第4話 元・王子、また流される
「それは恐らく、無謀だろうな」
村長さんがベルと僕に言い放った言葉は、ある意味僕らのこれからの人生さえも左右してしまった――と言っても過言ではないと思います。
時は戻って、朝。僕にとっては島流され生活二日目であり、イルエル漂着二日目であり、そしてこれからどうするかを真面目に考えなければならない運命の朝でした。
「おはようベル」
「……おはようございます、ルアン」
目覚めは意外なほど心地よく、なんだかイルエルの空気が馴染んでいるのではないかと思うくらいです。ベルはと言うと、彼女は犬の獣人だというのに昔から朝には弱く、低く唸って目をこすっています。お陰で若干素です。朝のベルは不用意に関わると噛みつく(物理)こともあるので放置します。あと少しもすればいつもの調子になるので。
「……改めておはようございます、ルアン様。階下に参りましょうか」
身支度を整えている間にこの通り。我が従者ながら頼もしいものです。ベルがいなかったら僕は未だに海の上をぷかぷかしていたかもしれません。その場合の生死は不明ですが。
村長さんが僕らに貸し与えてくれたのは二階の部屋でして、階下に下りれば村長さんが居間の椅子に腰掛けて待っていました。
「おはよう。よく眠れたか」
「お陰様で、ありがとうございます」
まぁまぁ座りなさい、と勧められるままに椅子に腰掛けると早速とばかりに話が始まります。本当に早速です。
「さて、君たちはこれからどうするつもりかね」
まぁ早速でしょう。これが決まらないことには僕らも村長さん側も何もしようがありません。行先のない船を漕ぎだしたってどうしようもないのです。
さてどうしたものか、と僕がぼんやり考えていると先にベルが返答しました。
「色々と恩義はございますが、我々はイルケーに向かおうと思います」
ベルはと言うと、まだイルケーに戻る予定でいるようでした。僕と村長さんが黙する中、彼女は続けます。
「イルエルは良いところであると、私も思います。しかし、ルアン様は本来イルケーにいるはずの身です。イルケーには多少の備えもあると聞いています。ですので、今日にでも発ちたいと」
なるほど、もっともと言えばもっともな意見です。僕も特に反対しようとは思いません。多少イルエルが名残惜しくはありますが、それはそれです。
しかし、それに対して村長さんが言い放ったのが、件の言葉でした。
「それは恐らく、無謀だろうな」
「無謀……と、申しますと」
眉をひそめるベルに、村長さんは淡々と告げます。
「そもそも船がないだろう」
「それは……それは、この島から他の島に渡る船などに」
「そんなものはない、生憎な」
衝撃の事実です。どうやらこのイルエルという土地はこの土地の中だけで色んなものが完結してしまっている様子。しかしそれでは、とベルが疑問を投げます。
「他の島との交流もなく生活できるものでしょうか? 物資や、或いは人も……」
「だからこそ、オレたちは漁の合間に浜を見てんのさァ」
後ろから声がして振り返ってみれば、朝からも元気そうなカルロスさんでした。村長宅ですが我が物顔で上がり込み、村長さんの隣、僕らの向かいに腰を下ろします。村長さんは慣れているのか、頭を抱えるだけです。これも毎度のことなのかもしれません。
「イルエルはそうやって生きてきた。まァ、おめェらが出ていくのは勝手だがな」
「……今まで、私たちと同じような決断をされた方は?」
「いた」
村長さんが包み隠すこともなく、頷きます。
「国に帰る、それこそお前たちと同じようにイルケーに行く……今までにも何人もいた」
「その方たちは、船は?」
「自分で作ったヤツと、あとは……そうだなァ、『無事に』イルエルに来られたヤツはそのまま行ったな」
「無事に?」
カルロスさんの言葉にベルが聞き返すと、はっはっはと豪快に笑って補足しました。
「別にイルエルに来るためには難破しなきゃならねェって法はねェ。ふらふらと着いちまうとか、新しい島だって来るヤツもいるのさ」
……なるほど、無事に訪れる船乗りさんたちもいるようです。だとすると数年後には海図に載っててもおかしくないかもしれませんね、イルエル。
「まァいずれにしろ帰ってきたヤツはいねェ。他の島に着いただけなのかもしれねェし、死んだのかもしれねェ。今ンとこは、な!」
あっけらかんとしています。でもそれだけよくあることなのでしょう。僕らからしてみればびっくりですが、イルエルの民なら慣れているのかもしれません。
「では……どうしたら……」
ベルが考え込むので僕も考え込みます。
出立しようにも船はなし。船があっても安全かどうかわからず。……よくよく考えてみればあの大型帆船でさえ砕け散ったのです。この島で作れる船であの海を越えられるとは思えなくなってしまいます。次は死ぬかもしれないです。
そんな進んでるんだか進まないんだかの思考の中に、カルロスさんは身を乗り出して提案してきました。
「なァ坊主。おめェもイルエルの男にならねェか」
「イルエルの男、ですか……?」
「そうだ。平たく言えば、住まねェか? この島によォ」
定住。考えつかなかった選択肢が突然現れます。さながら二周目。いえ、何のことだか僕にもさっぱりな例えですが。
ですがこれに驚いたのは僕以上にベル。
「住むですか!?」
「あァそうだ。もちろん獣人の姉ちゃんも一緒にな」
「ですが、我々はイルケーに」
「なァ、何をそんなにイルケーにこだわる?」
おいおい、と肩を竦めるカルロスさん。
「いいか? イルケーもイルエルもそう変わらねェ。あっちも島、こっちも島だ。それとも何か? イルケーならまた王族やれンのか?」
「それは……」
それは、ないでしょう。僕らも島流される前にイルケーについてそう聞いていたわけではありませんが、あの大臣の用意した土地です。それに、治安が悪いと聞いているわけですし、行けば殺しの何かが待ってる可能性だってあるわけで。
村長さんはと言うと、意外な表情を浮かべていました。
「今回はやけに入れ込むじゃないか、カルロス」
「昨日の晩飯でこの坊主が気に入ってなァ。また食わせてやりてェって嫁がよォ」
どうやら気に入って頂けたようです。
「それに、王族と獣人だぞ? 面白くなりそうじゃねェか」
……それが隣人としてか、見世物としてかはわかりませんが。本人たちを前にしてはっきりものを言い過ぎている気がします、カルロスさん。
ベルはと言うと、尻尾を垂らしてまだ唸っています。何をそこまで悩むことがあるんだろう、と思いますが僕自身に結論が出ているわけでもありません。ただ、どちらかと言うと今は定住の方に心は傾いています。傾けられるままに傾きます。
「だが」
少し優しい声色になって、ベルに話し掛けたのは村長さんです。
「私としても、現時点でのイルケー行きは勧めたくはないな。船旅が決して安楽なものではないことは……君たちには言うまでもないだろう。せっかく拾った命を粗末にすることもないのではないかな」
「うー……ですが……」
煮え切らないベル。しかし、その表情はいつもの冷静沈着モードの彼女で、察するに何か漠然とした不安を抱えていると思われます。それが何かは、わかりませんが。
ちなみに僕の方はと言いますと、言われるがままです。言われれば言われるほどそんな気がしてきます。
カルロスさん、ここに来てトドメを放ちます。
「家なら面倒は見る。セドリックが」
「おいカルロス!」
……ここまで言わせて、改めて考えます。他に選択肢があるでしょうか。僕の心のほとんどはもう、結論を出していました。あとはもう、ベルとの間を取り持つだけです。
「ベル、お二人もこう言ってることだし」
「ですがルアン様、この島は……」
「イルエルは良い所じゃないかなぁ。ごはんもおいしいし」
「……はぁ」
「それにさ、他にどうしようもないみたいだし」
「……前々から申し上げてはおりますが、ルアン様は流され過ぎかと。はっきり申し上げて、私は心配です」
「それは……そうかなぁ……?」
自分としてはそこまで貶されるような感じではないと思うのですが。成らぬことは成らぬ、ならば成るように成るべし、みたいな心境で生きてきたので。今回に関しては他に選択肢も見当たりませんし。
しかしベルもベルで優秀な、というかよく出来た従者でした。僕がしっかりと意見の方向を示した以上、彼女は嫌々ながら従うのです。
「わかりました。……住んでから船の準備をすることも出来ますし」
意地でもここから出たいのでしょうか。今日のベルは若干様子がおかしいように感じます。それこそ船室で嵐を予知したときに似ているような。
「じゃあ決まりだな!」
一番嬉しそうなのはカルロスさんです。しかしお世話になると決めた以上、名実ともに僕らの村長になったわけですから僕らも改めて挨拶をします。
「という訳で我々、ロイアウム王国元第六王子ルアン・シクサ・ナシオンと我が従者ベル、共にお世話になります」
「ルアンくん、それなんだが」
ここぞ、というタイミングなので僕が名乗ったのですがそれを聞いた村長さんが苦々しい顔をします。そりゃあもう苦々しいものでした。
「その名乗りというか、名前……どうにかしてくれ。村に住むならそこからだ」
「名前……ですか」
聞き捨てならない、と言った風に聞き返したのはベルです。村長さんは出来るだけ触れたくない問題なのだが、という風に言葉を選びつつもはっきりと答えます。
「あぁ。その、この村で暮らしていくなら君たちはもう平民だ。元王族だろうが、な。そんな中でその肩書を振り回されてはいつかお互いに面倒が起こる。必ず」
「……そうでしょうか」
「そうだ。君たちの背負っていたものは、その……それほど面倒な物だ。少なくともその、『ロイアウム王国なんとか』ってところだけでもやめてくれ」
本当に勘弁してくれ、という感じでした。僕からしてみればその『ロイアウム王国第六王子』も(今は元、ですが)名前の一部みたいなものなので、衝撃なのですが……まぁ、だめだと言われたらだめなのでしょう。
「わかりました」
「わかってしまうのですか」
驚くベル。
「そもそももう『元』だし、この村で名乗る必要はない気がする」
「ですが」
「大丈夫だって。忘れるわけじゃない」
「……失礼しました」
村長さんも「本来は姓も捨てて欲しいのだが」みたいなことを小さく言っているのですが、そこまで酷ではないようです。ありがたいことに。
「では改めて、ベル共々よろしくお願いします」
「あぁ、よろしく」
村長さんに認められたわけですが、まだまだ問題は山積みです。というか『これからどうするか』という大きな問題が一つ解決しただけで、まだまだ問題はあるのです。というか『定住』という選択によって更に問題は増した気がします。
当面の問題はと言うと――
「まずは家だな」
「家ですね」
当然家です。
まずは島の住人であるカルロスさんと村長さんの間で話し合いが行われます。
「建てるか?」
「空き家があるならそれを使うべきだろう」
「空き家……空き家かァ。浜にはねェぞ」
「ふむ……そう言えば、山に一つあっただろう。アレは?」
「誰も使ってねェはずだが……でも浜から一番遠いじゃねェか!」
「それはお前なりルアンくんなりが歩けばいいだろう……」
それから数回、二人は言い合っていたのですがどうやら話は『山のアレ』を使うということで一致したようでした。そうと決まれば早いのがカルロスさんです。
「村の一番上に山、というか森があってな。その入り口に一軒使っていない家がある。掃除すればまだ使えるはずだ。……立地上孤立しがちだが、畑もあって家もそれなりに広い。……どうか?」
村長さんがそんなことを言っている間にも既に出る準備をしているカルロスさんを横目に、僕らは首を縦に振ります。
孤立しがち、という点が若干気にならないでもないですが、僕の元の肩書やベルが獣人であることを考えれば、それはそれで良いのかもしれません。
「そこでお願いします。ベルは?」
「もちろん、異論ございません」
「じゃあ早速案内してくるかァ!」
「……あぁ。見て来いカルロス」
イルエルの人が誰しも圧倒的な行動力を誇るわけではないことが、このお二人を見ているとわかってきます。海と山の違いでしょうか。……恐らく、人柄の違いでしょうが。
「何か分からないことや困ったことがあれば私でもカルロスでも構わない、訪ねて来なさい。どうやっても最初は不便だろうからな」
そんな村長さんの言葉を背に、僕らは村長さんの家を後にしました。外に出てみれば日も高く、昨晩分からなかった村の様子が見えます。
斜面に立っている村は家と畑が多く、中心部に家、その外側に畑という形が多い様子です。村の中には二本の川も見えます。うち一本は村長さんの家の前をちょうど流れていました。
「さァて、村の中を案内しながらでも……ン、どうした坊主」
意気揚々と歩き出そうとしていたカルロスさんですが、立ち止まっている僕に気付きます。
僕としては『川あるんだなぁ』くらいの心地で、それほど長く眺めていたつもりもなかったのですが。
「なんだ、川が珍しいか?」
「いえ、そんなこと――おっ、と」
それはもう、事故としか言いようがないでしょう。
水辺に立った僕が悪かったとしか。
からかうようにポン、とカルロスさんが僕の肩に触れたのですが、それと僕が体勢を変えるタイミングが不用意に一致、結果として僕は重心が崩れ――さらさらと流れる川の中に真っ逆さま。
「ぶべぁっ……!」
みっともなく水泡を吐きながら、みるみるうちに足を取られ。……おかしいですね、上から眺めているときにはさほど速い流れだとは思わなかったのですが、そりゃあもう足も手も付く間もなく流されるのを感じます。これはまずい。
「ルアン様ぁーーーーっ!?」
「坊主ゥーーーーッ!?」
あぁ、離れていく二人は衝撃の表情を浮かべています。と陸を観察できたのも束の間、僕はイルエルの村の川に流され流され水の中。
イルエル漂着二日目――もとい、イルエル生活一日目。
最初に為したことは、『川に落ちて流される』でした。ある意味ルアン・シクサ・ナシオンの通常運転と言えるでしょう。……さぁて、どうなるかなぁ僕。ぶくぶく。
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