第20話 ドラゴン、人間の飯を食う

 洞窟内で魔法の突風に身をさらわれた僕らはそのままハアトの周りを無線式オールレンジ兵器よろしく飛行することになりました。自律的ではないことが難点です。

 しかし落下ではなく空を舞うのは僕の意識的には初の経験だったもので(気絶していた間をカウントしないの意)、テンションが最高に『ハイ』ってヤツになるのも無理はないと言えるでしょう。気分は鳥人間――否、鳥の獣人です。風に巻き上げられているだけなので真に適切なのは落ち葉の方なんですけど。


「ベルぅ! いまどのくらい飛んだァ!?」

「一緒に飛んでるからわかりませんよっ!」


 興奮から洩れてしまった台詞に好ましい応答こそありませんでしたが、しかし珍しく焦っているベルが見られたので良しとしましょう。晴れ時々大荒れの人生も悪くないものです。


「いやっ……もう下ろしてよハアト!」


 僕の記憶ではベルは決して高い所は苦手ではなかったと思うのですが、空を飛ぶ感覚が苦手なのだと思われます。宙を舞うのはこう、浮遊感みたいなものが気持ち悪い気がしなくもないので当然やもしれません。生憎僕はもう慣れておりますが。

 ちなみに下ろせと呼びかけられたハアトさんはというと。


「――――ッ!」


 テンションが上がっておられるようで咆哮しております。どう考えても聞いてないでしょうねこれは。

 嗚呼、可哀想な我が従者……と思われたのですが、僕のそれは思い過ごしのようでした。えぇ、ここが地上からどれくらい高いのかは正確には定かではありませんが、今視界にチラリと我が家の死んだ井戸が見えたような気がしました。つまりあと少しで降りられると見えます。


「おりるよーっ!」


 素晴らしいタイミングです。さすが夫婦。

 ベルも僕もその言葉で安心して、さぁ降りようと体勢を整えたのも束の間。

 ……よく考えれば時間間隔の違いというのは体格の違いからも起きうるものでして、例えば僕が塀の上から飛び降りるのと虫が塀の上から飛び降りるのでは着地までに要する時間は違う訳です。


 それがここでも起きました。

 ドラゴンであるハアトが翼を大きく広げて家の庭にゆるりと着地。しかし僕らとしては急降下。ハアトとしては些細な着地でも僕らにとっては十分落下でして、魔法の風に受け止められはしたものの勢いはそのままにごろごろ無様に転がる羽目になります。


「ぅうぉぉぉぁぁ」

「ぅ……っと」


 ……訂正します。無様にごろごろ転がったのは僕だけでした。ベルさんは武術の受け身が如く一旦背を地に付けたものの、その後の立て直しは素晴らしいものでした。こんなところで三種族の身体能力の差を見せつけられるとは思わなかったです。


「ルアン様、大丈夫ですか?」

「かっこわるーい」

「あっはっは。足より先に心がくじけるかもしれない」


 ハアトに見下ろされながらベルから差し出された手を取りつつ笑います。皮肉にも僕の心は城での暮らしで並大抵の傷は無傷になる特殊スキルが備わってしまったのでルアン・シクサ・ナシオン、心身ともに健康です。


 立ち上がった僕は体を払ってハアトを見上げます。荒れ果てた庭(或いは畑)に四つ足で堂々たる姿をしている彼女は平屋である我が家より高さも幅も上回っていました。家よりデカい嫁というのはなんというか人によっては興奮しないこともないのかもしれませんが、僕としては『部屋の中でドラゴンに変身されたら家壊れる』くらいにしか思えません。愛が足りないのかもしれないと反省します。

 ともあれ、このまま家よりデカいものをたたずませておくと下手をすればご近所、鍛冶屋のガスパールさん辺りに遠目から目撃されないとも限らないので、我が妻には我が妻らしい状態に収まってもらうとします。


「ハアト、人間になってくれるかな?」

「よかろうだよー!」

「良かろうですか」

「うむ!」


 ドラゴンっぽく高圧的な台詞を吐こうとしたのかもしれませんが隠しきれない無邪気さと幼さ。ところでドラゴンで言う四十ちょっとは幼いんでしょうか。ともかく、ハアトは轟くようないい返事(声が大きいのも考え物です)と共に閃光して、僕の出会った黒髪の少女へと変貌します。相も変わらず美少女です。

 僕がその姿を見つめていることに気がついたのか、ハアトは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにこちらを上目遣いで伺います。


「まさかー、ルアンさまはこっちのハアトがすき?」

「うん。こっちのハアトも好き」


 気持ちは素直に伝えます。


「ドラゴンのハアトはー?」

「ドラゴンのハアトもカッコよくて好きだよ」


 これも本当です。恐ろしさと半々なのが正確なところですが、カッコいいのは紛れも無い事実。


「じゃあこのにんげんのハアトはー?」

「人間みたいで好き」

「――――ッ!」


 ちょっとからかい過ぎたようです。ハアトは嬉しくなったようで黄色い歓声を上げると伸びをするようにぐぐーっとドラゴンへと戻りました。やっぱり感情が昂ると戻るようです。僕はなだめ直して人間に再度変身してもらいます。


 ちなみに簡単に「好き」とは言っていますが意味合いとしては愛のそれではあまりないタイプです。そう簡単に愛を囁けるほど好色になった覚えも軽薄になった覚えもありません。……相手が妻なのにそれはどうなんだ、と思われるかもしれませんが。よく考えれば今日会ったばかりで愛を囁けという方が無理じゃないでしょうか。


「さてベルさん」

「なんですか? まだ惚気続けられても構わないのですが」

「いや、あの……それは……」


 個人的にはこれからどうするかを煽ごうとしたのですが、彼女は若干仲間外れにされたような心地らしかったです。むむ、確かにこれも課題かもしれません。解決策としては……ベルとハアトも仲良くなることでしょうか。……現状を顧みる限り難題です。

 話題が逸れてしまったので僕はベルに申し訳ないと思いつつも本題に戻すとします。


「時にベルくん」

「なんでしょうかルアン様。そのむかっ腹が立つような話し方をやめて頂ければ私も素直に聞けるのですが」

「ごめんなさい」

「よろしい。……それで、なんでしょうか」

「うん。僕らはハアトを伴って無事帰ってきた訳だけど、まず何からすべきだと思――」


 思う? と僕は凛々しい顔で続けたかったのですが、その言葉は遮られることになりました。誰に? 僕自身にです。正しくは、僕の腹の虫にです。

 思えばハアトの巣に行ったのが朝方。そして今は……たぶんもうお昼もそれなりに経っているでしょう。ハアトの唸り声とまではいかないものの、それなりの獣が唸り声を上げたのです。その猛々しさたるや、思わず会話が凍り付いてしまうほど。


「なにいまのー? かえるー?」


 ハアトに声を掛けられたにも関わらず、我が腹の底に眠る獣の気配に僕が二の句を継げずにいると、ベルは半笑いの冷めたようすで答えてくれました。


「お昼にいたしましょうか。それが先決かと」

「僕もそう思う。ハアト、お昼ごはんにしよう」

「おひるー? いいよー! にんげんのごはんたべる!」


 という訳で、我らが三種族合同で行う初めてのイベントは昼食と相成りました。

 真っ先に家に入って魚とパンの用意をするベル。僕はハアトを伴って家に入りながら、席につきます。やや興奮を帯びる彼女をなだめつつの着席です。家ぶっ壊されてはたまったものではありませんので。


 家の装飾やら道具やらに興味を示すドラゴンから矢継ぎ早の質問をそれとなく答えていれば、しばらくしてベルが僕らの昼食を運んできます。メニューはどこぞで見た事のある、茶色いパンと魚のスープです。もちろんお昼なのでそれだけではなく山菜や豆もありましたが、見覚えのある魚のスープが目を引きました。


「ベル、これって」

「えぇ。ルアン様も、もちろん私も気に入ったこの島の食事でしたので」


 ということはやはり、カルロスさん家で食べた夕飯と同じスープです。これは初の我が家の昼食としては上々でしょう。さすがはベル。


「これが、にんげんのごはん?」

「そう。じゃあ、頂くとしようか」

「えぇ」


 一応一家の長である僕が切り出して食事が始まります。スープに口をつければ温かさと共に魚のうまみがじんわりと広がって、知らず知らずのうちにしていた緊張がほぐされるようでした。山菜も土地のものだからかスープとよく合います。パンは無論です。やはり定番の主食というのは安心感があります。

 あぁ、やはり食事はいいものだなぁとかなんとか物思いにふけろうかとも思ったのですがそうもいかないのが我が家。


「これがにんげんのごはんかー! んっ、むぐ! んぐ!」


 ……騒がしいのは良いことなのでしょうか。いえ、元気と言うべきです。そうですきっと。ハアトはすさまじい勢いでご飯を食べることを知りました。例えは悪いですがスープを獣のように飲み、パンを齧り山菜を一飲み。音にするとまさにバリムシャアといった具合です。


「おーぅ……」


 僕、ちょっと引いています。いくら今はイルエルという離島に居るとはいえ、元は王室にいた身ですから……その、マナーもクソもない彼女の所作に驚きが隠せません。雑に言うと、その、食べ方が、その……うん、汚いように感じました。えぇ。ちらりと隣を見ればベルも冷めたような目線を向けていました。


「……ルアン様、失礼ながら」

「いやわかってる。わかってるよ。僕もこう、びっくりだ」

「しかも速度が遠慮なしですが」

「そう、だね……」


 しかし当の彼女はそんなこといざ知らず。


「ルアンさま、ハアトもにんげんみたい?」

「……うん。人間みたいだよ」

「えへへー!」


 人間の姿で人間の飯を食べているので人間らしいとは言いましたものの、所作が荒々しく机の上も彼女の周りだけひっくり返したようになっていました。……これは近いうちに食べ方を教える必要があるかもしれません。

 結果として用意した食事の半分を食べたハアトでしたが、しかし彼女はそれでも満足しなかったらしく、辺りを見回すと立ち上がりました。


「にんげんってにくたべないの?」

「いや、食べるけど……今日は魚があったし」

「あれにくじゃないよ……? だいじょうぶ?」


 ハアトとしては首をこてんと傾げて軽く心配しているような台詞ですが、カルロスさんに聞かせたな殴られかねません。


「ってことはハアトは普段お肉食べるのか」

「おにくしかたべないこともある」

「随分と贅沢をしておられる……」

「にんげんがたべないだけだよー。そこらにくまとかいのししとかいるじゃん!」


 普通そこらにいる熊や猪は食べようとは思いません。いえ、食べないこともありませんが基本的に僕らにとって彼らは食料というより脅威です。……やはりドラゴン、規格外です。


「というわけでハアトはたりないから巣からくまもってくるね!」

「えっ」


 熊を持ってくる? そんなことをお弁当感覚で言われましても、僕らとしてはとても反応に困ります。


「ん? やっぱりルアンさまもくま、たべる?」

「いや、結構だけども。力強く遠慮させて頂くけども」


 熊を食わせられそうになって激しく嘔吐したのは記憶に新しい――どころかまだ喉元を過ぎてない熱さです。ちゃんとした昼食のお陰でいくらかマシにはなりましたけれど。


「そっかー。……ベルもほしいならあげるけど」

「いらない。なんで偉そうなの?」

「いらないならいい」

「聞きなさいよ」


 一応ベルにも聞いてあげるハアトですが彼女も拒否します。会話が半分成立していないのは基本状態でしょうか。両者とも若干半ギレなのも基本状態なのでしょうか。険悪なのはやめてほしい。平和がいちばん。

 しかしまぁ結論は出たようでして、ハアトもお腹が空いているのでしょう。僕に朗らかに出発を告げてくれます。


「じゃあハアト、くまとってくる!」


 熊取ってくるでしょうか。熊獲ってくるでしょうか。今から狩猟するなら結構待たされそうなもんですが、まぁ僕に食べさせようとした熊があるので恐らく前者でしょう。正直知ったことではありませんけど。


「はい、いってらっしゃい」


 僕としては奥さんの外出なので一応声を掛けた、くらいだったのですがハアトはその言葉を聞いて動きが止まります。


「いってらっしゃい……」

「……僕なんかマズいこと言ったかな」

「いいえ? 私には何もわかりかねます」


 口をぽかんとさせるハアトを見る僕とベル。最初はフリーズしていたように見えた彼女でしたが、その表情はみるみるうちに嬉しそうな光を湛えていきます。


「いまのいい! なんか、にんげんみたい!」

「そう?」

「うん! もっかいいって!」


 喜んで頂けたようで何よりです。こんな軽い挨拶ならお安い御用なので薄利多売よろしくご要望にお応えします。


「いってらっしゃい、ハアト」

「――――ッ! いってきま―――――ッ!!」


 恐らくとても嬉しかったのでしょう。ハアトはつんざくような嬌声を上げて、高らかな宣言と並行するように変身。大きく翼を広げて天空へと飛び去っていきました。


 さて、ここで問題です。

 家より大きいドラゴンが家の中から空に飛び去ったらどうなるでしょうか。


「……やってしまった」

「迂闊だったルアン様の責任では?」


 答え。壁は崩れて天井は突き抜け屋根が吹っ飛ぶ。


 我が妻が実家に戻ったと同時に、僕とベルの前にはさっきまで家屋だったものが半壊した姿が広がっているのでした。…………これは、どうしたものでしょう。これでは暮らしていけません。最早三種族どうこうではない。雨風が凌げないじゃないですか。

 ですがあまりの呆気なさや「やってしまった」感に茫然自失とするしかない僕はただただ青空を見上げるしかありません。雲一つない青空。


「……空ってこんなに青かったんだねぇ」

「ルアン様、逃げないでください」

「城にいた頃は気付かなかったなぁ。帆船にいてもずっと船内だったし」

「ルアン様」

「清々しい青だなぁ。ベルの瞳はもう少し深い青だけどそれも好きだよ」

「ルアン様」

「…………」

「ルアン様」

「…………どうしようか」


 イルエルでの新生活一日目。お昼過ぎ、新居半壊。

 逃げたくもなるでしょうよこんなの。

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