第10話 ドラゴン、求婚される

 さすがにこの時ばかりは死を覚悟しました。ついでに朝からトイレしてて正解だったな、と思いました。

 では簡単に前回までの僕の大活躍。

 食糧問題をベルが解決し行っている間に挨拶回りをしようと思ったら不審な藁山と素足(当時生死不明)を発見。調べれば野山で爆睡する少女。紳士的に起こしたら謎の興奮と共にドラゴンと化しました。今ここです。回想終わり。


「――――――ッッ!」


 圧倒的なドラゴンの咆哮に、僕は完全に肝を潰していましたし腰も抜けていました。もういっそ声も出ません。

 トカゲのような図体にコウモリの如き翼、僕の十倍はあろうという巨体と長大な尻尾……これまでで伺っていたドラゴンの容姿そのものです。咆哮する頭部は遥か頭上、前足の先から頭の先の高さだけでもゆうに僕の背丈の数倍……。


「これ、が……ドラゴン……」


 昨晩、カルロスさんから冗談のように聞いた村の伝承が不意に蘇ります。あれは、本当だったんだ……!

 しかし真実に気付いたところで時は既に遅し。僕の目の前には既にドラゴンが咆哮を終えてこちらを見下ろしているという現実が広がっていました。さっきまでの可愛らしい少女はどこへやら、全身を黒い鱗で覆われた強靭な肉体と爛々と光る赤い眼、そして天を突かんばかりの双角と口の端からはチャーミングに牙が覗いています。


「……どうしてこうなった」


 呟いてみますが僕にもわかりません。

 納屋は近いですが無理です。どう走ったところでこの巨躯からは逃げられそうにもありません。

 頼りになる従者も不在です。

 僕は腰を抜かしています。

 ドラゴンは万全の体勢、むしろ絶好調に見えます。


「…………これは死ぬ」


 改めて状況を整理しました。詰んでました。


 ルアン・シクサ・ナシオン、享年十六歳。長いとは言えませんが激動の人生だったと思います。ロイアウム王国の第六王子として生を受け、しかし異国の血と政権争いから王権剥奪流罪、そして新天地二日目にしてドラゴンと遭遇。……稀有さで言えばトップレベルの人生では?


 そして最期は自ら覚醒させてしまったドラゴンの午餐に。……改めて考えてみるとご飯として死ぬなんてとてもみじめな気がしてきました。死ぬかもしれませんが、抵抗はしてみたくなります。というか純粋にまだ死にたくない!


「たっ、食べないでください!」


 後退りしながら僕は懇願します。世界最強最大の生物であるドラゴン。恐らく人類共通語くらい簡単に理解してくれると思われますので、必死の抵抗です。どう考えても腕力では勝てないのでこれしかありません。思わず敬語です。

 これでいくらかは寿命が――と、思ったのですが。


「――! ――! ――……!」

「…………おや……?」


 ドラゴンの様子は、僕の予想していた猛々しいものではありませんでした。いや、猛々しい見た目ではあるのですが……その、なんというか。

 僕の目の前のドラゴンはというと、前足を器用に、人間で言うところの頬杖のようにして……その、何事か興奮した様子できゃいきゃい騒いでいるように見えました。まるで乙女です。……それこそ、さっきまでそこにいた少女の様子と酷似しています。ただ声はドラゴンなので何を言っているかはさっぱりですが。


「…………あの、もしもし?」


 冷静に考えればこの間に逃げおおせればいいものの、その、なんというか妙な空気と無骨なドラゴンの乙女チックムーブが不思議空間を形成してしまっていて、僕は思わずそう呼びかけてしまったのです。……そしてもちろん呼びかけたのですから、ドラゴンの気を引くことになります。


「――――!」

「あっ」


 しまった、と自分の選択肢の過ちに気付いてもまた遅い。

 後退るのも遅く、ドラゴンの厳つい顔がこちらに近付いてきて、僕を頭から――!


「――! ――!」

「…………あれ?」


 また、拍子抜けです。さっきからシリアスが続かない。

 その強靭なあぎとで僕を頭から噛み砕くと思われたドラゴンはそんなことはせず、僕の体にその鱗に覆われた頬を、まるで愛おし気に擦りつけてきたのでした。……これは、俗にいう頬擦りというやつでは……?


「あの……ドラゴンさん?」

「――――!」


 このドラゴン、何か様子がおかしい。

 少なくとも敵意とか殺意のようなものはないことを悟った僕は、穏やかにまた呼びかけてみましたが、ドラゴンさんはというと僕に頬擦りするばかりで反応がありません。しきりに何かを言っているようですけど僕に理解できる言語ではないので反応も出来ません。コミュニケーションが成り立ってない。


「――!」

「あの、出来れば人語で……」


 叶う願いか叶わぬ願いか、取り敢えずはコミュニケーションが取れないと何ともならないので、お願いしてみます。


「あっ、そうだっけ。ごめんね!」


 ……するとまぁ、いとも簡単にドラゴンさんは人語で話してくれました。ちなみに声はさっきの少女と同じ可愛らしいものなのですが、見た目は巨大なドラゴンですので違和感が凄まじいことになっています。


「にんげんは言葉がわからないんだよね……これからきをつける!」

「う、うん……」


 『人間は言葉がわからない』と言われると、なんだか種族として凄まじく見下された感がしなくもないですが、実際ドラゴンは我々人間より上位の存在ですので正しいのです。物理的にも見下されてますし。

 了承してくれたドラゴンさんはそのまま僕にわかる言葉、いわゆる僕らが「人類共通語」と呼んでいる言語で話しかけてくれます。


「まずはなにする? 巣づくり?」

「巣っ……ちょっと待って」

「まつー」


 いいお返事ですが、本当に待ったです。

 少女がドラゴンになった辺りから、全く話が読めません。状況がわかりません。整理したい。認識を共有したい。ドラゴンさんにとってこの状況はどういう状況? 僕はどうすべき?


「考えろ……考えろルアン……」


 深呼吸しながら、慣れない考えを巡らせます。幸い命の危険はなさそうですし、ドラゴンさんは何故か僕の言葉に従ってくれるので『待て』が聞いている間は状況に変化はないはず。これ以上面倒くさいことになる前に――


「ルアン様っ!」


 ……あぁ、我が頼もしい従者の声です。しかしなんというタイミング。

 振り返れば何やら色々詰まっている様子の麻袋を投げ捨て、こちらに猛ダッシュする我が従者、ベルの姿が。その美しい毛並みの顔は緊迫に強張り、牙と爪が剥き出しになっています。

 対するこちらはというと、黒い巨大なドラゴンの眼前です。パッと見で言えばマジで食われる五秒前。


「ルアン様、お下がりくださいッ! ここは私が――」


 あぁ、なんということでしょう。

 せっかくなんとか融和的に進みそうだった事態が彼女の乱入によってまた逆戻りです。このままでは最悪ドラゴンさんとの戦闘。戦闘になれば僕らはおろか、村までも……。

 ……と、思っていたのですが。

 その僕の流れるように加速する妄想は、他ならぬドラゴンさんの呑気な一言に破られました。


「ルアンさま! あなた、ルアンさまっていうのね!」


 ……まるで森の奥で未知の巨大生物に会ったような口調ですが、その場合この台詞は僕が発するべきところです。

 しかしこの一言で、ベルに衝撃が走ります。


「喋った…………」


 そりゃあ驚くでしょうとも。目の前にいるドラゴンがいきなり人間の少女の声で人語を話したのですから。

 そして唯一状況を平和的に飲み込めているであろう僕にはこのタイミングしかありませんでした。すぐさまベルの肩を引っ掴んで手短に状況を説明します。


「大丈夫ベル! たぶんこのドラゴンは安全! 今のとこは!」

「……ルアン様、さすがに正気を疑いますが」

「取り敢えず! 今は! 下がれ!」

「…………承知しました」


 強い命令口調です。僕にしては珍しいこの行動に、ベルは警戒を解くことはないものの、臨戦態勢のまま下がります。

 次に向いたのはドラゴンさん。そのままの姿ではこれ以上ややこしくなりかねないので、僕はお願いしてみます。


「ごめんなさいドラゴンさん! ちょっとよろしいですか!」

「よろしいよルアンさま!」


 よろしいなら何よりです。


「そのままだと、その、僕らが話し辛いので可能ならさっきの姿に戻って頂きたいのですけど!」


 頭上に話し掛けるため、必然的に声は大きめになります。

 しかし、ドラゴンさんが応じてくれるかはわかりません。これは彼女が我々に対して友好的な関係にであることを前提と舌作戦であり――


「にんげんになるの? うーん……いいよ!」


 随分と素直ですこと。話が円滑に進んで好ましい限りです。

 ドラゴンさんは快諾してくれると、さっきの逆回しで人間態に戻ってくれました。光に包まれて現れたのはさっき寝ていたのと同じ、黒い長い髪の少女でした。年はやはり僕よりいくらか下、そして改めて見れば髪はやたら長いです。身長と同じくらいあるんじゃないのか。


「どう!?」

「すてきです」


 破顔仁王立ちでドヤられたので満面の笑みで応対させて頂きます。対して後ろのベルはまた固まっていました。


「人間になった…………」

「……これで少しは話せる?」

「……何かあったら抱えて走る準備は出来ております」

「頼もしい限りだ」


 取り敢えずベルとは話を付けます。これで一応、元の融和的な話し合いでどうにか出来そうな状況になったような気がします。


「……さて」


 話し合いでどうにかこの状況を変えたいのですが、どう話したものかと考えます。本当はこういう交渉ごとはベルの領分なのですが、しかしベルはこの状況が分かってない系獣人女子なので、僕がやるしかありません。

 取り敢えず、まずはっきりさせるべきことは。


「ドラゴンさんドラゴンさん」

「んー?」

「あなたはどなたです?」


 取り敢えずやるべきことは、彼女が何者なのかを判別することでした。

 僕の予想通りこの状況は割と融和的なようで、彼女も何の問題もないように答えます。


「ハアトはね、ハアトだよー」


 ……なーんて簡潔な自己紹介。

 更に付け加えておくと、『ハアト』というのは僕の聞こえた聞こえ方であって、実際どうなのかはわかりませんでした。よくわからない発音だったのです。人類共通語で言うと『ハアト』に聞こえました。

 一応後ろのベルにも聞いてみます。


「……何て聞こえた?」

「『ハアト』と」

「だよね」


 恐らくお名前でしょう。そしてドラゴン語で発音するんでしょう。しかし僕らに発音できない言語である以上、僕らはハアトと呼ぶしかありません。


「じゃあハアトさん」

「ハアトサン? ハアトはハアトだって」

「……なるほど」


 ドラゴンには……と言うには主語が大きいのですが、少なくともハアトと名乗る彼女には敬称という概念が存在しないようです。これは呼び捨てるしかありません。相手は上位存在ですが。


「じゃあさ、ハアト」

「なにー?」


 そしてここからは、状況確認です。……上位存在にこんな描写をするのもアレですが、ハアトは非常にこう、素直なので一問一答形式になります。


「ハアトは……ドラゴンなの、かな?」

「そだよー」


 ドラゴンでした。異種族間交流がまた第一歩進みました。

 さてもう一歩進みたいと思います。今度は安全確認です。


「ハアトは僕らのこと食べる?」

「食べないよ!」


 ……我ながら若干ド直球が過ぎる質問だった気もしますが、それはそれです。これで最低限押さえるべき情報は確保した気がします。相手はハアトという名前のドラゴン。敵意はなさそう。……食事以外の危険性は、わかりませんが。

 では次は何を聞こうか――そう考えていた僕なのですが、その考えはハアトの続いた発言によって粉々に砕け散ることになってしまいました。


「ルアンさまは、ハアトのだんなさまだからね!」

「……なんだって?」

「なんですって?」


 思わず聞き返す人間二人。ハアトは何故か恥ずかしそうに身をよじよじ、もじもじさせています。


「えへへ……ハアト、にんげんすきだから……これからたのしみだなー!」

「待って。ハアト、待って」


 照れてる姿は大変可愛らしいのですが、それどころではありません。後ろのベルも天地がひっくり返ったような顔でこちらを睨んでいます。いや待ってベル。僕も驚いてるから。

 一気に不可解になった状況を変えるべく、ハアトに尋ねます。


「その……なんで僕がハアトの旦那様なわけ?」

「なんで? なんでって……なんで?」

「えっと、その……」


 ハアトはまるで『逆になんでそうじゃないの?』くらいの当然さをもってこちらをきょとんと眺めていました。一気に異種族間交流っぽくなります。ならんでええねん。


「ハアトとルアンさまは、けっこんするからだよ?」

「……どうしてそんなことに?」


 不可解です。プロポーズした覚えはありません。もしかするとこの短い間にハアト側からのプロポーズを受けてしまっていいたのか? 僕の脳内を色んな可能性が巡りました。

 しかしさすがは上位存在、ドラゴンであるところのハアトは僕らの知能の低さ(正しくは文化の違い)を鑑みて、その解説をしてくれました。


「ルアンさま、ハアトのげきりんさわったよね?」

「えっ?」


 また聞こえたワードです。『げきりん』。

 確かハアトを起こしたばかりの時も聞いたワード……と灯っていると、彼女は自身の首元の、そう、黒い一枚だけの鱗を指差していました。


「げきりん!」

「げきりんって……逆鱗ですかルアン様!?」


 驚愕したのはベルです。彼女は僕の肩を引っ掴むと、強く揺さぶって問いただします。


「ルアン様、本当にドラゴンの逆鱗に触れられたのですか!?」

「えぇーっと……うん、触った」


 既に認めた罪です。……しかしこの様子だと、触れちゃあいけないものだったのでは? 僕、やらかしたのでは?

 そしてそれを証明するように愕然と崩れ落ちるベル。僕は何をやらかしたんだ。それを確かめるように恐る恐るハアトの報を振り返れば、彼女は恥ずかし気な乙女の表情で、事の真相を告げてくれました。


「ドラゴンはね……げきりんをさわったあいてと、けっこん……するんだよ?」

「「……は?」」


 僕と、そして崩れ落ちたはずのベルの声が重なります。

 簡単に整理します。

 ドラゴンは逆鱗を触った相手と結婚する。

 僕はハアトの逆鱗を触った。

 ……なるほど、ハアトにプロポーズしたのは僕の方だったようです。一目惚れからの即プロポーズだなんて、なんて大胆なことでしょう。そりゃハアトも赤面乙女です。道理で話も素直に聞いてくれるわけだ。

 ……で、どうするんだこれ。

 愕然とする僕の前で、ハアトは自身で再度言い放った『けっこん』という言葉に照れてしまったのでしょう。


「――――――――――ッ!」


 また黄色い絶叫と共に、黒く猛々しいドラゴンへと戻っていました。……まずは、彼女を人間の姿にするしかありません。

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