第12話 ドラゴン、獣人といがみ合う

 前回までのあらすじ。

 ドラゴンのハアトが なかまに なった!

 ……なんて、呑気で手放しに喜べるものなら気苦労なんて全くないのでしょうが、相手は異種族であり上位存在です。油断してしまえば牙を剥かれます。


「……てて……」


 そのことは、口の中に滲む血と打ち据えられた背中やヒリヒリと痛む手のひらが十分に伝えてくれました。

 土埃や藁を払いながら立ち上がって、もう一度ハアトに歩み寄ります。今度はこちらから触れようとは思いません。……大丈夫、気を付ければ死なないはず。

 ベルも慎重に振る舞いながらも、僕の無事に胸を撫で下ろしてくれます。


「ルアン様、大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫。万事解決」


 その様子が面白かったのか、ハアトも真似をしました。


「ルアンさまー、だいじょうぶ?」

「大丈夫。ありがと」


 大丈夫じゃない感じでぶっ飛ばしたのは他ならぬ君なんだけどね、なんて野暮なことは言いません。にっこり笑顔で応対します。夫婦関係は良好に越したことはありません。


「そっか!」


 ハアトは僕が大丈夫だということを知って喜ぶと、棒立ちしていた僕の左手を急に取って屈託なく笑いました。


「じゃあ、ハアトの巣にいこう! にんげんでいう……いえ! でしょ?」

「巣?」

「巣! いえ、でもいいよ!」


 呼び名は割と可変のようです。まぁ巣で構いませんが。

 しかしなるほど。婚約が成立したら同居、というのはやや性急な気もしますがおかしいことはありません。僕がハアトの巣に行くということは僕が婿入りする形なんでしょうか。……ドラゴンに婿入りって何だ?

 悩んでる僕でしたが、勢いのある彼女はそんな悠長な間なんて与えてくれません。手を取った勢いそのままに、森の奥へと駆け出します。

 ですがそれでは困ったらしく、ベルが慌てて呼び止めました。


「お待ちくださいルアン様!」

「だって。一旦止まってハアト!」


 従者の声に慌てて、しかし彼女には触れないようにして制止します。


「うん、とまる!」

「っとぉっ!?」


 えぇ、素直に止まってくれたこと自体はとても嬉しいのですが、しかし急発進からの急停止をされてしまえば勢いのまま体は動くもので、僕は『ハアトの手を離さないまま急に止まった彼女を避けてよろめく』という曲芸を披露する羽目になりました。……我ながら良く出来たものです。褒めて欲しい。

 ともあれ止まってはくれたので、ハアトに軽く礼を言って後ろのベルを振り返ります。ちなみに手はハアトと握ったままです。


「行かれては困りますルアン様」

「なにー? ルアンさまはハアトのだんなさまなんだよ!」


 ハアトは自分に素直でとてもよろしいのですが、話をややこしくすることにも長けているようです。僕とベルの会話が成立する前に僕の腕に抱き着いて所有物であることをアピールしてくれました。……ハアト側から触れるのはいいのか……。

 これでは話が進まない、と思ったのかベルは苛々したようにベルへ言い放ちました。


「ハアト、あなたは一旦黙って」

「あっ、その言いかたなんかいや! ベルきらい!」

「きら……ッ!? ちょっとルアン様」


 そんな目でこっちを見ないで欲しい。『この小娘気に入らないんですけどドラゴンなので殴り飛ばすことも出来ません。責任はあなたです』みたいな目で見ないで欲しい。

 まぁ責任が僕にあることは紛れも無い事実であるので、ここは僕が間を取り持ちます。……今後これが自分の立ち位置になることを薄々察しながら。


「まぁまぁハアト、一旦落ち着いてくれる? ベルとは僕が話すから」

「うー……いいよ!」


 良かった。基本的に無頓着なのでしょうか。


「と言う訳でベル、話を戻そうか」

「なんですか『ベルとは僕が話す』って。まるで私の方が異物であるかのような扱いですが」


 我が従者、露骨に機嫌が悪くていらっしゃいます。冷静にこれまでの経緯を考えれば彼女の心中穏やかでない感じが正しい反応なのでしょうが。


「別に誰もそうとは言ってないから、さ。呼び止めたってことは何か問題があるんだろ?」

「逆に今問題以外何があるとでも? この状況ですら相当問題だと思いますが」

「それを言われると僕はお手上げです」


 片腕はハアトにがっしりホールドされているので実際に上げられないのが残念ですが。

 ちなみにそのハアトはというと、この『いちゃいちゃ新婚ムーブ』が気に入ったのかほどほどに赤面していました。この状態でのドラゴン化さえ回避出来れば僕はどうでもいいです。


「では申しますが」


 ベルは呆れたような表情を一瞬見せた後、いつもの冷静沈着で涼やかな面持ちに戻って報告します。


「今日の一番の問題……だったもの、食糧問題の件ですが」

「そうだったね。そんな話だった」


 今となってはその数倍ヤバい問題を抱え込んでしまうことになったので、問題の格としては霞む気すらしてしまいますが、こちらも下手をすれば死に直結しかねません。


「村長さんに相談して参りました」

「ふむ。で、何と?」


 僕が先を促すと、ベルは少し離れた場所に投げ捨てた大きい袋を取りに行きます。僕は動けないのでそれを待つ訳ですが、彼女は袋を僕の下まで運ぶと、口を開いてその中身を見せてくれました。


「『来るだろうとは思っていたよ。あのカルロスのことだから面倒見も雑だろうからな。はっはっは』ということでして」

「見透かされておる」

「そしてこの通り。いくらかのパンと小麦の種を頂きました」

「そのようだね」


 袋の中にはパンと、小麦の種が入っていました。これで数日は飢えを凌ぐことが出来るでしょう。カルロスさんのお陰で魚はありますし。


「『取り敢えずは君たちの働き口を探してみる。いずれは自分たちで小麦を作りなさい』だそうです」

「なるほど。お代はいずれ?」

「えぇ。物々交換ですから。今回はつけてくれるそうです」


 なんて寛容な村長さんなんでしょう。取り敢えずの飢えを凌がせてくれるだけでなく、働き口の斡旋あっせんまでしてくれるとは。ルアン・シクサ・ナシオン十六歳、王族の公務云々を除けば一般市民としての就労経験こそありませんが、頑張りたいと思えます。働くって素敵。きっと流す汗はきっと美しい。たくさん食べることを考えれば、苦労なんてなんのそのです。いやぁ、村長さんさまさま。


「となるとまずは畑か」


 村長さんが仕事を見つけてくれるのですから、僕らとして今まず出来ることは畑でした。この小麦を育てるなら早いにこしたことはありません。……と思って家の方を見るのですが。


「……畑かぁ」

「えぇ、畑でございます」


 昨日散策した通りです。

 井戸が死んでいるのですから畑が死んでいるのも当然で、雑草が生い茂っています。きっと土だって荒れているでしょう。溝も畝もあったものではありません。

 まずはこの畑を畑らしい姿に戻すところからか……と、僕とベルは途方に暮れていたのですが、しかしそんなところへ、大人しくしていたハアトの純真無垢な声が。


「あっ! これ、ハアトの巣にもあるよー!」


 僕の真似をするように一緒に袋を覗きこんでいたハアトは、小麦の種を指差すと嬉々としてそう教えてくれました。


「……ハアト、それ本当?」

「ほんと!」


 ドラゴンの少女の発言に何度耳を疑えばいいのかわかりませんし、お陰で聴覚に関して軽く疑心暗鬼なのですが、それにしてもこれは聞き逃せない発言です。


「……ですって、ベルさん」


 ドラゴンの言葉を聞いて人族が犬の獣人にお伺いを立ててみます。……露骨に嫌そうな顔をしています。人族や人間態のハアトよりはいささか表情に乏しい彼女ですが、高い鼻に小じわが寄っています。尻尾もピンと上を向き、どことなく全身の毛も逆立っている気がします。どんだけ嫌なんだよ。


「…………」


 おまけにこの沈黙です。しかし、ベルの場合本当に嫌だったり止めたい場合にはちゃんと口に出すので、この態度は『私は嫌ですけどルアン様が行くとおっしゃるなら』みたいな感じでしょう。

 そうと分かれば遠慮は要りません。ベルに遠慮なんてしてたらやってられません。


「ハアト、君の巣に行ってみたいな」

「よーし! じゃあいこう、ルアンさま!」


 行動力の塊みたいな子です。僕の腕から離れるとその勢いのままに僕の手を引っ張って森の奥へと駆け出そうと、したのですが。

 ハアトにしては珍しく、立ち止まるとくるりと振り返りました。その視線の先には僕らに続いていたベルの姿。


「……なに」

「ベルもくるの?」

「行くけど」

「えー」


 ……何故かわかりませんが、ベルはハアトにちょっと邪険に思われているようです。初対面が僕と違って最悪だったからでしょうか。よく考えればベルもハアトにろくな言葉かけてませんし。


「ふたりの『あいのす』だよ?」

「待ってハアト。急に妙な語彙が出てきたね?」


 妙な表現をしないでほしい。


「知ったことじゃないし、あなたみたいなルアン様と一夜も過ごしたことのない子に言われる筋合いもないのだけど」

「ベルどうした? 言い方おかしくない?」


 誤解を招くどころではありません。何も間違ってないんですが、違います。そういう意味じゃないじゃん?


「ベルはルアンさまのなんなの?」

「従者。生まれた時からずっと従者よ」

「『じゅうしゃ』でも、およめさんじゃないんでしょ? じゃあルアンさまはハアトのものだよ」

「……こいつぅ……!」


 不穏です。不穏な雰囲気になってまいりました。

 もしかすると僕がハアトとの婚約を選んだ最大のミスは、彼女とベルの仲がさほど良くないという点にあるのかもしれません。……これからの生活が不安です。


「まぁまぁ、待ってくださいよご両人」


 場を収めるのは最早僕の役目です。早速果たします。


「ベルも落ち着いて。ベルなら落ち着ける」

「私は落ち着いておりますが」

「ならいいんだけどね?」


 若干皮肉です。今度は手を握ったままのハアトをなだめます。


「ハアト、ベルは僕の……そう、お姉さんみたいな人なんだ。だから一緒にいたいんだけど……ダメかな?」

「おねえさん?」

「そう、お姉さん。ハアトには兄弟いないの?」


 この方向性なら理解を示してくれそうだ、と一歩踏み込んでみます。ちなみに僕は六人兄弟だよ。もう何人生きてるかわかんないけど。


「うーん……いたような、きもする!」

「そっかー」


 随分とおぼろげな回答です。無頓着すぎやしないかこの子。ドラゴンってみんなこうなんでしょうか。人間の価値観では測れないのかもしれません。

 しかし何か思うところはあったのか、今度はハアトがベルに尋ねます。


「ベルはルアンさまのおねえさんなの?」

「……えぇ、そんなものね」


 ベルの肯定を受け取ったハアトはしばらく考え込みます。何を考えてるのかわかりませんが、その果てに今度は僕へと尋ねました。


「……どうしても?」

「どうしても」


 即答です。

 ベルの方は存じませんが、少なくとも僕は彼女がいないと色んな意味でやっていける気がしません。……えぇ、僕にとって彼女は必要不可欠です。絶対に言ってやりませんけど。

 さんざん悩んだ挙句、ハアトの出した答えは、


「……むー……わかった! しかたない!」


でした。妥協点を見つけてくれたようです。なんて寛容な上位存在。ハアトさまさまです。


「だけど、ハアトとルアンさまの巣だからね! いい?」

「……わかりましたよ、もう」


 何に釘を刺したのかわかりませんが、取り敢えずハアトはそれで納得したようでした。事が穏便に運んで僕も嬉しい限りです。


「さすがお義姉ねえさん。聞き分けがいいね」

「ぶっ飛ばしますよ」

「ごめんって」


 冗談も通じない従者です。冗談言ってる場合じゃないんですが。

 ついでにハアトに待って貰って荷物を納屋に置いた僕らは改めて気を取り直し、ハアトは嬉々として自身の巣へ僕らを案内してくれます。森を駆け抜けるその背中を見ながら、僕はこれからの生活の不透明さに思いを馳せるのでした。

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