第16話 ドラゴン、人間にエサをやる

 恋仲が成立したばかりの男女はあまり『待ち時間』を持たない方が良いと世間一般的には言われています。

 もちろん平時であれば彼らにとって二人きりの時間はむしろ歓迎される貴重なものなのでしょうが、しかし長い『待ち時間』だと訳が変わってくるのです。例えそれが、冒険とイマジネーション溢れる海を臨む魔法に彩られた夢の国であったとしても、避けた方がいいものなのです。

 それは何故かというと。


「…………」

「くぁ――……ぁふぅ」


 まだ知り合って日も浅いため会話も早々に尽き……静寂に耐えられなくなるからだそうです。えぇ、今僕が実践しているように。ドラゴンの欠伸が見られただけ面白いですが、それはそれ。強靭な翼を持つ巨躯を前に沈黙を保つというのは並大抵の精神では耐えられません。


「……まだまつ?」

「…………出来れば」

「できるよ」

「ありがとう」


 あぁ、なんてやさしい妻なんでしょう。びっくりするくらいのその素直さが逆に恐ろしく感じるレベルです。……しかし待ってもらってアレなんですけど、全く妙案は浮かびませんでした。

 というのも、ドラゴンの巣には僕とハアトの二人だけのこの状況。ベルに『お話しておいて』と言われたので何か聞こうとしていたのですが……。


「…………」


 ……ドラゴンの顔をまじまじ見てると、何か聞こうという気力とか失せるんですよね。怖い。いえ、そうでなくても『何を聞けばいいんだ』というので詰んでるんですが。一応夫婦である以上、この状況はいつかの未来よくない気がします。また課題が増えてしまった。


「ねぇー、ルアンさまー」

「……ごめん、もう待たなくていいかな」


 もう何度目かも分からないハアトの呼びかけに、僕の方が折れてしまいました。身体の差を反映したような精神の脆弱さに我ながら悲しくなります。

 そしてハアトは『待て』から解放されて、さっきと同じ台詞で僕に詰め寄ります。


「ねぇルアンさま、にんげんのふうふみたいなこと……しよ?」


 声は可愛いのに見た目がドラゴンなので妙な気持ちになります。恐らく意図せず無垢に煽情性を帯びているのでしょうから質が悪い。

 しかしまぁ、恐らく僕に拒否権はないのでしょう。ベルが戻ってくるまで特にやれることも思いつきませんでしたので、その誘いに乗ることにします。


「……よし、いいよ」

「やったー! えへへ……やさしくしてね?」


 優しく、と言われましても。ハアトの言う『人間の夫婦みたいなこと』が何なのか――否、ナニなのかにも寄ります。もしその、そういうことをするのだったら出来るだけ人間態でお願いしたいのが僕の心情です。さすがにドラゴン相手に切れ味鋭くなるほど僕の妖刀も血に飢えていないというか。城の近衛にはドラゴンと馬車でそういうのを妄想する猛者も……すみません、話が逸れました。いや、そもそも何の話なんだって話ですけど。


 しかしそういうことになった場合、仮になった場合(夫婦なのだからなっても全く、そう全くおかしくないのですが)、生まれてくる息子或いは娘は胎生なのか卵生なのか――そんなことに思いを馳せていたのですが、しかして僕の予想とは反して黒いドラゴンであるところの彼女は何かを思案するばかりで行為に及ぶ気配はありません。


「んー……」

「……ハアト?」


 少なくとも順調な様子ではなかったようなので、声を掛けてみれば彼女は閃いたと言わんばかりに翼を大きく広げました。


「そうだ! ルアンさまにきくね!」

「ぅぉぉ……っ!?」


 ドラゴンの彼女としては僕ら人間で言うところの手を叩いたくらいの素っ気ない動作だったのかもしれませんが、何せその巨体に見合った巨翼です。背中に畳まれていたそれは洞窟の天井を覆わんばかりに広がって、もちろんその被膜は余波を巻き起こすわけで、彼女の足元にいた僕は突風に煽られることになりました。


「ちょっ、ハアト……っ!」


 完全に展開すれば自身の体長と同じくらい大きいであろう翼の幅ですから、その黒は天井でふよふよしている光源たちも隠してしまうわけで、僕の立つ一帯は一気に湿っぽい闇に包まれます。その湿っぽさも巻き起こされた突風と飛散する石ころと砂が吹き飛ばしてしまうわけですけれども。顔を覆って踏ん張るのが精一杯です。

 そんな僕の反応に、ハアトもちゃんと気付いてくれたらしく。


「ルアンさまだいじょうぶ?」

「……おかげさまで」


 幸いすぐに収まったので吹き飛ばされることはありませんでしたけどね。見ればもう彼女の翼は畳まれていました。……またいつ突発展開するかと思うと気が気ではありませんが、まぁ、それはそうなったときに考えるとしましょう。

 話を戻します。


「僕に何か聞くんじゃなかったの?」

「そう! それなの」


 危ない。大声を出したからまた突然嵐が巻き起こるかと思いました。突然炎が吹き上がる必要も誰かの予言が当たる必要もありません。


「『にんげんのふうふみたいなこと』なんだけどー」


 全くそんなことはないはずなのに最早いかがわしい響きを帯び始めているそれですが、何を語られるか期待と不安が二対八くらいの感情で僕がその先を待っていると、彼女のあぎとが続けたのは、意外な言葉でした。


「ルアンさまはどんなことが『にんげんのふうふみたいなこと』だとおもう?」


 それは本当に、ただ純粋に意見を求めているようでした。


「『にんげんのふうふみたいなこと』?」

「うん。ハアト、それがやってみたいの!」


 ハアトがそう口にしてはっきりしたのは、彼女が言っているのは情事を誘うような意味ではなく、むしろ新しい遊びに友人を誘うような言葉の響きが近いということでしょうか。

 そして僕はなんとなく、ここに対話の余地がある気がしたのです。いえ、単純に興味が生まれたということもありますが。


「そうか……やってみたい、か」

「うん! ルアンさまならしってるよね?」

「知っては……まぁ、いないこともないけれども」


 一番身近な夫婦が我が両親という世間的には特別なケースだったので期待に沿えるかはわかりませんが。

 しかし僕は敢えて言葉を濁して、その場へ腰を下ろします。座って見上げればドラゴンの大きさがより伝わってきますが、こちらへ首を伸ばすその頭部に恐怖はあまりありません。


「先に僕が聞いていい?」

「えー……ハアトがさきにきいたよ?」

「それはごめん。あとでちゃんとこたえるから」

「ぜったい?」

「絶対」


 ドラゴン相手に軽々しく絶対を誓うって熟考すれば空恐ろしいですよね。浅慮だから関係ありませんけど。破る気もないのでこれくらい軽率な方が話も進むと判断しました。


「うー……いいよ」

「優しいかよー」


 その判断は正しかったようで、彼女は一瞬思慮した後に快諾してくれます。寛容かよー。という訳で遠慮なく、僕は僕の聞きたいことを尋ねました。


「そもそも、ハアトはどうして『にんげんのふうふみたいなこと』がしたいの?」

「ハアトとルアンさまがふうふになったから!」


 単純明快です。……ハアトの答えが素直過ぎて、『ドラゴンは人間より遥かに高い知能を持つ』という噂が根も葉もなく思えてしまいますね。

 しかしこれではちょっと話が進まない。切り替えてみます。


「でも人間の夫婦の真似をしたいのはどうして?」


 少し言い方を変えただけで、ともすれば全く同じ答えが返ってきてもおかしくなかったのですが、ハアトの返答は違うものでした。


「やってみたかったんだー。ハアトにんげんすきだし、にんげんのまねっこするのおもしろいから。えへへっ!」

「人間の真似っこ……」


 まるで子どもの遊びですが……地上に一番繁栄している(と自負している)種族であるところの僕らが、まさか暇つぶしに真似されているなんて考えたこともありませんでした。

 ハアトは無邪気に続けます。


「にんげんって、ふしぎで、おもしろいでしょ? だからたのしいんだー」

「不思議で面白い? どこが……?」


 恐る恐る聞くしかありません。知りたくないような知りたいような。


「まほうつかえないしー、とべないしー」

「使えないね。飛べないね」

「むれ……にんげんでいうところの、しゅうらくとか、かぞくつくるしー」

「群れですか」

「むれでしょ?」

「群れですけど」


 まさか共同体を群れ呼ばわりされるとは思わないじゃないですか。獣でもあるまいし。


「ハアトがしないようなことしてるし、よくわかんないから、まねしたらたのしかったんだー。にんげんってへんなの!」


 ドラゴン様がしないようなこと、なんて言い方をされると僕らの生活が急に獣と同列の低次元なものに思えてきますが、そんなことを考えていては彼女と夫婦生活は成り立たなさそうなので忘れます。我々からすればドラゴンの方が圧倒的に変です。なんだよ魔法って。


 思い返してみれば、ハアトの言動にはいちいち『人間っぽさ』を確かめるようなものや、明らかに『真似』っぽい不自然な人間的動作があった気がします。……完全ではない辺り、ごっこ遊び感があります。たぶん遊びなのでしょう。


「……もしかしてうちの裏で人間の姿で寝てたのも?」

「わらでねるのたのしいね! ふしぎなかんじだったー! にんげんにへんしんしないとつかえないけど」

「納得」


 そう考えると、逆鱗に触れた僕がなぶり殺されなかった理由も少しは理解出来そうな気がします。つまり雑にまとめてしまえば今ハアトは人間にハマっている……ということなのでしょう。……この言い方だといつか飽きるみたいで怖くなりますが。

 しかしこれで、脈絡がないように見えていたハアトの行動になんとなくの指標が見えた気がします。……これが何かの役に立てばいいんですけど。


「なるほど。だから『人間の夫婦みたいなこと』がしてみたいわけか……」


 確かに夫婦の真似事は相手が必要ですからね。絶賛人間の真似っこキャンペーン開催中の彼女にしてみればいいチャンス到来でしょう。


「そう! だからこんどはハアトのばんね!」

「おぉっとぅ」


 半強制的にターンが移りました。まだターンエンドのコールをしてないはずなのですが、まぁ特別聞きたいこともエンドフェイズに自動発動する能力の処理もなかったので大人しく明け渡します。


「で、ルアンさまはどうおもう? ハアトもしってるんだけど、でもルアンさまのがききたい」

「ははは、こやつめ」


 甘え方が愛らしいので微笑み返してみます。……しかし、『人間の夫婦っぽいこと』ですか。近衛兵との談笑であれば情事の話題に及んでいたでしょうが、ここでその選択肢は間違いなく好感度だだ下がりのバッドコミュニケーションなので残念ながら避けざるを得ません。……となりますと。


「……料理、じゃないかなぁ」


 僕の知能が導き出した答えはそれでした。先日カルロスさんの奥さんにもおいしいスープを頂きましたし。……我が母が料理していた覚えがないので信憑性は若干下がりますが、不正解ではないはずです。


「りょうりー? ごはんってことだ!」

「そうなるかな。人間の奥さんは旦那に料理を振る舞うことが多い……みたい」

「ごはんをあげるのはメスのやくめなんだねー」

「……そうだね。そういうご家庭もある」


 急にメスって言わないで欲しい。メスだけどさ。人族のメスだけどさ。ハアトさんの知性ならもっと他の語彙があったでしょうに。

 表情(言葉を交わしているうちにある程度読める気がしてきました)を見るに彼女の中でこの答えはある程度の納得を得たようで、赤い瞳を輝かせるとその鼻づらが僕の顔面に迫ります。


「じゃあハアトが、ルアンさまにごはん、あげるね!」


 そう言えばそろそろ午餐、いやもう過ぎている頃合いでしょうか。言われて見れば腹の虫も唸りを上げてもおかしくない感じはします。


「いいの?」

「いいよー! ちょっとまっててね……えーっと」


 快諾です。ハアトはのっしのっしと洞窟の一角で何かを探し始めます。食糧問題に困窮しているベルには悪いですが、ここはハアトの好意に甘えて一足先にお昼にしましょう。幸い、『じゃあハアトのおひるはルアンさまね!(性的な表現ではない)』なんて展開にはならないでしょうし。

 少しわくわくなんかしちゃったりもして待っていた僕ですが、ハアトが首を振ると、恐らくその口に咥えられていたであろう『ルアンさまのごはん』が僕の前に降ってきます。


「はい、それあげる」

「…………これ?」


 相当の重量をもって僕の前に落下したそいつは……その、どう見ても死んだ熊でした。鋭い爪。広い背中。熊です。開ききった口からだらしなく垂れた舌が彼の死を教えてくれています。


「きのうとったくまだよ」


 やっぱり熊でした。


「えへへ……どうかな? たべていいよ!」

「どうかな? ……どうかな……」


 最早相手の言葉を繰り返す小鳥です。いやどうって言われても、毛皮すら剥いでいない死体そのままの熊を食えと言われましても。僕はその威圧感ある死体と予想外の状況に固まって反応もままなりません。

 するとハアトは何を思い出したのか、こちらへ歩み寄り熊を口に咥えて僕の方へずずいっと差し出してきました。小柄な僕からすれば押し付けられるような形です。


「ハアトしってるよ!」

「……知ってるって何を?」


 そんなよく森を焼かれる少女みたいな言い方されても、この状況だと嫌な予感しかしません。

 ハアトは下の前牙に器用に熊の死体をひっかけながら、それを僕の口目掛けて差し出します。非常に可愛らしい知識を披露しながら。


「にんげんのおくさんはだんなさんにこうするんだよね……はい、あーん!」

「ちょっ、ハアト、毛皮付きはさすがに……せめて剥いっ、うっ、あの……獣臭っ」


 初めての彼女の『あーん』。相手は自分より年下(の見た目になることもある)新妻からの『あーん』。……であるのに、こんなに嬉しくない『あーん』があるでしょうか。僕は顔を逸らして拒否します。口も開きたくないですが、そんな僕を無視するように熊の死体は僕の顔を襲います。頬に当たる毛がざらざらして不快だ……。


「はい、あーん。がぶっていっちゃって!」

「がぶっ、も何も……いや僕には無理って言うか」

「はーい、ルアンさま、あーん」

「ハアト聞いてハアト、あの、さすがに処理は」

「あーん。あーんして、ルアンさま」

「しないって言うか、出来ないって言うか」

「はーやーくー! はい、あーんっ!」


 聞いてねぇ。最早彼女は僕に『あーん』させることにしか意識がありません。こんなに押しつけがましい『あーん』があってたまるか。メシマズなんて騒ぎじゃねぇや。

 しかし相手はドラゴンで嫁。僕より強いのは目に見えていて、どう器用に動かしているのかは知りませんが熊の死体が僕の口をこじ開け始めていたのでした――どうなる、僕。ろくな未来は見えません。

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