第5話 元・王子、村を巡る(1)

 嗚呼、川の流れのように――なんて言ってる場合ではありません。歌ってる場合でもありません。口を開ければ空気が入ってくるか水が入ってくるか半々ですので。


「うぼぁっ……! かばっ……!」


 別に水棲の大型動物の話をしている訳ではないんです。空気を吸わないと死んでしまうので。顔を水から自ら出す(激うまギャグ)の度に追い駆けてくるベルとカルロスさんの姿が見えますが、若干川の流れの方が速いようです。これは大変だ。お二人には頑張っていただきたい。

 僕ほどになると流されてもそう大して焦りません。いえ、大変な事態ではあるのですが、流され慣れてる回数が伊達ではないので。ただいつか死ぬかもしれない気はします。たいへーん。

 ……ただまぁ、僕が焦らない真面目な理由としましては。


「――ルアン様っ! お手を!」


 こうやって駆け付けてくれる彼女が一番大きいのではないかと思います。本気を出せば我々人族とは比べ物にならないほどの運動能力を誇る犬の獣人、その彼女が全速力を出して流される僕と並走していました。


「掴むよ……っ」

「早く!」


 黒い艶やかな毛並みの手を掴むと、凄まじい勢いで引き上げられました。獣人の筋力が凄まじいのか、或いは彼女の僕を助けようという高尚な意志のなせる技か。僕の手を掴み、その状態でなお走った結果、僕は滑るように陸に打ち上げられることと相成りました。擬音で例えるならザパーッ! ズサーッ!って感じになります。


「ご無事ですか」

「……また助けられたね」

「今に始まったことではないかと」


 頼もしいこと申し分ない従者です。彼女とならこのイルエルでの新生活だってなんとかなりそうな気が凄くします。……ただ唯一恥ずかしい点と言えば僕が全身ずぶ濡れで背中が土で汚いことくらいでしょうか。せっかく村長さんに頂いた一張羅が。


「すげェな、獣人ってこんなに足速ェのか」


 少しばかり遅れて、カルロスさんも追い付きます。確かに遅れはしましたが、ベルの全速力を見知っている身としてはカルロスさんの足も十分速いことが伺えます。さすが海の男。


「姉ちゃんさすがだな」

「恐れ入ります」

「坊主も無事で何よりだ」

「お陰様で。……いきなりご心配をおかけしてすみません」

「いいってことよォ、こっちこそ悪かった」


 まさか落ちるなんてな、とカルロスさんは申し訳なさそうに頭を掻きますが僕だってまさか落ちるとは思いませんでした。普通の人なら落ちていなかったでしょうが、こればっかりは僕の特異体質というヤツです。

 それはベルも同じ感想だったようで、彼女は彼女なりのフォローをします。


「お気になさらず。ルアン様は生まれつき『流されやすい』体質でして」

「流されやすい……てェと?」

「それはもう、流れる水があったら吸い寄せられるレベルでございます」


 ……果たしてフォローでしょうかこれ。


「そいつァ気の毒になァ……でもよく今まで死んでねェな」

「それは僕も本当に不思議です」


 本当に。『流れる』だけで言えば生まれるかどうかも怪しいところがあるんですが、今までなんとか死ぬことはありませんでした。さすがに昨日の難破は死ぬかもしれないと思いましたが。いえ、思う暇もなく気絶でしたけど。


「でもアレだな、本当に随分と流されたなァ坊主」


 豪快に笑うカルロスさんに言われて辺りを見回せばなんということでしょう、島の中腹の村長さんの家から景色はすっかり変わり、海辺の方まで降りてきていました。匠もびっくりの変貌ぶりです。景色の話です。


「坊主の家は山頂になるんだがなァ、こりゃ一苦労だぞ」

「申し訳ないです」

「オレは構わねェさ。海辺の案内も軽く出来るしな!」


 なんというポジティブな思考の切り替えでしょう。カルロスさん、王城暮らしで軟弱そのものの流され系男子が憧れるには余りあるくらいカッコいい男性です。そりゃあお子さんも増えるってもんです。何故とは言いませんが。恐らく立派な竿もお持ちなのでしょう、漁師ですからね。

 そんな言葉に励まされるように――或いは流されるように――僕も立ち上がると、いつの間にか周りには流された僕を心配してか漁師さんたちが集まってきていました。


「おうおうカルロス、そいつが新しいのか」

「随分濡れ鼠じゃねェか。海の底から来たのか?」

「山から下りてきたように見えたけどなァ」

「じゃあ川の底か? そりゃまた浅いな!」

「がっはっはっは!」


 早速笑って貰って何よりです。僕としても初対面で話題を提供できたのですから好印象を与えられたと自負しています。

 カルロスさんも同じようにひと笑いすると、両手を広げて名乗るように紹介してくれました。


「コイツらはイルエルの漁師だ。魚を獲る、流れてきたモンを集めるに関しちゃあイルエル一番よ」


 屈強な男性たちです。老いも若いも元気と言うか気骨に溢れています。小麦の肌は筋骨隆々、気のせいか上裸が多い。見られても恥ずかしくない体をしているだけあります。

 周りはというと、そう言えば昨日は薄暗くてよく見えませんでしたが、木造の平屋が密集するように陸地に。浜には長細い船や網、櫂などが並べられています。まさに漁村、と言った具合でしょうか。初めて見たので適当言ってますけど。


「まァ魚に困ったらウチにでも来い。おめェの家からは遠いだろうけどな!」


 自信満々に言い放ったカルロスさんに漁師さんたちも続きます。


「坊主、そン時はまた流れてくりゃあ速いぞ!」

「カルロスは頼りになるオレらの頭だからな、それがいい!」

「海に着く前にカルロスが助けてくれるさ!」

「獣人の姉ちゃんもいるから安心だろう!」

「服の面倒はカルロスの嫁が見てくれらァ!」


 カルロスさんが信頼されるリーダーであることと、漁師さんたちが愉快な人たちだということがそりゃあもうびしびし伝わってきます。主に鼓膜に。声が大きいんですよ皆さん。

 対してカルロスさんはというと、もう早速歩き出そうとしていました。


「おら、坊主も姉ちゃんも早く家に着きたいだろ? おめェら邪魔だ、散れ! 散れ!」


 手で払われ散っていく漁師さんたち。僕らはお疲れさまですとその背中を見送りながら、斜面を登り始めたカルロスさんの後を追います。

 ここからはダイジェストで。

 最初に足を止めたのは漁村から少し昇って、斜面に広がる村の入り口を過ぎた辺り。立ち並び始めた民家と少しだけ距離を置いてそれは建っていました。


「ここがイルエルの教会だ」


 教会。神に祈る場所です。木造の……二階建て、でしょうか。ともすれば村長さんの家よりも大きい気がします。大きいと言うか、高いというか。日光に掲げられた十字架の高さたるや、といった具合です。


「オレはたまーに来るくらいだが、坊主は信心深かったりはすンのか?」

「神には常日頃感謝してますけども」


 ついさっきとか。昨日の夕方とか。


「だろうな」

「わかっていただけますか」

「わかっていただけますよ、オレでもな」


 自嘲気味に笑うカルロスさんも素敵です。

 話し込んでいると、教会の重苦しそうな扉を開いて誰か現れました。紺色のチュニックに肩衣を掛けた、糸目の男性。聖職者とみえます。


「おやおや、カルロスとは珍しい。今日は懺悔ですか?」

「うるせェ、懺悔することなんて一つもねェぜオレぁ」

「それはうらやましい。そちらは?」

「昨日流れ着いたばかりの新しい住人だ。上の方に住むことになったンでな、案内ってわけだ」

「おやおやおや」


 なんだかカルロスさんの説明の仕方だと新鮮なお魚のように聞こえなくもないのですが、しかし男性はそれで要領を得たようで、丁寧に挨拶してくれます。


「私はイルエルで僧侶をしております、ウィリアムと申します。お気軽に『牧師さん』とでもお呼び下さい」


 ウィリアムさん、もとい牧師さんはそう名乗ると丁寧に一礼してみせました。僕も応じながら、その丁寧な仕草に嘆息します。城でも様々な僧侶を見ましたが、なんというか、牧師さんは誰よりも親しみが持てそうです。

 にこやかに名乗られたので僕らもにこやかに名乗り返します。


「こちらは――……失礼」


 いつものように名乗ろうとしたベルですが、つい『ロイアウム王国元第六王子』と言いそうになったのでしょう、言葉を詰まらせます。僕もすっかり忘れていたので驚きはしましたが、改めて自分の口で名乗ります。


「僕はルアンです。ルアン・シクサ・ナシオン」

「私は従者のベル、と申します。よろしくお願いします」


 丁寧に礼を返して顔を上げると、牧師さんは驚いてらっしゃいました。


「おやおやおや、『ナシオン』ですか……それはまぁ、なんと。大変だったことでしょう」

「えぇ、まぁ」


 少し返事が濁ってしまいました。ナシオン、と言うとロイアウム王家の姓ですので、よくよく考えるとそれさえ知っていれば肩書を名乗らずともバレるのは当然でした。ちなみに『シクサ』は第六王子という意味を持っています。村長さんには名前こそ封じられませんでしたが、聞く人が聞けば『ロイアウム王国の第六王子ルアン』ってな具合の名前なんです。以上ロイアウム王国雑学でした。


「深くは聞きませんが、ということはルアンさんはディエウ教でお間違いなく?」

「えぇ、お察しの通り」


 ロイアウム王国で主に信仰されているのがディエウ教でした。というか周辺国も含めてもこの辺りではメインの宗教です。


「それは良かった。ここもディエウ教なので、何かありましたら気軽にどうぞ。……そちらの、ベルさんは?」


 今度はベルに尋ねる牧師さん。ベルは小さく尻尾を揺らすと、少し申し訳なさそうに頭を下げながら答えます。


「ディエウ教は存じておりますが、その……信仰するもの、と聞かれると私はアンシェンになるかと」

「でしょうね。こちらこそわかったことを聞いてすみません」


 牧師さんは理解があったのか、微笑んで応じます。アンシェンと言えば犬の獣人族が信仰する犬の姿をした神さまです。彼らの祖先とも言われているとかなんとか。ベルや母からの聞きかじりですが。


「ですがまぁ、ベルさんにしろルアンさんにしろお気軽にいらしてかまいません」


 牧師さんはははは、と軽く笑ってみせます。


「ぶっちゃけそこまで形式ばった礼拝もしていませんし、形だけの神に祈る場所みたいな感じですから」

「ぶっちゃけますね」

「それがイルエルの宗教だということで」


 城ではやたらと長い儀式や長い説法、そしてどうしても僧侶を見ると母のことを思い出してしまいそうになるのであまり得意ではなかったのですが、イルエルのこの牧師さんは好感が持てそうです。


「もちろん、私はこう見えて一応正式な任命を受けている僧侶なので、ご希望とあらば儀式も礼拝も承ります」

「頼もしいですね」

「皆さんに神のご加護があらんことを~」


 随分と軽率な加護です。嫌いではありません。可能なら流水の神様の加護とか頂きたいのですが、まぁ、それはおいおい。

 カルロスさんはそれを見守ると、また力強く僕の肩を叩いてくれました。


「さぁ坊主、牧師との堅苦しい話はやめだやめ。次に向かうぞ」

「おやカルロス、私はそんな堅苦しい話をした覚えはなかったのですが」

「いいんだよンなこたァ。次は酒場だ」

「おや、それは失礼しました。ではまた」


 次の予定があると知ってか、牧師さんは軽く会釈をして教会の中へと戻っていきました。僕らも教会の場所と建物を覚えながら、次に向かいます。

 酒場は教会からほど近い場所にありました。というか隣接と呼んでも遜色ないくらいには近い立地でした。縦に長い教会とは対照的に横に長く、看板やら樽やらが並んで賑やかです。


「ここが酒場だ。坊主と姉ちゃん、酒は?」

「僕は飲めます。ベルは意外と下戸です」

「ルアン様、余計な口は慎みください」


 だって本当に下戸じゃないか。

 ……とは言いませんでしたが、ベルは下戸です。城でも午餐のワインを一杯飲むのがやっとでした。お陰でベルはワインではないことが多かったのです。お察しかとは思いますが酔うとネガティブモード一直線です。


「おォ、じゃあいつか坊主とは飲んでみてェなァ」

「……既にカルロスさんに敵う気はしませんけども」


 絶対ザルですよこの漁師さん。そういう顔してます。母がザルだった僕にはわかります。亡くなった父、つまり先王もよく飲まれる方でしたが第六王妃である僕の母はそれを酔い潰した女です。

 お昼前なので酒を飲むにはどこか早い気も致しますが、しかしカルロスさんはにやにやと笑いながら中に入ろうと勧めます。何かあるのでしょうか。

 僕とベルは勧められるがまま、ドアをくぐり抜けました。


「お邪魔します」

「失礼します」

「おやおやおや、いらっしゃい」


 おや? おやおや?

 店の奥から聞こえてくるのは聞いたことのある声でした。ついさっき初めて聞いたばかりの声と、丁寧で優しい口調。知っていますよこれは。

 中はカウンターに並んだ椅子、そしてテーブル席が三つ。時間帯だからか偶然か客はいません。カウンターの向こう側では笑う人影が一つ。

 紺のチュニックに肩衣。……まさかの服装まで一緒とは驚いた。せめて着替えるんじゃないんですかこういう場合は。


「驚きました?」

「……そりゃあもう」


 嬉しそうに笑う店主は、先程ご挨拶したウィリアムさん――教会の牧師さん、その人でした。確認しますけどここ酒場ですよね?

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