パンツはいちご柄じゃない! 八枚目

「…………っ」

俺が目を覚ましたのは、保健室のベッドだった。

「……俺、めっちゃかっこ悪い」

思ったよりも体は平気なようだ。ちょっと頭と腹と口の中が痛むだけ。結局気を失った俺は、恐らく誠吾くんによって保健室に担ぎ込まれたらしい。

「っ……かっこ悪いわけあるかっ!……でも、あんなことすんなよ……」

「はい……おれ、スミマセンっした……」

泣きそう、というか仮屋くんは泣いちゃってるけど、二人がベッドの側に駆け寄ってきた。

「……ごめん……仮屋くん、大丈夫だった?」

冷えきった手のひらを仮屋くんの拳に重ねる。

「っう、うん、大丈夫……!大丈夫っけど、先輩がぁ……っうっう゛……」

大事なぬいぐるみをなくしてしまった子供のように、わんわん泣き出してしまった。

「ありがとう。誰も悪くないんだ、仮屋くんは泣かないで」

全部、悪いのはあいつらだ。一番傷を負った仮屋くんが、罪悪感に苛まれるのは絶対に違う。

シャッ

「あの悪ガキ共は、しばらく学校に来れない。恐らく今回で懲りるだろうが……あそこまでボコボコにするのはどうかと思うぞ」

ジャージのポケットに手を突っ込んで、低い声を響かせた。職員会議から帰ってきた先生は、どことなく疲労の色が浮かんでいる。

「すいません。正当防衛ってことで」

誠吾くんが全く申し訳無さそうに謝った。俺も、誠吾くんほどの力があれば同じことをしただろう。

「もう遅い、私が送っていこう。郡、動けるか」

「はい……」



お通夜のような車内に、先生の一言によって衝撃が走った。

「私はな……昔、生徒を好きになったことがある」

「え」

「ははっ、マジっすか」

眠ってしまった仮屋くんを起こさぬよう、できるだけ小さな声で会話する。誠吾くんは肝が据わっているのか、笑い混じりにリアクションした。

「まだ養護教諭になりたての頃だ。そいつは……控えめな奴でな、よく保健室に来て話をした」

暗い夜道を慎重なハンドル捌きで進んでいく。口調は相変わらず冷たく重い。

「私もその頃は若かった。燃え上がりすぎて、想いを伝えてしまったよ。そうしたら彼女、なんて言ったと思う」

「こっぴどく振られた……とかですか?」

思いつく中で現実味があるものを取って、答えてみた。

先生の運転は、相変わらず機械的だ。


「『僕、本当は男なんだ』ってな。聞き慣れた高い声で言われたよ」


掛ける言葉が見つからなかった。じわりと恐怖がにじり寄ってくる感じがした。

「そいつはな、トランスジェンダーだったんだ。……分かるか、トランスジェンダーってのは……」

「分かります。大丈夫です、続けてください」

トランスジェンダー、その子はきっと、男として生まれてきたんだろう。背筋にぞっと蛇が這うような感覚を覚えたが、俺はいつの間にか前のめりになって先生の話を聞いていた。

「私は拒絶してしまった。あいつの恋愛対象が女性であることにではなく……彼女自身が男性であることに」

先生は、飲み物を置くはずの窪みに入っていたタバコを手に取った。しかしそのタバコをすぐに戻し、運転に意識を集中させる。

先生もこの話をするのは辛いのだろうか。

「養護教諭で、大人のくせに……最低だな。人間として、最低なことをした」

いっそう声を低くした。


「最低っすね、先生」


脚を組んで黙っていた誠吾くんが口を開いたと思ったら、いきなり暴言を吐いた。

「ちょっ、な、何言ってんの!」

顎を引いて、誠吾くんは目線を助手席後ろのポケットに入れている。俺はぎょっとして、誠吾くんの方を向いた。

「先生、それでその子への恋愛感情が無くなったんですよね」

「……」

無言の肯定が、運転席から感じられた。

「オレだったら耐えられない。自分を拒否られるのって、本当に……」

脚を揃え、長い睫毛を俯かせた誠吾くんは、どこか不安げな表情をしている。すやすやと眠る仮屋くんの寝息の中、俺の拳を柔らかな手の平が包んだ。その手にはぎゅぅっと力が込められていく。

「……すいません。……はぁー、ちょっとイライラしちったかな……」

力なく項垂れた影が、俺の肩に寄り掛かってきた。俺はどうすることもできなくて、誠吾くんの手を握り返した。

「……うぅん」

「あ、起きた……」

もぞもぞと起き上がり、猫のように目を擦った。

「ふぁああ……あれ、もうおれん家っスか?」

「か、仮屋くんの家、この辺なんだね」

仮屋くんが起きたことで車内の空気が変わり、もうこの話は終わり、という雰囲気になった。話は終わったけれど誠吾くんは俯いて、俺の手を握ったままだ。俺も何かが引っかかった。

「そろそろ着く。準備をしておけ」

先生は何事もなかったように振舞っている。

「はい!」

慌ただしく荷物をまとめている間に、車は古い一軒家の前に止まった。

「センセー、あざっした。師匠も、先輩も……」

眉尻を下げて寂しそうに頭を下げた。

「また明日」

俺が軽く挨拶をすると、誠吾くんが身を乗り出して仮屋くんに迫った。

「っ明日の朝、迎えに行くからな!待ってろよ!」

俺を押しのけて声を荒げる誠吾くんは、本当に仮屋くんを心配しているように見える。

「……はい!また明日!」

バタッ

泣きそうな笑顔で仮屋くんはドアを閉めた。いきなり静かになった車は、またタイヤを回し始めた。

「………………」

き、気まずい……。小競り合いがあったすぐ後にこれは気まずい。

大人しく自分の座席に戻り、シートベルトを締め直した誠吾くんが静寂を割った。

「先生、このまま大和の家に向かってください」

「え、何言って……」

「今日は大和ん家泊まる」

まっすぐ前を見据えたまま、淀みなく答えた。

「いやいやいや、そんないきなり……」

「知ってるぞ、お前が一人暮らしなの」

「え!?な、なんで知ってんの」

誠吾くんにはまだ言ってなかったはず。家に来たいと必ず言い出すと思ったから、そのことはまだ伏せていた。だらしないとは分かっているが、少々汚部屋感のある部屋なので、誰も上げたくないのだ。


「LINEのプロフィールに思いっきり書いてあった」


これからは、気をつけよう……。


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