第19話 人間とドラゴン、互いに譲歩する

 通い妻。

 正しくは『通い婚』という結婚の一形態なのだそうです。個人的には通い婚というと男性が女性の下に通うイメージがあったため妻の方としましたがこちらは造語なんだとか。ドヤ顔で言い放った提案の割には大恥をかいていたという訳です。

 しかし、提案として上出来なのは疑う余地もない(はず)ですので、僕は自信と期待の眼差しで黒いドラゴンを見上げます。


「かよいづま……」

「そう、通い妻」


 吟味しているのでしょうか、反芻はんすうしてらっしゃいます。僕も促すように繰り返してみました。……さっきのように突然嫌と言われてしまう可能性を考えると案外ヒヤヒヤするのですが、どうなんでしょうか。一般には我々人間より知能の高いと言われるドラゴンですから、もっといい案があるのかもしれませんけど。


「……うーん……ねぇ、ルアンさま」

「なに?」


 ハアトの口調としては実に軽いものではあったのですが、こちらとしてはこの案を切り捨てられると御免では済まないので質問にも少しビビります。高高度から威圧的なご尊顔が見下ろしてくるのですから尚のこと。

 僕が息を飲んで待ち構えていると、それはもう凶悪な一言が降ってきました。


「……『かよいづま』ってどういうこと?」

「……そうだよね。そうかもしれない」


 さすがのドラゴンと言えど何でも知っているわけではないことを学びました。知っていることしか知らないようです。それならば補足説明が必要というものでしょう。ドラゴンに物を教えるなんて大胆不敵もいいところですけど。


「むらにもそういうにんげんいる?」

「どう……かな。それはちょっと分からないかも」


 家に来るまで海から村を見て回りはしましたが、全ての家を巡った訳でもなければその家庭事情に首を突っ込んだ訳でもありません。少なくともカルロスさん夫妻、村長さん夫妻、牧師さん夫妻は違うようでした。


「取り敢えず説明しようか」

「してー」

「よしきた」


 してと言われればせざるを得ません。言われずともせねばならない状況ではあるのですが、モチベーションの違いというやつです。モチベーション大事。円満な夫婦生活にもたぶん大事。わかんないですけど。


「まず、基本の状態としては僕とベルは僕らの家に居て、ハアトはこの巣に居ます」

「それじゃあだめだよー! いやだ!」


 これは僕の説明が悪かった。ハアトさんは今にも尻尾を振り上げんばかりの駄々っ子と化します。振り上げられると下す時に僕らの人生にも幕が下ろされかねないので弁解を急ぎます。


「一旦聞いてハアト! 一旦聞いてくれると嬉しい!」

「でもいっしょにくらさないとにんげんみたいじゃないよ?」

「それは分かってる。分かってるけどそうもいかないから僕がちょっと考えたんだよ。聞いてくれると嬉しいな……旦那からのお願いだと思って!」

「……しかたのないだんなさまだなぁ」


 仕方のないのはどっちだという話ですが、直前の僕の言葉もなんだかクズ旦那っぽいので正解はどっちもです。ともかく夫婦的ロールプレイ(ロールプレイも何も夫婦ですが)によってハアトが聞く体勢を取り戻しました。すっくと立ち上がっていた四つ足を畳んで座り直しています。


「話を戻そうか。……基本はさっき話したようにバラバラに暮らすんだけど、ここで特殊演出『通い妻』が発動するんだよ。解決順としては恒常効果である別居より優先されて――」

「ルアン様?」

「ごめんなさい。真面目にします」


 ちょっと場を和ませようかなって思ったんですが案の定ベルに後ろから釘を刺されました。そりゃあもうドスッ! てな具合です。懐刀ドスじゃないですけど。しかもハアトは全く和む様子がなかったので完全に蛇足です。彼女はドラゴンですけど。

 真面目にしましょう。


「通い妻ってのは……簡単に言うとハアトがいつでもうちに来て良いってことかな。夫である僕の下にハアトが来たいときにいつでも来る……みたいな」

「簡単に言い過ぎな気も致しますが」

「それはそれとして」


 また後ろから刺されましたがこれは覆しません。これ以上簡潔な説明もありませんし、というかこれでほぼ全てですし。ハアトも考えるところがあるらしく、聞き返してきます。


「ハアトがルアンさまのいえにあそびにいくってこと? きのうみたいに?」

「……そうだね。もっと堂々とだけど」


 ……いや、まぁ、その。なんというか。薄々勘付いていましたけどね。しかしやはり、昨日新居に越してきてから数度感じていた視線の正体はハアトだったようです。話がまた逸れるのでここではツッコみませんが。


「うちで三人でご飯を食べたり寝たり……夫婦らしいことはこれで出来るし、ハアトも巣を離れないで済む。戻りたい時には戻ればいいし。……どうだろうか」


 念押しのようにお伺いを立ててみれば、すぐさままた我が妻は質問を投げて寄越します。今度は訝し気に、そう、人間で言えばジト目でした。ドラゴン状態なので眼光鋭いこと甚だしいですが。


「……それって『にんげんみたいなこと』?」

「えっ?」

「『かよいづま』のこと!」

「あぁ……」


 僕の反応が感嘆符だけで終始しています。これは会話と呼べるのでしょうか。面目ない。

 ともかく、ハアトが次に気になったのは『通い妻という行為が人間らしいものなのか』ということでしょう。人間の真似にハマっているハアトちゃん(よんじゅっさいくらい)なら気にして当然のポイントです。よくぞ聞いてくれたと言いたいところですが……参った僕はちょっと頭を捻って答えます。


「人間でもやってる人はいるよ。僕も知ってるし……うん、人間っぽいと思う」

「そっかー!」


 なんて純粋無垢な反応。ドラゴンの顔をしていても可愛らしく見えてきます。表情が分かるようになった僕すごく旦那ムーブしてません?

 しかも嘘はついていません。えぇ、人間でもやっている人はいました。我が母です。たぶん他の五人の王妃も数人はやっていたと思います。……それ以外の事例を知らないのも事実ですが。

 ですが好都合なことに(言い方は悪いですが)、人間らしいという保証を当の人間にもらえたのが納得したようでハアトの心は了承に傾きつつあるように感じました。俗に言う手応えってやつです。

 それを示すようにハアトは自分なりの言葉で言い替えながら提案を再度確認します。


「ルアンさまがルアンさまのいえにいて、ハアトがハアトの巣にいて」

「私もいるんだけど」


 ベルの鋭い指摘にむっとするハアト。ドラゴンの鋭い眼光と獣人の鋭い眼光が僕越しに衝突します。やめて欲しい。もし二人の視線に殺傷能力があれば流れ弾もいいところです。悲しきは緩衝材の定めかな。世の中間管理職の皆さんに同情を禁じ得ません。心中お察しします。

 ちょっとの間睨みあっていましたがハアトがベルの心中お察ししたらしく、言い直して続けます。


「……ルアンさまのいえにルアンさまとベルがいて、ハアトの巣にはハアトがいる。ハアトはいきたいときにルアンさまのいえにいく。にんげんのふうふみたいなことする。……こういうこと?」

「完璧な理解です我が妻」


 近衛たちが僕を儀礼的にヨイショしていたのを真似してみます。僕の経験則から言えば若干イラっとしますが悪い気はしていないはずです。しかしいつまた『やっぱりいや!』と微妙に不明なドラゴンの精神性を覗かせるとも限らないのでスリル満点です。赤点くらいでいいのに。

 彼女が口を閉じたためここからしばらく考え込むかと思われたのですが、しかしハアトは意外な切り返しを見せました。


「ふこうへいじゃない?」

「……不公平、と言いますと」


 飛び出した単語の強さというか鋭さに僕がたじろいで聞き返すと、ハアトはその幼い舌足らずな口調とは裏腹に冷静な口ぶりでした。


「それってハアトばっかりじょうほしてるきがする! ルアンさまちょっとずるなーっておもったよ? ハアトがルアンさまにあわせるみたいなかんじになってて……なんだかなー」

「……否定は出来ないかも」

「ちょっとルアン様!」


 本音が出てしまったところをベルに咎められましたが、それにしても真実は真実です。客観的にこの『通い妻』案を見れば僕らは動かずハアトにばかり苦労を強いていることがわかります。……盲点でした。これで僕ら人間側が妥協したつもりになっていたのですから馬鹿馬鹿しいです。


「……うん、ごめんハアト」


 僕以上に妥協してくれているベルはまだ言葉があるようでしたが、少し引いてもらいます。僕は彼女を視線と右手で制した後に自身の頬を両手で打って気を引き締めます。

 さぁ、ここからは出来得る限りの意見のすり合わせです。


「確かにこれは僕らのことしか考えてなかったかも。ごめん」

「にんげんらしいあさはかさだねー」

「返す言葉もない」


 しかし、だからと言ってここで引き下がれないのも事実です。


「でもハアト、さっきも話したけど僕らはここに一人で出入り出来ないからここじゃ暮らせないんだ。申し訳なく思うけど、それでもハアトに譲ってもらうしかないんだよ」


 出来る人と出来ない人がいた場合、両者が歩み寄るなら出来る人に降りてきてもらうしかないのです。ドラゴンであるハアトに、魔法も飛行も出来ない僕ら人間のステージまで降りてきてもらうしかないんです。

 愚かなことに人間らしく利己的な考えでしたが、僕にはこれしか思いつきませんでしたので最後に頭を下げました。


「残念だけど僕にはこれしか両方の理想と生活を成り立たせる案が思いつかない。……よろしくお願いします」


 僕が頭を下げると、ベルが動いた音がしました。動揺と怒りのようなものが混じった声が背中にぶつかってきますが、僕はその姿勢のまま答えます。


「ルアン様」

「いい」

「ですが……!」

「いいんだって。僕は自分の奥さんにお願いしてるんだから」


 まだ僕のことを敬ってくれるベルは大変ありがたいですが、もう僕は貴人ではありません。例えそうだったとしても、妻と夫が対等な関係であるなら僕が頭を下げるのはお願いする立場として全く恥ではないはずです。それが上位種族と下位種族なら尚更。


「……おねがい、かー」

「うん」


 遥か上から僕の後頭部目掛けて打ち下ろされた言葉はなんだか無機的な冷たさを帯びているように感じました。ハアトのさっきの指摘はもっともで、そうなるともう了承してくれる可能性の方が低いでしょう。

 いつ人間に飽きるか分からないことを考慮すれば、割と絶体絶命な状況ではないでしょうか。いつ『もうにんげんあきた!』となってあそこに転がる熊と同じ命運を辿るともわかりません。


 思わず生唾を飲み込みます。ハアトのドラゴン特有の鼻息の音と洞窟内を這う尻尾の音がやけに響くようです。沈黙とハアトへの緊張感を感じますが、もう僕に出来ることはありません。


「――……ねぇ、ルアンさま」


 僕が自分の心臓の鼓動に聴覚を完全に奪われそうになる直前で、ハアトは沈黙を破りました。僕が無言で続きを促せば、彼女は可愛らしい声で淡々と語ります。


「ハアトは、ハアトばっかりじょうほしてずるいっていったよね」

「うん。そう言った。間違ってないよ」

「だからね、ハアトかんがえたよ。……ルアンさまにもひとつ、じょうほしてもらうから」

「僕が?」


 まるで交換条件のように出されたそれは意外な展開で、僕は思わず頭を上げます。威圧的で重厚なその黒い表情には怒りや呆れは見えず、ドラゴンはむしろ僕を試しているようでした。


「うん」


 ドラゴンは力強く頷くとその譲歩の条件を提示します。


「ルアンさまもハアトとおなじように、ハアトの巣に『かよいづま』してほしいな」


 僕がやるなら『通い夫』だよ、なんてことはこの際どうでもいいです。その申し出は公平さという点においては実に合理的と言える条件でした。

 ですが。


「ハアト、それは……」


 さっきも話した通り、僕ら人間にはこのドラゴンの巣に自力で出入りする方法がありません。何のアシストもなしに飛び降りれば確実に死ぬでしょう。そんな危険な家に通い夫は無理です。


「わかってるよー、もう。にんげんはむのうだなー」

「無能は認めるところだけど、でも無理は無理だよ」

「もちろんハアトがおむかえするからだいじょうぶ。いっしょにくらさないから、ここでもだいじょうぶでしょ?」

「……確かに」


 ここで暮らせない理由は、生活が成り立たないからです。ですが今のように、通うだけなら十分可能なことはこの長い間で僕やベルが証明していました。

 完全に納得してしまった僕へ、ハアトは最終的な案をぶつけます。


「いいよ。ハアト、ルアンさまのところに『かよいづま』する。かわりに、ハアトがよんだらルアンさまもハアトの巣に『かよいづま』して?」


 僕はちらりとベルを振り返ります。少し緩んだように見えたその表情は『お好きになさってください』と語っていました。……ベルにも少なからず迷惑を掛けるのに、申し訳なく思えます。

 ベルはとても妥協してくれて、ハアトも随分譲歩してくれました。……女性陣二人、そして従者と妻にそこまで譲ってもらったのにここで僕が乱せば面子が立ちません。王族の地位を追われて没落したとは言え、ルアン・シクサ・ナシオン、そこまで落ちぶれた覚えはありませんでした。

 僕は顔を上げて、大きく頷きます。


「わかった。僕らはそういう夫婦でやろう」

「よし、じゃあきまりね!」

「ベルも良いかな?」

「何を今更。……私は構いませんよ」


 妥協と譲歩を繰り返した結果、全員の希望を最高の形で叶えるのは不可能でしたが、少なくとも全員の最低ラインを守る形にはなりました。ハアトとベルの渋々ながらも了承した微笑みに、なんだかこれからの生活の鍵が見えた気がします。

 家のことを決めるだけでこれだけ長引くのですから、これからの生活なんて揉め事だらけでしょうけど、まぁ、今回みたいになんとかなるのかもしれません。


「……大変だ」


 思わず口からそう漏れてしまいますが、不思議と僕の顔は笑っているようでした。取り敢えずは一件落着でしょうか。いえ、落着も何もこれからなんですけど。

 しかし緊張が解けたのも事実で、僕は一息つこうと思ったのですが――その油断を突風が襲いました。あまりにも突然洞窟の巻き起こった強風に頭が混乱したまま、無様に体が宙に浮きます。


「うぉっ!? 飛ばされ……っ!」

「ルアン様っ!」


 風に猛スピードで流されそうになる僕を自身も状況に混乱しながらベルが捕まえてくれます。持つべきものは瞬発力に優れた従者!


「大丈夫ですか!」

「お陰様で! でも、一体何が……」


 何が起こったんだろう、と続けようと思ったのですけれどそれはもう続けるのも野暮だったので止めました。或いは絶句したとも言います。


「じゃあさっそくだねー! ――――ッ!」


 えぇ、えぇ。風なんて入りようのない洞窟ですから発生源なんて一つしか考えられないのです。テンションが上がったらしく、人語と咆哮を交えながらハアトがその巨大な翼をはためかせていました。今にも飛ばんとしているのでしょう。お陰で彼女は僕とベルをめちゃくちゃ煽ってきます。物理的に。

 ですが唐突なので僕も旦那として尋ねざるを得ません。


「ハアト、どこに行くの!? さっそくって……」

「んー? ハアト、『かよいづま』だからね! いまからルアンさまのいえにいっしょにいこー!」


 さっきまでの渋々が何だったのかというくらい意欲的でむしろ嬉しく思うべきなんでしょうが、しかし聞き逃せない言葉なのも事実です。今から? いえ、そこは構いません。問題は『一緒に』です。

 恐らくハアトが普通に飛び立つのであればもっとスマートな発進が出来るはずです。しかし不必要に巻き起こる風。ベルもこの後の展開を理解したのか、青い顔をこちらへ向けてくれます。いえ、風で大荒れする毛は黒いんですけどね。


「……ルアン様、私なんだか嫌な予感が」

「奇遇だね。僕も嵐で難破する船の帆に共感を覚え始めたとこ」

「ルアン様が言うと洒落になりませんね」

「あっはっは。洒落にならないのはこれからだよ」


 そして僕らの予想通り、ハアトが最後に一番大きく翼をはためかせるとその口辺りで緑色の光が閃きます。


「それじゃあ……しゅっぱぁぁ―――――ッ!」

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」


 咆哮と共に飛び発つハアト。そして巻き起こっていた翼からの風は呼応するように魔法を帯びたらしく、僕らもまた風に巻き上げられる形で共に洞窟を飛び出すことになるのでした。

 目的地は我が家。帰宅方法としてはトップクラスの派手さを誇ると思います。

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