第9話 謎の少女、変身する

 新居で初めて迎える朝は爽快――とまでは言えないものの、まずまずといった朝でした。というのも、シーツ一枚挟んだ藁の上で寝るのが初めてだったもので、その、若干背中に違和感がありまして。

 ただ自宅という感覚は予想以上にリラックスできたのか、イルエルに流されてから初めて疲れが取れた気がしました。やっぱり家はいい。ずっと引きこもってたい。冗談です。


「おはようございます、ルアン様」

「おはようベル」


 ベルも城の頃のように僕より早く起きていました。その顔も島に来てからは一番晴れやかに見えます。……昨晩のことを考えなければ、ですが。


「少し早く目が覚めてしまったので、散策のついでに川の様子を見て参りました」

「あぁ、僕らの命の綱の」

「えぇ。ルアン様にとっては命を脅かす直接の原因にもなり得ますが」

「非常に遺憾だけど上手いと言わざるを得ない」

「恐れ入ります」


 掛け言葉は置いといて、家の傍の貴重な井戸が先代国王の如く堂々たる死に様だったことは昨日確認した通りです。するとベルが確認したというその川が僕らの水資源となるわけですが。


「どうだった?」

「はい。やはり村に流れるものの上流のようで、やや流れは速いようですが澄んでおりました。生活用水には十分かと」

「じゃあこれで水問題は解決だね」

「そうなりますね。早速、納屋の方にいくらか汲んでおきました」

「なんという優秀さ」

「恐れ入ります」


 これは獣人関係ないとは思いますが、決まっていることを遂行するときのベルの迅速さと言ったら目を見張るものがあります。……水場に関しては僕が全く役に立たないということもあるでしょうが、それを言うのは野暮です。まったく頼もしい限りです。


「じゃあ今日は何をしようか……っと、その前に」

「なんでございましょう」


 ベッドから起き上がって少し付いた藁くずを手で払った僕は生理現象を訴えます。


「トイレがしたい」

「こちらに」


 起きて第一にトイレに行くよう躾けられた僕の習慣を従者である彼女は完全に承知していました。僕の発言を予測していたのでしょう、ベルは用意してあったトイレを出してきます。

 この家の納屋にあったのは素焼きのような茶色い鉢状のトイレでした。チャンバーポットというやつです。大きさはやや大きめ。僕が慣れているものとは装飾や色が異なりますが、まぁ大方の形状は同じですので勝手は違いません。

 僕はそれをふむ、と改めて吟味すると人払いと洒落込みます。人払いと言っても一人だけですけど。


「ベルは先に居間に行ってて」


 さすがに従者と言えどうんk――じゃない、トイレをしているさまを見てもらいたくはありません。見られてると出ないし。


「かしこまりました。済みましたら窓から捨てておいてください」

「そうする」


 僕の承知を確認して、ベルが寝室を出ていきます。僕はその後ろ姿を見送るとおもむろに下を脱ぎ、鉢へと腰を下ろします。少し口が大きいので臀部がはまらないように気をつけて腰掛け、さぁいざ踏ん張り。……と思ったのですが。


「……おーぅ……」


 忘れていました。そうです、『棒』です。

 恐らく僕より早く起きているうちに設置し終えていたのでしょう、鉢の中には細い棒がそそり立っていました。そして大きめの鉢と言えど所詮鉢、空間性があるわけではなくトイレの棒と僕の棒が接触事故を起こしていました。鍔迫り合いとも言えるでしょう。失礼。


「……これも早めに解決したい問題だなー」


 付いてないベルさんが付けたのですから彼女にとっては何ら問題はないでしょうが、僕としては違和感です。取り敢えず鉢を少し回転させて接触を防ぐことにしました。

 改めて踏ん張ります。

 出ます。


「…………ふぅ」


 済みました。若いのでキレもばっちりです。

 臀部が不快なので僕はさっきまで横になっていたベッドから藁を少し拝借するとそれで拭います。使用済みの藁も鉢に入れて、いざ片付け。


「よいこらー……っと、意外と重い」


 独り言が多いのは生態みたいなものです。やはり大きさがあるだけ少し重い鉢を窓辺へと運びます。重いと言っても全然余裕で運べるんですけど。

 そして運んだ鉢を窓辺から外へ。僕が世の男性よりやや身の丈が慎ましいので慎重にはなりましたが、無事鉢を取り落とすこともなく庭へ内容物が落ちます。

 これにて今朝のトイレ完了です。非常に清々しい気分と言えるでしょう。いやぁスッキリ。


「さて、今日はどうしようか」


 ベルの待つ居間にて、彼女と向かい合うように座りながらそう聞いてみます。新生活二日目。あまり一日を無駄には出来ないので、話し合いは迅速にすべきです。僕がのんびりしているだけとも言われますが。


「最も優先すべき事項を整理しようベル」

「整理するまでもありませんルアン様」

「と言うと」

「食料問題です」


 なんてこったい。


「現在我が家には麦もなく野菜もなくあるのはカルロスさんに餞別として頂いた干し魚だけです。それだけではありません。エールもなければワインもなく、飲み物がありません」

「予想以上に危機的状況だね」

「えぇ。ルアン様にも危機感を持っていただければ」


 これでも危機感はそれなりに抱いているつもりなのですけれど、まぁ言われなければ現状を把握できなかった時点でお察しです。ちなみにこれでも家主です。

 幸いまだ空腹は感じなさそうなのですが、しかし大変な問題であることは変わりないので、正面からベルの痛いほどの視線を感じながら僕も考え込んでみます。


「……今日の昼のパンもないとなるとこれは割とヤバいのでは」


 新生活二日目で断食なんてしようもんならうっかり悟りでも開けてしまいそうな気がしますが、生憎僕らは宗教に身を捧げている訳ではないので遠慮願いたい気がします。そもそも僕らの信仰するディエウ教に断食云々の教えはありませんし。


「……案としては二つになるのかな」

「と、申されますと」


 少し考えた頭で捻った答えを切り出してみます。


「一つはカルロスさんに相談する。……何故だかよくわからないけど僕らは気に入られてるみたいだし、相談したら取り敢えずはどうにかなるだろうけど……」

「しかし、それでは根本的解決になっておりません。それに、あまり好意に付け込むのもいかがなものかと」

「だよね」


 反論まで含めて同意見だったので、確認のように僕は頷きます。つまり一つ目の『カルロスさんに助けを求める』は最後の手段となります。逆に言えば最後の手段になり得るくらい頼りがいがあるのですが。


「して、二つ目は」

「うん。それは『村長さんに相談』。ほら、なんだか新参者はみんな村長さんが面倒見てるみたいな雰囲気だったし、それに『困ったことがあったら聞きに来なさい』みたいなことも言ってたし。これが一番妥当な案じゃないかな」


 今までだって僕らみたいなケースはあったでしょうし、何も考えがない……とは思いたくありません。物が貰えずとも教えは乞えるでしょう。

 ちなみに他の案として『牧師さんに相談』『お隣の鍛冶屋さんに相談』があったのですが、これらも発展性のなさと挨拶もしてないお隣さんにご飯を頂くのは気が引ける、という理由で却下されました。

 そしてこの『村長さんに相談』案はベルも納得したらしく、彼女は小さく頷くと早速立ち上がります。


「では早速、村長さんの御宅に向かいます」

「わかった。僕も――」

「いえ、ルアン様は結構です」

「む」


 意気揚々と同行しようとしたのですが、断られてしまいました。何故だと家主らしい、或いは主人らしい強めの目線を飛ばしてみたのですが、


「ひとっ走りするつもりですので、お邪魔です」


とのことです。確かに僕は人族平均くらいしか走れませんし、持久力にしろ速度にしろ彼女にとっては邪魔でしょう。にしても酷い言い草。


「考えればルアン様が一緒に向かわれる必要もございません。家のことは同じくらい、むしろルアン様以上に頭に入れているつもりですし、決定権も基本的にルアン様は委ねることがほとんどですので」

「そう言われると行く理由が見当たらない」


 僕は大人しく腰を下ろします。もっともな上に異論もありませんので、ここはベルに従うのが一番なはずです。難しい話に関してもベルの方が得意ですので。

 しかしそうすると僕はやることがありません。どうしたものかと発とうとするベルに尋ねてみます。


「……そうですね」


 彼女は支度を済ませると、一つ提案してくれました。


「ガスパールさん……と言いましたか。お隣の鍛冶屋の方にご挨拶でもされては」

「確かに挨拶は僕の領分だ」


 私にはなかった良い考えです。早速僕も支度をします。そんな僕を尻目に、ベルはいくつか釘を刺します。


「ルアン様。くれぐれも水辺にはお近づきになりませんよう」

「わかってる。僕も命は惜しい」

「山の奥の方に入られるのもご遠慮ください。……カルロスさんの話ではありませんが、何が棲んでいるかわかりませんので」

「わかってる。僕も命は惜しい」

「それと、私が戻った時に居ないと困りますのであまり話し込まれませんよう」

「わかった、僕も飢餓は避けたい」


 当面の問題は食料ですので、最優先です。


「では、行ってまいります」

「いってらっしゃい」


 ベルは一言告げて、出ていきました。俊足が飛ぶように道を駆け降りていきます。相変わらず足が速いなぁとその背中を見送りながら、僕も家を出ようとしたのですが……ふと、鍛冶屋さんに行くなら我が家の金物を見ておくべきだと思い立ちます。


「これは我ながら賢いと言わざるを得ない……」


 ふふ、と自賛しながら僕は母家の裏側にある納屋の方に回ってみたのですが、しかし納屋に入る前に――藁が、目に入ってきました。えぇ、藁です。納屋から少し離れた木々の奥に小さな藁の山が見えます。麦の副産物である藁が自然発生してるのは確かにおかしいですが、しかしベルが置いているという線もありました。……ありは、したのですが。

 僕の目はもう一つ、捉えていたものがありまして。


「……あれは、足では」


 茂る草木の間に見える藁山。

 その上に……その、生足が。

 恐らく人間、それも人族だと判別できる足が。……目が良いのはむしろベルの方なのですが、朝の散策で彼女は見てないのでしょう。

 しかしこんなものが見えてしまった以上、僕も無視は出来ません。知らんぷりしてお隣のご挨拶に行けるほど豪胆でもありません。つまり気が気じゃありません。


「…………大丈夫かな」


 辺りを見回します。藁の山は見えるとは言え、家を囲む森の中です。ベルの言いつけに若干抵触する気もしますが……。


「……獣の匂いもしない。何かあったらギリギリ納屋に戻れる距離、だと思う。……よし」


 自分にこう言い聞かせました。手にした麻袋からナイフ(昨晩のうちに納屋から拝借したもの)を取り出して、ゆっくりと藁山に近付きます。

 辺りを警戒しながら草木を掻き分けて進みます。凪の音だけで小鳥のさえずりさえ聞こえないのが若干不気味にさえ思えてきたところで、僕はとうとう、藁山と対面と相成りました。

 そして、そこには。


「……女の子」


 少女が横たわっていました。僕と同じ、人族の少女です。

 僕は家までの距離や周りを再確認して、それから少女を改めて観察してみます。藁山に横になっている彼女は、微動だにしません。…………その……実に、すやすやと。


「寝てる……」


 お休みになっておられました。そりゃあもうぐっすり。その熟睡を示すように長い黒髪が惜しげもなく藁の布団に広がっています。背丈や顔立ちから、僕より少し下、十二歳くらいでしょうか。村の子だと思われます。


「……さて」


 ふむ、ともう一度安全確認をして眠れる森の少女を見下ろします。最悪熊辺りにやられたご遺体である可能性もあったので健やかで何よりなのですが、ここで寝ているのを見つけた以上放っておくわけにもいきません。僕は起こすことにしました。


「お嬢さーん、こんなとこで寝てたらドラゴンに食べられちゃいますよー」


 村の子であれば知っているであろう伝承を交えた高等テクニック、だったのですが。


「呼びかけだけじゃ起きないか」


 そもそもここで寝てるなんてなんなんだろうこの子は。

 相変わらず寝息和やかな彼女を見てそんな印象すら抱いてしまいますが、もう起こすと決めたら起こすしかありません。さしずめ新参者である僕らの野次馬でしょう。

 揺り起こそうとして、彼女の肩に手をかけようとします。……と、その時にまた僕の目に映ったものが。


「宝石?」


 彼女の首筋、ちょうど上になっていた左あごの下辺りに宝石のようなものがありました。黒く輝くものが。いいえ、ネックレスの類ではなく、まさに宝石がそのまま首に埋まっているという具合で、それはまるで鱗みたいでした。


「……人族だよね?」


 確認します。鱗のようなものは首に一つだけ、他の場所には何も見られません。角も尻尾も翼もない。……獣人ではなさそうですが……するとコレはなんなんだ。

 不思議に思いながらも、しかしそれは奇妙な輝きがありました。なんというか、目が離せない感じがします。深い黒をしていて――


「……お嬢さん、お嬢さーん」


 僕の手は『揺り起こす』という大義名分を掲げて、誘われるように、吸い込まれるようにその黒いものに触れていました。

 触れたそれはつるつるしていて、非常に硬い感じでした。やはりアクセサリーというよりは、まさに鱗のように張り付いているみたいです。向きの関係か、あごの方が下になるように付いているようで、先の方は触れば切れそうなくらい尖っていました。不思議とずっと触れていたくなるような、そんな――


「…………ん、むぅ」

「あ」


 最早揺り起こすというより鱗を撫でまわしていると、不意に少女の瞼がぱちりと開きました。意外と早い覚醒に僕は声を上げるしか出来ず、彼女の真っ赤な瞳には寝こみの少女の首筋を撫でまわす僕が映ります。これは言い逃れ出来ない。


「お、おはよう。こんなところで寝――」

「……いま、ハアトのげきりん、さわった?」


 僕は紳士を取り繕いながら挨拶をしようとしたのですが、彼女の言葉がそれを阻止して……待って。今なんて?


「さわった? さわった!? さわった!」


 寝起きできょとん、としていた彼女は一転、跳ね起きると僕にそう言いながら詰め寄ってきました。どこか舌っ足らずなような、しかし怒涛の質問攻め。あまりの動きの早さに僕も驚いて押し倒されるように後退ります。


「ちょっ、待っ、あの」

「さわった! さわった! さわった、でしょ!?」


 さっきまでの寝顔はどこへやら、勢いのある少女です。

 一瞬聞き逃してはならない単語が聞こえたような気がしたのですが、しかし勢いに流されて僕はぶんぶんと首を縦に振って白状しました。


「触った! 触りました! ごめんなさい」

「きゃーっ!」


 僕の返答に彼女の嬉しそうな悲鳴が上がります。さらば我が健やかな新生活……と、思ったのですが。待て待て。嬉しそう?

 間違いありません。彼女は黄色い歓声を上げながら頬を抑えています。これを嬉しそうと言わずになんと言うのか。


「さわられちゃった、ハアトのげきりん!」

「あの、その『げきりん』って――」

「にんげんに! さわられちゃった! きゃーっ!」


 ……完全に聞いてません。どうしてこうなったんだろうと、あまりの急転直下の出来事に僕も完全に混乱してきました。そんな僕の前で彼女は更に一際大きい歓声を上げます。


「さわられちゃったってことは……けっこん、だよね……」

「……なんだって?」


 更に聞き捨てならない単語が耳に届いた気がしたのですが――ですがそれは、次に訪れた最大級の衝撃によってすぐにどうでもよくなります。

 彼女はその『けっこん』とやらを意識して、頬を可愛らしく赤に染めたかと思うと感情が最高潮を迎えたようでした。


「けっこん……! きゃぁぁ――ァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 ……後から振り返ったとしても、この衝撃を僕は一生忘れることはないと断言できます。

 今日一番の悲鳴を上げた黒髪の少女は、突然光を放ちました。彼女の全身が眩い光に包まれて、そしてその光はどんどんどんどん大きくなっていって――やがて、別の姿に収束しました。

 小さな背丈は見上げるほど大きくなり。

 小柄な体は巨大化して四つ足と共に周囲の木々を押し潰し。

 広げた一対の翼は空を覆って。

 強靭で長い尻尾が遥か後方まで木々を薙ぎ払い。


「……ぅ、ぅ」


 深い黒の艶やかな鱗に全身を覆われた姿は、その、まるで――……!


「ぅわああああああああああああああああああああああっ!?」

「――――――――――――――――――――ッッ!!」


 見上げたちっぽけな僕の悲鳴と、その目前で少女が変貌した黒いドラゴンの咆哮は音圧の差こそあれど、ほとんど同時に響き渡ったのでした。

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