第13話 人間、魔法を見る

 僕らの家からしてみれば裏山になる森をドラゴン(妻)と犬の獣人(従者)と共に駆け抜けているわけですが、道中問題がないわけではありませんでした。いえ、女性陣二人からしてみれば問題ですらなかったのですけど。


「待ってハアト、速いっ! 速いって! 転ぶ! 転んじゃうから!」

「ハアトはころばないよー?」

「ハアトじゃなくて! 僕が!」


 十歳強くらいの見た目、僕よりは随分幼く見える少女の姿をとっているハアトでしたが、その俊足というか、最早「馬力」と言いたくなるパワーはすさまじいものでした。

 がっしり掴まれているので手を振り解くことも出来ず、かといって迂闊に転んでハアトに触れれば何が起こるか分からず、そうでなくともこの勢いで転んでしまえば顔面強打は必至。僕は足を動かすのに必死。いえ、脚韻なんて踏んでる暇があれば地を踏めって感じなんですけど。


「新王の即位からまともに運動してませんでしたからねルアン様」

「涼しい顔して痛烈だねベル」

「恐れ入ります」

「恐れ入ってる場合じゃないんだけどな!」


 ちなみにそのベルはというとさすが犬の獣人、つるつる毛なし人族貧弱足とは違って強靭な脚力で余裕綽々ハアトと並走しておりました。いつでも僕をフォローする体勢である……と思いたいですしきっとそうなんでしょうけど、しかし今のところその素振りはありません。あれれー、なんでかなー?


「申し訳ありません。私では力になれませんかと」

「謙遜がお上手だなぁベルさん」


 僕は今にも転びそうなんですけどね。若干もうハアトに引きずられてる形です。僕にもカルロスさんほどの筋力があれば。ないものねだりですけど。

 ただ幸いなことに、僕が転ぶより前にハアトが止まってくれました。


「ここだよ!」

「……今度から止まる時は言ってねハアト」


 再びハアトに触れないように勢いを殺す曲芸を披露した僕は若干肩を痛めたのですがそれはそれ、天真爛漫純粋無垢なドラゴンの彼女の耳には全く届いていないと見えてハアトは僕の言葉を完全に無視しています。

 やっぱり異種族なんだなぁ、と妙なところで意思疎通の難しさを感じながら『ここだよ!』と言われたので僕も正面を見上げました……が。


「……ここ?」

「ここ!」


 確認してみましたが、彼女がここと指し示す場所には荒々しい岩壁が立ちはだかっているようにしか見えません。……この上に巣があるということだろうか、と思って上を見上げてみますが……いや、何もない気がする。


「……ベル」

「いえ、私にもさっぱり」


 わからないようです。ベルの言葉の端に『何言ってんだこの小娘』みたいな呆れの色を感じたのはなかったことにしようと思います。

 ハアトに引き摺られる形ではありましたが、ここまでの道のりは頭の中にあります。家の裏にあった藁山から走り出すこと更に島の上。カルロスさんの説明を用いるなら『足の形をした島のより足首の方』へと走っていた気がします。目の前にある岩壁は島の一部が崩れたか何かしたものと見えて、ほとんど島の頂上付近……だと思われます。ここより上ってこの岩壁の上しか見当たりませんし。

 彼女の巣に小麦があると聞いてきたのですが、辺りにはそれらしいものもありません。どういうことだろう。下等種族には見えない小麦でもあるんでしょうか。だとしたら随分高尚な小麦です。さぞおいしいパンが出来ることでしょう。


「あの、ハアト……」

「じゃあ、あけるねー」


 僕がその真意を問いただそうとした途端、彼女は僕から手を離してそう言いました。……開ける? 何を? 恐らくベルも同じように疑問に思っていたでしょう。

 ハアトは一歩前に出ると――……いえ、ただ『出ただけ』でした。何をするわけでもなく、ただ僕から手を離して前に一歩出て岩壁を見つめた、だけ。


 ですがそれで十分だったようで。


 彼女がそうした瞬間、岩壁は見えない巨大な槍で貫かれたが如く、突如として僕らの前に洞窟の入り口を現しました。

 えぇ、全く、本当に、ただただこの通りだったのですが。


「…………今、何が……」


 一瞬も目を離した覚えのない僕でさえ、こう描写するしかない光景でした。

 さっきまでただの岩壁だった場所が。

 ハアトが見つめただけで。

 まるで最初からそこにあったかのような洞窟の入口へと変わった。音も、振動も、洞窟を作るなら必ず出るであろう破片やら何やらも一切なく、まさしく『変わった』としか言いようのない光景でした。

 ……もう、何が起こったかさっぱりです。分かろうとする方が馬鹿馬鹿しいくらいの出来事でした。


「…………ルアン様、これは一体」

「僕だってわからないよ……」


 ベルに見えなかったものが僕に見えるはずもありません。

 今僕に分かるのは、これがハアトの力だということと、この洞窟こそがハアトの巣だということでしょうか。

 件のハアトさんはというと、ケロッとした具合で呆気にとられる僕らを見つめています。『行かないの?』とでも言いたげです。


「いかないのー?」


 言いたげどころか言いました。表情を読むのは得意です、ルアンです。この状況とかこの先の展開とかは全く読めませんけど。

 ですがいつまでもここに突っ立っている訳にはいきません。理解不能なのですから理解は諦めるべきです。次行こう、次。


「行く行く。行きます」

「じゃあいこー!」


 御しやすいのに何考えているのか分かんない妻というのも困ったものですね。これからの夫婦生活が心配です。逆に心配じゃないことはというと、それは皆無です。心配まみれ!


 洞窟はその入り口から既に巨大でして、例えるなら我が家を入り口に建てても納屋やら井戸、畑含めて十分収まるくらいには大きいです。これなら本来の姿のハアトでも入って来られるでしょう。

 洞窟なので当然暗がり。大きい入り口から入る光源に頼って奥を見てみるのですが、その巨大な入り口に対して奥はさほど続いていないようでした。いえ、僕ら人間のサイズから見てみれば十二分に奥行きがあるのですが、ドラゴンサイズで考えればせいぜい雨宿りしか出来ない気がします。


「ハアト、ここがハアトの巣?」

「そうだよー! ルアンさまの、にも……なるけど。……えへへ」


 可愛い。いやそういう場合じゃないです。

 洞窟の中には自然美しか見えません。何が言いたいかというと、巣らしい意匠が見えないんですよ。もちろん『ある』と言われて来た小麦もです。

 これは如何なることぞや、と僕は彼女に問おうとしたのですが、生憎それは叶いませんでした。


「じ、じゃあ、先に行ってるね! ――――ッ!」


 自分で言った言葉に自分で恥ずかしくなってしまったのでしょうか。初々しい我が妻はそれだけ言い残すと姿をドラゴンのそれへと変貌させ、僕らが圧倒されている間に洞窟の奥まで飛び、そのまま急降下。……急降下?


「……ベル」

「はい」


 まさかあの巨影をこの洞窟の中で見失うはずはありませんが、しかし今視界にあの凶悪な双翼は微塵も映りません。嫌な現実を予感しながら従者を呼び、慎重に歩を進めてみれば。


「……穴だ」

「穴でございますね」


 洞窟の奥には、入り口と同じくらいの穴が開いておりました。穴は真っ直ぐ下に伸び……もちろん光がないので底は見えません。しかし挙動から察するにハアトはこの下へ降りたと思われます。一気に『彼女が消えた理由』と『ここに巣らしい造形がなかった理由』が解決しました。……もちろん、別の問題の登場と共に。


「落ちたら死ぬかな」

「死ぬでしょうね。間違いなく」

「……ベルでも死ぬ?」

「……怪しいですね。五分五分、でしょうか」


 この深さで五分五分なら大したものです。


「嘘です。八割がた死ぬかと」


 こんな時にお茶目さを発揮されても困ります。


「……でもハアト、『先に行ってる』って」

「さしずめ我々に飛行能力があると誤解しているのでは」

「ベル、鳥の獣人だったりしない?」

「残念ながら由緒正しい犬の獣人でございます」

「飛べたりしない?」

「ルアン様が飛べれば、私には余裕でしょうね」

「あっはっはっは。愉快な冗談だ」


 笑うしかありません。笑ってる場合じゃないんですけど。

 ほとんど崖みたいなもんですし、僕も『殺すのは最後にしてやる』みたいな冗談でお返ししたいのですが、生憎このままだと僕とベルの落下死体で最初と最後を仲良く飾る羽目になるので、対策を打ちます。

 対策? 簡単です。


「ハアトぉーーーーっ!」


 不可能なら可能な妻に頼みます。夫婦分業ってやつですね。何も出来ない夫とも言います。

 ですがいくら閉鎖空間で声が響くとはいえ洞窟の巨大さと僕の声量の差があり過ぎます。我ながら声が届くかどうか不安だたのですが、しかし反応がありました。


「なにー? こないのー?」


 恐らく下でもドラゴン状態なのでしょう。僕の声とは比べ物にならない音圧が返ってきます。僕も精一杯の声で返します。


「行きたいのは山々なんだけどー! 僕ら飛べないから下りられないんだー!」

「おりられないのー?」

「下りられないのー!」


 まるで『飛べないなら飛び降りればいいじゃない』とでも言いたげな疑問符です。飛び降りてもいいんですが着く頃には多分僕によく似た肉塊です。その場合僕は下りる前に昇り始めています、父と同じ場所へ。

 しばらく返答がありません。僕は隣のベルと顔を見合わせます。どうなるか、双方緊張の面持ちです。僕にしろベルにしろまだ死にたくはありません。

 にわかに死の危険を帯び始めた僕らの下へ届いたのは、ハアトの声と風でした。


「しかたないなぁ、じゃあおろしてあげるー」


 まるで僕ら下等種族を愚図だと言わんばかりの見下し方です。しかしそれに叛意を唱える暇もなく、僕とベルの体は突如巻き起こった風に包まれて――そのまま、穴へと真っ逆さま。


「「っ!?」」


 何が起こったのか分からず、何が身を襲ったのかもわかりません。いや、風なんですけど、こう、こんな風があり得るか? ってくらい『意図的な風』でした。そして穴へ真っ逆さまなのに減速さえ微塵も感じられず、パニックに陥ります。


「べっ、ベル!? 僕ら落ちてる! 落ちてるって!」

「知りませんよ! ハアトに何か言ったのルアンでしょ!?」


 ベルも目を見開いて若干素が出ています。巣で素が出るなんて、平常だったらかなり大爆笑です。嘘です。現実逃避です。

 このままでは間違いなく死ぬ! そう思った僕は助けを嫁に求めようとしたのですが――しかしそんな間もなく洞窟の底は僕らを迎え、そして無事に着地出来ました。……いや出来ちゃったよ。


「……死ななかったね」

「……えぇ。死ぬかとは思いましたが」


 僕らを穴へ突き落した風は、まるで僕らを優しく受け止めるように底間近で急減速。結果として非常に穏やかな着地となりました。……上を見上げれば、天井は遥か彼方。落ちてたら間違いなく死んでいたので、まだ鼓動がおさまりません。


「…………」


 僕もベルも顔を見合わせます。今のは何だったんだ、と言いたいところですがもう驚天動地の連続ですので、それを問うのも無駄ということだけはわかります。

 取り敢えず下ろして頂いたのでハアトを探したいのですが、しかしここは洞窟の底。見渡す限り闇、と思っていたらその時また不思議なことが起こったのです。起こりすぎだよ。


「ここがハアトの巣だよー!」


 ハアトのそんな声が響いたと思うと、洞窟の中は昼間のように明るくなりました。見上げればまた音もなく、小さな明かりが洞窟に浮いておりました。


「ここが……」


 ベルがため息交じりにそう呟きます。


 洞窟は階段状になっているようでした。つまり、僕らがさっきまで立ちつくしていた地上部分が『上の段』。そしてハアトの巣の本体は『下の段』として穴の下に広がっていたのです。


 『下の段』であるここは上よりずっと広く、中央に鎮座しているドラゴン形態のハアトにとっても棲みよい感じでした。見渡せば色々あります。畑っぽいものに小麦っぽいものがあります。他にもキラキラ光る金銀財宝が山になっていたり、よくわからないガラクタが積み上がっていたり。人間の家のようなものもあります。


「……ここが、ドラゴンの巣」


 改めて口に出してみるととんでもないことです。僕は今、ドラゴンの巣にいる。普通ならここに来るまでに死ぬかここで死ぬかの二択です。

 僕とベルがこの空間そのものに圧倒されていると、ハアトはその翼をばっさばっさとはためかせ、まるで人間が肩を竦めるようにして呆れていました。


「にんげんってなにもできないんだねー」

「……おっしゃる通りで」


 僕らより高次の存在にそう言われては頭を垂れる他ありません。普通に砕けた口調で会話していましたが、やっぱり敬意は示した方がいいのでは?


「そらはとべないの?」

「飛べません」

「まほうはつかえないの?」

「使えませ……待って」


 それです。頭の中で点と点が繋がった感覚に陥ります。脳細胞が最高速です。


「魔法。そうか、魔法だ……!」


 僕は思わずベルの顔を見ます。彼女は『まさか』という顔をしていました。そう、ベルがあの夜語ったドラゴンの情報の中にあったのです。『魔法が使える、という噂もある』と。

 とんでもない発見をしたような気分になって、僕は興奮気味に我が妻ドラゴンへ尋ねます。


「ハアト! もしかして、入り口を開けたのも、僕らを運んだ風も、この明かりも……魔法!?」

「そうだよ、えへへ」


 いとも簡単な肯定でした。

 ドラゴンにのみ使えるという摩訶不思議な力こそが、魔法だと言います。摩訶不思議、とは聞いていましたが……ここまで理解不能なものだとは思いませんでした。


「魔法……魔法か……」


 魅惑的な響きです。何でも出来る法。……それと同時に、ただでさえ生物として『強い』巨体を誇るドラゴンがそんなものを持ちあわせていることを考えると、末恐ろしくもなるのですが。

 ですが今の僕の興味はほとんど魔法にありました。さながら初めて船を見た少年の心持ちです。


「他の魔法は? 何か見せてくださいませんか」


 言葉も丁寧になるってもんです。


「あれもまほうだよー」

「アレ?」


 まるで既に何度も見せているような口ぶりです。なんだろう、と思っていると黒いドラゴンは光と共に少女へ。黒い鱗が柔らかい白肌へと変貌します。


「これ!」

「これか!」


 言われて見れば当然でした。別の生き物に姿が変わるなんてまさに魔法でしかありません。盲点でした。

 僕が魔法に興味を示していることがハアトは嬉しく思ったらしく、るんるん気分でくるくると回っています。


「ハアトはね、これがなんか『ハアト』ってかんじがするにんげんだからこれだけど、ほかのにんげんにもなれるよ」

「なれるの!?」

「なれるよ」


 なれるんですって。

 それを証明するようにハアトの体は光を帯びると、背丈が伸び、髪はぐっと短くなり、人間には見慣れない尾が生えて――。


「どう?」

「わっ、私……!?」


 声を上げたのはベルです。僕の目前にはベルが二人いました。振る舞いや反応から見分けはつきますが、しかし姿だけで言えば全く違いはありません。実は若干青みのある黒の毛並み、高いマズル、短く垂れた尻尾……瓜二つです。長年一緒にいる僕が言うのですから間違いはありません。ただ表情と声はハアトのそれなので違和感は凄まじいです。


「ルアンさま、どう?」

「ちょっと。私の顔でルアン様に声を掛けないで」

「いやなの?」

「嫌っていうか、単純に気持ち悪いの」


 自分と同じ人間が目の前にいる感覚とはいかなるものなのでしょうか。僕はそれも気になって、続けてハアトにお願いしてみます。


「ハアト、僕にもなれる?」

「ルアンさまに?」

「うん」


 わくわくです。

 ……しかし不思議なことに、ハアトは少し考え込むとなんだか難儀な顔をしました。


「……うーん。ハアトね、オスになるのはにがてなんだー」

「苦手?」

「うん」


 魔法と言えど得手不得手があるものなのでしょうか。しかもオスという広義っぷり。


「ハアト、付いてないから……」

「付いてない?」


 嫌な予感がします。


「えーっと……にんげんはなんてよんでだっけ……そう!」


 何故なのだろうと思っていると、ハアトは臆することもなく、その理由を告げてくれました。とっても大きな声で。


「ハアト、ちんちんないから!」


 僕もこれには黙せざるを得ませんでした。強いて言えることがあったとすれば……そうですね、『よく言えました』くらいでしょうか。ちんちんないなら仕方ないね。

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