第11話 元・王子、受け入れる

「全ての発端は僕だったかー……」


 取り敢えず興奮するハアトをなだめて人間状態にした僕は一人小さく反省します。いやぁ、やけに綺麗だなーと思って触ったら、まさかプロポーズだったなんて。

 自分で引き起こした事態を自分で収集に走る。てめぇの尻がてめぇで拭けてる分まだいいですが、どちらかと言うと自分の尻尾を追い駆けている犬の方が近かろうって感じです。


「ハアト、もう少し待っててもらえる?」

「まつー」

「いい子いい子」


 なんて素直な子なのでしょう。……なるほど、ハアトの生来の素直さなのかもしれませんが、もしかするとこれは僕が結婚相手だからなのでは? とも思えてきました。

 しかし命の危険がないとはいえ割と非常事態です。考えます。


「……ルアン様」

「はいどうしましたベルさん」


 僕の後ろで状況を静観していたベルも、ある程度展開というかいきさつが飲み込めたのでしょう、いつもの怪訝な感じで口を出してくれます。


「……どうなされるんですか?」

「どうするのが正解なんだろう」

「私に聞かれましても」


 でしょうね。

 当事者である僕にも全くさっぱりなのですから、そりゃあさっき現れたばかりのベルに分かるはずもありません。

 彼女も色々考えを巡らせたのでしょう。呆れて馬鹿でかい溜息一つと天を仰いで、僕の前にずずいっと出ました。


「あの、ハアト」

「んー?」


 あろうことか、ハアトとの直接交渉です。ベルは全く怯む様子もなく話し掛けます。未だドラゴンという種族にちゃんと警戒しているのでしょう、珍しく敬語もありません。ハアトは天真爛漫余裕しゃくしゃくといった具合です。傍目から見ている僕としては緊張感すら生まれます。


「一つ、確認したいことがあるのだけど」

「あなただれー?」

「うっ……」


 当然の反応でした。ベルもペースを乱されますが、ちゃんと受け答えは出来ます。さすが我が従者です。


「私はベル」

「ベルね、わかった! ハアトはハアト!」

「知ってるから」


 お互いの自己紹介も済んだところで、改めて質問。


「ルアン様が逆鱗を触ったとのことだけど、間違いない?」

「まちがいないよー」


 ふむ、と前提を改めて確認してベルは本題を切り出しました。


「……私の知る限りだと、逆鱗を触られたドラゴンは怒り狂って周囲一帯を破壊し尽くすと聞いているのだけど、違うの?」

「…………えっ?」


 驚いたのはハアトではありません。僕です。

 …………えっ?

 我が耳を疑います。我が従者の発言も疑います。……HAHAHA、まさかそんな。……本当ですかい?


「…………ベルさん……?」

「……まぁ、迂闊に触ったくらいですからご存じないでしょうね」


 呆れられてしまいました。いや待って。新情報が爆弾情報過ぎる。一気に状況が緊迫感を増してきました。いやいや怖い怖い。

 恐らく僕が無言で『説明してくれ』という顔をしていたのでしょう、ベルは呆れながらも解説してくれました。


「……ロイアウムでも過去にその理由で村が二、三ほど地図から失せておりますが」

「……冗談だよね?」

「冗談ではありませんよ」


 いやいやいや、待って。待ってくださいよ。

 聞いてないって。

 背中の辺りを凄い勢いで冷たい汗が垂れていきます。若干足も震えてきたような気がしないでもないです。……僕のしでかしたことでイルエルが消し飛ぶ想像が加速します。


「ドラゴンの畏怖される理由の一つでもあるのですが……どうなの? ハアト」


 じわじわと自分のしでかしてしまったことのヤバさを感じている僕を尻目に、ベルは改めてハアトに向き直ります。そのハアトはというと、今の僕の心境から見ると底知れない恐ろしさすら感じるような無垢を湛えながらの返答です。


「うーん。そういうことは多いみたい!」

「詳しくっ!」


 思わず僕は食いついてしまいました。取り敢えず僕は今、『自分が何をしでかしたのか』ということを知りたくなっていました。いや、知らざるを得ません。


「くわしくー?」

「う、うんっ! なんでドラゴンはそんなことするの!?」


 もしかすると目の前の少女もともすれば島中を焼き払うのやもしれない、という危険性に戦々恐々としていながら。


「うーんとねー」


 対してハアトはこちらがイライラするほどの呑気さで何かを思い出すと、相変わらずの舌ったらずな幼い声で続けました。


「だってげきりんにさわられたらけっこんしなきゃいけない、でしょ? でも、いやだから、ころすの! ころせば、けっこんしなくていいからねー! なかったこと、にするんだって! えへへっ!」


 『えへへっ!』ですって。

 ……なんです、それ。

 改めて愕然としながら正面で屈託なく笑う少女を見ます。地が届かんばかりの黒髪を持った幼い人型。彼女ハアトの正体――黒きドラゴン。彼女の口から話されたドラゴンたちの慣習に、見かけだけ似ていても彼女が『全く違う種族である』ということが突きつけられます。


「…………」


 僕も、ベルも、呆然としていました。

 ……ははは、いやぁ……まぁ、もっともですけれどね。

 逆鱗を触れれば、結婚しなければならない。しかし相手は下等種族である人間。ならば触った相手を無き者にすれば万事解決。実に単純明快な対処法です。ついでにその怒りのままに近くの集落も……ってな具合でしょう。

 そりゃあドラゴンの畏怖だって広まるわ……と半ば諦念に近いような恐怖をじっとりと感じます。目の前の彼女もその気さえ起こせば同様の災禍をもたらせる、ということにも。


「……ハアトは?」


 ……この質問は、我ながら恐ろしい扉を開くかもしれないものでしたが、せずにはいられませんでした。どんな表情をしているんだろう、僕。

 対するハアトは僕ら人間の心配などどこへやら、返答に照れていました。


「ハアトはねー……ハアトは、にんげんすきだから……えへ……ハアトは、ルアンさまとけっこんしても……いいよ? ……きゃー……――――――――ッ!」


 ……薄々気付いてはいましたが、感情が昂ると変身が解けてハアトはドラゴンの姿に戻るようです。僕らの目の前には初々しい嬌声を上げながら黒い翼と咆哮が天を覆います。

 そして、この状況で現れたドラゴンとしてのハアトは僕らにとって、先程と同じ穏やかな心で見上げられるものではありませんでした。

 翼も、爪も、尻尾も、牙も、角も全てが巨大で我々ちっぽけな人間を屠るには十分に見えます。まだ見ぬ魔法も、そして彼女が秘めているという破壊も、今の我々を畏怖させるには十分でした。


「…………――っ!」


 あぁ……死ぬ。

 この種族は、対応を間違えれば僕らをいとも簡単に殺せる。

 少なくとも僕は、この時にハアトの恐ろしさを刻まれた気がしました。……とても今の心境では「人間になって」とは言える気もしません。

 隣のベルもまた、臨戦態勢でした。ハアトを睨み、爪を剥き出しにして逆立つ尾。恥ずかしがるようなハアトの一挙手一投足にすら注視し、何かあれば僕を抱えて離脱する、そんな気迫すら見えます。

 少し前の緊張感など比べ物にならないくらいの天を覆う恐怖に僕が腰を完全に抜かし、最早和平の道などない――と思われたのですが、幸いハアトは僕の言葉を覚えていたようで、


「あっ! にんげんになる、だったね!」


と慌てて元の少女の姿に戻りました。……その変わり身の速さすら、よくよく考えれば恐ろしいのですが、しかしそのおかげで僕もいくらか平静を取り戻せます。


「…………ふぅ」


 取り敢えず、ひと呼吸。

 目の前の異種族から目を離さないようにしながらも、自分がいま取るべき行動を考えます。


「ルアン様」

「待って。今は控えてて」


 何やら行動を起こそうとしたベルを制止します。そうじゃない、気がしたので。今この問題を解決すべきは僕で、僕以外の誰にも解決なんて出来ないような気がしていました。

 そこまで考えれば、僕のとるべき行動はもうわかっていました。なるようになってきたこの人生。なるようにしかならないのであれば、流れに身を任せるのがルアン・シクサ・ナシオンです。


「……よし!」


 ……ハアトも、満更じゃないみたいだし。ドラゴンの姿やそもそもドラゴンだということはともかく、この姿の美少女なら僕も嫌いではありません。異種族との暮らしだって、人よりは慣れているつもりです。これまでは同じ人間でしたけど。

 ベルは僕のその一言だけで全てを察したのでしょう、驚愕に目を見開きながら僕に迫ります。


「正気ですかルアン様!? 相手は」

「ドラゴンだけどさ。その、悪い子じゃなさそうだし?」

「ですが!」

「僕だって既に成人してるんだし、妻だっていてもいいでしょ」

「ルアン様、そういう問題ではなく!」

「わかってるって」


 僕は振り向かず声を小さくして、後ろのベルにだけ聞こえるように続けました。


「……ハアトは、満更じゃないみたいだし。僕がここで断らなければ暴れることもなく、万事解決。まぁ確かに村のみんなにどう説明するのかとか、これからの生活とかも大変だろうけど、それは――」

「そういう問題ではありません、ルアン様」


 ベルなら納得してくれるだろう、とそう思って告げたのですが返ってきたのは意外な否定でした。あくまで感情的ではなく、冷静なベルの声。


「……ルアン様ご自身が、それでよろしいのですか」


 答えには、迷いました。

 僕はこれでいいのか? 伴侶がドラゴンで、いいのか?

 ……この時の僕には、そんなことの方がどうでも良くて、なるがままになれという感情しかなかったので、ベルの言葉に答えることはせず、ハアトの方に歩み寄りました。


「ハアト。……うん。よし、結婚しよう!」


 改めて口にすると気恥ずかしい言葉です。でも、これ以外に出せる答えはありませんでしたし……まぁ、なんだかんだでなんとかなるでしょうし。

 ……ちらりとだけ後ろを見れば、そこには諦めたように目を伏せているベルの姿がありましたが……それは、見なかったことにしました。


「けっこん……うん! する! するよ!」


 ハアトは白い頬を紅潮させると、てててとこちらに駆け寄って、そのまま抱き着くようにこちらにダイブ。見かけ以上の勢いに思わずよろけてしまいますが、ちゃんと受け止められます。えぇ、旦那なので。


「えへへ……よろしくね、ルアンさま!」

「……うん、よろしく」


 ……この流れで言うのはアレですが、近くでみれば、思っていた以上にめちゃくちゃ可愛いです。こんな可愛い子を嫁に貰えて若干の幸せすら感じてしまいそうなくらいに。

 身長も僕より頭一つ以上小さくて、その可愛らしさに僕の胸あたりから見上げてくれるハアトの頭を撫でようと僕は手を――


「――ッ!」

「ぅぐぁっ!?」


 彼女の頭に置いた瞬間、僕の体はハアトに突き飛ばされ、地面を転がることになっていました。衝撃は見た目からは考えられないもので、後ろで控えていたベルよりも後方で砂ぼこりを上げる羽目になります。


「ルアン様ッ!?」


 慌ててて駆け寄ったベルが僕と彼女の間に立ち塞がります。またも走る緊迫した空気。転がった時に口を切ったのか、僕の口内には血の味がします。……痛い。

 ゆっくりと立ち上がろうとする僕を庇うようにしながら、ベルが怒号を上げます。


「お前っ、ルアン様に何を!」

「ハアト、いまのきらい」


 ベルの背中越しに見えるハアトの赤い瞳には不快そうな色が浮かんでいました。……僕がまたやらかしたのでしょう。


「だからと言って……!」

「待ってベル。今のは僕が悪い……ごめん、ハアト」


 ドラゴンの嫁を貰うというのは思った以上に大変らしい。少なくとも彼女は自分から触れることは大丈夫でも、他人から触れられることは極度に嫌う――妻の生態を頭にしっかり叩き込みながら僕が謝れば、ハアトは一転、まるでとても些細なことだったかのようにケロッと忘れて子供のような笑みを浮かべるのでした。


「うん、いいよ!」

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