第3話
少女はうまく事情を説明できなかったので、散歩に出てはしゃぐ小型犬のような勢いで真奈美を部屋まで引っ張ってきて、クローゼットを指さした。
「お祖母ちゃん、飲みこまれた」
少女は階段で真奈美に出会ったときと同じ言葉をくりかえした。その言葉はじつにシンプルかつ正確なものであり、起きたことを見ていた私たちにはわかりやすい説明だろう。しかし、なにも知らない真奈美に理解させるには言葉が足らなかったようで、彼女は苦笑いを浮かべるしかなかった。
もどかしくなった少女は説明するより現象を見てもらおうと、箪笥の上に飾ってあった高級そうな日本人形をクローゼットの中に放りこんだ。少女の行いを見た真奈美の顔は青ざめた。それは、現場に居合わせた人間なら誰しもがそうなるように、高価な物が壊れたらどうやって弁償しよう、という現実的な問題からだった。しかし、真奈美の意に反して、人形は壊れることなくその姿を消した。真奈美は驚きよりも安堵が先に来たようで、ほっとため息をついた。ただ、破壊の瞬間を見ずに済んだというだけで、地面に到達した人形が壊れてしまうことに変わりはないのだけれど。
非現実的な光景を目の当たりにして冷静な幼馴染を見た少女は余計にパニックに陥り、もういちど同じ光景を見せようと、今は亡き祖父が妻のために描いた油絵を壁から取り外しにかかった。
「飲みこまれたね」
真奈美は必死に額縁を押さえて少女の行動を阻止した。
「お祖母ちゃんもああなったの」
少女は壁と額縁に指を挟まれたまま、説明を続けた。
もし、私たちが同じ事態に遭遇したとき、どうするだろう。大人に事情を説明したところで相手にされるはずもないことは明白だ。ならば、自分たちでどうにかするしかあるまい、と物語の主人公ならば当然行きつく答えに少女も到達し、クローゼットを睨むようにしながら立ち上がった。そして、エコバッグの中に入っていた長ネギを取り出して、それを半分だけクローゼットに差し込んだ。
「なにしてるの?」
真奈美の質問を無視した少女がネギを引っ張り出して状態を確認すると、そのネギに目立った損傷はなかった。特に吸引力のようなものを感じなかったことから、少女はこの暗闇をただの穴だと判断した。一階に通じているわけではない、ということを無視すれば、少女の判断に間違いはない。この中はごつごつとした岩の壁面を持った、洞窟と大差のない空洞だ。
「お祖母ちゃん、助けてくる」
少女はネギを袋に戻し、真奈美に宣言した。
「絶対ダメ。危ないし、戻ってこられなくなるかもしれない」
真奈美は少女の腕をつかみ、引きとめた。楽観的な少女が危険を顧みずに動いている、と思った真奈美は少女を諌めようとした。しかし、掴んだ彼女の腕から震えを感じ取り、いつも通りの考えなしの行為ではないことを察した。
「それでも、お祖母ちゃんが心配だから」
真奈美は少女に怪我を負わせたくなかったので、祖母が原付を運転するときにかぶるヘルメットと、クリーニングから戻ってきたばかりらしい厚手のコートを少女に身に着けさせた。
「これは暑い」
「痛い思いするのは嫌でしょう。我慢して」
真奈美自身は懐中電灯以外に新たな装備はせず、クローゼットに片足をかけた。
「少し待ってから降りてきて」
真奈美は先に暗闇に飛び込んだ。少女は一分ほど待ったが、真奈美の声や着地音はいつまで経っても聞こえてこなかった。
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