第15話 元・王子、板挟みになる

 自分を巡って二人の異性が争う――いわゆる「私のために争わないで!」というシチュエーションは、承認欲求とか愛を感じられて、多くの人の憧れかと思われます。主に女性の憧れでしょうけども。二人の異性を狂わせてしまう私って罪な女……うっとり。みたいな。

 ……とは言いますものの。


「ルアン様、帰りますよ」

「だめ。だんなさまはハアトといっしょにいるんだから」


 目の前で繰り広げられると、その、結構迫力が凄まじいものなんですね、これって。僕が男だからでしょうか。正直言って全く嬉しくありません。

 しかし彼女らにとって僕の心境なんてほとんど関係ないらしく、僕の意見を聞く前にお互い睨みあっています。黒い獣人と黒いドラゴンが睨みあっているさまは、こう、身体能力の脆弱な人族の少年としては出来る限り遠慮願いたい状況です。

 しかし、なぜこんな状況に陥ってしまったのか。

 理由は至極単純明快で話としては引き延ばすものでもないのですが、若干時を巻き戻してみましょうか。以下、回想。





 ハアトの魔法によって一瞬にして生える小麦を目にした僕は、その力に流されて一つの考えに至っていました。

 そう、魔法によって無限生産できる小麦です。これがあれば今すぐに食料問題は解決、村長さんに我々の職を探して貰う必要もなくなります。お話にある引退後の勇者様みたいに天賦の能力を使いまくり何もしなくても悠々自適な自堕落ライフ! の始まりと目論んだのです。


「……我ながらどうかと思わないでもないけど」


 主に人格的な意味で。

 しかし持っている能力を使わないのは持つ者としてどうかと思うのです。僕の力じゃないですけど。昔から大いなる力には大いなる責任が伴うと言いますし。僕の力じゃないですけど。

 そして僕がそれとなく示したため、その真意に気付いたベルはというと、少し考え込んでいました。


「どうかなベルくん」

「妙な呼び方やめてください」

「ごめんなさい。……どうかな」


 出来る楽はしたい。人間とは限りなく下り坂の生き物である……なんて、僕は考えていたのですけど。


「……私は、反対します」


 我が従者の反応は僕の想像よりかんばしくなく、そして何より落ち着いた答えでした。これからの生活に強く影響する提案とのことあって、冷静に判断したようです。さすが我が家の頭脳労働担当。いえ、肉体労働担当も彼女ですが。


「もちろん、大変魅力的な可能性だとは思うのですが」

「いや、構わないんだけどね」


 早速自分の提案を仕舞う僕です。

 別にベルに流されたというわけではなく、……と言い切れるわけでもないのですけれど、しかしベルの態度を見ると単に『ハアトに貸しを作るのが気に食わないから』というわけでもなさそうだったので。


「少々ルアン様を遠回しにとがめるかもしれませんが構いませんか」

「構いませんよ」


 否定するからには、ということでしょう。ベルは理由を話してくれます。


「理由は大きく二つありまして」

「ふむ」

「まず一つ目に、村長さんを始めとした村の方に申し訳が立たないというものです。パンのお裾分けや仕事の斡旋あっせんまで考えてくださっているのに、ここで魔法に頼ってしまえば村の方々の好意を無下にすることになるかと」

「……確かにそれは申し訳が立たないね」

「そもそもイルエルで暮らすと言い出したのはルアン様ですので、労働や多少の苦労は覚悟の上だと存じております」

「うん。そりゃそうだ」


 イルエルで生活すると決めた以上、城のような勝手気ままライフが送れるとは僕も思っていません。城での生活も決して勝手気ままではありませんでしたが。まぁ、苦労の方向性が変わることは承知の上です。……だからこそ、楽に目を奪われたのですが。なんて浅はかな僕。


「して、もう一つは」

「えぇ。二つ目は、彼女――ハアトの存在です」

「よんだー?」


 ベルの言葉に反応して、無限小麦精製で遊んでいたハアトがこちらに首を向けます。話の腰を折られてはたまらないので、僕が対応します。


「呼んでないよ、ちょっと待っててね」

「まつー」


 待つの得意ですよねハアト。人間とは時間感覚が違うのかもしれません。明らかに寿命長そうですし、ドラゴン。


「ごめん。話を戻そう」

「構いません。……私たちが急に大量の小麦を手に入れたとなると、村の方々からしてみれば不審ではありませんか?」

「確かに。つい昨日までは餓死も候補にあったのに」

「私の候補にはありませんでしたが。ともかくそうなると、この大きいとは言い難い村ですから、どう隠してもいずれは魔法による所業だと判明するでしょう」

「……すると、みんなはズルいと思うよね」

「そうですね。下手をすれば我々は争いの種になるでしょう」

「小麦の種が欲しいのにね」

「ルアン様」

「ごめんって」


 浅はかな僕が茶化したせいで彼女の理由はここで止まりましたが、察するに恐らく『ハアトがドラゴンだとバレる』ことも理由の一つなんだと思いました。

 魔法が使えるということはドラゴンです。ドラゴンが実在した、となれば多少の混乱は巻き起こるでしょう。もしそうなった場合も、僕らはただでは済まないはずです。

 ……今更ですが、僕はハアトとつがいになった時点で『彼女の存在を隠す』という仕事も請け負うことになったんですねー。これは大変だ。


「ルアンさまー、おわったー?」

「うん。終わった……よね?」

「構いませんが」


 ちょうどいいタイミングで声を掛けてくれたので、僕らは『ハアトの魔法の麦は使わない』という方向でこれからを定めました。若干だけ残念ではありますけど。


「どう?」

「どうって言われても困る量だね」

「えへへー」


 ハアトの成果報告を受けます。収穫されて山になった小麦たち。最早一年分くらいはありそうです。いえ、適当(適切の意ではない)な目算ですが。えへへー、じゃないんだよ。


「ルアンさま、これいる? いる?」

「……えーっと」


 余談ですが、ドラゴンというのは表情がめちゃくちゃ分かりにくいです。顔を伺うのが不本意ながら得意な僕が言うんですから間違いありません。爛々と光る目、巨大な口の合間から見える牙、鱗がひしめく表皮……。

 しかし今のハアトはそれを差し引いても分かるくらい、晴れやかな表情でした。えぇ、ドラゴン形態でもわかるくらいに。人類共通語を話すときの声はあの少女の声ですから、声の弾み方でもわかります。

 そんな嬉しそうに詰め寄られて、ぶっきらぼうに断れるでしょうか。さっき断ると決めましたが。相手が少女だとしてもドラゴンだとしても別の意味で難しい状況です。


「………」


 ベルを伺ってみます。……あっ、『ご自分で判断してください』って顔してる。こうなると僕は孤立無援です。そして孤立無援になった僕が取る行動なんてたかが知れていて。


「……じゃあ、それは貰おうかな」

「えへへ、ハアトよくできたでしょ。にんげんみたいだね!」

「そうだねー、人間みたいだねー」

「またつくる?」

「もういいかな。大丈夫」

「だいじょーぶ! わかった!」


 凄まじい罪悪感と情けなさです。これ以上間違いは重ねたくないので釘は差しますけど。

 黒のドラゴンは満足げに頷くと、その巨大な手で小麦の山をひと掴みにし、僕の前に置きました。僕目線で言えばさながら小麦の山が降ってきたようにも見えます。……これをひと掴みか……スケールの違いを感じます。


「意気地なしですね、ルアン様」

「うぐ」


 小麦の山に向かいざま、僕にだけ聞こえるように嫌味を吐きます。いや、吐かれるだけのことはしましたけど。


「麻布より押しに弱いルアン様のことですから、予想はしていましたけれどね」

「返す言葉もございません」

「まぁこれは非常用といたしましょう。最悪藁には出来ますし」


 そう言いながらベルは小麦を使って小麦をまとめるという小技を披露していました。僕も見よう見まねでやりますと、小麦の山が数束の小麦束になります。

 ベルは頼もしくその過半数を手にすると、相変わらずクールビューティーな横顔で、僕に尋ねました。


「ではルアン様、これからどう致しますか?」


 そもそものハアトの巣に来た理由であるところの小麦問題は予想されていた結果とは違う形になったものの、解決したわけです。

 であれば……帰る?

 僕が巣の中を見回して得た結論と同じ論に至ったのでしょう、ベルは軽く頷いてハアトに告げました。


「じゃあハアト。私たちは帰るから」


 しかし、これが上手くいかなかったんですよね。


「かえる? どこに? ここがハアトとルアンさまの巣だよ! かえるならベルだけだよ」


 確かに、ハアトは最初からそう訴えていました。となれば、僕が帰ろうとするのは遺憾の意でしょう。納得できます。

 しかしそうもいかないのが我が従者。彼女はこの巣穴があまりお気に召さなかったと見えて――


「……はい?」


 冷ややかに、片眉を上げたのでした。





 はい、回想終わりです。

 僕を争う二人の女性陣の構図はこうやって出来上がったわけですね。……およそ僕のせいでは、なんて考えてはいけません。流れ流された結果がこうなっているだけで、最早これは運命的な何かです。そういうことにします。


「私とルアン様の家だから。私が帰るということはルアン様も帰るのだけれど」

「ここがいえだよ! べつにベルはかえってもいいんだけど」


 ですが、これ以上無駄な論争を繰り広げて頂くわけにはいきません。僕の精神衛生的にも。


「ちょっと待って頂いても?」

「「なに?」」

「あっ、ごめんなさい……」


 威圧感凄まじい反応です。ドラゴンと犬の獣人に同時に睨まれたら謝っちゃいますよそれは。天の両親よ、ひ弱で意気地なしの息子をお許しください……。

 ただ怯んでいるばかりでも状況は変わりません。二人の言い合いではどう足掻いても好転しそうにはありませんし。


 状況を考え直してみます。

 きっとベルは小麦たちを仕舞うだとか家の用事を片付けるなどがしたいのだと察せます。いえ、この場から立ち去りたい欲というか『よくわからん危険生物』であるところのドラゴンを避けたいというのも大いにあるんでしょうが。

 対してハアトは……ハアト……。正直言うとハアトの考えてることは僕にもよく分かりません。唯一分かるのは人族が好きってことくらいでしょうか。

 ……となると。


「……ちょっと、ベルさん」


 僕が声を掛けたのはベルでした。彼女の方は確実に話が通じるので、説得するなら彼女だと踏んだのです。


「なんですか? 帰る気になられましたか」

「煽るようなことを言うんじゃないよ……。……そうじゃなくて。ベルだけ先に一旦戻って貰えるかな?」


 ベルさんはというと、僕からそんな申し出があるとは思わなかったらしいです。きょとんとした表情の後に、ひどく機嫌が悪そうに眉間に皺が寄ります。


「……夫婦水入らず、長年連れ添った私はもうお邪魔ですか。そうですか。薄情なルアン」

「そうじゃない!」

「そうだそうだー! ルアンさまはハアトのだんなさまだよ!」

「ハアトもハアトで乗っからないの!」


 なんで話をややこしくするんですかね!? 僕という主人が! 話をしようと! しているのに! やんなっちゃう!

 最早手慣れた感じでハアトに『待て』をして、僕はベルに話の続きをします。


「取り敢えずこれからどうするかを話し合うにしても、家の用事とかその小麦とか片付けないことにはベルもすっきりしないかなーって」

「あながち的外れではありませんが……」

「その後戻ってきて、改めて三人で話し合おう。……どう?」


 僕とベルの視線が交錯します。ベルの言う通り長年連れ添っているだけあって、言外のやり取りが含まれています。

 巣に入ってきたばかりの時、ベルは『臭い』と言っていましたが、つまり今までその臭気を鼻で感じているはずです。僕らにはさほどでもありませんが、犬の獣人である彼女にとって嗅覚へのダメージというのは意外と大きいものです。外の空気を吸わせるためにも、そして何か準備をするためにも彼女には出て貰いたかったのです。……恐らく僕が単独で出るよりハードルも低いでしょうし。


「……」


 半分睨まれているような気がしますが、視線で感じ取ってくれと念を送ります。いや、念もだいぶふわふわした要素ですけれども。

 少しの間、沈黙が続いたと思うとベルは堅い表情を不意に崩して天井を仰ぎました。


「……はぁ。わかりました」

「ありがとう。助かる」


 理解のある従者で助かります。


「……代わりに、私のいない間にちゃんとハアトと『お話』しておいてくださいね」

「……頑張る」


 ここで言う『お話』とはこれからのことでしょう。確かにベルがいなくなるんですから、僕が代わりにある程度の話はつけておくべきではあります。一応ハアトの旦那ですし。

 ベルは僕に少し心配げな視線を投げましたが、諦めるように振り切ると今度はハアトを睨みます。


「私のいない間にルアン様に何かあったら許さないから」

「べー! ハアトのだんなさまだからね!」


 会話が絶妙に噛み合ってません。なんでこんなに二人は仲が悪いんですかね。困りものです。

 しかし仲が悪いとは言え、ベルはこの巣を出るにはハアトの風の魔法を借りねばなりません。僕がハアトにお願いすると、ハアトは若干嫌そうながらも魔法を使い、ベルの体がさらわれます。


「……では、ルアン様」

「うん。僕の心配は大丈夫……だと思う」

「信用なりませんので早く戻ってまいります」


 そうしてくれると僕も大変ありがたいです。

 それだけ交わすと、ベルの黒い垂れた尻尾はみるみるうちに浮上して洞窟の闇に消えます。

 さて、僕は巨大なドラゴンと、そのドラゴンの巣に一人残されたわけですが、今になって状況を再確認してビビってきました。


「ねぇねぇルアンさま」


 そんな僕の心境などいざ知らず、当のドラゴンさんは話し掛けてくれます。上から降ってくる大きな声は少女らしく楽し気です。魔法の光源にきらきら光る鱗も大変キュート。……ごめんなさい嘘です。さすがにそうはまだ思えません。

 ハアトはのっしのっしと洞窟内をゆっくり僕の方へ歩み寄ってきます。さながら王者の風格、さすが地上最強の生物です。堂々たる貫禄と威圧感。初見がコレだったら死を覚悟していたでしょう。

 僕が戦々恐々としている前で、彼女はとっても嬉しそうに僕に顔を近付けてこう言いました。


「にんげんのふうふみたいなこと、しよ?」


 目の前にあるのが黒髪少女の赤い瞳なら、その魅惑のワードに僕の無垢なる刃も憎悪の空から来たでしょうが――生憎正面にいるのは生物的恐怖の象徴であるドラゴンの赤い双眸でございました。

 ……夫婦生活を楽しく円滑なものにするには、何らかの対策が必要だと強く感じます。

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