一話完結の話

彼は「訛り」に酷く嫌悪感を抱いている。

と言っても、心の奥底には自分の方言に対する誇りを持っている。月に一回は地元の宮城に戻る、地元愛に溢れた人だ。私も彼の故郷が好きで、喜んで月一の里帰りに付き合う。そこは私たちが出会った思い出の地だからだ。


「そろそろ帰る時期かな」


「ああ、そうだな。今度は親父さんとご飯に行く約束をしたんだ。一緒に三人で行こう」


「いつの間にそんな約束してたんだ。ははっ、楽しみが一つ増えた」


もうすぐ里帰りだ。里帰りが近くなると、彼は自然とアクセントが無くなる。やはり地元が恋しいのだろう。妙な鼻濁音も混じり、少し耳がくすぐったい。


「それは良かった」


自然に返事をして私は視線をテレビに戻した。テレビでは、全国各地のご当地話をトークするバラエティ番組を放送している。私はなんだか観る気がしなくなって、テレビを消した。


「そういえば、この前言ってた上司とはどうなった?」


番組を観て、ふと思い出した。

一ヶ月ほど前だった。ちょうど里帰りする前日だったと思う。彼は泣きながら帰ってきて、つらつらと上司への暴言を吐き続けていた。


「ど、どうしたんだ!」


「あのオヤジ、俺の喋り方が、ぎだないって言いやがった! パワハラだってチクって辞めさせてやる! ……あいづ、お上品な京都訛りで言ってきたんだ……っ! んなの最上級のブーメラン発言だろ! 俺だって好きで使ってんでねぇのにっ! クソっ!」


「待て、落ち着いてくれ」


「っ……! クソ……」


正直、この時の彼の言葉は、半分ほどしか聞き取れなかった。嗚咽と涙と訛りが混ざって、彼の心情を解放したような声だった。


「ん?なんか言った?」


「いや、なんでもないよ」


キッチンのカウンター越しに食器を洗う彼を見ていたが、話しかけられて目を逸らした。明らかに一ヶ月前から訛りが少なくなった彼の口調を聞いて、耳が寂しくなる。

私は西の出身で、関西弁や博多弁は聞き慣れていても東北弁は馴染みが無い。しかもビル群のど真ん中で育った私は、引っ掛かりのない標準語だ。彼と同棲を始めて四年ほど経った最近、やっと東北弁が理解できるようになった。

だが、彼がキツい訛りを使うわけでは無い。たまに、無意識に、ふとした瞬間、訛ってしまうだけだ。そう、ちょっとだけなのだ。


「まー、あいつはまだいるけど、極力関わらないようにしてるから」


「そう……またなんかあったら言えよ」


「ははっ、だぁいじょうぶ!」


ガチャガチャと食器洗いを終え、私の隣に座った。歩きながら会話した中にも、東北弁独特の可愛いアクセントがある。


「それに、気をつけてるから」


私の隣でクッションを抱える彼は、顔を少し埋めて悲しそうに呟いた。何に気をつけているかなんて、近くにいる私が一番よく知っている。


「お風呂入ってくる!」


冷たい空気を吹き飛ばすように、彼は勢いよく立ち上がり、お風呂場へ向かった。

その日は、それ以降訛りが出ることは無かった。




「おはよう」


「早いね、もう一眠りする?」


土曜日のカラッとした朝日で目が覚めた。隣で布団を被っている彼に、優しくキスをした。土曜日の早朝、非常に乗りたくなる甘い誘いだか、今日は行きたい場所がある。


「いや、起きろ。今日は里帰りだ」


「え? 今日? 今から?」


「うん」


「今回は随分と積極的だなぁ!」


よいしょ、と一声出して彼はベッドから起き上がった。衣類が入った棚を開け、せっせと着替え始める。私はその様子を少し眺めて、パジャマのまま洗面所に向かった。歯を磨いて、顔を洗って、寝癖を直して、着替え以外の支度が終わりリビングで寛いでいると、いつの間にかトーストのいい匂いが漂いだす。


「今日は出掛けるから……卵も焼こうか」


これは返事をしなくてもいい。彼の独り言みたいなものだ。私は本を読みながらコーヒーを一口飲んだ。


「ゆっくりしてないで、そこら辺片付けて」


これは返事をしないと。残り少しのコーヒーを飲み干して、クライマックス直前の本に栞を挟んだ。


「はいはい」


名残惜しいが、どっかり腰を据えていたソファを立つ。カウンター前のダイニングテーブルには、昨晩の作業の資料や道具が散らばっている。このままにして出掛けるのは流石に私も気が引ける。コーヒーカップを流し台に置き、そそくさとテーブルを片付け始めた。


「ゴミもちゃんと投げて」


じゅうじゅう、と卵が焼ける音に混じり、些細な一言が聞こえた。


投げて


本人は気付いていないけれど、それを私以外の人に言ったら通じない。そう、東北の方言だ。

全身が歓喜に湧いた。思わず頬が緩みそうになる。彼が知らず知らずのうちに、彼の口から出る方言。何とも愛おしく、口から出た瞬間、言葉を食べてしまいたくなる。


「分かった」


この感動が気付かれないよう、平常を装い返事をした。それでも私の熱りは冷めず、胸の奥をきゅうっ、と締め付ける。

この気持ちが冷めてしまう前に、手速く支度を済ませてアパートを出た。急に気合いが入った私を見て不思議そうな顔をしながらも、彼は大人しく付いてきた。




彼の実家へ向かう道の途中、私は彼に想いを伝えた。二人で手を繋ぎながら、田んぼ脇の畦道を歩いている。山側の杉の木から溢れ出る日差しが暖かい。


「もっと自然に喋っていいよ」


「え?」


「最近無理してるでしょ?」


「……してないよ」


「してる」


「してない」


「もう……。二人でいる時と、帰ってきた時は普通に喋ってよ。標準語じゃなくてさ」


「いいの……?」


「うん」


「……ありがと」


ちょっとした蟠りが陽だまりに溶けていった気がする。彼にとってもしこりのようなものだったと思う。標準語で喋っている彼は、楽しくなさそうで、心ここに在らずって感じだった。私はそれを少しでも軽くしてあげたかった。

……というのは半分嘘で半分本当。本来の目的は別にある。

ただ単に、彼の訛りを聞きたいだけなのである。劣等感や嫌悪感など、抱くべきではない。訛りは彼のチャームポイントだ。最初は私も慣れなかったけれど、彼のたまに出る訛りは愛らしくて、すぐに私の心を鷲掴みにした。その訛りが聞けなくなったのはとても寂しかった。

でも、このことは彼には内緒で。言ったらきっと拗ねて標準語に矯正してしまう。だから今はこれだけで。


「また、聞かせてね」



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