第4話

 尻込みする少女はクローゼットに足をかけたままなかなか動けずにいたが、目を閉じて息を止め、プールの高台から飛び降りるような気持ちで身を投げた。自分が落下していることはたとえ目を閉じていようとも、耳元で騒がしく聞こえる風の音や肌を撫でる空気の感触でわかるものだ。地面に到達するまで一〇秒もかからない、と思っていた少女はそれを感じる時間が長すぎると疑問を抱き、恐る恐るまぶたを開いた。

 懐中電灯を使っていないというのに、周りはぼんやりと明るい。壁は高速で上に向かって動いている。たしかに少女は落下運動の最中にいた。壁にはときどき小さな横穴があり、その中から小動物の目のような光がちらついている。一瞬、金色のものが少女の前を通り過ぎた。少女はそれを見上げて正体を確かめた。

「春祭りのポスター。今年のだ」

 金色のお神輿に乗った二人の男、それを囲む参加者たち。毎年変わるポスターに写っていたのは、祖母がひいきにしている神輿であり、今年の主役だった。ポスターはどんどん遠くにいって、少女の目が届かなくなってしまったが、少女が見間違えることはなかった。神輿に飾られていた赤色の旗は今年を除けば一二年前にポスターになったきりだった。しかも、参加者が着ていた法被は五年前にデザイン変更したばかりのものであり、それが写っているのは先週刷られたばかりのポスター以外にない、と少女はすぐに思い至っていた。地元民がすべからく神輿を愛しているように、表面上は興味なさそうにしていた少女も例にもれず神輿を愛し、ポスターを集めていたからだ。

 あまりにも長い時間落ち続けていたので、少女は退屈になっていた。過ぎゆく横穴に入っていた棒付きキャンディを取り出して食べてしまうほどに。好きなイチゴ味だったこともあって機嫌がよくなった少女は積極的に暇を潰そうと、他の横穴にはなにか入っていないかときょろきょろし始めた。目を凝らしてみると、壁には穴と呼ぶには浅いへこみがいくつもあった。それらは等間隔に並び、ひとつの道として機能していた。上に戻るときはこれを利用するのか、と少女は思ったが、すぐさまその考えを打ち消した。運動したくなかったからだった。

少女はそれ以外の新たなものを見つける前に地面に到達し、事前に投げ入れていた座布団たちに尻もちをつき、壁でヘルメットを強打した。その衝撃で少女が咥えていた飴は砕け、歯茎や上顎、舌に破片が刺さった。

「大丈夫? 痛くない?」

 少女が後頭部を抱えてうずくまっていると、人ひとりがやっと通れるくらいの通路から真奈美が出てきた。壊れた日本人形の証拠隠滅を謀っていた彼女は少女のもとに駆け寄ってきて、ヘルメットを脱がして頭をさすった。そして、痛みを吸いだすように、患部に何度も口づけをした。

「飴刺さった。痛い」

「落ちてるときにそんなの食べるから」

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