第14話 小麦、生える
洞窟の入り口を音もなく出現させる。
風を自在に操って僕らを運ぶ。
洞窟の中に謎の光源を発生させる。
そして、自在に姿を変える。
こうして列挙してみると文字面だと派手さこそありませんが、如何に万能かということがわかる気がします。
ここまで万能だとどんな技術ぞや魔法、と思ってちんちんの有無による変身を諦めた僕はドラゴンに戻ったハアトに尋ねたんですけれども。
「んー、おしえない」
「えぇ……」
教えてくれないらしいです。
何故、と続けて尋ねてみると彼女の大きな赤い瞳からは冷たい返答があります。
「にんげんじゃあわかんないとおもうよー」
「分かんないもんですかね」
「むりだとおもう!」
さっきまできゃっきゃうふふとはしゃいでくれていたハアトとは思えないくらい素っ気ない反応です。……高次の存在は理解不能ですね。隙あらば学んでみようと思ったのですが、無理らしいです。難儀だ。
急に興味の対象を失ってしまったので、手持ち無沙汰になった僕は取り敢えず従者であるベルの方向を振り返ったのですが。
「…………」
彼女はというと、眉をひそめた微妙な形相で辺りをきょろきょろと見回していました。
「ベル?」
「……いえ、なんというか」
一瞬、
「……妙な匂いがするんです。はっきり言えば臭いです」
「くさいってどういうことー!」
ドラゴンと言えど女の子なので聞き捨てならないらしいです。
「だって臭いんだもの」
「ベルきらい。かえって」
「待って待って待って」
女性の本音同士がぶつかります。いや怖い。怖いと言うか聞き逃すわけにはいかない気がいたします。三人で共同生活をするであろうことを考えると、捨て置けない問題です。
僕はベルを一旦なだめると、首だけそっぽを向いているドラゴンの前に歩き出ます。四足を畳んで座っている彼女はさすがドラゴン、威風堂々たる感じなんですけど中身がハアトなので話せます。
「ねぇハアト」
「なにルアンさま?」
びっくりするぐらい甘い声です。さっきの『ベルきらい』との態度の差たるや清々しいまでのものがあります。これが女子の集まりだったりすれば『何よあの子、ぶっちゃって』なんて陰口に発展したりするのでしょうか。ドラゴン状態のハアトにぶたれたら確かにただでは済みません。そうじゃない? 話は逸れまくります。
それは置いといて、僕は聞きたいことをさっさと聞こうと思います。それはあまりにも、根本的な質問でした。
「ハアトはなんで……そう、ベルを嫌うの?」
いえ、いくら頭の回転速度が遅いタイプの人類である僕でも、いくらか察せないことはありません。例えば『私が居るのになんで他の女と一緒なの!』みたいな可愛らしい嫉妬であるとか。
ですが相手はドラゴン。出会ってから既に何度か、僕ら人間には若干不可解な行動も見られます。ならばせっかく意思の疎通は可能なのですし、直接聞くのが一番です。
こんな場合、大概は聞いてみればつまらない理由だったりするもので……。
「だってハアト、ベルにきょうみないんだもん」
「おぉっと」
予想以上にヘビィな返答です。興味がない。いささか語気が強過ぎる気がしますが、生憎彼女はいくら強い言葉を使っても弱くは見えない体躯をしております。強い言葉使い放題です。
女性陣二人の調停を勝手にし始めた僕は恐る恐る背中のベルの様子を伺ってみます。……見事な無表情です。いえ、違います。よく見るとあれば怒りです。尻尾が天を突かんばかり。
「私だって興味ないもの」
「言い返すんじゃないよ……」
余計こじれるでしょうが。まぁベルからしてみれば突然現れて主に結婚か滅亡かを迫った最強生物なんて好意的に捉えられるわけもないのですが、だからってわざわざ険悪になることもない気がします。
相変わらずクールな、というかツンとした表情のベルを背にしながらハアトに向き直ります。しかし興味が無いと言われては何もしようがありません。
僕がどうしようかと思っていると、ハアトが僕にその理由を事細かに説明してくれました。
「ハアトがすきなのは、にんげんなの。にんげんいがいは……きょうみないかなー」
「えっ」
「えっ?」
……おぉっと。なんということでしょう。
僕はハアトの発言が結構危なめなラインを攻めたのに気付いて、ベルの方を振り返ってみます。
「……聞いてた?」
「えぇ。私は人間ではないらしいですね」
「やっぱり聞いてたよね! 知ってた!」
これはマズい!
僕は慌ててフォローに回ります。ルアンの人間の定義講座です。
「ハアトは獣人って知ってる?」
「しってるよー。ベルみたいなのでしょ?」
「そうそう。……実は獣人も人間なんだよ」
「うそー?」
「嘘じゃないって」
まだ若干興味は薄いようですがここでフォローに走らなければ僕とベルの間柄さえ険悪になりかねません。噂によればドラゴンは確か僕らよりも頭が良かったはずなのですが、『人間か否か』は当の人間が定めたルールもありますので、それを一応説明することにします。
「人間、って言うのは大きいくくりで……その中に僕みたいな人族とか、ベルみたいな獣人族が含まれるんだよ。だからベルも人間なんだ」
「でもベルは獣人でしょ? 獣人とにんげんはちがうよ!」
「違うんですってルアン様」
えぇいなんてこった、話が通じない。
どうやらハアトの中にも『人間か否か』の確固たる理由があるらしく、その枠に当てはまるのは恐らく僕ら人族のみと見えます。イルエルの村に獣人族はいないと聞きますから、それが理由なのかもしれません。
「……これはもう仕方ない気がする」
僕は一人諦めると、ベルの方を説得します。まだこっちの方が話が通じるので。
「ベルさん、ここは僕に免じて抑えていただけませんか」
「はて? 何を抑えろと言われるのでしょうか。私は何も、えぇ、何も気にしておりませんが」
めっちゃ気にしてるじゃないですか、って感じですが僕はそれを口にはしません。表面の態度でも『気にしてない』を現した以上、そう接するのが今は一番早いように思われます。
「そんなことよりー! えへへ」
「うぐっ」
僕の体が上から降ってきた声と共に抱きすくめられます。折り畳んでいたハアトの前足が伸びて来て、僕を両手で抱えた形です。僕から触れれば何が起こるかわかったものではないので抵抗は叶いません。
「ハアトの巣ににんげんがいるー……えへへ! しかも、ハアトの、だんなさま! えへへ、えへへへへ……」
自分の暮らす空間に好きな人間が居ることがさぞ嬉しいのでしょう、彼女は捕まえた僕に頬擦りします。ひんやりとした堅い鱗がつるつるぎゅいぎゅいと僕の全身を摩耗させます。えぇ、明らかに耐久性が低いのは僕でしょうから擦り減るとしたら僕でしょう。
「ハアト、あの……ハアト?」
「えへへー……! ――――ッ!」
聞いてませんねこの子。感触こそ悪くありませんが、その、若干痛いです。なんというか、力加減が全くありません。首とか肩とかが頬擦りの度に持っていかれるので関節の痛みが凄い。耐えられない痛みではないですが、もう少し容赦してほしい感じではあります。
あと薄々気付いていましたが、どうやらハアトは感情が昂りやすい様子でした。しかも昂るとドラゴンっぽさが前面に出てきます。どういうことかというと、僕が愛玩動物に徹している今は人語じゃないってことです。黒いドラゴンの嬉しい咆哮が洞窟に響きます。
「あの、ハアトさん。……ハアト……!」
「ん! なにー?」
咆哮の間隙を突いて声を上げればようやく気付いていただけました。このままでは話が進まねぇ、と眼下で冷めた様子のベルに気付いた僕は本題というかそもそもここに来た目的をハアトに思い出させます。
「小麦! 小麦があるって聞いて来たんだけど!」
「こむぎ……あぁ、うん! みせてあげるね!」
思い出してくれて何より――だったんですが、彼女はそのまま急に僕を離しました。
「ぅえっ?」
ドラゴンである彼女に掴まれて、そしてその顔に頬擦りされていたのですから、パッと離された僕の瞬間高度(今考えた単位です)は相当なものでした。……ベルが即座に抱きとめてくれなければ怪我は必至だったでしょう。
「……ありがと」
「いいえ、構いません」
不機嫌でも気が利くのはいいんですが、これはこれでそれなりに気まずいものがあります。
しかしそんな気まずい空気はすぐに打ち破られました。僕がベルの手から下りるとほぼ同時に、ハアトの声が僕らを呼びます。
「ここ! ここにあるよ!」
僕とベルは小さく頷いて、そちらへ向かいます。ハアトからしてみれば部屋の中を数歩動いた、或いは体の向きを変えたぐらいの距離かもしれませんが僕らからしてみれば十分『移動』と呼べる距離でした。
ちょうどハアトの体躯の陰になっていた場所に、畑のようなものがありました。……いえ、厳密には畑とは呼べないんでしょうけれど。溝でそれっぽく四角に囲われた中は一応耕してはありますが、そもそも洞窟の中なので。
ですが、それが紛れもなく畑であることを裏付ける証拠がありました。
「どう!?」
ふんすふんす、と鼻息が聞こえてきそうなくらいのドヤ感でハアトが見下ろしていたそこには小麦が生えていました。
「……小麦だ」
「小麦ですね」
まさか洞窟の中で栽培されているとは思いませんでした。しかも結構状態が良いと見えます。……というかですね。
「りっぱにみのったでしょー!」
「あ、うん。すごく立派なんだけども……」
僕らの前にはもう収穫してもよさそうな小麦が並んでいたのです。それがとてもとても、困惑を誘っていました。
「これ、ハアトが?」
「そうだよー! にんげんみたい?」
「う、うん」
きっと頷いてほしいだろうと思って頷きましたが、とても人間業じゃないです。雨も風も日もないここでどうやってこんなに立派に育てたんでしょう。僕、気になります。
ハアトは僕の返答に満足したのか、僕らの目前で麦を刈り取りました。爪で麦たちの根本を攫えば、それはもう綺麗さっぱり刈り取ってしまえる訳です。全く抵抗などなく、僕は困惑に重ねて若干の恐怖を覚えます。あの爪なら簡単に僕は肉塊にジョブチェンジ可能です。
「えへへ。みててねー」
人間の真似事がお好きらしいドラゴンさんは、きっと村の人たちがそうしていたのでしょうか、どこからか調達したらしい袋に小麦を詰め込みます。そして綺麗になった畑に種をばら撒くと、また小麦が生えてきて、ハアトは僕らに誇るように――
「えっ?」
今何かおかしいところがあった気がします。よくよく目を見開いてみましょう。僕の目の前にはすくすく育った小麦が生えていました。
「……いやいや待ってハアト」
「ハアトまつよー。どうしたの?」
「どうしたのではござらんよ」
気が動転しています。
そりゃいきなり目の前で小麦が一瞬で生えて来たんですから動転だってしますよ。色々おかしいでしょう。ベルなんか絶句してますよ。
「ハアト、小麦は普通一瞬で生えないよ」
「うん。まってもいいんだけど、いまはルアンさまいるから!」
「随分なサービスありがとう……もしかしてこれも魔法?」
「うん、まほうだよ!」
魔法、万能過ぎやしないでしょうか。
……と。ここでです。ここで僕に、いや僕の中で悪魔がギラリと笑いました。えぇ、悪魔的な発想です。
「……ねぇベル」
「なんでしょうか、ルアン様」
「……ハアトの力を借りれば、食糧問題なんてそれこそ一瞬で解決してしまうのではないかな」
「……まさか」
「そのまさかです」
一瞬で作物が生えるんですもの。
しかもその魔法が使えるの、僕の妻なんですもの。
……我ながらとんでもないことを思いついたものでした。力に流された結果、だと思いたいですけど。それくらい魔法というのは、とんでもない技術だったのです。
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