第3話 元・王子、飯を食う

 結論から言いますと、運の良いことに夕飯にネギ類はありませんでした。良かった。

 カルロスさんのお家は簡単な港のような場所にありました。と言うのも、僕らが流されたところは自然たっぷりでしたが、少し歩けば人里があったのです。浜に並べられた細長い漁船と、その周りには漁師さんたちのものであろう家がありました。


「ここがオレの家だ。おう、帰ったぞ! 客もいる」


 カルロスさんは僕らにそう断ると、意気揚々と戸を開けて入っていきます。中から子供たちの声も漏れて、僕らも誘われるように中へ。


「客だー!」

「久々の客だ!」

「母ちゃんのスープはうめェんだぞー!」

「オレのはやらねェからなー!」

「おめェなにもんだー!」


 ……入って二歩でこの歓迎です。取り囲まれてしまいました。十歳にもならないだろう少年少女が三人。お父様に似たのか随分と人懐っこいご様子で。


「おらガキども、邪魔になってんだろーが」


 先に奥まで入っていたカルロスさんは戻ってくると子供たちを散らします。わーきゃー言いつつ駆け回る子供たち。そして僕の後ろではそんな元気に当てられたのかネガティブなベルの声色が明るいものになります。子供の気力というのはやはり周りにも伝播するらしく、


「……スープです。リーキの香りはしません。これは……主に魚。パンもありますね」


……失礼、食い意地でした。

 ですが犬の獣人の鼻というのは驚くべき精度を誇っているもので、カルロスさんの後に続いて居間に入ってみれば、奥さんであろう女性がまさにベルの言い当てた通りの夕飯が並んでいました。

 燭台の灯が照らすその温かな夕飯は寂しさと空腹の果てにはすさまじく煌めいたものに見えます。思わず嘆息。


「おぉ……」

「ウマそうだろ」

「とっても」


 カルロスさんの言葉にも頷く他はありません。

 奥さんは僕らに挨拶すると、子供たちを招集します。走り回っていた子供たちもびっくりするほど速さで椅子に飛び乗ります。カルロスさんはというと、辺りを見回して適当な樽を僕らに二つ転がします。


「すまねェな、椅子がねェんだ。これで勘弁してくれ」

「では、ありがたく」


 返事をしたのはベル。すっかりネガティブはなりを潜め、さながら獲物を前にした猟犬。夕飯を頂きたくて仕方がないようです。

 間もなく晩餐が始まります。子供たちやカルロスさんが豪快に食事を始め、それはもう騒がしい――いえ、賑やかな晩餐でした。


「……賑やかですね」

「そうだね」


 ベルも同意見だったらしいです。城での晩餐は基本的に静かなものだったので、なんというか、その、えぇ、困惑ものです。そして困惑と言えば手持ち無沙汰感もあります。というのも……ワインが、ないので。


 カルロスさんちの名誉のために補足しておけば、湯気立ち上る温かな魚のスープはとてもおいしそうでした。パンもいつも目にしていた白いパンではなかったものの、是非お腹に入れたい。……ですがその、ワインがない夕飯というのは意外と手持ち無沙汰なもので。

 王族の地位剥奪とか島流しとかの現実とはこういうものなのかー……と半ば今更のように痛感していました。要するになんだか物足りないのです。

 そんな僕に気付いたらしく、カルロスさんは不審な視線を投げかけてきます。


「どうした坊主。食わねェのか? ……それともアレか、庶民の飯は食えねェってか」

「いえ、そんなことは全く。いただきます」


 即座に否定します。そうです、出された飯を断れるほどに僕の空腹は大人しいものではありませんでした。目の前で賑やかな食卓が繰り広げられているのですしまさに。

 僕とベルは目を合わせることもなく、同じタイミングでスープを飲みます。一口。果たして如何なるお味か、と思ったのですが――。


「……おいしい……!」

「えぇ、本当に……」


 続けて二口、いえ三口目と食事が進みます。城では肉と言えば豚肉が多かったので魚は珍しい味なのですが、こう、うまみが凄いんですよ。うまみが。これがうまみってやつなんだろうと思うくらいにはうまみでした。実にUMAMI。……我ながら語彙と言うか、何かがとても下手くそです。


 真面目に描写するとスープは魚だけが入っている簡素なものなのですが、魚の脂もしつこくなくてとても飲み心地が良く、結構味も濃いものです。魚(何の魚か定かではない)が塩漬けか何かにされていたと見えます。茶色いパンと絡めればパン生地に魚のうまみが染み込んで食べ応えが増す具合でした。煮込まれた魚自体もまた美味で、意外と肉は柔らかく食べやすいものでした。

 そんな僕らを見てカルロスさんは大満足です。


「はっはっは、そんなにウマいか。ウマいだろうなァ! なんせオレの嫁の飯だ!」


 もうこうなってしまえばワインだのテーブルクロスがないだのは全く頭にありません。もしかしたら今でなければさほどおいしく感じなかったのかもしれません。空腹は至上のスパイスと言いますし。とにかくめちゃくちゃおいしかったのです。そりゃもうがっつくってもんです。

 あっと言う間に夕飯は終了し、そこには揺れる燭台と早速遊び回る子供たち、そして満足げに笑顔を浮かべる僕とベルの姿がありました。


「さて、どうだ坊主たち」

「ごちそうさまでした、カルロスさん」

「拾って頂いた上、夕飯までお世話になりました。本当にありがとうございます」


 ベルはしっかりいつもの冷静沈着モードに戻っていました。食事はこれほどまでに偉大なのか、という具合です。ただ尻尾は満足げにぶんぶん揺れていたので彼女の機嫌はむしろ良いと思われます。

 カルロスさんはそうだろうそうだろう、と豪快に頷いて、それから少し思案しました。眉をひそめています。


「んー……だが参ったな」

「如何しましたか」


 ベルが聞き返します。ベル自身も今後どうするかみたいなことを考え始めているらしく、少し難しい顔をしています。ちなみに僕の方はというと奥さんにさっきの魚の名前を聞いていました。今晩スープに使ったのはスグダラという白身魚らしいです。この辺で獲れるタラの一種なんだとか。


「いや、うちは狭いから泊めてやれねェなと思ってよォ」

「そこまでして頂いては……」


 ベルは遠慮をしましたが、おいおいとカルロスさんはおかしそうに笑います。


「宿のあてがあるのか? 野宿か?」

「……ありませんね」

「だろうが」


 野宿は僕も遠慮したいです。それこそ島流しの極地な気がします。イルケーにしろイルエルにしろ有人島だというのに。そんな苦行に自ら身を投じるほど僕は高尚な人間ではありません。

 ですがベルは遠慮なにか何かを訝しんでるようです。


「伺いたいのですが、なぜ流れ着いていただけの私たちにそこまで?」

「知ってる顔が野垂れ死んでたら寝覚めが悪ィだろうがよ」


 カルロスさんは良い人のようです。彼は「それに」と言葉を続けます。


「イルエルの人間は元はみんなおめェらと同じ偶然着いた人間でなァ。ここの人間はおめェらみたいなの放っておけないのさ。オレはここの生まれだが、嫁はおめェらと同じだ」


 顎で示されて、奥さんが恥ずかしそうに笑います。……なんだかよく分かりませんが、イルエルの人、少なくともカルロスさん一家は良い人のようです。孤島の生き残る術というか繁栄の術なのかもしれませんが、もしかするとイルケーよりよっぽどいい土地なのかもしれません、イルエル。

 その言葉にベルも一応納得したらしく、引き下がります。それでも宿無し問題は解決したわけではないのですが、そこへ奥さんが提案をします。


「あんた、村長さんとこなら空いてるんじゃないかしら。新しい人はこの子らが久しぶりだし」

「あぁ……セドリックのとこなら空いてそうだな。良い考えだ」


 さすがはオレの嫁だ、とカルロスさんは奥さんに笑いかけると早速立ち上がって明かりを手にすると、僕らを連れて外に出ました。すさまじい行動力です。

 外はもう薄暗く、あと少しもすれば獣の時間、といった感じでした。カルロスさんは僕らの先を行きながら、軽く島の説明をしてくれます。


「オレら漁師がいるのが海側なんだが、島全体はこう……なんて言えばいいんだか……そう、足先みたいな形をしててだな」


 足先。例えが微妙な気がしないこともないですが、自分たちの体の一部なので実感はわきやすいです。


「つま先がオレらの海辺だ。この辺だな。で、つま先から足首にかけての斜面に、イルエルの村が広がってる」


 こんな具合にな――そう言いつつ、カルロスさんは僕らの先を示してくれました。見ればなるほど、今しがた想像した通りの景色が広がっていました。

 薄暗いので詳しくはわかりませんが、なだらかな斜面に村が広がっていました。立ち並ぶ家、広がる畑。なるほど、有人島だということを改めて実感します。斜面の頂点、恐らく島の中で一番高い辺りには森だか山だかがあるっぽいです。


「んで、あの辺にセドリック……村長の家があるから行くぞ」


 あの辺、と言われた辺りは斜面としても村としても真ん中辺りでして、その辺に周りより一回り大きいっぽい家があるような気がしないこともありません。

 ……如何せん暗いですし僕は夜目が利かないらしいのでふわっとしています。さながらベルの尻尾の如くふわっふわです。嘘です。彼女の尻尾はしなやかなタイプです。


 そんなことを考えている間に我々は斜面を登り始め、とも言っているうちにあれよあれよという間に村長さんの家に着きます。確かに他の家より大きい。そして村のど真ん中です。

 明かりがついているのでまだ家主は起きてらっしゃるはずと踏んで、カルロスさんが声を荒げます。


「セドリック! 俺だ、カルロスだ!」


 ……その、もうそろそろ夜分ですし近所迷惑な気もしないでもないですが。海の男ってやつは声が大きいほど良いんでしょうか。

 ですがその大声の甲斐もあって扉が開いて男性が現れます。カルロスさんと同い年くらいのやや恰幅の良い男性です。整えられた口ひげにそこはかとない村長感を感じます。適当な感想この上ないですが。


「こんな夜に何用だカルロス……おや」


 うんざりといった表情で現れたセドリックさんですが、僕らを目にした瞬間にある程度何かを察したように考え込みます。カルロスさんの話からも察するに、こういうことは珍しい事ではないのかもしれません。


「裕福そうな少年と……そちらは獣人の女性か。どうした?」

「昼の嵐で流されてきた。泊めてやってくんねェか」

「まぁ……構わんが。夕飯は?」

「もう食わせてやった。オレんとこで泊めてやれれば良かったんだが」

「お前の家では狭かろう」

「そういうこったな」


 気心が知れている仲なのでしょう、玄関先にも関わらずぽんぽんぽんと話が進んでいきます。もう話はまとまりつつあるようです。僕とベルは扱われる側なので聞いている他ありません。

 セドリックさんはあと数回言葉をカルロスさんと交わすと、僕らに向き直りました。


「私はこのイルエルで村長をやっているセドリックだ。君たちは?」

「こちらはロイアウム王国元・第六王子ルアン・シクサ・ナシオン。私は従者のベルと申します」

「……本当か?」

「一応、そういう身分でした」


 険しい表情でセドリックさんが僕に聞き返したので、頷くとセドリックさんは頭を抱えました。心情はよくわかりませんが、まぁ、当事者の僕でも扱いづらい身分だと思います。でも今はこう名乗る他ないので。


「……まぁ良い。簡単だが風呂と着替えを用意しよう。入りなさい」

「ってな訳だ。じゃあな坊主!」


 カルロスさんは見送るとのっしのっしと帰っていきます。僕はその背中をカッコいいなぁと思いながらセドリックさんの後を追います。


「久々に来たと思えば、まさか元王族とはな」

「面倒をおかけします、セドリックさん」

「この村で村長をやってれば多かれ少なかれ被る面倒だ、気にするな。村長で構わん」


 セドリックさん――もとい村長さんもまた良い人のようです。

 そんなわけで僕らは村長さんの家で風呂と着替えを頂きました。簡単なものでしたが、如何せん海を漂ったあとなのでさっぱり出来てこの上なかったです。


「着替えは簡単なものしかないが、ほれ」

「ありがとうございます」


 亜麻でしょうか、簡素な服を頭からすっぽり被ればなかなかどうしてちょうど良いサイズでした。


「良い具合だな、さて――」

「ちょっとあなた!」


 ふむふむ、と頷く村長さんに届く声。僕の記憶が確かならベルの方の面倒を見ている村長さんの奥さんだったはずです。村長さんが「どうした」と聞くと、


「刃物ないかしら? 服を切りたいのだけど!」


とのこと。村長さんは困った表情を浮かべていますが、僕はなんとなく察しがつきました。


「切る? 何のことだ?」

「……恐らく、尻尾穴かと」

「……それは盲点だったな。今行く」


 村長さんの家に獣人は来たことがなかったと見えます。犬の獣人ですから尻尾穴だけで事足りますが、他の獣人族だったら他にも穴が必要な場合がある、らしいです。よく知りませんが。

 そうこうしている間に僕らは一室を与えらえ、明かりの消えた天井を眺めることになっていました。


「明日の朝、話があるそうですルアン様」

「うん、聞いた。……でも悪い村じゃなさそうだよイルエル」

「そうですが……そのあたりも、お話しないといけませんね」

「そうだね。でも無事夜が越せそうでよかった」

「……それは、全くその通りです」


 一時はどうなるかと思いました。いや、どうなるかわからなかった期間の大半を気絶で過ごしていたので体感としてはさほど長くもなかったのが救いですが。

 それでも、城にいた頃には考えられない色々があり過ぎて、僕の体はどんよりとベッドに沈み込み始めています。抗うのは不可能と見えます。


「……じゃあ、おやすみ」

「えぇ、おやすみなさいませ」


 こうして、僕の漂着一日目はなんとか平穏無事に終わりを告げました。明日からもたぶん、なんとかなることでしょう。……たぶん。

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