第8話 元・王子、新居を探索する~家の中編~

 僕の案じた一計は功を奏したようでして、戻ってくれば風のお陰で匂いは多少マシになっていました。


「ベル、いけそう?」

「えぇ、お陰様で」


 若干だけ眉をひそめてはいるものの、行動に支障はないと見えます。まぁ入ったばかりでこれでは室内が若干心配にはなりますが、そこは我が従者の我慢を期待しましょう。


「じゃあ探索と洒落込もうか」

「そういたしましょう」


 匂いが籠もってはいけないので扉は開け放ったまま僕らは中に足を踏み入れます。そしてその瞬間、僕は思わず声を上げてしまいました。


「うぉぁ」

「どうしましたルアン様」


 まだ間抜けた声だったので良かったですが、ベルが若干軽快したような様子で僕の足元を見ます。そこには何か違和感があるわけでもなく、ただ踏み固められた地面が広がっていたのですが、生憎僕にとってはそれが違和感でした。


「……まさか床がないとは思わなかった」

「お言葉ですがルアン様、この家の床がこれかと」

「……土間ってやつ?」

「えぇ、いわゆる」


 聞いたことがあります。床板を敷くのではなく地面を踏み固めて床とする。幸い我々は寝るときと風呂以外はほとんど素足になることはないので不自由はしないのですが……なんというか、こう、城は土間じゃなかったので。


「なるほど、これが土間……」

「驚いておられますがカルロスさん宅も土間でしたよ」

「……そう言えばそうだった気もする」


 改めて踏みしめてみます。泥っぽくもないし、むしろ表面は適度に砂っぽくて歩く分には不快感はありません。……うむ、こういうものだと思えばこれでも全然大丈夫な気がしてきました。


「……よし、大丈夫。不自由なし」

「ルアン様の適応能力の高さには恐れ入ります」


 後ろのベルはまだちょっと戸惑いつつはあるようでしたが、外と同じ感触がするだけで未知の感覚ではないので慣れてくれることでしょう。

 これから我が家となる土間との邂逅を終えた僕は暗がりの中を見回してみます。暗がりというか、薄暗がり。見るからに人が住んでなさそうな感じがします。いや住んでたら困るんですが。


「玄関を抜けたここは間違いなく居間と見える」

「さすがでございます」


 ベルに意味不明に持ち上げられた気もしますが、それはそれとして。

 扉を開けて少し歩いた辺りにある大きな木のテーブル。その両脇を固めるのが長椅子のような、足のある細長い木材が二本。奥、つまるところ居間の中心にはかまど、そして台所。二人で暮らすには申し分ないくらいの広さと簡素さと言えるでしょう。


「どこから見ようかベル」

「ルアン様、取り敢えず窓を開けることを提案いたします」

「窓……なるほど」


 言われて見れば二つほど窓がありました。木製の小さな扉が閉じてあります。確かに、これを開ければ光量とか匂いとか諸々楽になりそうです。早速僕とベルは手分けして作業に取り掛かります。

 世の成人男性より若干(本当に若干です)身長が慎ましい僕はほんの少し背伸びをして窓に手を掛けてみます。押して開くは観音開き――と思ったのですが。


「……意外と堅いなこれ」


 堅かったのです。いくら押しても妙に軋むし変に動くだけで、こう、スッと開いてくれそうな感じはありません。どうしたものかと試行錯誤、縦横に揺らしていると少しの手応えを感じました。


「……ははーん」


 なるほど、と分かった顔です。渾身の分かった顔です。こやつは堅いのではない。癖が強いのだ。


「つまり少し右に寄せながら押せば……っと!」


 するとどうでしょう、目論見通り読み通り、堅かった扉は引っ掛かりが取れたように開け放たれました。風が抜けるのと光が入ってくるのを感じます。勝利のエフェクトです。


「ベル、この窓開けるのにはちょっと工夫が――」


 恐らくもう片方もそうに違いない、と予想した僕はまだ苦戦していた従者の手助けに回ろうとした……のですが。


「……残念ですがルアン様、一足遅かったようです」

「……みたいだね」


 ベルへ振り返ると共に妙な破壊音が聞こえたと思ったら、彼女の前には外の晴天と林を全力で伝えてくれる窓があった場所と、無残にも砕け散ったと思われる窓枠が爽やかな風にそよいでいました。恐らく不在の窓(本体)はお庭でピクニックでしょう。


「一応聞いてみるけど……堅いと思わなかった?」

「えぇ、思いました」

「それから?」

「堅かったので、えいやっ、とやってみたらご覧の様子です」

「反省は?」

「これでも一応しております。申し訳ありません」


 黒い毛並みのいつもクールな表情ですので信じてしまいそうになりますが、これは嘘です。きっと彼女の心中といたしましては「何故この程度で壊れたのだろう」くらいに思っています。


「しかし何故この程度で壊れたのでしょう……この家の防御力に疑問を覚えます」

「普通家の防御力に疑問は覚えないんだけどなー」


 ……これは一般論ですが、獣人族は犬や猫、鳥などどの種でも我々人族よりほとんどの身体能力で勝っていますが、唯一手先の器用さだけは人族が勝ると言われています。ただ、今回の件は若干毛色が違う気もしますけれど。

 まぁ家の防御力に関しては大丈夫でしょう。それこそ獣人族とかめちゃくちゃ強い獣が攻めてくるとかでもない限り我が家は安泰のはずです。


「取り敢えず窓は開きましたので探索に戻りましょうルアン様」

「清々しいまでの話題転換だけど異論はないよ」


 失われたものは仕方がないので、直るまでに雨が降らないことを祈るばかりです。

 取り敢えず二人して我が家を物色してみます。家探しのようで気が引けないこともないのですが、それにしても探索とは幼心に戻れるようでわくわくします。


「これは……?」

「いわゆる、長持ちという物かと」


 見てみたのはテーブルの脇を固めていた長椅子。足の付いた木箱、といった具合なんですが腰掛ける辺りが蓋になっており、開けてみれば収納具といった風でした。


「見たところこの家にはあまり収納はありませんので、使うことになるかと」

「便利だね。今は……」


 何分着の身着のまま流されて参りましたので今は何も仕舞うものがないかと思われましたが……いいえ、一応ありました。実は持ち歩いていた(まぁ持ち歩いていたのはベルですが)麻袋から取り出したるは上等な僕の衣装です。えぇ、流されてくる前に着ていたヤツ。ベルのもあります。


「もう着ることはないかもしれないけど仕舞っておこう」

「えぇ、それがよろしいかと」


 軽く頷くベルでしたが、その後すぐに何かに気付いて小さく唸ります。唸ると言うか、むむむ、と言った具合です。伝わるでしょうか。


「どうしたのベル」

「いえ、少し違和感が」

「違和感?」


 えぇ、とベルはテーブルと長持ち――椅子を交互に見ます。


「テーブルと椅子の汚れ方が妙に違うのが、気になりまして」

「細かいね……小姑?」

「いえそういうものではなく。椅子の方が汚れておらず……こう、最近誰かが座った痕跡があるような。ついでに妙な匂いも」

「……そうかな」


 見直してみます。……確かに埃の感じがテーブルの方が汚い気がしますが、それは僕がさっき触ったからではないでしょうか。妙な匂いについては最早僕にはわからない次元です。


「気のせいじゃないかな」

「そうでしょうか」

「そうじゃないかなぁ」


 ふわっふわした会話です。内容がない様子。

 しかしベルの「違和感」もさほど強いものではなかったらしく、彼女も彼女として引き下がります。というか第三者の介入によって話題は強制的に塗り替えられたのですが。


「よォやってるかい坊主!」


 聞き覚えのある、というかイルエルの人物で一番聞いた声がします。扉の方を振り返ってみれば見覚えのある褐色の筋骨隆々男性!


「カルロスさん、どうしました?」


 さっきお帰りになられたはず。いえ、もうその顔が見たくなかったというわけではないのですが、というかむしろ頼もしいくらいなのですが。しかし我が家から彼の家を考えるとそう楽々と移動できる距離ではないだけに少し驚きです。

 僕とベルは一応会釈をしますがきょとんとしていると、カルロスさんはいつものように豪快に笑いながらひょい、と何かを掲げました。見れば、籠に入ったパンと魚です。


「もう昼飯の時間だが、おめェら飯がないだろ」

「……言われてみれば」


 確かに食料がありません。これは致命的だ。


「だからよォ、うちの嫁が祝いにってよ。今晩の分まであらァ」


 邪魔するぜ、と入ってきたカルロスさんはその太い腕でテーブルの上の埃を払うと籠をどすんと載せました。これは嬉しい救援物資です。


「掃除もいいが、取り敢えずは昼飯にしねェか?」


 椅子にゆっくり腰を下ろしながら、未だ立っている僕らにそう呼びかけるカルロスさん。僕とベルは目を見合わせますが、その提案に異論はありませんでした。





 カルロスさんのお陰でおいしい昼食を頂き、また今夜の食糧まで頂いてしまった僕らは深々と山を下るその背中にお辞儀をして、探索を再開しました。

 ……とは言いましても、大して広くもない我が家なので一日もあれば十分でした。台所には幸い使えそうな鍋が二つ、そして運のいいことに燭台も二つ並んでいました。なぜ台所なのかは不明ですが。


「ここが寝室か」


 ベルが家に隣接した納屋を見に行っている間、僕は居間の隣の寝室を見ていました。我が家には主にこの二部屋らしいです。少ないですがまぁ、事足りるんじゃないでしょうか。たぶん。


「ベッド……これベッドかぁ」


 目の前にあるのはベッドのように積まれた藁です。藁。いや何笑ってるんですかという語感ですが藁藁です。藁藁しています。……その、贅沢だとはわかっているんですが僕の知っているベッドとはちょっと違ってびっくりです。


「このシーツを被せれば寝られそうだけど……」


 隣に置いてあったシーツはなんとなくですが汚くはないです。いけそうです。……しかし、藁に違和感です。それこそベルではないですが、誰か寝ていたんじゃないかという気すらして――。


「……?」


 ふと、僕は視界の隅に何か見えた気がしました。寝室に唯一ある窓から外を見てみますが……何もないです。


「……まただ」


 視線を感じた気がしたのですが、うーん。

 しかしこうも重なると追いかけてみたくなります。僕はシーツを藁の上に投げると、窓から外を伺ってみようとしたのですが。


「ルアン様、納屋に色々ありました」


 後ろから現れたベルによって、それは偶然にも阻止される形になりました。なんというタイミング。まぁ構いませんが。


「色々、というと」

「使えそうな薪、農具、トイレなど」

「生活感に溢れていて素敵だね」

「しかし問題が」


 少し不穏な響きに聞き返してみます。


「……若干申し上げにくいのですが、トイレに『棒』がありませんでした」

「『棒』……?」


 トイレの『棒』とはなんぞや、と思考を働かせて……


「……あぁ。……まぁ犬の獣人以外用はないものだしなくてもおかしくないね……」


 気付きました。思わず苦笑いです。しかし僕ら人族にとっては笑いごとでも彼女にとっては笑いごとではないらしく、少しむすっとしながら申し出ます。


「棒がないと私が不便です」

「棒くらい拾って来ればいいのに……」


 棒、棒と言っていますが。

 少し下世話な話にはなりますが、犬の獣人は不思議なことに、トイレの『小』をするときに出したソレをひっかける『棒』が必要らしいのです。ないと出るものも出ないんだとか。イメージとしてはトイレの前の方に小さな細い円柱がある、と言った具合なんですけれども。


「では棒を手に入れ早速トイレの改造をしますね」

「待って待ってよベル。あれ付けっぱなしにするの?」


 あれとは棒のことです。正式名称は知りません。


「外す必要が?」

「あるよ……。僕からしたら邪魔だもんあれ」


 そう、それが問題でした。邪魔なんです。想像して頂きたい、トイレの前の方に棒が立ち塞がる図を。ベルさんには付いてないからわからないでしょうが、その、僕の前についてる尻尾にとって非常に邪魔です。


「……となるとどうにかして取り外し可能にするかトイレをもう一つ拵えるか、ですが」

「……考えておかなきゃね」


 取り敢えず優先順位は高そうです。話し合いの結果、取り敢えず当面は僕が譲歩する形になりました。決まりてはベルの「ルアン様のルアン様がそこまでご立派とはとても……」でした。覚えてろよ。





 そうこうしているうちにとっぷりと日は暮れ、イルエル生活二日目も終わりを迎えます。簡単ですがおいしい晩ご飯にカルロスさん夫妻に感謝をしながら、戸締りの後にベッドに入ります。


「……どう、ベル」


 煤汚れた屋根を眺め、背中には藁の感触。大きなベッドに二人で並んで入っても、僕らの体格ではそれなりに余裕もありました。

 夜闇に慣れてきた目で隣を伺ってみます。彼女は若干何か考えていることがあるのか、同じく天井を眺めていました。


「何か考えてるみたいだけど」

「昼に、カルロスさんに伺ったことを」

「ドラゴンの話?」

「えぇ」


 それは、お昼ご飯を届けに来てくれたカルロスさんと共に昼食を囲んでいた時に出た、ちょっとした話題でした。


「そう言えばよォ、このイルエルにはドラゴンが住んでるんだぜ」

「……ドラゴン?」

「あァ」


 訝し気に聞き返すベルに、カルロスさんが笑いながら答えます。嘘を言っている感じでもありませんでしたが、ただ酒のネタくらいに考えているようでした。事実、カルロスさんの手にはブドウ酒がありましたし。


「俺たちが来る前から住んでるんだとよ。山の奥の方にいるって、爺さんたちからずっと聞かされたぜ」


 どうやら伝承の類らしいです。まぁドラゴンなんて同じ生活圏にそういて堪るものではないと思うので、真偽はわかりませんが。


「……ン、信じてねェな坊主」

「カルロスさんは?」

「半分くれェかなァ……がっはっは!」


 豪快に笑いながら酒を煽るカルロスさん。


「中には見たって言う爺さんもいる。だから島の山奥には入るんじゃねェぞって言われるんだ。まァ子供だましだろうが……」


 カルロスさんは窓の外に広がる風景をどこか遠目で見ると、僕に向かって威すように言いました。


「でも森には何がいるかわかんねェからな。気をつけろよ坊主!」


 僕はあの話は森に不用意に入ろうとする人への警告のための伝承……くらいに考えていたのですが、ベルは違ったようです。

 薄暗がりに彼女の毛並みは艶やかに溶け込んでいましたが、彼女は天井を睨んでいるようでした。


「……妙な勘がいたします」

「勘?」

「えぇ……」


 ……思い出せば、ベルは昨日今日と妙にイルエルに定住することを避けようとしていたような気がします。今となってはもう『くくるものはくくった』らしいのでそんな素振りはありません。てっきり予定通りに事が運んでいないことを憂いていたと思っていたのですが……或いは?


「この家も不思議な匂いが少しだけいたします」


 それは僕にはわかりませんが……ただ、僕にも気になることはあります。二度感じた謎の気配とその視線。……おかしいですね、ホラーではなくコメディーのつもりでお送りしていたのですけれど、妙な感じです。サスペンスも勘弁願いたい。

 僕はこの変な空気を少しだけ打破するため、ベルに聞いてみます。


「……ドラゴン、本当にいると思う?」

「まさか」


 即答でした。


「ドラゴンと言えば、この世界でもっとも偉大な種族です。大陸でさえ見た人間は少ないというのに、こんな小さな島では」

「散々言うね」


 でも気持ちはわからなくもない、という感じです。僕も城にいた頃に伝説や昔話で聞いたほどで、実際に見たことなんてありませんでした。ごくまれに空を飛ぶ姿が目撃されているので、実在はしているんでしょうけど。


「それに、何者か知れない種族です。魔法が使える、なんて話も聞きます。……あまり、出会いたくはないですが」

「……そうかぁ」


 魔法が何なのかは詳しく知りませんが、ドラゴンにだけ使える不思議パワーなんだとか。何でも出来るらしいです。何でもって……何だろう。


「ドラゴン……ドラゴンかぁ」


 天井に向かって呟いてみます。現実味はありませんでした。僕はなんだか不毛な気がしてきて、寝返りを打ちながら元々聞こうとしていた話題をベルに振ります。


「イルエルでの生活、やっていけそう?」

「……そうですね……」


 ベルは天井を眺めたまま考えます。しかしその顔は先程よりはいくらか穏やかな表情になったように見えます。


「……なるようにしかならないかと。ドラゴンが現れなければ……ですが」


 冗談めかしてそう答えてくれたベルは、何だか頼れる相棒といった具合でした。姉であり従者であり相棒であるとは、なんとも嬉しい気がします。

 僕もベルとならなんとかなる気がしながら、ゆっくりとまどろみに身を沈めるのでした。

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