い上げて、その破片と本体である家を見比べてみますが……途方もなさそうな作業量に心が折れそうになりますね。


「試しに聞くけど、ベルは大工の経験がおありで?」

「ルアン様は私がノコギリやカンナを揮っている姿に見覚えが?」

「……ございませんね」

「そうでしょうね」


 もちろん僕にもありませんので、ここには素人しかいないということになります。これは早速村長さんやカルロスさんのお力をお借りする案件か――と思われたのですが。


「なおせるよー? まほうで」

「…………なんだって?」


 ハアトのこの一言で、僕とベルは改めて目を見合わせることになりました。というのもご存じの通り、僕らは彼女の魔法に頼らないと決めたばかりだったので。

 しかしそれは間違いなく、救いの一手でした。

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